第8話 「ディオンと不思議な木」
図書室を出た。
本は、どれも役に立たず目当ての本は見つからなかった。書かれているのは、『作る魔術』、『形を与える魔術』俺のものではない。(……分からない)そう思ったのは、初めてだった。
夕刻。訓練の後、俺は旧寮へ帰る土の上を歩いていた。ただ、足が止まらない。今まで興味のなかった本を、食いいるように見ながら歩いたせいか、自然と旧寮の前を通り過ぎ、さらに奥へ。
立ち入り禁止区域の手前で、ようやく気づいた。(……なぜ、ここにいる)集中して気付かなかった。だが、今さら旧寮に戻る気にもならなかった。
「いや、むしろここなら、やりやすいか……。水よ、応えよ!」
カイルの詠唱を思い出しながら唱えた。水が現れたが……流れていかず、形が、揃わない。そこに留まり、揺れているだけだ。
(……カイルのとは違う)
何度やっても同じだった。足元に落とすと、水は地面に染み込んでいった。だが、その動きがわずかにおかしい。土が動き、水は根へ戻るように吸い込まれていく。
「……」
視線を落とし、地面をよく見ると根が地を這うように伸びている。気になって根を辿っていくと………その先には見たことのない光景が広がっていた。俺は一歩、踏み出した。
ここは立ち入り禁止区域の中。止められていたはずの場所。だが、何も起きない。
(……問題ない)森は、静かだった。木の根に沿って進み、やがて………巨大な樹に辿り着いた。
――違う。近づくほどに、それは『樹』という言葉から外れていく。幹は太く、大人が何人も腕を回しても、届かない。枝は空を覆うように伸び広がり、濃い影を作る。夜と間違いそうに鬱蒼としていた。それ以上に、異様なのは『形』だった。
木はまっすぐではなく、ねじれている。何かに引き寄せられるように、表皮は、ひび割れているし、かなり古いが、枯れてはいない。むしろ、時間だけが積み重なり、『止まっていない古さ』をしている。
根が露出し、地面を這い、複雑に絡み合う。
まるで、意志を持って広がっているようだった。
光を受けていないはずなのに、わずかに、反射する。
星のようにキラリと輝き、そこには『流れ』だけがある。(……動いている)その中心、幹の奥に不思議な魔力を感じた。
どこを見ているのか分からないのに、見られている感覚が不思議だ。(……認識されている)“そこに来ることが当然”のように。手を伸ばして触れると、その瞬間、何かが、流れ込んできた。
『……還す者』
「……お前もか」
言葉ではない。だが、返る。
『歪み』
『深い』
幹に手を当てたまま、問う。
「それは……どこだ」
風が、揺れる。
『まだ、遠く』
『近づく』
樹はそれきり、黙ったままだった。その日から、時間を見つけては禁止区域の森へ出向くようになっていた。
翌日、その次の日、朝と夕を繰り返す。
それでも魔術は整わない。秋は深まり、朝夕はひんやりとした空気に変わっていく。森は赤や黄色の葉が目立つようになっていた。
◇◇◇◇◇
これは、王国がまだ小さかった頃のお話です。
ひとりの魔術師が、一粒の種へ祈りを託したと伝えられています。どうか、この国の人々が安らかに眠れますように。悲しみが訪れても、帰る場所を失いませんように。そう願いながら、魔術師は小さな種を土へ埋めました。
やがて芽吹いた樹は、長い長い時を生きました。雨の日も、雪の日も、戦の日も。樹はただ静かに、この国を見守り続けていたのです。人々は、いつしかその樹を、
『セレノアの古樹』
と呼ぶようになりました。古樹は不思議な力を持っていたといいます。稀に、月の雫のように淡く輝く真珠の実を結び、邪な心を持つ者には、決して辿り着けないのだとか。
ある日、二人の若者が森へ入りました。古樹に実る真珠を持ち帰れば、一生遊んで暮らせる――そんな噂を信じていたのです。森は静かでした。風もなく、鳥の声さえ聞こえません。それでも二人は笑いながら進みました。
「見つけたら山分けだ」
「はははっ! 王族より先に、俺達が手に入れるんだ」
けれど、歩けど歩けど景色は変わりません。
右を見ても、同じ樹。左を見ても同じ石。全てが同じ細い獣道。
気づけば、男は一人になっていました。友の声を追えば遠ざかり、光を見つけて駆ければ、また元の場所へ戻っている。森は、欲深い者を迷わせるのだといいます。
若者達が森から出てきたのは、三日後のことでした。
けれど二人は、古樹を見たのかと問われても、何も答えなかったそうです。
ただ震える声で、こう呟いただけでした。
「……あの樹は、最初から全部見ていた」
その根は深く、大地の奥底まで伸び、世界に生まれる歪みさえ感じ取っていたのだと。だから人々は、祈りを込めてこう語るのです。
――あの樹が眠らぬ限り、セレノアは滅びない。
セレノアの古樹の物語 より
◇◇◇◇◇
また、森へ入った時、森がいつもと違うような気がした。今日は、妙だ。古樹の根元に満ちる魔力が、ざわめいている。まるで大地そのものが、小さく警鐘を鳴らしているかのようだ。風はないのに、遠くで枝葉がざわりと揺れた。それでも森は、確かに『何か』へ反応していた。
「……なんか、今日は違うな」
ディオンは古樹の根元へ腰を下ろしたまま、小さく呟いた。巨大な幹は相変わらず何も答えない。ひび割れた樹皮も、空を覆う枝も、ただ静かにそこにある。けれど今日は、根元に流れる魔力が落ち着かなかった。ざわざわと、地の底で波立っている。
「……お前、機嫌悪いのか?」
何となく話しかける。返事が返るわけでもないのに、ディオンは時々こうして独り言を零していた。それでも古樹は沈黙したままだ。
ただ、その瞬間、ギギギ――。遠くで、枝の軋む音が響いた。ディオンはゆっくり顔を上げる。
(森の奥に、誰かが、いる?)
*****
――その頃、森の奥。
◇
「……おい、今の音」
ギギギ――。森の奥で、何かが軋む。それは古びた扉が開くような、不快な音だった。
「なあ、本当にあるのか? その『真珠の実』ってやつ」
男の一人が、鬱陶しそうに枝を払いながら笑った。
「あるから王都が隠してんだろ。一粒で屋敷が建つ値だって話だぜ」
「はっ、樹が宝を守ってるだの、人を迷わせるだの……」
もう一人が鼻で笑う。
「昔話を本気で信じてるのはガキくらいだ」
乾いた笑い声が森へ溶けた。だが、その直後だった。
ざわり――と風もないのに、木々が揺れる。
「……なんだ?」
「知らねぇよ。行くぞ」
男達は気にも留めず進んでいく。地面を踏み締める度、落ち葉が嫌に湿った音を立てた。
「真珠を持ち帰れば、一生遊んで暮らせる。王族気取りの連中に頭下げる必要もなくなる」
「それでこそ夢があるってもんだ」
男達はまた笑う。その時、遠くで枝の軋む音がした。
ぎ、……ぎし、とまるで巨大な何かが、ゆっくり身体を動かしたみたいな音だ。二人は足を止める。
「……おい、聞こえたか?」
「ただの風だろ」
そう言った男の声が、僅かに掠れていた。気づけば、さっきまで見えていた道が消えている。代わりに、見覚えのない根が、黒く地面を這っていた。
「っ、なんだよこの森……!」
男達は明らかに苛立った声を上げていた。さっきから真っ直ぐ進んでいるはずなのに、景色が変わらない。
右を見ても同じ樹、左を見ても同じ岩。同じねじれた根。
「おい、道……増えてないか?」
足元には、いつの間にか獣道のような細い道が幾つも伸びていた。森は、ゆっくり形を変えている。
*****
◇
俺は立ち上がり、古樹の根へ視線を落とした。地面を這う根が、森の奥へ続いている。まるで「こっちだ」とでも言いたげだった。
「……今日は、本当に機嫌悪いな」
小さく呟いて、俺は歩き出す。枝葉の隙間から、日差しが細く差し込んでいた。けれど森の空気は妙に重い。
ギギ……。耳を澄ますと、またどこかで枝が軋む音がした。普通なら歩きにくいはずなのに、不思議と足は止まらない。根が伸びる先へ進む度、絡まっていた枝が自然に開いていく。そして――たどり着いた先には男達がいた。
「っ、なんで戻ってんだよ!?」
男たちは怒鳴り合っている。木々の隙間から様子を窺うように見ると、そこには二人の男がいた。焦った様子で辺りを見回している。だが、その周囲だけ森の景色がおかしかった。同じ樹に同じ岩、全く同じ獣道。森そのものが、男達を閉じ込めているように森は、二人を惑わせていた。俺はゆっくり視線を下げる。古樹の根が、男達を囲うように地面を這っていた。
「……ああ」
思わず苦笑が漏れる。
「お前、あいつらを迷わせてるんだな」
「……おい」
俺は木陰から姿を見せた。男達がびくりと肩を揺らす。どうやら、かなり焦っているらしい。
「出口なら、そっちじゃない」
俺が指を向けると、一人が露骨に顔をしかめた。
「あぁ!? だったらもっと早く言えよ!」
「……いや、勝手に森に入ったのはお前らだろ」
「ガキが舐めた口――」
男は苛立った様子で短剣を抜いた。鈍い刃が、光を反射する。
「案内しろ。今すぐだ!」
ご立腹らしい。空気がぴりついたが俺は小さく息を吐く。
「断るって言ったら?」
「痛い目見るだけだ」
(……あーあ。)
その瞬間だった。ギギギギ――ッ!! 森全体が軋む。
「なっ!?」
地面を這っていた根が、一斉に跳ね上がった。男達が悲鳴みたいな声を上げて後退る。根は俺の足元へ集まり、そのまま絡み合いながら形を変えていく。柄、刃、一本の剣。
木で出来ているはずなのに、不思議なくらい鋭い魔力を纏っていた。
「……は?」
男達の顔が引き攣る。俺は黙って、その剣を握った。
驚くほど手に馴染む。最初から俺のために作られたような感覚がする。背後で、怒ったかのように古樹の葉がざわりざわりと揺れる。
「悪いけど」
俺は木の剣を軽く構えた。
「……この森、お前らのことが嫌いらしい」
俺がそう呟いた瞬間、男の一人が怒鳴った。
「ふざけるなッ!」
短剣を振り上げ、真っ直ぐ突っ込んでくる。俺は半歩だけ下がり、木の剣を流すように振る。
ガッ――!
「っ!?」
男の短剣を弾き、そのまま足を払う。落ち葉を散らしながら、男の身体が地面へ倒れ込んだ。
「ぐぁっ……!」
もう一人が舌打ちし、横から斬りかかってくる。こっちは速い。だが、荒い。恐れなどない。俺は身体を捻って刃を避け、そのまま木の剣を男の手首へ叩き込んだ。
「っああぁ!?」
短剣がカランと落ちる。さらに踏み込み、喉元へ切っ先を突きつけた。男が息を呑み、痛めた手首を押さえながら顔を上げた。その顔はすっかり青ざめている。何が起きたか理解が追い付いていないらしい。
森はうって変わり静かだった。さっきまでざわめいていた枝葉も、耳障りな音もしない。今は何事もなかった
みたいに止まっている。
俺は小さく息を吐いた。
「……だから言っただろ。――帰れってさ」
男達は青ざめた顔のまま、動けずにいた。喉元へ突きつけられた木の剣が、淡く光を帯びている。木で出来ているはずなのに、妙な威圧感があった。
「な、なんなんだよ……その剣……」
「さぁ」
俺は肩を竦める。
「俺も初めて見た」
嘘じゃない。本当に、古樹がこんな反応をしたのは初めてだった。
ギギ……。背後で、古樹が低く軋むと男達の顔が引き攣った。
「ひっ……」
「もう帰れ」
俺は剣を引き、木の剣を肩へ担ぎながら、森の入口の方を顎で示す。
「次は、本当に出られなくなるかもしれないぞ」
その言葉に、二人は弾かれたように立ち上がった。落ち葉を蹴散らしながら、転ぶように森の奥へ消えていく。……いや。違う。気づけば、さっきまで塞がれていた道が開いていた。古樹は、『帰す』ことにしたらしい。
「…………」
俺は振り返る。巨大な古樹は、相変わらず何も語らない。空を覆う枝も、ひび割れた幹も、ただ静かにそこにある。けれど、手の中の木の剣は、まだ微かに温かかった。
「……ありがとう、でいいのか?」
小さく呟いた、その瞬間、ざぁ、と秋風が枝葉を揺らした。ほんとうに古樹が、小さく笑ったみたいだった。




