紅蓮のギャルと、息苦しい密室の罠
「ん〜、今日のあーしのネイル、マジで天才じゃね? 炎のモチーフとか超アガるし!」
都内の一等地にそびえ立つ、高級ショッピングモールのVIP専用ラウンジ。
ふかふかの革張りソファに深く腰掛けた赤園レイカは、スマートフォンのインカメラに向かってピースサインを作り、パシャリとシャッターを切った。
画面に映る自分は、完璧にセットされた明るい巻き髪に、ハイブランドで固めた隙のないコーディネート。SNSにアップすれば、ものの数秒で数万の「いいね」がつく。
「あー……最高。魔法少女、マジで天職っしょ」
運ばれてきた一杯数千円のトロピカルジュースをストローですすりながら、レイカは心底満たされたため息をついた。
数年前までの自分を思い出すと、今の生活が嘘のようだ。
昔のレイカは、家賃の安いボロアパートで、毎日喧嘩ばかりしている両親の怒鳴り声をBGMに、コンビニの駐車場でたむろするだけの底辺女子だった。退屈で、金もなくて、未来なんて何も見えなかった。
だがある日、不良グループの抗争に巻き込まれた際、突如として『空間に炎を発生させる』という能力が開花した。
そこからの人生は、まさにシンデレラストーリーだった。
政府からライセンスを与えられ、大手エネルギー企業がスポンサーにつき、一躍トップスターの仲間入り。莫大な報酬、高級マンション、テレビ出演、そして周囲からチヤホヤされる毎日。
(マジで、才能に目覚めてよかったわー。……ま、たまに面倒な『裏の仕事』も頼まれるけどさ)
ふと、三年前にスポンサーを通じて、あの「聖女」ことミチルから直接頼まれた仕事が脳裏をよぎる。
『不要になった廃工場を、跡形もなく燃やしてほしいの。中にネズミがいるかもしれないけど……レイカちゃんなら、できるよね?』
あの時、ミチルは天使のような笑顔でそう言った。
正直、深く考えるのは苦手だ。「あーしに任せな!」と二つ返事で引き受け、指定された通りに出入り口を塞ぐように炎を出し、工場を丸焦げにした。
中に誰がいたのか、あれが何のための放火だったのか、レイカは今でも知らないし、知る気もない。結果として口座には見たこともない桁のボーナスが振り込まれたのだから、それで大満足だったのだ。
「さてと。買い物も終わったし、いつもの場所で一人カラオケでもして帰ろっと!」
ブランド品の詰まった紙袋をいくつも抱え、レイカは機嫌良くラウンジを後にした。
レイカが向かったのは、完全会員制の高級地下アミューズメント施設。防音設備が完備された、要人や芸能人がお忍びで使うセキュリティ万全の密室空間だ。
だが、彼女は気付いていなかった。
その煌びやかな歩みを、影からじっと見つめる二つの「瞳」が存在していることに。
* * *
「……標的、指定のポイント『地下V7号室』に入りました」
施設の外壁。監視カメラの死角となる建物の裏手で、壁面にヤモリのように張り付いたユキが、喉元のインカムに向かって小さく囁いた。
古来より伝わる忍びの歩法『壁虎の術』。手足に吸盤のような特殊な滑り止めを施した現代の忍び装束を纏い、ユキは重力を無視したかのように垂直の壁に張り付いている。
『了解。監視カメラの映像は、すでにダミーのループ映像に差し替えてあるわ。電子ロックの解除コードも今送る』
「ありがとう、ユカリさん。……サヤ、準備はいい?」
ユキが視線を向けると、すぐ真横の配管の陰から、真っ黒な装束に身を包んだサヤが音もなくヌッと顔を出した。呼吸音さえも周囲の環境音に同調させる『息隠し』の技。姉から見ても、妹の隠密技術は恐ろしいほどに研ぎ澄まされている。
「ばっちりだよ、お姉ちゃん。ガスの充満ルートも確保済み。……さぁ、お仕置きの時間だね」
サヤの口元が、三日月のように無邪気に、そして残酷に歪んだ。
二人は音もなく壁を這い下り、排気口のルーバーを特殊な工具で素早く取り外す。そこから施設内のダクトへと、まるで軟体動物のように滑り込んだ。
埃一つ立てず、僅かな隙間を這い進む技術は、まさに古の忍びそのもの。現代の厳重なセキュリティも、彼女たちの前ではただの飾りに過ぎない。
「〜♪ だからあーしは止まらないっしょ〜♪」
防音扉に守られたV7号室で、レイカはマイクを握りしめ、ノリノリでアイドルの曲を熱唱していた。
密室のカラオケルームは、レイカにとって誰にも気を遣わずに素の自分を解放できる最高の場所だった。
だが、二曲目を歌い終えたあたりで、ふとレイカは首を傾げた。
「……ん? なんか、息苦しくね?」
空調の音が、いつの間にか完全に止まっている。
いや、ただ止まっただけではない。部屋の空気がやけに重く、吸い込んでも肺が満たされないような奇妙な感覚に襲われていた。
「え、マジで? エアコン壊れた? 従業員呼ぼ……って、あれ?」
インターホンの受話器を持ち上げるが、ツーという無機質な音すら聞こえない。
立ち上がろうとした瞬間、レイカは強烈なめまいに襲われ、ふらついてソファに倒れ込んだ。
「はっ……はぁっ……な、にこれ……あたま、いてぇ……」
異常事態だ。レイカのギャルとしての能天気な思考も、命の危機を感じて急速に冷え込んでいく。視界の端がじわじわと暗く狭まり始めていた。
咄嗟に、彼女は自らの最大の武器である『炎』を頼ろうとした。
指先に意識を集中させ、空間に炎を発生させる。これでドアを焼き切ってでも外に出る。
「燃え、ろ……!」
カッ、と指先の空間が一瞬赤く発光した。
しかし——炎は生まれなかった。
チリッ、と小さな火花が散っただけで、すぐに虚無へと掻き消えてしまったのだ。
「え……? 嘘、なんで……炎が、出ない……っ!?」
何度試しても結果は同じだった。
能力そのものは発動している感覚がある。だが、炎が具現化しない。
「……無駄よ」
突如、完全に一人きりのはずの密室に、冷たい声が響いた。
「ひっ……!?」
レイカが床を這うようにして声を振り絞ると、部屋の隅、観葉植物の陰(うずら隠れ)から、黒いマスクと装束で全身を覆ったユキが、音もなく姿を現した。その手には、小型の酸素ボンベと直結したマスクが握られている。
「てめぇ、誰だ……! なに、しやがった……!」
「魔法少女なら、少しは科学の勉強もしておくべきだったわね」
ユキは冷酷な瞳で、息も絶え絶えなレイカを見下ろした。
「あなたの能力は『空間に炎を発生させる』こと。でも、発生した炎が燃え続けるためには、当然『酸素』が必要になる。……この部屋の換気システムをハッキングして、大量の二酸化炭素を流し込ませてもらったわ」
「にさんか、たんそ……?」
「そう。空気より重い二酸化炭素は、床から徐々にこの部屋を埋め尽くしている。酸素濃度が極端に低下したこの空間では、あなたの魔法の炎は着火することすらできない。文字通りの、無力よ」
ガチャン、と背後の防音扉のロックが外れる音がした。
振り返ると、そこには同じく酸素マスクをつけたサヤが立っていた。サヤの手には、レイカの意識を完全に刈り取るための、強力な麻酔薬を塗布した注射器が握られている。
「あーしを……誰だと、思って……! スポンサーが、黙ってねぇぞ……!」
必死に虚勢を張るレイカだったが、二酸化炭素中毒による呼吸困難と意識の混濁は限界に達していた。視界が急速にブラックアウトしていく。
「あなたが誰であろうと関係ない」
ユキはクナイを引き抜き、レイカの喉元に冷たい刃をピタリと当てた。
「三年前にあなたが燃やした工場で死んだ、忍びの夫婦。……その清算をしてもらうわ」
「さんねん、まえ……あ、あ……」
その言葉を聞いた瞬間、レイカの脳裏に、自分が軽い気持ちで燃やし尽くした工場の記憶がフラッシュバックした。
自分がいかに恐ろしい相手を怒らせてしまったのか。ギャルとしての享楽的な日常が、得体の知れない真っ黒な復讐の影に飲み込まれていくのをレイカは悟った。
「あ……いや……」
声にならない悲鳴を最後に、レイカの意識は完全に闇へと沈んだ。
「制圧完了」
サヤが麻酔を打ち込み、ユキがインカムでユカリに報告する。
華やかな表舞台でチヤホヤされていた炎の魔法少女は、忍びの冷徹な知略と暗殺術の前に、一度もその牙を剥くことなく、誰にも知られず密室の闇へと引きずり下ろされたのだった。




