決戦⑥――残酷な実力差、届かない祈り
シャキン、と。
徳頭が、スーツの裏地からもう一本のダガーを引き抜き、二本の刃を逆手に持って身を沈めた。
「さて……昔話は終わりだ。残念だが、タツノリの血脈はここで途絶えてもらう」
気持ちの整理などつくはずがなかった。
だが、生き残らなければならない。お父さんたちの思いを無駄にしないために。サヤを、これ以上一人にしないために!
「あぁぁぁぁぁぁぁっ!!」
私は涙を振り乱しながら咆哮し、両手にクナイを握りしめて床を蹴った。
自分が今出せる、最速にして限界の速度。
『無影』。
視界から消えるほどのスピードで踏み込み、徳頭の右の死角へ回り込む。
いける。獲った!
そう確信してクナイを突き出した瞬間。
――スカッ。
私の刃が切り裂いたのは、ただの空気の残像だった。
「なっ……!?」
『回り込んだと認識した時には、すでに相手はそこにいない』
私が使った無影のメカニズムそのものを、徳頭は完璧に読み切り、さらに高次元の速度と先読みで上書きしたのだ。
背後から、屋上の強い風をさらに鋭く切り裂く恐ろしい音が聞こえた。
「くっ!」
私は再び地面を転がるように倒れ込み、無理やり身体を捻った。
ザクッ! という嫌な音と共に、私の後ろで束ねていた髪の毛が数本、空中にフワリと舞い散る。あと数ミリ反応が遅れていれば、首の骨ごと断たれていた。
(私より……速いっ……!)
床に伏せた状態で冷や汗を流す私の頭上から、徳頭の冷酷な声が降ってくる。
相変わらず、路傍の虫けらを見るような目だった。
「未熟者めが。無影の踏み込みが甘い」
「ぐっ……!」
反撃しようと立ち上がろうとした、その刹那。
視界がブレるよりも早く、強烈な衝撃が私の腹部を貫いた。
「ガハッ……!?」
徳頭の革靴が、私の腹に深くめり込んでいた。
内臓が破裂したかのような激痛に、私は声にならない悲鳴を上げ、まるで蹴り飛ばされた空き缶のように、コンクリートの屋上をゴロゴロと無惨に転がっていった。
「がはっ、ゲホッ……オェェェッ……!」
何とか立ち上がろうと手をつくが、胃液が逆流する激しい嘔吐感と、内臓を掻き回されるような痛みに、膝がガクガクと震えて力が入らない。
霞む視界の先で、徳頭がゆっくりと歩み寄ってくる。
「今頃、下の階では……お前の妹と氷の魔法少女も、田中たちによって死体となっている頃だろう。安心しろ、あの世ですぐに再会できる!」
「さ、やは……負けな……」
言い返す暇もなかった。
ドガッ!!
今度は容赦のない蹴りが、私の顔面を的確に捉えた。
「あぐっ……!」
鼻血を撒き散らしながら、私は再び地面に転がった。耳鳴りが止まらず、脳が激しく揺らされて平衡感覚が完全に狂っている。
(ダメだ……意識が……)
私はガクガクと震える体を這うように動かし、なんとか屋上に設置された巨大な給水タンクの裏側へ転がり込み、身を隠した。
「ハァッ……ハァッ……ハァッ……」
血まみれの顔を手で覆い、肩で息をする。
(悔しい……! 悔しいっ!! 勝てない!)
魔法のような理不尽ではない。純粋な技術と身体能力。忍びとしての圧倒的な格の違い。
それがどれほど絶望的なことか、同じ技術を磨いてきた私には痛いほどに分かってしまった。
(お父さん、お母さん……ごめんなさい。私じゃ、勝てない……)
痛みに耐えかねて、私は一秒だけ目を閉じ、祈るように両親の顔を思い浮かべた。
『ユキは丁寧なんだから、比べちゃダメよ』
『焦ることはない。今日で大きな仕事が終わるんだ』
あの優しかった声が、胸を締め付ける。
(ううん……違う。負けられない。私がここで死んだら、サヤはどうなるの!?)
バッ、と目を開く。
その瞬間、給水タンクの向こう側から、徳頭が動きだす気配を感じ取った。
(来る!)
私は『無影』を発動し、給水タンクから飛び出して、非常階段の入り口にあるコンクリートの出っ張りの影へと滑り込んだ。
「なんだ? タツノリは、逃げる方法しか教えてこなかったのか?」
徳頭の嘲笑う声が夜風に乗って響く。
今度は徳頭が動き出す前に、非常階段とは逆の方向――屋上の端にある鉄柵の手すりへ向けて跳躍した。
フェイントをかけ、空中からクナイを投擲して一矢報いようとする。
しかし。
「――うっっ!」
空中に身を投げ出した瞬間、肩口から熱鉄を流し込まれたような激痛が走った。
「あぁっ!?」
徳頭は私の動きを完全に読み切り、私が跳躍するその一点に向けて、見えない速度でダガーを投擲していたのだ。
刃は私の右肩を深々と貫き、そのまま私の体を引っ張るようにして、背後の鉄柵へと叩きつけた。
「本当につまらんやつだな」
屋上の中央に立つ徳頭が、冷たく言い放つ。
「タツノリの足元にも及ばん。その程度の覚悟と技量で、忍びを名乗るんじゃない!」
言い終わるが早いか、徳頭は続けざまに二本目のダガーを投擲してきた。
弾丸のような速度で迫る刃。
私は肩の痛みを堪え、咄嗟に『無影』を使って別の手すりへと移動し、左手のクナイで飛来したダガーをガキンッ!と弾き落とした。
(防いだ!)
そう思ったのも束の間だった。
「――っ!?」
弾き落としたダガーの真後ろ。完全に死角となる同じ軌道上に、三本目のダガーが隠れるように飛んできていたのだ。二段撃ちの暗器。
回避する姿勢すら取れなかった。
「あぁぁぁっ!!」
ズブッ! というおぞましい音と共に、今度は左肩にダガーが根元まで突き刺さった。
強烈な運動エネルギーが私の体を吹き飛ばし、背中の手すりに激突させる。ギシャァァッ! と金属が変形するほどの威力でぶつかり、その衝撃で、私の体中で塞がりかけていた傷が悲鳴を上げた。
折れていた肋骨が肺を圧迫し、太ももの傷からどくどくと血が流れ出す。
まさに満身創痍。
私は手すりに寄りかかるようにして、ズルズルとその場に崩れ落ちた。
「ガハッ……ゲホッ、ゴホッ……」
口から止めどなく血が溢れる。両肩に深々と刺さったダガーが、神経を焼き切るような痛みを放ち続けている。
(もう……指一本、動かない……)
「もうかくれんぼは終わりか?」
徳頭は表情一つ変えず、悠然と歩み寄ってくる。その手には、とどめを刺すための四本目のダガーが握られていた。
ヘリコプターのローター音が、まるで死神の足音のようにやかましく響く。
私はぼやける視界の中で、無理やり腕を動かし、クナイを取り出して徳頭に向かって投げつけた。
「あぐぅぅぅっ……!!」
肩の傷口から鮮血が噴き出すが、構わない。
しかし、徳頭は首を僅かに傾けるだけで、楽々とその一撃を躱した。
私は震える足に力を込め、手すりにもたれかかりながら、ゆっくりと立ち上がった。
右手に、最後の一本のクナイを握りしめて。
「……まだ、終わってない」
口の端から血を流しながら、私は徳頭を睨みつけた。
お父さん、お母さん。
二人が命を懸けて守ってくれたこの命。だからこそ、私はここで無様に死ぬわけにはいかない。
サヤの、未来のために。
「ほう。まだ立つか」
徳頭は感心したように眉を上げたが、すぐに殺意の宿った目に戻った。
(これが、最後の一撃……!)
思考を捨てろ。痛みを忘れろ。
私は全身の筋肉の繊維一本一本にまで意識を張り巡らせ、細胞の限界を超えた出力を引き出した。
「うおおぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉッ!!!」
私は血走った目で咆哮し、最後の力を振り絞って『無影』を発動させた。
一直線に、ただ真っ直ぐに。
フェイントも小細工もない。私の命のすべてを乗せた、最速の突撃。
「愚かな」
徳頭は迎撃の構えを取り、ダガーを胸の前に構えた。
私の体が、徳頭の間合いに入る。
クナイを徳頭の喉元へ突き出す。
しかし、それよりも速く。正確に。残酷に。
「終わりだ」
徳頭の冷徹な声と共に。
彼の手から放たれたダガーが、私のクナイが届くよりも一瞬早く、私の心臓のど真ん中を目指して、鋭く、深く、突き刺さった。




