白百合の散華と、引き継がれた罪
「……形勢逆転よ、桐里ミチル」
耳元で囁かれたその声は、かつて自分が『狂信的なボディガード』へと書き換えたはずの少女――栗林ユキのものだった。
「ひっ……!? んぐぅぅっ……!!」
喉元に直接押し当てられた冷たいクナイの感触に、ミチルの全身が跳ね上がるように強張った。
目隠しをされ、両手両足を太い結束バンドと鎖で固定されているため、自分が今どのような状況に置かれているのかすら分からない。絶望的な視界の暗闇と、皮膚を直接浅く切り裂く刃の痛み。それだけで、先ほどまで「聖女」として高みで見下ろしていた少女の自尊心は、脆くも崩れ去っていた。
「……目を覚ましたようね」
「んー! んーッ!!」
猿ぐつわを噛まされたミチルが必死に首を振ると、カチャリと音を立てて猿ぐつわが乱暴に引っ剥がされた。
「ハぁっ! ハぁっ……! お、お願い助けて! 命だけは……命だけは助けてぇっ!!」
そこにいたのは、血と汗に濡れながらも、濁りのない冷徹な瞳で己を見下ろすユキの姿だった。隣には、全身のあちこちから血を流しながら、今にも自分を切り刻みそうな凄まじい殺意を宿した妹のサヤが立っている。そして部屋の隅には、アイスブルーの瞳で無感情にこちらを観察しているアカネの姿があった。
「助けるかどうかは、あなたの回答次第よ」
ユキは深く息を吐き出し、喉の奥に溜まった血をペッと床に吐き捨てた。
ミチルの能力『感情の支配』から解き放たれたものの、激しい頭痛と吐き気が脳を苛んでいる。それに加え、サヤと戦わされた際に負った太ももの深い刺し傷、そして以前のレイカ戦での火傷と骨折が、肉体を限界まで痛めつけていた。
それでもアカネの介入によって得たこの一瞬の機会を、逃すわけにはいかなかった。
「……さて。徳頭のことを詳しく教えてもらえるかしら?」
ユキの低い声。その言葉を聞いた瞬間、ミチルは借りてきた猫のように素直になり、震えながら身じろぎ一つしなくなった。自慢の魔法も封じられ、自慢の護衛も来ない。本物の「忍び」の冷徹な殺意を突きつけられた今、偽りの聖女に隠し立てをする度胸など残っていなかったのだ。
「は、話すわ! 全部話すから……! 私は――いえ、私たち魔法少女は、基本的にスポンサー企業の意向によって動いているわ。でも……その企業たちに裏で指示を出し、巨額の予算と権力を与えているのは……すべて政府なのよ!」
ミチルは途切れ途切れに、しかし必死に捲し立てた。
「魔法少女をアイドルとして売り出し、国民の目を逸らしながら裏で都合の悪い不祥事を揉み消す……このシステムそのものを考え出したのが、徳頭サトミチよ! 彼はこの事業の実績と、魔法少女を利用した裏工作で、現在の官房長官まで上り詰めたの……!」
ユキとサヤ、そして通信の向こうのユカリも、熱くなった心を表面に出さず、ただ黙ってその言葉を脳内に刻み込んでいた。
「じゃあ……三年前に、私たちの両親に大企業の脱税調査を依頼させたのも……」
「そうよ! 潜入調査をあなたの両親……栗林夫妻に依頼したのも、彼らが真相に辿り着いた途端、私に『処理』を命じたのも、全部徳頭よ!」
ミチルは涙と鼻水で顔をぐちゃぐちゃにしながら叫んだ。
「推測だけど……自分の弱みになるであろう証拠を握りすぎたあなたの両親が、邪魔になったのだと思うわ! 忍びは使い捨ての駒……だから、用済みになったから消されたのよ!」
(やっぱり……そうだったんだ)
ユキの胸の奥で、黒く冷たい塊が渦を巻く。
両親は失敗などしていなかった。完璧に仕事をこなし、正義を貫こうとしたからこそ、その口を封じるために国という巨大な組織に裏切られ、殺されたのだ。
「……他には? 徳頭の周りの警備や、公安の動きについて全て吐きなさい」
ユキが刃をミリ単位で首元に食い込ませると、ミチルは「ひぃっ!」と悲鳴をあげて早口で続けた。
「徳頭には、腹心の部下として公安部の『田中ヒトシ』が常に影のように張り付いているわ! 田中も元は裏の仕事に通じた相当な実力者だと聞いている……! 私は……私は近いうちに田中を私の魔法で支配して、用心深い徳頭に近づき、最終的には徳頭自身を洗脳してこの国を裏から掌握するつもりだったの……!」
己の膨大な野望すらも暴露し、ミチルはガタガタと全身を震わせた。
「で、でも……負けちゃったから、もう終わりね! これで私が知っている情報は本当に全部よ! 正直に話したわ……! だから解放して……! 私、この国から出ていくから! 海外に逃げて、二度とあなたたちの前に現れないからぁっ!!」
哀れな命乞い。
その身勝手な言葉を聞いた瞬間、隣に立っていたサヤの目が据わった。
「……ふざけるな」
サヤは無言で忍者刀を大きく振りかぶり、ミチルの心臓へ向けて真っ直ぐに刃の切っ先を向けた。両親を奪い、自分たちを嘲笑い、お姉ちゃんを操って傷つけさせた仇。生かしておく理由など、どこにも存在しなかった。
だが。
――ピタッ。
「……サヤ、ダメよ」
ユキが伸ばした手が、サヤの腕を強く制した。
「お姉ちゃん!? なんで分かんないの!? こいつは仇なんだよ! ここで殺さなきゃ――!」
「分かってる」
ユキは激昂するサヤを静かに押し留めると、自らの手でクナイを強く握り直した。
これから行う行為。人の命をその手で奪うという、不可逆の途方もない重み。
脳裏に吐き気が込み上げ、指先が激しく震える。かつて両親から教わったのは、人を殺める技術であっても、決して無意味な殺戮を楽しむ心ではなかった。
だが――妹のサヤにこれ以上の血を背負わせるわけにはいかない。レイカを殺した時の、あの一瞬見せたサヤの「壊れた瞳」が、ユカリの言葉が、ユキの脳裏をよぎる。
妹を修羅の道から救うためなら、自分が地獄へ落ちればいい。
「サヤの手は……もう汚させない」
「お姉……ちゃん……?」
ユキは震える深呼吸を一つ吐き出すと、濁りのない、死神のように冷徹な瞳でミチルを見下ろした。
「……ミチル。あなたの罪、私が貰うわ」
「や、やめて! 来ないで! 私は聖女なのよ! みんなに愛される――」
「徳頭にも、必ず償わせるから。……文句があるなら、あの世で言いなさい!」
シュッ、という鋭い刃音。
「がぁっ……!!???」
ユキの振るったクナイが、ミチルの胸筋を貫き、その奥にある心臓へと深々と突き刺さった。
「あ……が……はぁっ……!」
純白のドレスに、どす黒い牡丹の花のような血の池が急速に広がっていく。
ミチルは白目を剥き、数秒間、喉から血の泡を吹きながら激しく体を痙攣させていたが、やがてガクリと首を折り、動かなくなった。
部屋を支配していた異常な空気圧が、フッと消え去る。
命の灯火が完全に消えたことを確認し、ユキは血塗られたクナイを引き抜いた。
「はっ……はぁっ……はぁっ……」
手の震えが止まらない。膝の力が抜け、床に崩れ落ちそうになったその時。
ギューッ、と後ろから温かい腕がユキの身体を強く抱きしめた。
「……帰ろう、お姉ちゃん」
サヤの声だった。
妹の温もりが背中に伝わった瞬間、ユキの目から途端にボロボロと大粒の涙が溢れ出した。
仇を討った達成感などない。ただ襲いかかる圧倒的な罪悪感と、肉体と精神の限界。二人は豪華絢爛なスイートルームの床で強く抱き合い、声を大にして、子供のように泣きじゃくった。
やがて、極限の疲労と血行不良により、ユキの視界は真っ暗になり、そのまま意識を失っていった。
* * *
「ユキちゃん! サヤちゃん!!」
次に目を覚ました時、視界に入ってきたのは使い慣れた地下アジトの天井と、泣きじゃくりながら自分を抱きしめてくるユカリさんの顔だった。
「よかった……よかったぁぁッ! 二人とも生きて帰ってきてくれて……!」
「ユカリ……さん……」
身体中が包帯でぐるぐる巻きに固定されている。ユカリさんが徹夜で点滴と縫合治療を施してくれたのだ。太ももの傷も、肋骨の亀裂も、的確な処置により激痛は和らいでいた。
ふと視線を横に向けると、アジトのパイプ椅子に、黒い戦闘服を着たままポツンと座っている銀髪の少女がいた。
水島アカネだ。
「……え?」
ユキが呆気にとられた声をあげると、サヤも不機嫌そうにアカネを指差し、ユカリさんに尋ねた。
「ねえユカリさん、なんでこの子がアジトにいるの? もうミチルの復讐は済んだんだから、好きに帰りなよ」
ミチルのボディガードとしての契約は、雇い主の死亡によって終了しているはずだ。
サヤの冷たい問いかけに対し、アカネは微動だにせず、ただじっと床を見つめていた。
一秒、二秒……。
たっぷり五分間、アカネは沈黙したまま思考を巡らせていた。そして、ゆっくりと顔を上げると、真剣な眼差しをサヤとユキに向け、ぽつりと呟いた。
「……もう家、戻れない筈」
「は……? 何言ってんの?」
サヤが眉をひそめると、アカネは途切れ途切れに言葉を繋いだ。
「ミチルの死体……現場に残された。私の死体は……無い。スポンサーと公安……私が裏切ってミチルを殺したと判断する。……戻れば、消される」
「……そういうことよ」
ユカリさんが悲しそうに頷き、アカネの肩に手を置いた。
「通信の盗聴で状況は把握していたわ。アカネちゃんはミチルを氷漬けにして拘束を手助けしてくれた。警察や公安から見れば、彼女は『裏切り者』よ。もう表の世界の『魔法少女・水島アカネ』として生きていく場所は無くなったの」
「……それに」
アカネはユキの包帯だらけの体を見つめ、無機質な声で続けた。
「その子、限界。傷の養生……時間が必要。動き無いと……徳頭も安心する。警戒……緩める」
その言葉には、理が通っていた。
ミチルの死は、いずれ徳頭や公安の知るところとなる。だが、今すぐ無謀に次の刺客(徳頭)へ突撃すれば、この満身創痍の体では返り討ちに遭うだけだ。一度潜伏し、傷を癒やし、徳頭が「感知の魔法少女を倒した事で敵を討った」と判断して油断するのを待つべきだった。
誰の目から見ても、限界を迎えているユキを休ませたいという気持ちは、サヤ、ユカリ、そしてアカネの三人とも同じだった。
「……分かったわ」
ユキは弱々しく笑い、アカネに向かって深く頭を下げた。
「助けてくれて、ありがとう、アカネさん。……少しだけ、休ませてもらうわ」
「……ん。ゆっくり寝るといい」
アカネは小さく頷くと、静かに目を閉じた。
黒幕・徳頭サトミチへ至るための最後のピースが集まりつつあった。
束の間の静寂の中、少女たちは傷ついた身体を休め、次なる巨大な悪を屠るための新たな作戦を練り始めるのだった。
シリーズとして、感知の魔法少女を主役にした短編を掲載しています。
タイトル:感知の魔法少女――愛を乞うた色なき聖女




