第五十二話 黒い影の気配
──天才錬金術師は常識を知らない
ソリティア共和国、草原。
風は先ほどよりも少しだけ冷たくなり、夕暮れは夜へと移ろい始めていた。
アルマは両手でメタモルスライムを包んだまま、じっとその揺らぎを見つめていた。
「……あったかい」
小さく呟く。
スライムは弱々しく震えながらも、その言葉に反応するように、わずかに色を明るくした。
「ワタシ……ここ、こわい」
「うん」
アルマは頷く。
フィーネは周囲を警戒しながら静かに立っていた。
ルナはアルマの後ろに隠れるようにして、草原の暗がりを見つめている。
「ねぇフィーネ」
アルマが顔を上げる。
「なんだ」
「この子、どこに連れて行けばいい?」
フィーネはすぐには答えなかった。
視線だけをスライムに向け、わずかに考える。
「安全な場所は少ないな」
「少ないの?」
「あぁ。こういう“改造個体”を狙う連中は、執念深い」
ルナが小さく震える。
「また来るってこと……?」
フィーネは静かに頷いた。
「可能性は高い」
その言葉の後、草原に一瞬だけ風が止まった。
アルマはスライムをそっと抱き直す。
「じゃあ、守ればいいんじゃない?」
あっさりとした言葉だった。
フィーネが目を細める。
「簡単に言うな」
「だって、もう助けるって決めたし」
その一言は迷いがなかった。
ルナはアルマを見上げる。
「アルマお姉ちゃん……怖くないの?」
「うーん」
少し考えて。
「よくわかんない」
「わかんないの?」
「うん。でも、怖いって言ってるなら、怖いんだと思う」
フィーネは小さくため息をつく。
「相変わらず理屈が飛んでおるな」
「そう?」
「そうだ」
だが、その声には否定ではなく、ある種の納得が混じっていた。
そのときだった。
スライムが小さく震える。
「……来る」
「え?」
アルマが聞き返すより早く。
フィーネの空気が変わった。
「下がれ」
鋭い声。
次の瞬間。
草原の闇の中から、何かが滑るように近づいてくる音がした。
ザッ……
ザザ……
人の足音ではない。
だが複数の気配。
ルナが息を呑む。
「なに……?」
フィーネは一歩前に出る。
「アルマ、ルナ、その場を動くな」
「うん」
アルマは素直に頷くが、スライムはさらに小さく震えた。
「いや……あの人たち……」
草むらが割れるようにして、黒い影が現れた。
フードを深くかぶった三つの人影。
顔は見えない。
だが、明らかに人間ではない“圧”があった。
一人が前に出る。
「……見つけた」
低い声。
ルナの顔が強張る。
「だれ……?」
フィーネは冷静に観察していた。
「帝国のものか、それとも雇われか」
黒い影の一人が笑うように肩を揺らす。
「どちらでもいいだろう」
もう一人が視線をアルマたちへ向ける。
「重要なのは“それ”だ」
視線の先は、アルマの腕の中。
メタモルスライム。
スライムが小さく震える。
「……やだ」
アルマの表情が少し変わる。
「この子?」
黒い影が即答する。
「そうだ。返してもらう」
フィーネが静かに一歩前へ出る。
「理由は?」
「実験体の回収。それだけだ」
ルナが青ざめる。
「実験……?」
影の一人が肩をすくめる。
「壊れかけの試作品だ。逃げたままでは困る」
アルマはその言葉を聞いた瞬間、スライムを少し強く抱いた。
「この子、嫌がってる」
「関係ない」
即答だった。
その瞬間、フィーネの目が細くなる。
「なるほど。帝国の“回収部隊”か」
黒い影がわずかに反応する。
「ほう、察しがいいな」
ルナがフィーネを見る。
「帝国って……さっきの?」
フィーネは小さく頷く。
「可能性が高い」
アルマは黒い影を見つめたまま動かない。
「この子、壊されるって言ってた」
黒い影の一人が笑う。
「壊れる?違うな」
「改良だ」
アルマの目がわずかに細くなる。
「……改良って?」
「弱いものを強くする。それだけだ」
フィーネが静かに呟く。
「言葉遊びだな」
草原に、冷たい空気が流れる。
ルナが後ろに下がる。
「アルマお姉ちゃん……」
アルマは一歩も動かない。
ただスライムを見ている。
「この子、どうしたい?」
スライムは震えながら答える。
「……逃げたい」
その一言で決まった。
アルマは顔を上げる。
「この子、渡さない」
黒い影の空気が変わる。
「ならば──」
その瞬間。
フィーネの炎の気配が一気に膨れ上がった。
「やる気か」
短い言葉。
だが草原の温度が変わるほどの圧だった。
黒い影たちは一瞬だけ動きを止める。
ルナは息を呑む。
アルマはその間もスライムを抱いたまま。
ただ一言。
「助けるって決めたから」
草原の風が再び吹き抜ける。
そして、黒い影たちがゆっくりと動き出した。
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