第三十六話 仮面の男
──天才錬金術師は常識を知らない
風が止まっていた。
草原に満ちるのは、重苦しい圧力。
空中に浮かぶ仮面の男は、まるで周囲の空気ごと支配しているかのようだった。
黒い外套が風もないのに揺れている。
その周囲に漂う黒い魔力は、生き物のように蠢いていた。
フィーネが鋭く睨みつける。
「だとしたらなんだ?」
仮面の男は肩をすくめた。
「いやなに、少し気になっただけだ」
視線がフィーネへ向く。
「……ふぅ〜む、おいそこの赤髪、どこかであったか?」
フィーネの眉がわずかに動く。
「我はお主のことなぞ知らん」
「そうか?」
男は小さく笑った。
「まぁいい」
その笑い方が、妙に気味悪かった。
まるで人間を観察して楽しんでいるような。
「私はここで失礼するよ。少し遊んでやろうかとも思ったが、気分が変わった」
アルマはじっと男を見ていた。
怒っていた。
はっきりと。
ルナを苦しめた呪核。
フィーネを蝕んだ呪い。
そしてベルグラド。
全部、この男に繋がっている気がした。
アルマは一歩前へ出る。
「……」
仮面の男が視線を向ける。
「何だ?小娘」
アルマは真っ直ぐ男を見上げた。
「こんなことしたのは、なんで」
男は少し黙った。
そして。
「目的のためだ!」
その瞬間、黒い魔力が周囲へ広がった。
大地が軋む。
ルナがびくりと震えた。
フィーネは即座に前へ出る。
「下がれ!」
だがアルマは動かなかった。
「目的って、何」
男は口元を歪める。
「世界を変えるためだ」
「世界を……?」
「今の世界は歪んでいる」
男の声が低くなる。
「力ある者が縛られ、無能が群れ、停滞し続けている」
黒い魔力がさらに膨れ上がる。
「だから壊すのだ」
アルマは眉を寄せた。
「そのために、関係ない人を苦しめるの?」
「必要な犠牲だ」
即答だった。
そこに迷いは一切ない。
ルナが小さく震える。
フィーネの目が冷たくなる。
「反吐が出る思想だな」
だが男は笑った。
「貴様らには理解できんよ」
アルマはじっと男を見る。
「……わかんない」
「何?」
「全然わかんない」
アルマの声は静かだった。
「だって、苦しそうだった」
ベルグラド。
あの霊獣。
ルナ。
みんな苦しんでいた。
「それの何が必要なの?」
男の空気が少し変わる。
「……甘いな」
「そうかな」
「貴様は何も知らん」
男の声が冷える。
「世界は綺麗事だけでは変わらない」
アルマは少し考え込む。
「でも」
そして顔を上げた。
「私は、苦しんでる人を助けたい」
その言葉に、男が一瞬黙る。
フィーネも静かにアルマを見る。
アルマは続けた。
「知らないことは知りたいし、困ってる人は助けたい」
真っ直ぐだった。
子供みたいに単純で。
だからこそ、嘘がなかった。
男は数秒沈黙した後、小さく笑った。
「……面白い小娘だ」
その瞬間。
男の視線が鋭くなる。
「だが、その力」
空気が震えた。
「危険すぎる」
フィーネの瞳が細くなる。
「っ!」
男の右手に黒い魔力が集まる。
「アルマ!!」
フィーネが叫ぶ。
次の瞬間。
黒い槍が放たれた。
空間を裂く速度。
常人では見えもしない一撃。
だが。
「分解」
アルマが小さく呟いた。
槍が、空中で崩れた。
黒い粒子となって消滅する。
沈黙。
仮面の男の動きが止まった。
「……ほう」
フィーネも驚いていた。
「あれを無詠唱で……」
アルマは首を傾げる。
「なんか、壊れやすかった」
「……」
男の仮面の奥から、視線が鋭く向けられる。
初めて。
興味ではなく、警戒の色が混じった。
「貴様」
黒い魔力が揺れる。
「何者だ?」
アルマはきょとんとした。
「アルマだよ?」
「そういう意味ではない」
「錬金術師!」
元気よく答える。
フィーネが頭を抱えた。
「お主はもう少し警戒というものを……」
男は低く笑った。
「錬金術師、か」
その声には僅かな驚きが混じっていた。
「なるほど……そういうことか」
男の周囲の空気が変わる。
今度は明確な敵意。
「ならば尚更、生かしてはおけんな」
ルナが青ざめる。
フィーネが炎を纏った。
「ほう、やる気か」
「ここで始末してやる」
男の魔力が膨れ上がる。
空が黒く染まり始めた。
アルマはその魔力を見ながら、ふと気づく。
「……あれ?」
「何だ」
フィーネが警戒したまま聞く。
アルマは男を指差した。
「その魔力、崩れてる」
空気が止まる。
仮面の男の動きが、一瞬止まった。
アルマは続ける。
「なんか無理やり繋げてる感じ」
フィーネの目が細くなる。
男から漂う魔力。
確かにどこか不安定だった。
だが普通は気づけない。
あまりにも高度すぎる違和感。
アルマは首を傾げる。
「それ、痛くないの?」
次の瞬間。
黒い魔力が爆発した。
「黙れェ!!」
凄まじい殺気。
大地が砕ける。
ルナが悲鳴を上げた。
だがアルマは目を見開いていた。
怒った。
つまり図星。
フィーネが低く呟く。
「……なるほどな」
男は荒い息を吐いていた。
仮面の奥から、憎悪にも似た感情が漏れている。
「貴様……見えているのか」
アルマは素直に頷いた。
「うん」
その瞬間。
男の殺気がさらに強くなった。
「やはり危険だ」
空間が歪む。
転移魔法。
フィーネが即座に構えた。
「逃がさん!」
炎が放たれる。
だが黒い空間が男を包み込んだ。
消える直前。
仮面の男はアルマを見た。
「覚えておけ、小娘」
低い声。
「次は必ず、お前を回収する」
そして。
男の姿は闇の中へ消えた。
静寂。
草原に風が戻る。
ルナがへたり込む。
「こ、怖かったぁ……」
フィーネは険しい顔のままだった。
「厄介な相手に目をつけられたな」
アルマは男が消えた場所を見つめている。
「……回収?」
フィーネがため息を吐く。
「お主、自分がどれだけ危険な存在か、そろそろ理解したほうが良いぞ」
アルマは少し考えてから言った。
「でも」
「なんだ」
「なんか、あの人も苦しそうだった」
フィーネが目を細める。
アルマの視線は、もう敵意だけを見ていなかった。
まるで壊れたものを見るような目。
フィーネは空を見上げ、小さく呟く。
「……ほんとうに、お主というやつは」
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