第9話 「ねじれ鹿」
◇
あれから数日。清掃の魔術を会得するはずが、清掃の魔術から自身の何かを試していた。あの一件のことはまだ、誰にも話していない。古樹との秘密だ。
(なんとなく……分かりかけている)もう一度、水を出す。一度、崩して消える。もう一度戻す工程を繰り返した。今度は、形は整うものの流れない。
「はあ……揃わない」
もう何度目かのため息ぐ零れる。一度しゃがみ、足元の草に触れると一瞬で、色が抜け落ちて枯れる。そして、戻す。緑は戻るが、形が違う。整いすぎている。
「……同じではない」
もう一度、同じことを繰り返す。だが、結果は揃わない。今日も木は何も言わず、ただ、そこに在る。手を見下ろすと、わずかに、重い感覚だけが残る。
(……消耗している)
もう一度、水を出す。今度は、はっきり分かった。力を使うほど、何かが削れていく。
(……量が違うのか)強く使うほど、重くなる。戻すほど、減っていく。手を止めて、木に触れたが、答えはない。
(……使えば、減る。魔術には代償が伴う)
それだけは、分かった。『還す者』………か。森は、見守るようにしんと静かだった。
◇◇◇◇◇
◇
朝の森は、冷えていた。息を吸うたびに、胸の奥が少しだけ痛む。地面には、落ち葉が積もっていて、踏みしめるたびに、カサカサと乾いた音が鳴った。
今日は騎士学院一年生の野外訓練の日だ。この訓練も査定に関わってくるのだから、騎士学生達にとって気が置けない訓練だ。森全体が、息を潜めているようで学生達の内面を表しているようだ。
張りつめた空気の中、木々の間に、生徒たちが配置されている。教官のブリュムが、前に立つ。
「これより、演習を開始する」
低く、通る声。
「対象は“歪み”だ」
学生達のわずかなざわめきが広がる。
「自然発生する魔物とは違う。形が崩れ、流れが乱れた存在だ。動きは読めない、常識は通用しない」
視線が、こちらに向く。
「――判断しろ」
ブリュムが森へ視線を向ける。
「森でのルールは三つだ。一つ、単独行動は禁止とする。必ず三人以上で動け」
「二つ、立ち入り禁止区域には入るな。目印の先へ踏み込むな」
「三つ、異常を見た場合、無理に対処するな。報告を優先しろ」
視線が、生徒たちをなぞる。
「判断を誤れば、戻れない。以上だ」
ブリュム教官らしい、短い指示。それで十分だった。
「始め!」
空気が、変わる。訓練は、三人一組の分隊で構成されている。教官のブリュムの采配で、カイル、リネ、ディオンの三人の分隊がいた。騎士学生達はそれぞれの担当区域に向かって走り出した。
カイルが剣を抜く。
「よっしゃ、行くぞ!お前ら迷うなよ」
軽い調子は、いつも通りだ。
ディオンはさっと周囲を確認する。視界や地形、気配。異常は――と辺りを見渡した。
「……来る」
森の奥を見る。理由は分からない。影が揺れたかと思うと、木々の間から現れたのは、一頭の鹿だった。しかし、その姿は俺達が想像していた鹿とは明らかに違っていた。
木々の影の中に、それはいた。月光のように、淡くキラキラと青白い光を放ち、どこか冬の夜の星座を思わせた。輪郭は、わずかに滲んでいておぼろげ。
そこにあるはずなのに、定まらない。角は、アンティークのような黄金色にいくつも枝分かれし、複雑に伸びてねじれている。
見たことのない美しい、『神秘的な姿』
だが、正しくない。鹿の脚が動いたが、予想していた動きとは違うようだった。前を向いたまま、横へ滑るように走り回る。まるで蜃気楼のように一拍遅れて、体がそれに追いつく。鹿はそれでも、走り回り軽やかに頭上を跳躍する。
「なんだよ、あれ……!」
カイルが踏み込んで、真剣を振る。ブンと振った切っ先は外れた。鹿の動きがずれているから、軌道が読めないでいる。
「……動きが不規則かつ速すぎる」
リネもまた、苦戦する。(分析はできる。だが、対応が間に合わない)鹿は軽々と高く跳び、三人を嘲笑うかのようだった。
鹿の位置が、ずれた。鹿は一瞬で間合いを詰めてきた。カイルが、遅れる。
「っ、やべ……! こっちへ来る!」
「……違う。襲っているわけじゃない」
「は!? じゃあなんだよこれ!」
「制御できていないだけだ。行動が破綻している」
鹿の動きを見ていた俺は、剣を構え直した。それは最小の動き。一歩だけ、位置をずらして剣を上げ、角を受け流す。鹿の体勢が、わずかに崩れる。『合わせる』ように動き、あえて追撃しない。
「ディオン!」
(止めている……使っていない。無駄のない正確な太刀筋。あの不思議な魔術を)
ディオンは再び剣を構えた。余計な動きは何一つない。鹿が、再び跳んだ。今度はさらに速く、完全にずれた動きで、カイルの死角へ入る。
「っ――」
ディオンは踏み込むと、今度は手で触れる。何かが、揃った。ほんの一瞬だけ鹿の動きが、正しくなる。そこを、カイルの剣が捉えた。斬撃を受けた鹿の動きが、止まる。鹿はそのまま倒れ、金色の粉のように静かに空へと溶けていった。
「……終わったのか?」
カイルの声。
「ディオン。お前何か前と変わった?」
視線は、ディオンに向いている。確かに(……使う時を選ぶようになった)
「......清掃の魔術だ」
「何? 清掃の魔術? 何で今それ?」
ディオンは少し口角を上げた。
(使えないのではなく、使っていない。そして必要な時に使う。確かに奴は選んでいた。無意味な行動なんてなかった。相変わらずの不思議な魔術。)リネは視線を落とす。
「……歪みが強かった。普通の個体じゃない」
顔を上げるとディオンは、森の奥を見ていた。
(……まだあるのか)風がわずかに揺れる。森には、まだまだ歪みの存在がいるのだろう。
歪みの存在は、野生生物の形を模していることがわかった。時には、炎を纏っているかのような鳥、時には、青白い光を振り撒きながら舞う蝶、どれも幻想的なのに、歪んだ存在だった。中でもディオン達が討伐に苦戦したものは、歌う花だ。
鹿を倒したあとも、森の空気は変わらなかった。あまりにも静かすぎて終わった気配がない。
(……まだいる)視線を巡らせていると、カイルが肩を回してきた。
「なんか、嫌な感じだな……」
そのときだった。――ふわり。風は吹いていないのに何が揺れた。小さな、歌のようなものが聞こえてくる。
「……?」
カイルが眉をひそめる。
「なんだこれ」
音は、どこからともなく聞こえてくる。柔らかい、どこか間の抜けた旋律。
「……子守歌?」
思わず、口に出る。
――ゆら、ゆら。視界の端で、花が揺れた。地面に群生している色とりどりの淡い花。小さな小さな花弁が、わずかに開閉しており、その動きに合わせて音が出ている。花が歌っている。(歌うって……花が?)カイルが、ぽかんと口を開ける。
「いや待て、なんだそれ! なんで歌ってんだよ」
カイルの間の抜けた声が歌に交じる。だが、確かに歌っている。音は、柔らかくて優しい。
ひとりは かえす かわった子♪
ひとりは ただしい まじめな子♪
ひとりは わらう たのしい子♪
もりには かえれぬ みちもある♪
きづいたときは もうおそい♪
おやすみなさい こどもたち♪
ゆめならあんしん こわくない♪
おやすみなさい こどもたち♪
聞いていると――ふわふわと眠くなってくる。
「……眠……」
カイルの声が途切れ、膝がわずかに揺れる。
「おい、カイル! しっかりしろ、耳をふさげ」
急いで呼びかける。
「くそっ………」
リネが呼びかけるも、カイルの反応は遅く目が半分落ちている。(……まずい)このままでは、引き込まれてしまうと、リネは一歩下がり意識を保つようにした。だが、音は勝手に体へ染み込んでくるのだ。リネの思考も、鈍ってくる。(これは……眠気……?)
ディオンは耳を塞ぎながらしゃがみこむと、黙って花を観察する。
「……この花は、影響がある」
短く言う間にも、カイルがふらつく。
「いや……これ……ちょっと……」
その場に座り込んでしまい、完全に力が抜けている。
「気持ちいいな……これ……寝れる……」
「カイル! 寝るな!」
リネが剣を抜き、躊躇いなく花を薙いだ。
花達の可憐な歌がぴたり、止む。
「あ、止ま――」
――ギャアアアア!! 今度はけたたましい音が弾けた。さっきまでの柔らかな旋律はとっくに消え失せ、代わりに甲高く、耳障りな声が響く。怒ったように、騒ぐように、花が、一斉に鳴き出した。
「っ、うるせえ!」
別の場所で、また花達が激しく揺れる。花の数は多く、次々と騒ぎ立てる。(……範囲型か)ディオンは立ち上がり、花に手を伸ばして、そっと触れる。
すると、花の淡い色が抜け、くたりと枯れた。そして、また戻す。いや『還した』花は脱色したかのように、みんな白くなっていた。遠くを見ると、広範囲に渡って真っ白な花が、そよそよと風に揺れているだけだった。立ち入った時は、春の森のように感じていた。だが、白くなったことでようやく本来は冬の森だということを思い出した。今度は、音が出なかった。
「……は?」
カイルが、ぱち、と目を開ける。
「今の……なんだ……?」
まだ眠そうだが、意識は戻っている。リネは、ディオンを見る。(……止めた。歪みを)
「……やはりな」
小さく呟く。ディオンは何も言わない。ただ、花を見ている。その時、ディオンの体が、揺れた。
「……っ」
踏み出した足が一歩遅れ呼吸が、浅い。手がわずかに震えていることがわかった。(……消耗している)今までとは、明らかに様子か違う。
カイルがディオンに駆け寄る。
「おい、大丈夫か!?」
ディオンは、答えられず、視線も定まっていない。立っているけれど、足元は揺れ無理をしていた。
「……使いすぎだ」
リネが低く言う。ディオンは、わずかに息を吐く。
「……花の数が、多かっただけだ」
簡単なことのように、それだけ淡々と言う。しかしその代償は、軽くない。カイルはディオンの肩を支える。
「お前……無茶すんなよ……」
ディオンは、目を閉じてすぐに開く。
「……問題ない」
いつもの短い言葉に、説得力はなかった。
「一度帰還するぞ」
俺達は、森の入り口へと踵を返した。




