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魔法少女が表なら、忍びは裏。——国に見捨てられた姉妹は、偽りの聖女を影から狩る  作者: 毛布 繰丸
第三標的:温かさを知らない氷の魔法少女

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読めない感情と、隔離された氷姫

アジトの空気は、数日前に流した血の匂いが未だに染み付いているかのように重く、そしてひどく冷え切っていた。

私は淹れたてのコーヒーが入ったマグカップを両手で包み込み、その微かな温もりで、レイカの炎に焼かれた左腕の痛みを誤魔化そうとしていた。


「――ユカリさん、アカネの攻略は何か思いついた?」

画面の青白い光に照らされたユカリさんの背中に向かって、私は静かに問いかけた。

キーボードを叩く乾いた音がピタリと止まり、ユカリさんはキャスター付きの椅子をくるりと回転させて、深くため息をついた。


「ダメね。どう転んでも生け捕りは無理よ。レイカの時は密室と二酸化炭素を使ったけど、あのアカネの『氷』は性質が違う。周囲の空間そのものを凍結させる彼女を狭い空間に閉じ込めるのは、逆に彼女の能力の威力を高めるだけだわ。仮に睡眠ガスで拘束できても、そこから目を覚まされた瞬間に私たちが凍らされる……リスクが高すぎるのよ。そっちは?」


私はマグカップを見つめたまま、ゆっくりと首を振った。

「こっちも全然ダメ。何にも思いつかない」

忍びの技術は、相手の隙を突き、死角から急所を狙うことで成立する。だが、相手が自らの周囲全方位を絶対零度の氷で覆い尽くせるのであれば、近づくことすら叶わない。

「最低条件として、あのアカネとミチルが一緒に居ない状況を狙うしかない。でも……ミチルは自分が狙われていると知っているわ。ボディーガードとして雇った『最強の盾』を、自分の側から離すことがあるのかしら?」


私の疑問に、ユカリさんは「そこなのよね」と眉間を揉んだ。

「普通に考えれば、四六時中ベッタリ張り付かせるはず。でも、さっきから監視カメラのハッキング映像を追っているんだけど……妙なのよ」


ユカリさんがメインモニターに、ミチルが滞在している超高級ホテルの見取り図と、生体反応のトラッキングデータを表示させた。

「ミチルがいるのは、最上階のVIPスイート。でも、水島アカネの反応は、そこから遥か下……地下二階の『スパ・温水プール施設』にずっと留まっているの」


「地下のプール?」

私は目を丸くした。

「営業時間はとうに終わっているはずよ。どうしてそんな場所に、専属の護衛を?」

「わからないわ。ミチル自身が、意図的にアカネを遠ざけているとしか思えない配置よ。でも……チャンスだと思わない?」

ユカリさんは子供が悪戯を思いついたような顔をした。


* * *


地上五十階。横浜の夜景を眼下に収めるスイートルーム。

分厚い防弾ガラスの向こうで瞬く街の灯りを見下ろしながら、桐里ミチルは、両手で持ったティーカップを、カタカタと微かに震わせていた。


(……怖い)

部屋の温度は完璧に調整されているはずなのに、ミチルの背筋には、氷のような悪寒が絶え間なく這い回っていた。


数日前の夜。

あの薄汚い忍びの姉妹が、この部屋を強襲してきた時のことだ。

妹の方――サヤの感情の色が、一瞬にして『無』になった。

怒りも、殺意も、恐怖も。すべての感情がブラックアウトし、ただ純粋な殺戮の機構と化したあの瞬間、ミチルの『感情の可視化』は完全に通用しなくなった。


『読めない感情は……恐ろしい』

ミチルはギュッと目を閉じ、震える唇を噛み締めた。

常に他人の醜い感情――嫉妬、絶望、恐怖の色――を見下し、それを支配することで己の絶対的な優位性を保ってきた彼女にとって、「感情の色が存在しない」という事象は、己の存在基盤を揺るがすほどの未知のバグであり、恐怖そのものだった。


だからこそ、その恐怖をどうにかするために、スポンサーに無理を言って『氷の魔法少女』である水島アカネを呼び寄せたのだ。物理的な絶対防御。近づく者すべてを凍てつかせる力があれば、あの感情のない化け物も防げるはずだと。


だが――いざアカネを自らの側に置いたミチルは、別の恐怖に直面することになった。

水島アカネ。彼女の感情の色もまた、限りなく『無』に近かったのだ。


(あの子は……何も感じていない。私が笑いかけても、怯えた素振りを見せても、あの氷のような瞳の奥には何の色も浮かばない……!)

アカネのそれは、サヤのような殺意に極振りした結果の空虚とは違う。世界そのものに対する『虚無』だ。

他人の感情を吸って生きるサディストのミチルにとって、何も発しないアカネと同じ空間にいることは、酸素のない深海に沈められているような息苦しさを伴った。

アカネが側にいるだけで、サヤのあの時の『無』の恐怖がフラッシュバックしてしまい、夜も眠れない。


「……侵入経路の確認と見回りをあなたに頼むから、ネズミ一匹逃がさないこと。生死は問わないわ」

耐えきれなくなったミチルは、そう適当な理由をつけて、アカネを追い払ったのだ。

自分の弱さを認めるようで忌々しかったが、とにかく今は、あの『色のない目』から逃れたかった。


「……来れるものなら、来てみなさい。あの氷の女の彫像にでもなればいいわ」

ミチルは冷めた紅茶を喉に流し込み、虚勢を張るように窓ガラスに映る自分に向かって嗤った。


* * *


ホテルの地下二階。

営業を終了した高級スパ・温水プール施設は、柔らかな間接照明だけが灯る、静謐で幻想的な空間だった。

広大なプールの水面は、かすかに波打ちながら天井の光を反射している。空間全体に、温水の心地よい湿気と、高級感のあるアロマ、そして微かな塩素の匂いが満ちていた。


そのプールサイドのデッキチェアに、水島アカネは一人、退屈そうに腰掛けていた。

「……何なの、ここ」

アカネの口から、無感情なため息が漏れる。

専属の護衛として呼ばれたはずなのに、到着するなり追いやられた。ミチルの態度は、明らかにアカネを避けているようだった。

(……どうせ、私といるのが息苦しかったんでしょ。いつものこと)

自分の不器用さが、また人を遠ざけた。その事実に僅かな痛みを覚えながらも、アカネは「どうでもいい」と心に蓋をした。

この魔法少女という歪なシステムの中で、自分はただ命令通りに氷を出すだけの機械。心が動くことなど、もう無いのだから。


ピチョン……。


静寂の中、プールの水滴が落ちる音が響いた。

その音の余韻が消えるよりも早く――アカネの背後の空間が、ゆらりと陽炎のように歪んだ。


「――!」

アカネの視線が鋭く動く。

振り返るのと同時に、彼女の手から凄まじい冷気が爆発した。

パキパキパキッ!!!

一瞬にしてプールサイドの濡れたタイルが凍りつき、鋭利な氷の棘が無数に隆起して、背後に迫っていた『影』を串刺しにしようと襲い掛かる。


「っ……!!」

氷の棘が突き刺さる寸前、私は床を蹴って大きく後方へ跳躍した。

着地した足元から、急速に冷気が這い上がってくる。周囲の気温が一気に急降下し、吸い込んだ空気が肺を凍らせるように冷たい。


「……ミチルの言っていたネズミ?」

アカネがゆっくりと立ち上がる。そのアイスブルーの瞳は、私の黒装束と、隣に音もなく降り立ったサヤの姿を捉えても、一切の動揺を見せなかった。


「悪いけど、あなたに恨みはないの」

私は愛用のクナイを両手に構え、低く身を沈めた。

「でも、ミチルの元へ行くために……あなたには、ここで退場してもらうわ!」


「お姉ちゃん、いくよ!」

サヤが弾丸のように飛び出した。

サヤの動きは、先日の敗北の恐怖を微塵も感じさせないほど速く、鋭い。彼女はプールサイドの円柱を蹴って壁を駆け上がり、アカネの頭上から忍者刀を振り下ろした。


「遅い」

アカネが指先を軽く振る。

ただそれだけで、サヤとアカネの間の空間の水分が瞬時に凝固し、分厚い『氷の盾』が出現した。

ガキンッ!!!

鋼の刃が氷に弾かれ、火花が散る。サヤの神速の斬撃をもってしても、その分厚い氷の壁を砕くことはできなかった。


「なっ……硬っ!?」

「サヤ、離れて!」

私は横合いから特殊発熱弾を三発連続で投げつけた。

ドンッ! と鈍い爆発音が響き、氷の盾に直撃する。だが、発熱弾の炎は氷の表面を僅かに溶かしただけで、すぐに次の冷気の波に飲み込まれ、ジュッと音を立てて鎮火してしまった。


(嘘でしょ……レイカの炎とは比べ物にならないほどの、圧倒的な制圧力……!)

レイカの炎が「破壊」だとすれば、アカネの氷は「拒絶」だ。

彼女の周囲数メートルには、一切の物理攻撃を許さない絶対零度の領域が形成されている。近づけば凍らされ、遠距離攻撃は氷の壁に防がれる。まさに理不尽そのもの。


「無駄よ。私の氷は、あなたたちの熱量では溶かせない」

アカネが無機質な声で告げた直後。

彼女が床に片手を突き立てると、今度はプールサイド全体の床面から、生き物のようにうねる巨大な氷の蛇が何本も這い出し、私たちに向かって襲い掛かってきた。


「くっ……!」

私は火傷の痛む左腕を庇いながら、必死に氷の蛇を回避する。タイルを砕き、デッキチェアを粉砕しながら追ってくる氷の暴力。足元が凍りつき、徐々に体力が奪われていく。

(真正面からじゃ、絶対に勝てない。……でも、私たちは忍び。正面突破が無理なら、環境ステージごとひっくり返す!)


私は逃げ回りながら、視線を大きく横に振った。

そこにあるのは、三十度以上に保たれた、数万リットルもの温水がなみなみと張られた巨大なプール。


(氷の魔法少女。……あなたのその冷たさが、自らの首を絞めることになるわ)

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