第八十三話 静寂のあとに
──天才錬金術師は常識を知らない
空は静かだった。
ついさっきまで世界を覆っていた黒い災厄は、跡形もなく消え去っている。
青。
ただそれだけの色。
それがこんなにも眩しいものだったのかと、誰もが思っていた。
雲海の上。
崩れかけた塔の途中で、アルマたちはしばらく動けずにいた。
ルナが小さく息を吐く。
「終わった……のかな」
シエルも空を見上げたまま答える。
「多分……終わったと思う」
フィーネは腕を組んで周囲を警戒していたが、やがて肩の力を抜いた。
「少なくとも、あの厄介な呪いは消えたようじゃな」
アルマはきょとんとしている。
「じゃあ帰れるね!」
その一言に、フィーネは一瞬だけ沈黙した。
そして深くため息を吐く。
「お主はもう少し余韻というものを覚えよ」
「余韻?」
「今の戦いの重さとかじゃ」
「重かったの?」
「精神的にじゃ!」
ルナが小さく笑った。
「でもアルマお姉ちゃんのおかげだよね」
シエルも頷く。
「うん。普通じゃ絶対無理だった」
アルマは首を傾げる。
「普通じゃなかった?」
フィーネは即答した。
「今さらすぎる」
その時だった。
古代竜がゆっくりと空へ翼を広げた。
その巨体はすでに黒い呪いの痕跡を失っている。
黄金の鱗が光を反射し、まるで神話の存在のようだった。
『……礼を言う』
低く響く声。
ルナが驚く。
「喋った……」
シエルも目を丸くする。
「さっきまで暴れてたのに……」
古代竜は静かに続ける。
『長い呪縛だった』
『我はただの器に過ぎなかった』
その言葉に、アルマは少しだけ悲しそうな顔をした。
「苦しかったんだね」
古代竜は目を細める。
『ああ』
『だが終わった』
その瞬間、裂け目の向こうから聞こえた声を思い出す者もいた。
フィーネは空を見上げる。
「……問題はそこではないかもしれぬがな」
アルマが振り返る。
「なに?」
フィーネは少し迷ってから答えた。
「世界の外側じゃ」
ルナが不安そうに言う。
「また何か来るの?」
「可能性はある」
シエルも表情を曇らせる。
「さっきの……裂け目の向こうのやつ?」
フィーネは頷く。
「呪いの事件は終わったが、根本はまだ残っておる」
アルマは空を見上げた。
「でも、見えないよ?」
「見えぬから厄介なのじゃ」
その時だった。
塔の下方から声が響く。
「おーい!!」
王都からの救援部隊だった。
レオニス王の指示で、騎士団と魔術師たちが駆け上がってきていた。
エルドの声も混じっている。
「生存者確認!!」
「上層、無事ですか!!」
フィーネは手を振る。
「無事じゃ!」
ルナもほっと息を吐いた。
「よかったぁ……」
シエルは剣を下ろす。
「ようやく地上に戻れるね」
アルマはすでに地上へ戻る気満々だった。
「お腹すいた!」
フィーネは額を押さえる。
「緊張感を返せ」
だが、その言葉に重さはなかった。
戦いは終わったのだ。
しばらくして。
一行は王都へ戻った。
街は混乱していたが、破壊はほとんどない。
むしろ市民たちは空を見上げていた。
英雄の帰還を待つように。
アルマたちが地上に降り立つと、ざわめきが広がる。
「見ろ……あの子だ」
「呪いを消したっていう……」
「本当にあの小さな子が?」
アルマは手を振った。
「ただいまー!」
ざわめきは一瞬で拍手に変わる。
フィーネは呆れた顔をしながらも、どこか誇らしげだった。
「まったく、騒がしい娘じゃ」
ルナは少し照れている。
シエルは落ち着かない様子で周囲を見ている。
そして王城。
レオニス王は玉座ではなく、城門の前に立っていた。
「ご苦労だった」
エルドも隣にいる。
「正直……生きてるとは思いませんでした」
アルマは首を傾げる。
「え?」
「いや……普通は死にますよあれ」
「そうなんだ」
「そうなんです」
フィーネが横から言う。
「普通はな」
王は静かに頷いた。
「だが終わった」
「それが全てだ」
その言葉に場の空気が少しだけ軽くなる。
しかしフィーネだけは小さく目を細めていた。
「終わりではない気もするがな」
アルマが聞く。
「まだあるの?」
フィーネは少し空を見上げる。
「帝国じゃな」
その一言で空気が変わる。
ルナが首を傾げる。
「帝国?」
シエルも反応する。
「さっきの人たち?」
フィーネは頷く。
「今回の呪い事件の裏で動いておった国じゃ」
アルマは興味津々になる。
「どんなとこ?」
フィーネは少し考える。
「力を重視する国じゃな」
「戦争と研究と支配」
「そういうものを好む」
ルナが不安そうに呟く。
「怖い国だね」
シエルも同意する。
「うん……危険そう」
アルマはなぜかワクワクしていた。
「行ってみたい!」
フィーネが即答する。
「やめよ」
「なんで?」
「絶対ろくでもないことになるからじゃ」
しかしアルマは笑った。
「でも、行かないと分からないよ?」
フィーネは沈黙する。
そして。
小さくため息を吐いた。
「……嫌な予感しかしないのじゃがな」
その時。
王が静かに言った。
「帝国は既に動いている」
全員が振り返る。
レオニスは続ける。
「おそらく、今回の件も彼らは観測していた」
「そして」
「君たちに興味を持っただろう」
空気が重くなる。
エルドが呟く。
「つまり……」
「次の標的ってことですか」
王は頷く。
静かに。
確かに。
アルマは首を傾げる。
「標的?」
フィーネは苦笑した。
「お主は本当に呑気じゃな」
アルマは笑う。
「だって」
「まだ何もしてこないし!」
その言葉と同時に。
遠く。
世界の裂け目がわずかに揺れた。
誰にも気づかれないほど小さく。
しかし確かに。
新たな影が動き始めていた。
帝国。
そして裂け目の向こう。
それぞれが。
アルマという存在を見つめている。
物語は。
静かに次の章へと移ろうとしていた。
ここまで読んでくれてありがとうございます。
次回もお楽しみに




