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還命の魔術師 -失われた王子の記憶  作者: 白澄 灯
第二章 「学院生活」
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第7話 「継命の魔術師」

 僕は、一人きりになり、少し息をはいた。温室は、静かだった。外の光が、ガラス越しにやわらかく落ちる。

湿った空気、一定に保たれた温度――変わらない場所。


 ゆっくりと、観葉植物に手を伸ばして葉に触れる、その直前のこと。ほんのわずかに、指先が止まる。手袋の上から右手の指先をなぞった。確かめるように。

(……進んでいるな)

手の感覚は、鈍い。だが、分からないわけではない。ごくわずかに、時間がずれている。触れる葉は、柔らかくて生きている感触がした。


 別の感覚が重なる、幼い日の記憶には小さな少年がいた。触れられた小さな手を思い出す。歪んでいたものが、整う感覚。あのときの少年。

「……ディオン。君は僕を覚えているか?」

 

……あれは、あの時は理解していなかった。だが、今なら、分かる。あれは、『戻された』のだと。右手に視線を落とすと、白い手袋。その下では、静かに、確実に『時間が進んでいる』……止まってはいないのだ。息を、わずかに吐く。誰もいないのだから、少しくらいいいだろう。ここは、保たれている。だが、自分は、違うのだ。




 ◇◇◇◇◇

 

 治療の時間になり、執務室へ戻ると数分後に声がかかった。

「フェルマ・ヒルベルト参上いたしました」

「……入れ」

 短い言葉を返すと、扉が開き、光がわずかに揺れた。

彼は、宮廷魔術師――フェルマ・ヒルベルト。またの名を『継命の魔術師』という。


「本日の処置に参りました」

 穏やかな声。長い外套を着ていた。整えられた白髪まじりの金髪に、無駄のない立ち姿。視線は鋭いが、一切の揺れがない所が息子のリネによく似ていた。初めて見れば、威圧としか感じないが、近づいてくる足取りは、いつも静かだ。音を立てないように、空気を乱さないように落ち着いている。


 やがて重厚な扉が閉じられた。外の音は、届かない。

整然と並ぶ書類に規則的に配置された家具。すべてが、正しい位置にある。

 

 僕は、ゆっくりと立ち上がり、カウチに身を預けた。フェルマは、何も言わず礼をした後、静かに近づく。

「殿下、お変わりありませんか? どうぞ右手を」

 

 手袋を外す。めったに外すことのない手袋。白い布が、静かに滑り落ちる。フェルマは、すぐには触れず、観察する。一瞬だけ、指先を見つめた後、状態を確かめるように、ゆっくりと手を取る。


 指先に触れる力は、やわらかく強く握らない。逃げ場を残すような触れ方だ。露わになる指先は、わずかに色が違う。それは生きている色ではない。フェルマの視線が、そこに落ちる。

「殿下……進行しています。継命の影響が、末端に出ています」

 淡々とした声だった。僕は、何も言わない。『知っているよ』それが、どういう意味かも。フェルマの手が触れ、冷たい魔力が流れ込む。


 感覚が戻る。だが、それは修復ではなく繋ぎ止めるだけのもの。決して……止まってなどいない。右手に視線を落とす。完全に元に戻ることはないと分かっている。ただ、『遅らせている』だけだ。

フェルマが、手を離す。


「……恐れながら、殿下。騎士学院の生徒の話を耳にしました」

 空気が、わずかに変わる。(来るか)

「詠唱なしで、暴走を鎮めた者がいると」

 指先が、わずかに止まる。

「……名は確か、ディオン・リュミエール」


 その瞬間、呼吸が、わずかに深くなる。

(……やはり)

「……そうか」

「私事ですが、危険な兆候です。制御されていない力は、いずれ破綻する」


 ゆっくりとフェルマへ視線を向ける。

「……そうかもしれないね」

「けれど、だからこそ学院がある」

フェルマは、わずかに目を細める。

「学ばせるおつもりですかな?」

「導く」

 穏やかな声音。

「扱えるようになるなら、それでいい」


 フェルマは、何も言わない。わずかに、視線を逸らしたのだった。




 ◇◇◇◇◇

 

 一方ディオンは、早朝から学院の図書室がある棟へ来ていた。まだ人の気配はなく、静かだった。足音だけが、わずかに響く。並ぶ本棚は整然とした配置で、崩れのない空間だ。本棚に並んだ一冊の魔術書を手に取る。

書かれているのは、『魔術理論』『詠唱』『基礎構造』

ページをめくっては、読む。読み進めては止まる。

「……違う」

もう一冊、また違う。

「……これも違う」

 書かれているのは、『作る”魔術』だ。形を与えるもの。(……俺のものではない)諦めて開きかけの本を閉じた。(……分からない)初めて、そう思う。これまで、なんとなく使えていた。理由は知らない。だが、問題はなかった。


 今は違う。分からないままでは、使えない。手を見ても、何も変わらない。だが、(……戻している)その感覚だけが、僅かに残っている。手元の本に視線を落とす。

並ぶ本は山ほどあるがどこにも、ない。

(……なら、カイルがやっていた水属性の清掃の魔術からだ。)本を棚に戻し、一冊の本を抱えて歩き出した。




 ◇◇◇◇◇

 

 その日の夕刻。ディオンは、本を読みながら森の旧寮まで歩いていた。いつも通り帰る予定でいたのに、気づけば立ち入り禁止区域前まで来てしまっていた。


 木々が、夕日を浴びてキラキラ揺れている。静かに、誰かを待っているようだった。

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