忍びとは?忍術とチャクラの誤解
「オーマイガー! ホンモノのニンジャ! しかもこんなにキュートなガールズだなんて、アメイジングだわ!!」
アメリカ西海岸の閑静な住宅街にあるナオフミの一軒家。そのリビングに足を踏み入れた途端、私たちを待ち受けていたのは、SNSで見た通りの陽気なブロンドの女性――ジョアンナさんの弾けるような歓声と、熱烈なハグだった。
「ちょ、ちょっとジョアンナさん、苦し……!」
「ウェルカムトゥーアメリカ! 遠い日本からよく来てくれたわね! ああ、なんて日なの。ねえ、やっぱり普段から天井裏に隠れたり、煙と一緒にドロンって消えたりするの? それとも、チャクラを練って火を吹いたり水の上を歩いたりするの!?」
目をキラキラと輝かせ、機関銃のように質問を浴びせてくるジョアンナさん。私は彼女の豊かな胸に顔をうずめられそうになりながら、なんとか首を振った。
「えっと……あの、ジョアンナさん。私たちが使うのは、そんな魔法みたいなものじゃありません。煙幕を出すのにも、硝石や硫黄の調合といった下準備が必要ですし、手から火を出したりなんてできません。チャクラ……と言われても、ちょっと困ります」
私は苦笑交じりに答えた。
実際、私たちが命を懸けて磨いてきた忍びの技は、すべて物理法則と人体構造の限界に基づいたものだ。
手から炎を出したり、空間を凍らせたりするような理不尽な超常現象は、『魔法少女』の特権である。私たちが使うのは、徹底的な鍛錬による身体操作と、科学と化学の産物である暗器や薬だけなのだ。
「オーウ、そうなの? アニメみたいに印を結んだらドカーン! じゃないのね。ちょっと残念だけど……でも、リアルなニンジャも凄くクールだわ!」
ジョアンナさんは全くめげる様子もなく、ニカッと笑って私の肩をバンバンと叩いた。その底抜けに明るい性格は、泥水のような裏社会を這いずり回ってきた私たちにとって、眩しすぎるほどに平和なものだった。
その横で、和服姿のナオフミさんは「すまんな、妻は日本文化……特にサブカルチャーに影響されていてな」と静かに微笑みながら緑茶を啜っていた。
ナオフミさんは、私たちの素性と目的を知りながらも、行く当てのない私たちを家に匿うことを許してくれた。
あてがわれた客室は三部屋あったが、私たちは無理を言って、ユカリさんとアカネ、私の三人で同室にしてもらった。広い部屋で別々に寝るよりも、互いの体温と気配を感じられる距離にいる方が、今の私たちには安心できたからだ。
その日の夜、ジョアンナさんは私たちのために、ささやかながらも盛大な歓迎パーティを開いてくれた。
テーブルの上には、巨大なペパロニピザ、ローストチキン、色鮮やかなサラダ、そしてジョアンナさん特製のアップルパイが所狭しと並べられている。
「さあ、遠慮しないでたくさん食べて! 日本から逃げてきて、苦労したんでしょう? 今日からここはあなたたちのホームよ!」
「……いただきます」
アカネが珍しく目を輝かせ、ピザのピースを両手で持ち上げて小さく口に運んだ。
「美味しい。チーズが伸びる」
そのアイスブルーの瞳が、ピザの温かさに少しだけ溶けているのを見て、私も自然と笑みがこぼれた。
久しぶりの、安全な空間。
追手に怯えることなく、温かい食事を口にできる。その平穏な時間が、張り詰めていた私の神経を少しずつ解きほぐしていくのを感じた。
ガチャリ。
だが、その温かな空気は、玄関の扉が開く音と共に一変した。
「……ただいま」
リビングに姿を現したのは、ナオフミさんの一人娘、ナタリーだった。
彼女はファミレスのウェイトレスのバイト帰りで、疲れ切ったような表情を浮かべていた。しかし、リビングでピザを頬張る私たちを見るや否や、その顔はみるみるうちに不機嫌なものへと変わった。
先日、私と手合わせをした際に見せた鋭い身のこなしや、容赦なく銃口を向けてきた冷徹な姿とは裏腹で、可愛らしいウェイトレスのお仕事なんて、正直、彼女の放つピリピリとした空気感には全く似合っていないと思った。
「おかえりなさい、ナタリー。シフト、長かったの?」
ジョアンナさんが明るく声をかけるが、ナタリーは私たちを鋭く睨みつけたまま、あからさまな舌打ちをした。
「……なんでそいつらが私たちの食卓に座ってんの。マジで最悪」
「ナタリー、言葉を慎みなさい。彼女たちはお客様だ」
ナオフミさんが静かに、しかし威厳のある声で嗜める。だが、ナタリーは反抗的に肩をすくめた。
「お客様? 冗談でしょ。政府に追われてるような厄介者を匿うなんて、親父もどうかしてるわ」
ナタリーは私の方を向き、軽蔑の眼差しを向けて「フンッ!」と鼻息を荒く吐き出すと、そのまま自分の部屋へと向かい、バタン!と大きな音を立てて扉を閉めてしまった。
「……ごめんなさいね。あの子、元軍人で正義感が強いから、裏社会の人間に対してあたりが強いのよ」
ジョアンナさんが申し訳なそうに眉を下げる。
「いえ、当然の反応だと思います。私たちのような存在は異物ですから」
私は静かに首を振った。
ナタリーの態度は正しい。むしろ、見ず知らずのテロリスト容疑者を快く受け入れてくれるナオフミさんとジョアンナさんの方が、どうかしているのだ。
それでも、私はこの家に来た目的を諦めるわけにはいかなかった。
食事が一段落し、ジョアンナさんがキッチンへ皿を下げに行ったタイミングを見計らい、私はナオフミさんの正面に正座をした。
「ナオフミさん。お願いがあります」
私は両手を畳につき、深く頭を下げた。
「私に、稽古をつけていただけませんか?」
ナオフミさんの手が、湯呑みを持ったままピタリと止まった。
「……先日も言ったはずだ。私はもう、忍びの世界からは足を洗っている。復讐に手を貸すつもりはない」
「復讐の手伝いをしてほしいとは言いません。ただ、あなたの技術を学びたいんです。私のこの左手は、今までの戦いで、もう繊細な動作を行うことはできません」
私は、鉄鋼のギミックで覆われた自らの左手を見せた。
「今の私には、妹を……サヤを取り戻すための力が足りない。先日、ナタリーさんと手合わせをして確信しました。あなたたちがこの国で培った技術は、私が学んできた技術を凌駕する部分がある。どうか、お願いします」
ナオフミさんは渋い顔をして黙り込んだ。
争いを避け、家族との平穏な日々を選んだ彼にとって、私に人殺しの技術を教えることは、己の過去の業を再び掘り起こすことに他ならないのだろう。
「いい考えじゃない!」
不意に、キッチンから顔を出したジョアンナさんが、明るい声で会話に割り込んできた。
「あなた、たまには体を動かさないと鈍るわよ? 娘さんに稽古をつけるのもいいじゃない。私、あなたのあのスピーディーな動き、また見てみたいわ!」
「ジョアンナ……これは遊びではないんだぞ」
ナオフミさんが困ったように頭を掻く。
「分かってるわよ。でも、この子たちは困ってるんでしょ? あなたが昔、ストリートのチンピラに絡まれてた私を、その鮮やかな動きで助けてくれたみたいにさ。少しだけ、力を貸してあげてもバチは当たらないんじゃない?」
ジョアンナさんのウインク交じりの後押しに、ナオフミさんは深く、長いため息をついた。
「……時間がある時なら、構わん」
「本当ですか!? ありがとうございます!」
私は顔を上げ、弾かれたように礼を言った。
「……私も、やる」
隣で静かにピザを食べていたアカネが、不意に立ち上がり、真っ直ぐにナオフミさんを見つめた。
そのアイスブルーの瞳は、普段の虚無感に満ちたものではなく、確かな熱と『強くなりたい』という意志でキラキラと輝いていた。
「お前もか。……だが、お前は魔法少女で忍びの基礎すらできていないだろう。まずは基礎体力をつけるための走り込みからになるぞ」
「……問題ない」
アカネは無表情のまま、力強く頷いた。
***
それからの一ヶ月間。
私たちは、ユカリさんが独自のネットワークで見つけてきた暗殺や諜報の依頼をこなしつつ、暇を見つけてはナオフミさんに稽古をつけてもらうという、過密な日々を送っていた。
ナオフミさんはアメリカの大学を卒業後、現在は凄腕の整体師として生計を立てている。
彼が私に教えてくれたのは、忍びの体術をさらに理詰めに昇華させた、人体構造の究極の理解だった。
「人間の身体は、意識して動かす前に、必ず無意識の予備動作が発生する。足の踏み込み、肩甲骨の沈み込み、眼球の微細な動き……それらを読み取れば、相手の次の行動は手に取るように分かる」
裏庭での組手。ナオフミさんは私の攻撃を、まるで最初から軌道を知っていたかのように、最小限の動きでスルリと躱し、私の重心が崩れた瞬間に的確なカウンターを合わせてきた。
「くっ……!」
「遅い。手を振りぬいた先を見てから動くようでは、すでに手遅れだ。相手の重心の移動を『先』に感じ取れ」
ナオフミさんの得意とするのは、まさにこの『後の先』を極めた体術だった。
相手の動き出しを見てから先手を取る。もしこの技術を完全に習得できれば、相手が魔法を発動するより先に急所を制圧できるかもしれない。
一方、アカネはというと――。
「はぁっ……はぁっ……」
裏庭の周囲を、重い砂袋を背負わされてひたすら走り込みをさせられていた。
「ほら、足が上がっていないぞ! だが、ドタバタ足音は立てるな!」
ナオフミさんの厳しい指導に、アカネは顔を真っ赤にして汗だくになりながらも、決して弱音を吐かずに走り続けていた。
彼女は魔法という分野では超一流だが、いざという時の肉弾戦の技術や、戦闘を継続するための基礎体力が圧倒的に不足している。サヤを取り戻す戦いに参加する以上、自分の足で地獄を駆け抜ける体力が不可欠だったのだ。
稽古の合間に、私はナオフミさんに尋ねた。
「あの、ナタリーさんが使っていた、銃火器と体術を組み合わせた近接格闘術……あれも、ナオフミさんが教えたんですか?」
「いや。あれはナタリーのオリジナルだ」
ナオフミさんは苦笑しながらお茶を啜った。
「あいつは元軍人だからな。私の教えた体術の基礎に、軍で学んだCQC(近接戦闘術)と銃器の取り扱いを独自にミックスさせたようだな。私から見ても、あれは完成された殺人術だ。教えようにも、私には銃の扱いは分からんからな」
ナタリーの、あの恐るべき技術。
いつか彼女からそれを学べれば、動かない左手の不利を覆せるかもしれない。だが、相変わらずナタリーは私たちを毛嫌いしており、会話すら成立しない状態が続いていた。
***
そんなある日の夜。
訓練を終えて部屋に戻ると、デスクのモニターに向かっていたユカリさんが、ひどく真剣な顔で振り返った。
「ユキちゃん、アカネちゃん。お疲れ様。……早速だけど、次の依頼の話よ」
ユカリさんの声のトーンが、いつもより数段低い。
「次の依頼は、かなり遠出することになるわ。いつも私たちに高額の依頼を回してくれる『お得意様』からの指名だから、断れないの」
「お得意様からの指名? 場所はどこなの?」
私が尋ねると、ユカリさんはモニターに世界地図を表示し、アフリカ大陸の一角を赤く光らせた。
「……リベリア共和国の南東部。広大な熱帯雨林のジャングルよ」
「リベリア……? ジャングル?」
予想外の場所に、私は思わず眉をひそめた。アメリカ西海岸からでも、飛行機を乗り継いで丸一日以上かかる地球の裏側だ。
「依頼主は、過激な環境保護団体よ。内容は、リベリアのジャングルに潜伏している『密漁者』の武装グループを捕縛し、生きたまま依頼人に引き渡すこと」
ユカリさんは、数枚の現地の衛星写真と、武装した男たちの荒い隠し撮り写真を画面に映し出した。
「依頼人は、彼らから密漁ルートや闇市場の情報を聞き出し、組織を根絶やしにするのが目的らしいわ。相手はプロ上がりの武装ゲリラ。……しかも、見渡す限りの広大なジャングルの中で、彼らがいつ、どのルートを通るのか、正確な情報は一切ないわ」
「つまり、広大なジャングルの中で待ち伏せして、武装集団を無力化しろってこと?」
「ええ。ゲリラ戦のプロ相手に、ホームグラウンドの密林で生け捕り作戦。……かなり骨が折れる仕事よ」
ユカリさんの言葉に、部屋の空気が重くなった。
だが、一番の問題はそこではない。
「ユカリさん。今回の任務、あなたはナオフミさんの家に残ってもらうわ」
私の言葉に、ユカリさんはビクッと肩を震わせた。
「えっ……? な、なんでよ! 私のバックアップがなきゃ、現地の地形データも、敵の通信の傍受もできないわよ!」
「分かってる。でも、リベリアの奥地のジャングルじゃ、まともな通信回線なんて期待できない。機材を動かすバッテリーの持ち込みも制限される環境だわ」
私は、ユカリさんの目を真っ直ぐに見つめた。
「それに、ジャングルの過酷な環境で、戦闘訓練を受けていないユカリさんを守りながら任務を遂行するのは……正直、私たちの負担が大きすぎる。ここで私たちの帰りを待っていてほしいの」
冷酷な言い方だったかもしれない。だが、これは命に関わる問題だ。サヤを失い、もうこれ以上、大切な家族を危険に晒すわけにはいかないのだ。
「そんな……」
ユカリさんは悔しそうに唇を噛み締め、俯いた。彼女も頭では理解しているのだ。自分が同行すれば、足手まといになるということを。
「……分かったわ。私はここで、ナオフミさんたちと一緒に、あなたたちの帰りを待つ。その代わり、絶対に無事で帰ってきなさいよ!」
涙目になりながらも、ユカリさんは気丈に振る舞い、私たちに帰還を約束させた。
数日後。
私たちは涙ぐむユカリさんに見送られ、郊外の小さな飛行場から、手配されたチャーター機に乗り込んだ。
プロペラが轟音を立て、小型飛行機が夜空へと舞い上がる。
窓の外には、オレンジ色に輝く夜景が広がっていた。
隣の席では、アカネが慣れない長旅に備えて、静かに目を閉じている。
私は、義手のような左手をギュッと握りしめ、暗い窓ガラスに映る自分の顔を見つめた。
(……このままで、良いの?)
アメリカに渡り、新しい技術を学び、裏仕事で資金を稼ぐ。
すべてはサヤを取り戻し、田中を殺すための準備だ。
だが、その準備が延々と進まないことに、私の心は焦りを覚えていた。
私がこうして異国のジャングルへ向かっている今この瞬間も、サヤは田中の手で、あの『魔女』たちのように心を壊され、自我を奪われているかもしれない。
焦燥感が、ドロドロとした黒い泥のように胸の奥底に溜まっていく。
(待ってて、サヤ。必ず……必ず迎えに行くから)
小型飛行機は、太平洋を越え、アフリカの深く暗い密林へと向かって、夜の闇の中を飛んでいった。




