決戦⑤――明かされた真実と、親の愛
コンクリートの冷たい階段を駆け上がる靴音が、非常階段の空間に虚しく反響していた。
不安で、足がもつれそうになる。それでも、私は一秒たりとも立ち止まるわけにはいかなかった。
階下では今この瞬間も、サヤとアカネが命を懸けて、政府の操り人形と化した四人の魔女たち、そして田中と死闘を繰り広げているはずだ。
送り出してくれたサヤの、薄く笑みを浮かべた顔が脳裏に焼き付いている。
(あの子たちは戦っている。私を信じて背中を任せてくれた……だから、私は絶対に立ち止まらない!)
奥歯を噛み締め、口の中に広がる血の味を飲み込みながら、私はついに最上階から屋上へと通じる重厚な鉄扉へと辿り着いた。
取っ手に手をかけ、体重を乗せて勢いよく押し開ける。
バァンッ!
扉が開いた瞬間、突風のような夜風と、けたたましいヘリコプターのローター音が私の全身を打ち据えた。
ホテルの広大な屋上。その中央に設置されたヘリポートには、すでに政府専用の黒塗りのヘリがアイドリング状態で待機しており、赤い航空障害灯が不気味に点滅している。
そして、そのヘリポートの手前。
吹き荒れる風の中で、仕立ての良いスーツの裾をはためかせながら、腕を組んで立っている男がいた。
――現・官房長官、徳頭サトミチ。
私たちの両親を罠に嵌めて惨殺し、魔法少女というシステムを利用してこの国を裏から食い尽くそうとしている、すべての元凶。
「……徳頭ッ!!」
私が地を這うような声でその名を呼ぶと、徳頭はゆっくりとこちらへ振り返った。
その顔には、一切の焦りも恐怖もなかった。それどころか、道端で潰れた虫の死骸でも見下ろすような、極めて冷酷で傲慢な眼差しが私を射抜いた。
「ふんっ。二人を犠牲にして、自分だけ命からがら逃げてきたか」
徳頭の口から紡がれたのは、私たちの覚悟を嘲笑うような言葉だった。
「所詮はその程度の絆よな。死に損ないのネズミが這い上がってきたところで、俺に刃が届くはずも――」
「あの子たちは、けっして負けないわッ!」
私は徳頭の言葉を遮るように、腹の底から声を振り絞って叫んだ。
「あの子たちは強い! あんたなんかの薄汚い手駒にやられるような、安い命じゃない! あんたの首を獲るまで、絶対に生き延びて追いついてくる!」
私の吠えるような宣言を聞いて、徳頭はフッと鼻で笑った。
「そうか。まぁ、結果は変わらん。……どれ、ヘリが離陸するまで、少し『遊んで』やるとしようか」
次の瞬間だった。
(えっ……?)
私の網膜に映っていたはずの徳頭の姿が、陽炎のようにブレた。
消えた、と認識した時には、私の全身の産毛が総毛立ち、警鐘を鳴らしていた。
強風が吹き荒れる屋上だというのに、足音どころか、衣擦れの音すら一切しない。気配そのものが完全に世界から切り取られたかのような、絶対的な無音。
ゾワリと、背後の死角から強烈な殺気が膨れ上がった。
(後ろっ!)
私は思考するよりも先に、本能だけで横へ向けて転がるように身を投げ出した。
空気を切り裂く鋭い風切り音が、私の右耳の数ミリ横を通り過ぎる。着地して振り返ると、そこにはいつの間にか抜き放たれたダガー(短剣)を逆手に持ち、私の首を狙って振り抜いた体勢の徳頭が立っていた。
全身から冷や汗が噴き出した。
今のは、間違いなく忍びの歩法『無影』だ。
筋肉の収縮と重心移動を極限までコントロールし、相手の視覚に意図的な残像を残して死角へ滑り込む、古より伝わる最高峰の暗殺歩法。サヤが得意とし、私も血の滲むような修行の末に身につけた、限界の人間のみが到達できる技。
「な、何故……お前が忍びの技術を使える!!」
私は床に膝をついたまま、震える声で叫んだ。
お父さんが手取り足取り、優しい手で教えてくれた誇り高き忍びの技術。それを、両親を殺した憎き黒幕が、まるで手足の延長のように完璧に使いこなしている。それがどうしようもなく不快で、馬鹿にされたような気がしてならなかった。
徳頭は姿勢を正し、ダガーについた見えない埃を払うように軽く振った。
「当然だろう。この技術は、かつて俺らがいた忍びの里の技術であり……タツノリにそれを教え込んだのは、他でもない、この俺なのだからな」
「――ッ!?」
頭を鈍器で殴られたような衝撃だった。
お父さんの、師匠? この男が?
「どういう……こと……」
私は混乱に思考が追いつかず、クナイを握る手を震わせながら、話の続きを促すことしかできなかった。
徳頭は薄気味悪い笑みを浮かべ、ゆっくりと私に歩み寄る。
「そもそも、考えたことはなかったか? 一国の官房長官である俺が、万が一にもネズミが這い上がってくる可能性があるこの場に、護衛を一人も付けずに単独で待機している理由を。……俺自身が、そこらの魔法少女や公安の犬どもよりも『強い』からに決まっておろうが!」
徳頭の身体から放たれる殺気が、尋常ではない質量を持って私にのしかかる。それは魔法のような理不尽な超常現象ではない。純粋な暴力と殺戮の経験が蓄積された、極限まで研ぎ澄まされた人間の「業」だった。
「最後だから教えてやろう」
徳頭は夜空を見上げ、まるで遠い過去を懐かしむような声を出した。
「俺も元は忍びであり、暗闇の中で泥を啜りながら、政府に使い潰されるだけの立場だった。だがな……どんなに命を懸けて国を守っても、得られるのは端金と、切り捨てられるだけの運命。大事な家族や仲間が、政府の都合でゴミのように使い潰されて死んでいくのを見て、考えは変わったのだ」
徳頭の目に、底知れぬ暗い情念が宿る。
「忍びが政府に使われるのではない。……力と情報を握る忍びこそが、政府を使い、支配すべきなのだ! そう思わんかね?」
「ふざけるな……っ! なら、なんでお父さんたちを嵌めて殺したのよ!」
私は耐えきれずに叫んだ。
「お父さんもお母さんも、忍びの誇りを持って生きていた! あんたの野望なんて関係ないのに!」
「ふんっ!」
徳頭が鼻を鳴らす。
「俺とタツノリ、そしてツバキは……隠れ潜むように住んでいた、この国の最後の忍びの里の生き残りだった。俺たち以外の忍びは、政府に使い潰されるか、嫌気が差して外国へ逃げた。だが、俺とタツノリは違った。俺たちは政府の裏側に入り込み、いつか使い潰されないための『絶対的な力と制度』を作り、里を再建しようと誓い合ったのだ」
徳頭はダガーの刃を月明かりに反射させた。
「俺は政治家となり、権力の中枢へ潜り込んで内部から政府を食い尽くす。そしてタツノリたちは、外部のフリーランスの機関として、政府の裏仕事を引き受けながら……逆に政治家や大企業たちの『致命的な弱み』を握るための諜報活動を行っておった」
そこまで語り、徳頭の顔が怒りと憎悪で醜く歪んだ。
「だが! タツノリとツバキは、俺を裏切ったのだ!!」
「え……?」
私はごくっと息を呑んだ。お父さんたちが、裏切った?
「あいつらは、これ以上国を裏から操ろうとすれば、いずれ国家そのものが大混乱に陥り、内戦まがいの事態になると恐れおった! だから、権力の掌握ではなく、あくまで『政府と対等な現状維持』の関係で落ち着こうとしやがったのだ! ……今まで命懸けで集めた証拠を、あろうことか俺から隠してな!!」
徳頭の怒声が、ヘリのローター音を掻き消すほどに響き渡る。
「なぜか分かるか!? そう……お前らが産まれてから、あいつらは心変わりしたのだ!」
私の心臓が、ドクンと嫌な音を立てて跳ねた。
「今まで死んでいった里の仲間たち……俺の家族の無念よりも! お前たち娘が、平穏に暮らせる『現状維持の未来』を優先したんだよ! あいつらは、忍びとしての使命より、ちっぽけな親としての情を選んだのだ!!」
頭が真っ白になった。
お父さんとお母さんが、政府の不正の証拠を隠した。
それは、私やサヤが、いつか血みどろの権力闘争に巻き込まれるのを防ぐため。
政府に狙われず、かといって国を滅ぼすこともない、ギリギリの平穏を守るため。
私たちの、未来を守るために。
「だからこそ、殺すしかなかった」
徳頭は氷のように冷たい声で言い放った。
「お前たちも、大人しく息を潜めて生きておれば、真実を知らないまま寿命を全うできたものを。自ら復讐などと喚いて表に出てきたが故に、こうして無惨に死ぬのだ。親の心子知らずとは、まさにこのことだな」
涙が、ボロボロとこぼれ落ちた。
あの日、クリスマスイブの夜。「一番大きなケーキを買って帰るからな」と笑ってくれたお父さんの温かい手が、脳裏にフラッシュバックする。
お父さんたちは、何も失敗などしていなかった。
私たちを愛し、私たちを守るために、国という巨大な化け物との間で絶妙なバランスを取り続け……そして最後は、かつての同志の狂気によって、すべてを燃やされたのだ。
悲しみと、行き場のない怒り。そして親の愛の深さに、私の感情はぐちゃぐちゃに引き裂かれていた。




