第10話 「迷いの森-1」
三人は訓練を終え、元の集合地点へ戻っていた。ここは、森の入口。生徒たちが、順に集まってきていた。皆、疲労の色は見えるが、誰も大きな怪我はない。ざわめきはあるが、緊張は解けかけていた。
「……全員、無事戻ったか」
ブリュムの声がかかり緩みかけた意識が、すぐに張つめる。短い確認だが、すぐに返答は揃わなかった。
「……一班、未帰還です」
誰かがした報告に、安徳しかけた空気がすぐにざわめきへと変わる。ただ一人、ブリュムの表情は変わらない。
「班の構成は」
「ルーク・ハーヴェル、ユリウス・リース、レオ・クラウナーの三名。北側担当です」
北といえば、森の奥の方だ。立ち入り禁止区域に近い位置にある。(……旧寮の近くだ)嫌な予感がする。
カイルが、小さく呟く。
「おい、まさか……」
リネは、答えない。ただ、森の奥を見る。
「カイル、さっきの花の歌を覚えているか?」
「………って!? 帰れぬ道もあるってやつか!」
眠りかけていた割にはちゃんと聞いていたようだ。いやに静かすぎる。
「……ブリュム教官! もしかして、迷った可能性はありませんか?」
再び誰かの声。すぐに、別の声が重なる。
「いや、目印は設置されているし、迷う程の森じゃない。さすがに禁止区域には入らないだろ」
「迷う位置ではない」
普通の森は迷う程の場所ではない。つまり、別の理由だ。ブリュムが落ち着いた声色で告ぐ。
「結論を急ぐな。だが、可能性はある」
わずかに間を置く。
「――立ち入り禁止区域への侵入だ」
空気が張り詰め、誰も言葉を発しない。そんな中、ディオンは、森を見ている。(……違う)違和感があった。魔力の『流れ』が、奥へ奥へと引いている。(……動いている)リネは、その視線に気づく。
「……ディオン、何か分かるのか」
ディオンは答えず、ただ奥を見ている。そのまま一歩踏み出し、駆け出そうとした。
「おい! ディオン待て!」
カイルが慌てて声を上げる。ブリュムの視線が、ディオンへ向いた。
「待て」
ブリュムの低い制止に、ディオンの足が止まる。
森の奥は、何も語らない。だが、『何かがある』のは、確かだった。森の入口は、張りつめた空気のまま、時間だけが過ぎていく。誰も、動かない。
「……北側だろ」
小さな声で、誰かが呟く。
「……あの辺りってさ」
さらに声が重なる。
「七不思議の――」
一瞬、言葉が止まる。
「……『迷いの木』の近くじゃないか?」
空気が、わずかに揺れた。
学園七不思議の一つ、「迷いの木」は有名だ。しかし、真実を知る者は少ない。「迷いの木」別名、セレノアの真珠。それは、王家と深い繋がりを持つ古い樹木である。地中深くまで伸びた根は、歪みを感知する“センサー”として機能し、森と国を守ってきた。
その木には、真珠にも似た希少な実がなるという。だがそれゆえに、これまでに人の欲を引き寄せ、長年外敵からの標的となってきた。この存在は長らく王家によって秘匿されてきた。そして、何年かに一度、まれに木と干渉する者が現れるそうな。カイルが眉をひそめた。
「は? なんだそれ」
「知らねえのかよ。有名だぞ」
別の生徒が、声を潜める。
「森の奥にある、でかい樹。近づくと、帰れなくなるってやつ」
「目印も意味なくなるらしい。方向感覚が狂うって……」
「やめろ」
誰かが遮る。だが、もう遅い。“名前”が出た時点で空気は変わっていた。(……迷いの木)リネは、視線を森へ向ける。
ただの噂、そのはずだ。だが、否定できる材料も、ないとリネは考えていたが、ディオンは、話を黙って聞いていた。先日の男達と森を思い出す。しかし、あれは悪意を持った者だった。視線を森の奥へとやる。揺らがない、ただ真っ直ぐに。
「……そこだ」
小さく、声が落ちる。全員の視線が、ディオンへ集まる。ディオンが、珍しく言葉を紡ぐ。
「……歪みの流れが、引いている。北へ」
その言葉には迷いはない。カイルは目を見開いた。
「お前、分かんのか?」
ディオンは、頷かない。(……あの樹だ)リネは、息を止める(……断定した)今までとは違う推測ではない、確信ある言葉。ブリュムは、ディオンへ問う。
「根拠は」
短い問い。
「……魔力の流れが乱れている。それも一点に集まって」
最後の言葉だけ、わずかに低い。ブリュムは、しばらく沈黙する。全員が、息を詰める。
やがて、判断が落ちた。
「編成を組む」
視線が巡り、ディオンを捉える。
「ディオン、案内できるか」
「……できる」
ブリュムは頷く。
「カイル、リネ、同行を許可する」
カイルがすぐに応じる。
「了解!」
リネは、短く。
「……了解」
(……任せる、という判断か)異例だが、否定はできない。ディオンは、すでに森を見ている。(……進んでいる)何かが、奥で。
◇◇◇◇◇
数時間前。レオ、ユリウス、ルークの三人は北側の森にいた。赤い髪を束ねたレオは、強気で言う。
「歪み倒せば加点だろ? いける」
一方で、回りをよくみるルークは、慎重だ。丸いメガネを少し上げて言う。
「……範囲外だよ、戻るべきだ」
「でも……確かに評価項目には……」
ユリウスは、レオの意見に賛成する。
「でも、近いなら、すぐに戻れば大丈夫だろ」
このときの判断が、後に三人を苦しめることになるとは、まだ誰も知らない。
今回の演習は、討伐が評価対象だ。それ自体は事実。だが、条件がある。安全範囲内での対応。それ以上は、評価ではない。ただの逸脱だ。つまり、評価外。
敢えて禁止区域の説明をした。
「人間は、『禁止』と聞くと試したくなる」
だが、あえてすべては言わない。
学生達が、どこまで理解し、どこで踏みとどまるか。
それを見るためだ。森は、分かりやすい。分かりやすく目印はあり範囲も示している。それでも、踏み込む者はいるものだ。理由は単純だ。
『評価が欲しい』あるいは、『行けると思った』どちらも、間違いではない。だが、判断としては、不十分だ。
禁止区域の話も、意図的に出した。危険を強調すれば、『慎重になる者』逆に、『踏み込む者』が出る。
『実戦に近づくほど、訓練は訓練ではなくなる』『仲間を疑い、判断を誤り、命を落とす』
それでいい。選択が分かれ、それが結果になる。今回も、同じだ。三名が、踏み込んだ。学生達には話していないが、予想の範囲内だった。毎年、何名かの新入生は引っ掛かっているのだから。
問題は、その後だった。戻れるか、引き返せるか。
あるいは、――戻れないか。
視線を森へ向けると、いつもと変わらない静けさだけがあるのだった。




