熱帯の朝日に負けない氷の魔法少女
ピピピピ……。
静寂を切り裂くように、腕時計のアラームが短く二度鳴動した。
私は即座にスイッチを切り、薄暗い視界の中でゆっくりと身を起こす。
むっとした熱気と、土の匂い。
遠くで聞こえる名も知らぬ野鳥の鳴き声が、ここが日本の裏路地でも、アメリカの近代的なアパートメントでもないことを嫌でも実感させる。
「……朝か」
寝袋から這い出ようとして、私はふと違和感を覚えた。
隣で寝ているはずのアカネさんを起こそうと伸ばした手が、空を切ったのだ。
(居ない……!?)
一瞬にして、脳の奥底にこびりついているトラウマがフラッシュバックした。
大切な人間が、自分の気づかないうちに視界から消え去ってしまうことへの異常なまでの恐怖。
(疲れた身体で熟睡してしまったからか……気配に全く気付けなかったわ!)
残された右手に冷たい汗が滲む。眠気など、一瞬で吹き飛んだ。
周囲を見渡すと、この粗末な家の持ち主である現地の少女――ノヴァの姿も無い。
私は跳ね起きるように立ち上がり、瞬時に戦闘態勢へと移行したが、すぐに外の和やかな声が聞こえてきたため警戒を解いた。
「違うよお姉ちゃん。全部の木を真ん中から切るだけじゃなくて、木の大きさを均一にしないとダメなの。……ほら、これくらい」
朝靄がうっすらと立ち込める小屋の前。
そこから聞こえてきたのは、現地の少女ノヴァの静かな、だがとても親しげで楽しそうな声だった。
私は毒気を抜かれ、胸の奥でつかえていた息を長く吐き出す。
視線の先には、少し大きめのナタを両手で不器用に振り上げたまま、まるで彫像のようにカチコチに固まっているアカネさんの姿があった。
私が近づいて足音を立てても、彼女はその奇妙な姿勢のままピクリとも身動きしない。
極度の緊張からか、その美しい銀髪の隙間から、うっすらと汗が滲んでいるのが見えた。
その隣では、日焼けした肌を持つ十代半ばの少女――ノヴァが、まるで幼い子供を見守る母親のように、胸に両手を当てて真剣な顔でアカネさんを見つめている。
「……ふっ!」
やがて、アカネさんが短く鋭い呼気と共に、勢いよくナタを振り下ろした。
カツンッ! という硬い音が響き、丸太のド真ん中に、ナタの刃が深く突き刺さって止まる。
パチパチパチパチ!
ノヴァがニコリと無邪気に笑って、小さく手を叩いた。
「そこから、ナタが刺さったままの状態で丸太ごと持ち上げて、もう一度強く振り下ろすの」
ノヴァの身振り手振りの指導を、アカネさんは真剣な瞳で見つめている。
そして言われるがままに、丸太に食い込んだナタを力任せに持ち上げ、再び台座に向かって振り下ろした。
パカァッ!
今度は綺麗に、丸太が真っ二つに割れて左右に転がった。
「……!」
アカネさんの瞳が、パッと見開かれた。
自分の肉体の力と、他人の教えだけを頼りに、ただの薪を割って感動しているのだ。
「おはようノヴァ。アカネさんは今日は随分と早起きだね」
私は二人の微笑ましい空間を壊さないよう、努めて穏やかな声で声をかけた。
「あ……」
振り返ったアカネさんの顔を見て、私は思わず吹き出しそうになった。
普段は無表情を貫いている彼女が、今は「どうだ」と言わんばかりに、微かに、本当に微かにだが自慢げな顔をしていたのだ。
「おはよう、お姉さん」
ノヴァが人懐っこい笑顔で私に挨拶をしてくれる。
「アカネお姉さんはね、私の薪拾いに着いてきてくれたの。それから薪割りも手伝ってくれてるんだよ」
アカネさんは、自分で綺麗に割ったであろう薪だけを足元に除け、自分の成果を自慢気にアピールするかのように、鼻を「ふんすっ」と鳴らしていた。
「私も起こしてくれてよかったのに」
私は微笑みながら、地面に散らばっている薪へと歩み寄った。
「薪の格納は任せて。どこに持っていけばいい?」
私は地面に落ちている薪を無造作に、しかし崩れないように大量に抱え上げると、アカネさんは小さな声で「あっ」と漏らした。
せっかく自分の成果を見せて自慢していたのに、私に軽々と持っていかれて少し悔しかったのかもしれない。
だが、すでに成果を見せた後だからか、それ以上は何も文句を言ってこなかった。
「それじゃあ、小屋の入り口の横にお願いします。薪と一緒に、森でご飯も取って来たから、みんなでご飯にしようね」
ノヴァが置く場所を指差して教えてくれる。
彼女の背中には、手で編まれた素朴な籠が背負われており、その中には緑色をした小さな野生のバナナが山のように入っていた。
私たちは三人で小屋の中に戻り、粗末な木のテーブルを囲んで朝食をとった。
野生の緑色のバナナは、日本のスーパーで売られているような甘く柔らかいものとは違い、少し渋みがあった。
正直、私はあまり好きな味ではなかった。
しかし、アカネさんは独特の味が気に入ったのか、それともわざとなのか、モグモグと無表情のままノヴァの分まで食べだした。
ノヴァが苦笑いしていると、アカネさんは代わりにと自分のリュックから高カロリーの携帯食料を全て取り出し、ノヴァの前にドサリと押し付けた。
「……交換」
「えっ、こんないっぱい貰えないよ!」
「……食べて。美味しいから」
アカネさんなりの、不器用な気遣いだった。
ノヴァは貧しい生活をしており、十分な栄養が取れていないことは一目でわかっていたからだ。
(私も、帰るまでに何かしらこの子に恩返しをしないとね……)
私たちがこの家に滞在させてもらっているのは、この地域一帯を縄張りにし、象を乱獲している凶悪な密猟者グループを狩るためだ。
ノヴァの両親は、依頼元の環境保護団体の末端となり、その密猟者たちに遭遇して無惨に撃ち殺されたと聞いた。
身寄りをなくした彼女は、たった一人でこの小屋に住み、森の恵みだけで生き延びてきたのだ。
国も警察も、貧しい現地の少女の声など聞いてはくれない。密猟者たちは野放しにされ、今も森を荒らし続けている。
両親を理不尽に奪われ、誰にも助けてもらえなかったあの日の絶望。
私はその心情が痛いほど分かるからこそ、ノヴァに共感し、そして今の自分には彼女を根本的に救い出す力がないという無力さに、胸を締め付けられていた。
「さてと、私とアカネさんはすぐに密猟者が現れる可能性があるポイントに移動するからね」
私は空になった陶器のコップを置き、真剣なトーンでノヴァに向き直った。
「申し訳ないけど、私たちが密猟者を完全に捕まえるまでは、また泊めさせて貰えないかな?」
私は立ち上がり、ノヴァに向かって深く頭を下げてお願いした。
ノヴァは、私がテーブルの上に広げた周辺地域の地図を見つめたまま、急にボーッとして何も言わなくなってしまった。
しばらくはそのまま彼女の言葉を待ったが、反応を貰えないなら仕方ないと頭を上げたところ、ノヴァの眼に光が戻ってぽつりと質問を投げかけてきた。
「お姉さんたちは……その地図に印をつけた五つのポイントで、どうやって広大な森の中から密猟者を見つけるの?」
ノヴァの目は、疑念というよりも、純粋な心配に満ちていた。
私は昨日寝る前に考えていた作戦を話した。
「銃声や、象の大きな鳴き声が聞こえたら、すぐに現場に直行できるように、印をつけた五つのポイントの中心にあたる中間地点で待つつもりよ。ただ、この森は広すぎるから、遠く離れている地点だと音が遮られて聞こえない可能性がある」
私は地図上の三箇所を指差した。
「だから、五つのポイントをカバーできる中間地点である『ここ』か『ここ』のどちらかで待機して、音や煙、鳥の羽ばたきなどの異常を感知して動くつもりなの」
私の説明を聞いても、ノヴァの顔からは不安の色が消えなかった。
彼女はギュッと自分の膝を握りしめ、震える声で更に聞いてきた。
「昨日言っていたけど、お姉さんたちは本当に悪人を捕まえられる『プロ』なんだよね? ……怪我とかは、しない? 相手は、銃を持っているのに、本気で戦うの?」
ノヴァの眼には、明らかな恐怖と心配の色が浮かんでいる。
(優しい子ね。自分自身が一番つらいはずなのに、出会ったばかりの私たちの命を案じてくれている。自身の両親が密猟者の銃で無惨に殺されたからこそ、見ず知らずの私たちが同じ目に遭うのが怖いんだわ)
私はノヴァの隣に座り、彼女の震える手を私の右手に包み込んだ。
「心配しないで、ノヴァ」
私は彼女を安心させるために、自信に満ちた声で言った。
「私はね、どんな大人よりも強い『忍び』だから、絶対に大丈夫。……それにね」
私は横で無表情のままバナナを咀嚼しているアカネさんに視線を向けた。
「アカネさんはね、『魔法少女』だから、敵が銃を持って何十人束になってかかってきても、すぐに制圧できるわ!」
私たちがこの地域で活動するにあたり、下手に力や素性を隠すよりも、圧倒的な武力を保持していると集落やノヴァにアピールする方針に決めていた。
その方が、余計なトラブルに巻き込まれにくく、現地の人々を安心させることができるからだ。
アカネさんはバナナを飲み込むと、ノヴァに向かってスッと右手を差し出した。
カチッ……という微かな音と共に、周囲の空気が急速に冷やされる。
そして、アカネさんの指先から、ダイヤモンドのように美しく輝く、小さな『氷の花』が音もなく咲き誇ったのだ。
常夏のこの大自然の中で、物理法則を完全に無視した絶対零度の奇跡。
「……あげる。冷たくて、綺麗だから」
アカネさんはその氷の花を、ノヴァの手のひらにそっと乗せた。
「えっ……!? な、なにこれ! 冷たい! 本物の氷!?」
ノヴァは目を丸くして驚愕し、氷の花とアカネさんの顔を交互に見比べた。
「す、すごい……! お姉さん、魔法使いなの!?」
「……魔法少女。銃の弾なんて、全部凍らせて止めるから、平気」
アカネさんが淡々と事実を告げると、ノヴァの瞳からようやく恐怖の色が薄れ、代わりに強い信頼の光が宿った。
圧倒的な理驚である魔法の力。それが今は、これほどまでに頼もしく感じる。
納得してくれたノヴァは、氷の花を大切そうに胸に抱きながら、私の広げた地図を覗き込んだ。
「あのね、密猟者は象の牙を狙って狩りをするの。だから、あいつらも森の中を当てずっぽうに歩くわけじゃなくて、絶対に『象を探して』動き回ると思うの」
ノヴァは地図上の一点、私が『B』と記していたポイントを指差した。
「だから、このBと書かれた地点。ここで張っていたらいいと思う」
自信たっぷりにノヴァが提案してきたので、私は情報収集の観点から、その理由を聞いてみた。
「どうしてその場所だと思うの?」
「だって、象の群れが水を飲みに来ているのは、ここの水辺だよ。それに、このB地点には、水辺全体が見渡せる凄く大きな岩があるから、その上で身を隠しながら待てると思ったの」
(なるほど……)
私は内心で感嘆した。なぜ象の動きやそんな地形の細部まで知っているのかと一瞬疑問に思ったが、物心ついた時からこの過酷な大自然の中で生き抜き、森の生態系の一部として暮らしてきた彼女だからこそ、ルートの予想も地形も完璧に頭に入っているのだろうと納得した。
最新の衛星機器よりも、現地の生きた知識の方がよほど信用できる。
「分かったわ。ありがとう、ノヴァ。あなたの情報を信じて、私たちはその『大きな岩』で待ち伏せをする」
私はノヴァの頭を優しく撫でてお礼を言うと、アカネさんと共に立ち上がった。
私たちはノヴァに見送られながら小屋を出発し、B地点の岩を目指して慎重に森の中を進んだ。
鬱蒼と生い茂るジャングルの木々の中、私たちは汗だくになりながらも進んだ。
やがて、ノヴァの言った通り、視界が開けた先に大きな水辺と、それを一望できる巨大な岩が現れた。
私たちは岩の頂上へとよじ登り、身を伏せて水辺の監視を始めた。
ノヴァの言う通り、既に象の集団がいることも確認をとれた。
「……アカネさん」
私は横で息を潜めているバディに向かって、静かな声で囁いた。
「今日は現地住民であるノヴァの意見を全面的に参考にして、この岩で密猟者を待ち伏せをする。だけど、もし密猟者の気配が全く無かったら、予定を変更して当初の計画通りのポイントへ移動するからね」
私の慎重な判断に対し、アカネさんは前方の水辺を鋭い瞳で見据えたまま、コクリと力強く頷いた。
遠くで、獣の鳴き声が響く。
私たちの、静かで熱い狩りの時間が始まろうとしていた。




