すれ違う殺意と、氷姫の素顔
「……さあ、教えてもらうわ。桐里ミチルの、本当の目的と能力の秘密を」
私の低い声が、濃密な水蒸気に満たされた地下スパ施設に反響した。
右手に握ったクナイの刃先は、水島アカネの白く細い喉元にピタリと添えられている。ほんの数ミリ押し込めば、容易く頸動脈を裂くことができる距離。極度の緊張からか、それとも急激な温度変化のせいか、アカネの白い肌にはうっすらと汗が滲み、氷のように冷たいはずの彼女から、確かな『生温かい脈動』が刃を通じて私の手へと伝わってくる。
「……目的?」
アカネは身じろぎ一つせず、アイスブルーの瞳だけを動かして私を見た。
命の危機に瀕しているというのに、彼女の瞳には先ほど見せた焦りすらとうに霧散し、ただ純粋な『疑問』だけが浮かんでいた。
「とぼけないで。あいつがただの慈善活動家じゃないことくらい、とうに知っているわ。裏で何を企んでいるの? どうしてあなたのようなトップクラスの魔法少女を、地下になんて遠ざけたの?」
私が刃に微かな力を込めると、アカネは少しだけ眉をひそめ、何かを思い出すように視線を宙に彷徨わせた。
濃霧の中で、張り詰めた沈黙が数秒間だけ流れる。
相手は、表の世界で圧倒的な人気を誇る魔法少女。どんな恐ろしい陰謀が、あるいは血生臭い秘密が語られるのか――私はゴクリと息を呑み、次の言葉を待った。
「…………ミチルは、甘い物が好き」
「は……?」
私の口から、間の抜けた声が漏れた。
「あと、紅茶はダージリンしか飲まないらしい。……それくらいしか、知らない」
「…………」
あまりにも素っ頓狂で、的外れな回答。
私は一瞬、新手の暗号か何かを疑ったが、アカネの瞳はどこまでも透明で、嘘をついているようには見えなかった。彼女は本気で、自分の知る限りの『ミチルの情報』を捻り出した結果、そのマカロンやケーキが好きそうな情報を提示してきたのだ。
「ぷっ……あははははっ!」
張り詰めていた空気をぶち壊すように、背後でサヤが腹を抱えて吹き出した。
「なにそれ! マジでウケるんだけど! お姉ちゃん、この子、本当に何も知らないただの『雇われの壁』だよ!」
「サヤ、笑い事じゃないわよ……」
私は大きなため息をつき、少しだけクナイの刃を緩めた。
間違いない。この水島アカネという少女は、ミチルの悪性や裏の顔に加担しているわけではない。ただスポンサーの大人たちに言われるがまま、何も知らされずにここに配置されただけの、哀れなからくり人形なのだ。
これ以上の尋問は無意味だと判断した私は、冷たく言い放った。
「……分かったわ。あなたは情報源としては無価値よ。このまま見逃してあげるから、これ以上ミチルに協力しないこと。今すぐここから立ち去りなさい」
「お姉ちゃん、何言ってんの?」
ふいに、鼓膜を刺すような冷たい声が横から割り込んだ。
振り返るよりも早く、サヤが音もなく私の横に並び立つ。先ほどまで腹を抱えて笑っていた妹の顔からは、一切の感情が抜け落ちていた。
その手には、抜身の忍者刀。水蒸気の向こうから差し込む微かな間接照明の光を反射して、刃がギラリと飢えた獣のように光る。
「逃がすわけないじゃん。魔法少女なんて、どれも同じ。私のお父さんたちを殺して、その上でのうのうと笑ってるクズの仲間だよ。……後で邪魔になる前に、ここで殺せばいい」
サヤが床を蹴った。
何の溜めもない、ゼロから一瞬でトップスピードに達する神速の踏み込み。狙うは、身動きの取れないアカネの細い首。
「ダメッ、サヤ!!」
私は火傷の痛む左腕を無理やり動かし、アカネの前に身を挺して割り込んだ。
ガギィィィィンッ!!!
私の両手のクナイと、サヤの振り抜いた忍者刀が激突し、暗闇の中に激しい火花が散る。
「……ッ!」
「そこをどいてよ、お姉ちゃん!」
力任せに押し込んでくるサヤの刃に、私のひび割れた肋骨が悲鳴を上げる。
「目を覚ましなさい、サヤ! この子は敵の核心とは関係ない! 無抵抗の相手や、関係のない人間まで見境なく殺すのは、ただの殺人鬼よ! 私たちが誇りを持っていた『忍び』のすることじゃない!!」
「忍びの誇りなんて、あの日全部燃えちゃったじゃん!!」
サヤの悲痛な叫びが、水蒸気を震わせる。
「あいつらは光の当たる場所で笑ってて、私たちはこんな泥水の中を這いずり回ってる! 全部奪われたのに、どうして綺麗事なんて言えるの!? 殺さなきゃ……私たちが、殺されちゃうんだよ!!」
サヤの目から、大粒の涙が溢れ出した。狂気で塗り固められたように見えた妹の心は、ミチルへの恐怖と、両親を失った絶望で、とうの昔に悲鳴を上げていたのだ。
私は刃を交えたまま、一歩踏み込み、サヤの体を強く抱きしめた。
「……っ!」
「大丈夫。お姉ちゃんが絶対に守るから。……だから、これ以上、自分の魂まで泥に沈めないで」
私の肩に顔を埋めたサヤから、力がスッと抜け落ちる。チャキン、と忍者刀が床に落ちる音が響いた。
「……お父さんと、お母さん?」
背後から、ぽつりと呟く声がした。
振り返ると、アカネが自分の喉元をさすりながら、信じられないものを見るような目で私たちを見つめていた。
「ええ、そうよ」
私はサヤを背中にかばいながら、アカネに向き直った。
「私たちの両親は、一流の忍びだった。でも三年前に、桐里ミチルに罠に嵌められ、殺されたの。……魔法少女の手によってね。私たちは、あいつらの化けの皮を剥がして、この理不尽なシステムを全部壊すためにここに来たのよ」
アカネの瞳が、僅かに揺れた。
魔法少女というシステムに守られ、その恩恵を受けているはずの彼女なら、私たちの言葉を「テロリストの妄言」と切り捨てるだろうと思った。
だが、アカネの口から漏れたのは、予想とは全く違う言葉だった。
「……そう。あなたたちも、あの『システム』に壊されたのね」
彼女の周囲を取り巻いていた絶対零度の冷気が、嘘のようにスッと霧散していく。
「……私の負けよ」
アカネは、何も感じていないような、それでいてどこかホッとしたような声で言った。
「あなたの言う通り、私はミチルのことも……大人たちの思惑も何も知らない。言われるがままに、ここに立たされて……理由も分からないまま、あなたたちを凍らせようとした。……そんな空っぽの魔法少女じゃ、あなたたちの『熱』には勝てない」
彼女の言葉には、強烈な自己嫌悪と、魔法少女というシステムそのものに対する深い虚無感が滲んでいた。
周囲への無関心は、彼女自身が傷つかないための鎧だったのだろう。だが、復讐という泥臭い執念で結びついた私たち姉妹の姿を見て、その分厚い氷の鎧に、決定的なヒビが入ったのだ。
「護衛任務は失敗。私はここで倒された。それでいい」
アカネはそう言うと、自らの魔法少女の衣装のポケットに、ゆっくりと手を入れた。
「ッ……! まだやる気!?」
サヤが反応し、床の刀を蹴り上げようとする。
私はそれを手で制し、真っ直ぐにアカネの瞳を見つめ返した。今の彼女からは、微塵も殺気や魔力の揺らぎを感じない。
「……これ」
アカネがポケットから取り出したのは、四つ折りにされた一枚の紙切れだった。
彼女はそれを、ためらうことなく私に向けて差し出した。
「護衛たちの、配置計画の図面。地下をウロウロして、不審者と勘違いされて撃たれないように……マネージャーから渡されていた物」
私は驚きで目を見開いた。
「これを……私たちに? どうして。あなたは魔法少女でしょう?」
「私には要らない。……だから、落としただけ」
アカネはふいっと視線をそらし、不器用な言い訳を口にした。
(なんて、不器用な子……)
私はその紙切れを受け取りながら、胸の奥がじんわりと温かくなるのを感じた。
彼女は彼女なりに、私たちと同じように、大人たちが作った理不尽なシステムに苦しみ、孤立していたのだ。その寂しさが痛いほどに伝わってくる。
「……サヤ、行くわよ。これでもう、あいつの絶対的な死角を突ける」
私は図面を懐にしまい、壁際の階段へと歩き出した。
「ちょっとお姉ちゃん、本当に信じるの!? 罠かもしれないじゃん!」
警戒を解かないサヤの頭を、私はポンポンと軽く撫でた。
「大丈夫。負けた魔法少女なんて、世間もスポンサーも誰も興味を持たなくなるわ。彼女はもう、敵じゃない」
階段に足をかけたところで、私はふと足を止め、振り返った。
薄暗い水蒸気の中、ただ一人ぽつんと立ち尽くす、美しくも孤独な氷の魔法少女。
その姿が、あの日、冷たい雨の中で両親を失い、世界から見放された十四歳の自分の姿と重なって見えた。
「――アカネさん」
私が声をかけると、アカネはビクッと肩を震わせた。
「私たちも、あなたも、これからどうなるかなんて分からない。……でも」
私は黒いマスクを引き下げ、彼女に向けて、今日一番の――もしかしたら、この三年間で一番の、自然な笑顔を向けた。
「もし、この地獄を生き延びて、またどこかで会えたら。……その時は、一緒に女子会でもしようね。マカロンでも、ケーキでも、なんでも奢ってあげるから」
「え……」
アカネが目を丸くする。
私はそれ以上何も言わず、マスクを戻すと、サヤと共に闇に続く階段を一気に駆け上がっていった。
* * *
静寂が戻った地下スパ施設。
立ち込めていた水蒸気が徐々に晴れていく中、水島アカネは一人、残されたプールサイドに立ち尽くしていた。
「……じょし、かい」
彼女は、自分の首元――つい先ほどまで冷たい刃を突きつけられていた場所に、そっと指を這わせた。
死の恐怖はなかった。
しかし、あの黒装束の少女が最後に残していった言葉が、そしてその温かい笑顔が、凍りついていた彼女の胸の奥底で、小さな、けれど確かな熱を帯びてくすぶり続けていた。
『その時は、一緒に女子会でもしようね』
それは、魔法少女としての打算も、同情も、裏の仕事も関係ない。
ただの一人の少女として、初めて向けられた『純粋な誘い』だった。
「…………女子会」
アカネはもう一度、その言葉を舌の上で転がすように呟いた。
誰もいない地下室。誰の目も気にする必要のない空間で。
彼女のアイスブルーの瞳から、氷が溶け出すように大粒の涙が一つ、頬を伝って落ちた。
「……行く!」
不器用な氷の魔法少女の口から、微かな、しかし力強い声が響いた。
その顔には、今まで誰も見たことがないような、年相応の柔らかく、どこか照れくさそうな笑みが浮かんでいた。
シリーズとして、氷の魔法少女を主役にした短編を掲載しています。
タイトル:氷の瞳が映すモノトーンの世界 ——水島アカネは言葉を凍らせる




