決戦②――白昼の強襲と、地獄の釜への招待状
国会議事堂、第一委員室。
退屈な答弁が延々と続く中、現・官房長官である徳頭サトミチは、机に軽く指を這わせながら、静かに目を伏せていた。
(長いな……)
だが、徳頭の脳内で動いている盤面は、目の前の退屈な政治ごっこではなかった。
(邪魔になるであろうミチルを消してくれた上に、犯人として葬られるなんて。それは私にとっては最高のプレゼントだよ)
桐里ミチル。あの小娘は、いずれ自分をも裏から操ろうと画策する危険な駒へと成長していた。いずれ始末しなければと考えていた矢先、三年前に仕留めた栗林の娘たちが、ミチルを暗殺してくれたのだ。
世間的には「悲劇の聖女を暗殺した卑劣なテロリスト」として報道される。徳頭はミチルという時限爆弾を無傷で排除できた上に、すべての罪を被せ、自らは「テロに屈しない国の守護者」としての立場を盤石なものにできる。まさに一石二鳥、いや、棚からぼた餅だった。
(さて、私にも嚙みついてくるかな。最後の忍びよ)
その時だった。
「――異議ありよ!!」
重厚な委員室の扉が、凄まじい破壊音と共に蹴り開けられた。
(異議ありって、ここは裁判所か……?)
呆気に取られる暇もなかった。扉の両脇に立っていたはずの屈強なSPたちが、白目を剥いて床に崩れ落ちている。現れたのは、黒装束に身を包み、堂々と仁王立ちする少女――サヤだった。
(まさか……日中の、この国会議事堂に!?)
徳頭の目が僅かに見開かれた。
敷地内のマンホールから地上へ侵入し、日本の政治の中心であり、警察の警備が最も厳重なこの場所に、白昼堂々、正面から突っ込んでくるなど、狂気の沙汰だ。
だが、徳頭に焦る気持ちは一切なかった。彼は長年の権力闘争と裏社会の渡り合いで培った、異常なまでの「危機回避能力」を持っていた。
周囲の議員たちが「なんだ!?」「テロか!?」とパニックに陥り、怒号と悲鳴が飛び交う中、徳頭は音もなく席を立ち、すぐに行動を開始した。
サヤに続き、ユキとアカネが委員室になだれ込んでくる。
「止まれッ!」
室内にいたSPたちが一斉に拳銃を抜こうとするが、アカネが床に手を触れた瞬間、パキパキと音を立てて室内の床一面が凍りつき、SPたちの両足を分厚い氷の枷でガッチリと拘束した。
「いないわ!」
サヤが委員席を見渡して叫んだ。
そこにあるのは、徳頭が直前まで座っていた革張りの椅子だけ。
「どうして!? ユカリさんが見たテレビの中継じゃ、間違いなくここにいるはずだったのに!」
『ユキちゃん、サヤちゃん!』
インカムからユカリの悲痛な叫び声が響く。
『徳頭が今、外に出たわ! 理由は分からないけど、国会議事堂前の車に乗り込むために走ってる!!』
「逃がすかッ!」
ユキは踵を返し、サヤとアカネを引き連れて来た道を全速力で駆け戻った。
議事堂の廊下を抜け、正面エントランスを飛び出す。
真夏の眩しい太陽が降り注ぐ議事堂前のロータリー。そこには、数台の黒塗りの公用車が停まっており、まさに今、徳頭が中央の装甲車の後部座席に乗り込もうとしているところだった。
「徳頭サトミチッ!!」
ユキが喉が張り裂けんばかりの声で叫ぶ。
徳頭は車のドアに手をかけたまま、ゆっくりと振り返った。
その顔には、怯えも焦りもない。ただ、ゴミを見るような冷酷で傲慢な笑みが張り付いていた。
「……最後の忍びよ。まさか日向に飛び出してくるとは、馬鹿なネズミどもだ。だが、その愚直さに免じてチャンスをやろう」
徳頭の声が、真昼の熱気を切り裂いて届く。
「ミチルをやったホテルに来い! そこで、すべてを終わらせてやる!」
言い放つと同時、徳頭は車に滑り込み、重厚なドアがバタンと閉められた。
タイヤが激しいスキール音を鳴らし、黒塗りの車列が弾丸のように走り去っていく。
「ふざけるなぁっ!!」
ユキは奥歯を噛み締め、怒りに任せて叫んだ。追いかけようにも、相手は防弾仕様の専用車。生身で追いつけるはずがない。
「はぁっ……はぁっ……サヤ、おんぶ……」
後ろから息を切らせて追いついてきたアカネが、サヤの背中にガバッと抱きついた。
「ちょ、ちょっとアカネ! 何してんの!? あんた来るまでずっとおんぶされて休んでたでしょ!」
「もう……走れない。体力、限界……おんぶされる準備、できてる」
アカネは無表情のまま、サヤの首に腕を回して脚を浮かせた。魔法少女としての魔力は絶大でも、基礎体力は普通の女子高生以下なのだ。
「あんたって子は……! 仕方ないなぁもう!」
『悠長なこと言ってる場合じゃないわよ! 場所を考えて!』
ユカリの切羽詰まった声。
議事堂の周囲には、すでに数十人の武装警察官が集結しつつあった。パトカーのサイレンが四方八方から鳴り響き、複数の銃口がユキたちに向けられている。
「武器を捨てて投降しなさい!!」
拡声器からの警告。時間は一秒たりとも残されていない。
「サヤ、アカネさんをお願い!」
ユキは腰のポーチから複数の煙幕玉を掴み出し、アスファルトの地面に力強く叩きつけた。
ボンッ! ボンッ!!
真っ白で高濃度の煙が、瞬く間にロータリー一帯を覆い尽くす。
「撃てッ!」という警察の怒号が響き、銃弾が空気を切り裂くが、その時すでに、ユキたち三人の姿は再び地下のマンホールへと消え去っていた。
* * *
暗く、ひんやりとした悪臭の漂う地下道。
地上の喧騒が嘘のように静まり返った下水道の中へ飛び込んだ直後、ユキはインカムのスイッチを強く押し込んだ。
「ユカリさん! 徳頭が逃げた! ミチルをやったホテルを指定してきたわ。私はいけると思っている。地下からの最短ルートをナビゲートして!」
叫ぶように指示を出すと、インカムの向こうから凄まじい勢いでキーボードを叩く音が聞こえてきた。
『……了解。車相手に地上を走っては追いつけないわ。徳頭がホテルに到着して陣形を整える前に、地下から強襲をかけるわよ!』
サヤは背中にアカネをおぶったまま、軽快な足取りでユキの後ろを歩いている。
「お姉ちゃん! これからどうする?」
サヤの問いかけに、ユキは歩みを止めず、少しだけ思考を巡らせた。
(徳頭は、なぜあのホテルを指定した……?)
ミチルを仕留めたあの高級ホテル。
事件後、警察の現場検証も入り、現在は立ち入り禁止になっているはずだ。防犯設備が完璧に整えられ、罠を張り巡らせているであろう徳頭の『自宅』に乗り込むよりは、ホテルの方がマシかもしれない。あのホテルなら、間取りも侵入経路も一度経験している。
(……でも、どうして? わざわざ自分が不利になるような場所を指定する?絶対に罠が待っているはずだ)
答えの出ない問答が、ユキの頭の中をぐるぐると回る。
罠だと分かっていて飛び込むのは、忍びとしては下策中の下策。だが、ここで引けば、徳頭は二度と尻尾を出さず、さらに強固な要塞の奥底に引きこもるだろう。
「……行こう!」
ユキは振り向き、力強く言った。
ユカリの的確なナビゲートを受けながら、三人は下水道を全速力で駆け抜ける。
そして、指定されたホテルの裏路地へと通じるマンホールから、再び地上へと這い出た。
ユキは暗い路地裏から、高くそびえ立つホテルを見上げた。侵入経路を頭の中に思い描く。
(今は真昼。外壁を登れば、周辺のビルに配置されたスナイパーの格好の的になるから無理ね。地下の侵入ルートは……前回の温水プールの破壊で完全に閉鎖されて工事中だから却下。……悔しいけど、正面から入るしかない!)
敵の用意したレッドカーペットを歩くようなものだ。
パンっ!
ユキは自分の両頬を、両手で強く叩いた。
鋭い痛みが脳を覚醒させ、迷いを完全に振り払う。
振り返ると、サヤとアカネが不安そうな目を向けていた。
普段は強気なサヤも、罠だと分かっている場所に飛び込む無謀さに不安げだ。
ユキは二人の目を見据え、強い意志を込めて口を開いた。
「いい? 出し惜しみは無し! 今日で決着をつけるよ!」
ユキの声は、これまでにないほど熱く、揺るぎなかった。
「絶対に徳頭を……徳頭の首を、私が刈ってみせる! だから……フォローして!」
ただ「守る」のではない。共に戦い、背中を預けるという姉からの信頼の言葉。
その熱い意志を受け取ったサヤの瞳から、不安の揺らぎが消え去った。
「……当たり前でしょ、お姉ちゃん!」
アカネも、コクリと深く頷く。
路地裏を抜け、ホテルの正面エントランスへと向かう。
白昼だというのに、ホテルの周囲には警備や警察官どころか、ホテルマンすら一人も立っていない。自動ドアは半開きのまま固定されている。
中からは一切の物音が聞こえず、薄暗いエントランスホールが、まるで獲物を丸呑みしようと口を開けた『地獄の釜』のように不気味に佇んでいた。
「……行くよ」
ユキを先頭に、三人は歩いてエントランスのガラス扉をくぐった。
入った瞬間、三人は即座に散開し、互いの死角をカバーする完全な警戒態勢を取る。
だが――。
「……誰も、いない?」
サヤが拍子抜けしたように呟いた。
ロビーにも、フロントの奥にも、ラウンジにも、人っ子一人いない。殺気どころか、人の体温すら全く感じられないのだ。
あまりの静寂に、かえって背筋に冷たい汗が流れる。
その時、サヤがフロントデスクの上に置かれた一枚の上質な和紙を見つけた。
「お姉ちゃん、これ……」
サヤが恐る恐るユキに紙を見せる。そこには、達筆な筆文字でただ一言、こう書かれていた。
『最上階にて待つ』
それを見たサヤの瞳が、再び激しく揺れ動いた。
「お姉ちゃん……これ、絶対に罠だよ。またお姉ちゃんが……あの時みたいに、危ない目に遭うかもしれない……!」
サヤの脳裏に、ミチルに操られ、自分を殺そうとしたユキの姿がフラッシュバックしているのだ。
ユキは和紙を受け取ると、それをクシャリと握り潰した。
「大丈夫。今の私には、サヤとアカネさんがいる。どんな罠が来ようと、三人で越えればいい」
ユキは上階へと続く非常階段の重厚な鉄扉へと視線を向けた。
「エレベーターは密室になる。……階段で行くよ」
強い意志を瞳に宿し、ユキは二人に告げた。
地獄の釜の底から、天辺で待ち構える悪魔の元へ。ユキは鉄扉を蹴り開け、果てしなく続く最上階への階段へと走り出した。
ここまでお読みいただき、本当にありがとうございます!
初投稿として連載を始めてみて、評価やブックマークをいただくことの高い壁を実感する日々です。世のWeb作家さんたちの凄さを身をもって知りました……!
それでも、一人でも多くの方にユキたちの復讐劇を届けるため、折れそうな心を奮い立たせて執筆を続けています。
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引き続き、最後までお付き合いよろしくお願いいたします!




