決戦③――『魔法少女』の真実と、抱きしめた背中
薄暗く、埃っぽい非常階段のコンクリート。
私は息を殺し、足音を完全に消しながら、果てしなく続くかのような螺旋階段を一段ずつ駆け上がっていた。
白昼堂々、国会議事堂から逃亡した官房長官・徳頭サトミチを追い、私たちが誘い込まれたのは、かつてあの偽りの聖女・桐里ミチルを討ち取った因縁の高級ホテルだった。
罠であることは百も承知だが、誘いに乗らないという選択肢は無かった。
私は五感を極限まで研ぎ澄まし、空気の揺らぎや微かな匂いの変化にすら神経を尖らせながら進んだ。
だが――。
(……おかしい。何も無い)
警戒を重ね、クナイを握る手にじっとりと汗をかきながら進んだにもかかわらず、私たちはあっけなく最上フロアへと到着してしまった。
警備はおろか、自動小銃を持った部隊も、トラップも一切ない。まるで「どうぞお上がりください」とばかりに用意された、不気味なまでのレッドカーペットだった。
最上階。このフロアは、巨大なスイートルーム一室のみで構成された特別な空間だ。
廊下には分厚く高級な真紅の絨毯が敷かれ、壁には悪趣味な絵画が飾られている。
サヤが背中からそっとアカネを降ろした。
アカネは無言でコクンと頷き、自らの足で立ち上がり手の平に氷の粒を作った。サヤもまた、愛用の忍者刀を静かに鞘から半ばまで引き抜き、私へ向けて『どうする?』と鋭い視線を送ってきた。
私はゆっくりと、足裏の感触だけで絨毯を踏みしめながら、スイートルームの重厚なマホガニーの扉の前まで慎重に歩み寄った。
ドアノブに手をかけ、ゆっくりと回してみる。
カチャリ。
鍵は、開いている。
私はそのまま扉を開けず、そっと木製の扉に耳を押し当て、意識を室内の空間へと飛ばした。『気配探知』。視覚に頼らず、微かな呼吸音、心臓の鼓動、空気の対流から中の状況を読み取る。
(……四人。いや、奥にもう一人いる?)
私は背後の二人へ振り返り、目線と手信号で指示を出した。
『中に数人。完全武装の可能性あり。攪乱させて突入する』
サヤとアカネが深く頷き、戦闘態勢を完了させたのを確認する。
私はドアノブを回し、扉を数センチだけ開けた。その僅かな隙間から、腰のポーチから引き抜いた特殊な煙幕玉と、強烈な閃光と轟音を放つ炸裂弾のピンを抜き、複数個一気に室内へと投げ込んだ。
そして、即座に扉をきっちりと閉める。
―― 十秒。
頭の中でカウントダウンを刻む。
室内で、網膜を焼き切るほどの閃光と、鼓膜を破壊する轟音が連続して炸裂したはずだ。常人であれば、視覚と聴覚を同時に奪われ、平衡感覚を失って床に這いつくばるか、混乱して発砲を始める。
十秒のカウントがゼロになった瞬間、私は思い切り扉を蹴り開け、クナイを両手に構えて室内へと飛び込んだ。
「動くなッ!!」
だが。
勢いよく踏み込んだ私の足は、室内の異様な光景を前に、ピタリと止まってしまった。
真っ白な高濃度の煙幕が立ち込める中、私は直感した。
(……呻き声一つ、聞こえない!?)
炸裂弾の轟音に耳を塞ぐ音も、煙幕に咽び泣く咳き込みも、慌てて武器を構える衣擦れの音すらしない。
まるで、投げ込んだ爆発物の威力が『最初から無効化された』かのような、完全な静寂。
何かしらの手段で、物理的な奇襲が完全に防がれたのだ。
徐々に煙が晴れていく。
そして、私の視界に飛び込んできたのは、部屋の中央で腕を組み、冷酷な目でこちらを見下ろす黒スーツの男 ―― 公安の田中ヒトシだった。
さらに、田中の前には、煙幕と爆風を何らかの不可視の壁で完全に防ぎ切ったであろう、四人の女性が立ち塞がるように並んでいた。
「……徳頭はどこ!」
私はクナイの切っ先を田中に向け、低く鋭い声で叫んだ。
田中は一切の感情を交えぬ無機質な声で、ただ一言だけ答えた。
「屋上で待っている」
「ちょうど良かったわ。あんたも標的よ!」
私の隣へ滑り込んできたサヤが一歩前へ出、忍者刀を田中に向けて吠えた。両親の死の隠蔽に関わり、常に徳頭の影として裏仕事をこなしてきたこの男も、私たちにとっては絶対に許してはならない仇の一人だ。
殺気を膨れ上がらせて構える私たち三人に対し、田中は顔色一つ変えずに、前に立つ四人の女性に向かって短く命じた。
「やれ」
田中の命令が下された瞬間、私たちは事前の打ち合わせ通りに即座に散開した。
私は左の壁際へ、アカネはそのまま中央で氷の防壁を構築し、サヤは忍びの跳躍力を生かして一気に天井へと張り付く。四方からの立体的な包囲攻撃。それが私たちの考えた最良の連携だった。
しかし。
「きゃッ!?」
天井の死角へ張り付いたはずのサヤが、突然短い悲鳴を上げて床へと落下してきた。
「サヤ!?」
見事な受け身を取って無事に着地したものの、サヤの黒装束は、頭から被ったような『大量の砂』にまみれていた。
「お姉ちゃん! 気をつけて、あいつら……大人だけど、魔法少女よ!」
サヤが咳き込みながら叫んだ言葉に、私は思わず目を見開いた。
(……うそっ)
魔法少女。それは十代の思春期の少女にしか発現しない特異な力だとされている。年齢を重ね、大人になるにつれてその魔力は徐々に失われ、二十歳を迎える頃にはただの一般人に戻る。それが世間一般に公表されている『魔法少女の常識』だったはずだ。
驚愕して動きを止めた私を見て、田中がニヤリと嘲笑うように口を開いた。
「驚いたか? 本物の元・魔法少女だ」
田中の目が、四人の女性たち――否、かつて魔法少女だった者たちを見た。彼女たちの瞳には、一切の生気がない。まるで魂を抜き取られた操り人形のように、虚ろで焦点の定まらない目をしていた。
「強い力を持った駒を、政府がそう簡単に手放すと思うか? ……そうだな、魔法を失うどころか、呪いのように力に囚われた彼女たちのことは、『魔女』とでも呼んでおこうか」
田中の悍ましいネタバレに、私の背筋に氷柱をねじ込まれたような悪寒が走った。
輝かしい表舞台で使い捨てられ、引退した後は国のために自我を奪われ、純粋な兵器として使役される。それが、この国の隠し持つ『裏のシステム』の真実だったのだ。
魔女たちが、声にならない唸り声を上げ、理不尽な力を一斉に振るい始めた。
一人の魔女が手をかざすと、ホテルの高級な絨毯の上に、巨大な砂の竜巻を作ってサヤを飲み込もうと襲いかかる。
別の魔女が手の平から大量の生み出された水が、間一髪で飛びのいた私の位置にウォータージェット切断となって殺到した。
そしてもう一人。彼女が両手を組むと、アカネの目の前に長方形の『鉄の塊』が隆起し、アカネを押しつぶそうとする。
砂を作り出し操る魔女。
水を作り出し操る魔女。
鉄を作り出し操る魔女。
連携などという生易しいものではない。それぞれが独立して天災レベルの自然現象を、このホテルの一室という閉鎖空間で巻き起こしているのだ。
なんとか防ぐ事に成功した私たちの耳に届いたのは、壊れたような叫び声だった。
「ああああぁぁぁぁっ!!」
それと同時に、大量に作られた氷の槍が魔女たちへ殺到した。
ギガァァァァァンッ!!!
すさまじい金属音が響き渡った。
鉄を操る魔女の前に、厚さ数十センチはあろうかという分厚い鋼鉄の壁が瞬時に隆起し、アカネの放った氷の槍を全て粉々に砕き散らしたのだ。
「嘘……アカネの氷が、全く通じない!?」
私は迫り来る水の刃をクナイで弾きながら、冷や汗を流してアカネの方を振り返った。
しかし、私の目に映ったのは、いつも感情を欠落させ、無機質で静かだった『氷の魔法少女』の姿ではなかった。
「ああああぁぁぁぁっ!!!」
アカネの口から、喉が裂けんばかりの絶叫が放たれている。
今まで見たことがないほど、彼女の美しい顔は真っ赤に染まり、額には青筋が浮かび、そのアイスブルーの瞳はドロドロとした真っ黒な憎悪に染まりきっていた。
「お父さんたちの敵ぃぃぃっ!! 死ねぇ! 死ねぇ! 死ねぇ!!!」
それは、理性を完全に失った狂乱の姿だった。
相手の鉄の壁に届いていないのにも関わらず、アカネは狂ったように何度も何度も腕を振り回し、無数の氷の槍を生成しては魔女たちに向けて乱れ撃ちにする。
ガキィン! ガキィン! と、鉄の壁に無数の氷がぶつかり、砕け散る無意味な音が部屋に虚しく響く。
「ああああぁぁぁぁっ!! 死ねぇっ!!」
魔力の過剰消費のせいか、アカネの鼻から一筋の血が流れている。それでも彼女は攻撃を止めようとしない。
「アカネ!!」
私は慌ててサヤと共にアカネの元へ合流した。
「アカネ! しっかりして! どうしたの!?」
サヤが背後からアカネの肩を強く掴み、力任せに揺さぶる。
その衝撃でハッと我に返ったように、アカネの動きがピタリと止まった。
「はぁっ……はぁっ……はぁっ……」
アカネは肩で激しく息を切らし、滝のような汗を流しながら、前方にそびえ立つ分厚い鋼鉄の壁を睨みつけていた。
「……あの鉄」
アカネの唇が、カタカタと震えている。
「……わたしの両親が、死んだ原因」
その言葉に、私とサヤは息を呑んだ。
アカネの両親は、幼い頃に「不慮の事故」で命を落とし、彼女は天涯孤独の身として魔法少女のシステムに引き取られたと聞いていた。
だが、アカネの脳裏に焼き付いていた『両親の最期』の記憶――それは、ただの事故などではなかったのだ。そのトラウマが、目の前の『鉄を操る魔女』の力を見た瞬間、鮮烈にフラッシュバックしてしまったのだ。
攻撃が飛んでこなくなったと判断したのか、魔女たちを護っていた分厚い鉄の壁が、音もなく一瞬で消えた。
その奥から、田中が心底可笑しそうに肩を揺らして嘲笑った。
「ククク……今頃気づいたか。真実も知らず、両親の仇の組織のためにせっせと魔法少女として働いていた気分はどうだ? 本当に、馬鹿で哀れな道具だ」
底知れぬ悪意。人の命を、ただのチェスの駒かゴミのようにしか思っていない傲慢な言葉。
深い事情のすべては分からない。だが、アカネがこれまでの人生でどれほど残酷に騙され、孤独の中に突き落とされてきたのか、その痛みだけは痛烈に伝わってきた。
私とサヤの目の中にも、あの夜、両親を罠にはめられた時と同じ、真っ暗で熱い闘志の炎がボワッと燃え上がった。
過呼吸になり、その場に崩れ落ちそうになったアカネを、サヤが正面から強く、強く抱きしめた。
「サ、ヤ……?」
目を見開くアカネの背中に腕を回し、サヤはアカネの銀色の髪に頬を擦り寄せた。
かつて、両親を殺された絶望で心が壊れ、感情を失いかけたサヤを、私が命がけで抱きしめたあの日のように。
今度はサヤが、復讐の業火に焼かれそうになっているアカネの心を、その小さな体で必死に繋ぎ止めようとしていた。
「……大丈夫。大丈夫だよ、アカネ」
サヤの言葉は、普段の喧嘩腰のトーンではなく、どこまでも優しく、そして力強かった。
「……。」
パニック状態から少しだけ引き戻され、喋らなくなったアカネに対し、サヤは彼女の両肩を掴み、真正面からアイスブルーの瞳に視線を合わせた。
「私が、敵を討たせてあげる。絶対にあいつをぶっ殺してやるから、今は協力して」
そのサヤの真っ直ぐな瞳を見て、アカネの目からポロポロと大粒の涙が零れ落ちた。
自分の両親の仇を、自分の痛みを、自分のことのように怒り、共有してくれる存在。氷の魔法少女がずっと求めていた友達が、一緒にこの地獄のような戦場で戦ってくれる。
アカネは強く唇を噛み締め、コクンと一つ、明確な意志を持って頷いた。
それを見たサヤは、口角をニヤリと吊り上げて立ち上がると、私の方へと振り返った。
「お姉ちゃん、二手に分かれよう」
氷の魔法少女のエピソードは、シリーズから飛べる短編「氷の瞳が映すモノトーンの世界 ——水島アカネは言葉を凍らせる」をご確認ください。




