第5話 「詠唱授業―魔力暴走」
ここは、騎士学院の石造りの訓練場。半円状に並ぶ生徒たちが集まっており、中央には教官――ブリュム・ハイゼンベルクが立っている。
「詠唱は『言葉』ではない。意味を理解せずに唱えるな」
一言一言に静かな圧を感じる。リネは、前列に立って聞いていた。姿勢は正確で視線は、わずかに鋭い。カイルはリネに小声で話しかけた。
「いや十分むずいってこれ……」
ディオンは、その少し離れた位置からただ見ている。
「では、順にやれ」
一人、少し緊張した面持ちで前に出たのは、中位クラスの生徒だった。少し震えた声で詠唱する。かなりの緊張が伝わる。
「炎よ、立ち上がれ!」
火は確かに立ち上がったが、揺れる炎の不安定さに、ブリュムの眉が、わずかに動いた。
「止めろ! 皆下がれ!」
しかし、もう遅い。炎が瞬く間に膨らみ、制御を外れたのだ。
「――まずい」
次の瞬間、耳をつんざく爆発音が響き渡った。ドンッ!! と衝撃が走ったかと思うと、石片が跳ね、炎が広がる。
「うわっ!!」
生徒たちが後退するが、炎はまだ止まらない。
魔力暴走だった。その中心で、詠唱した生徒が、動けずにいる。あまりの衝撃に、腰が抜けているようだ。
「……っ」
リネが、一歩出る。
「……間に合うか」
息を吸う。
「炎よ――。いや……違う」
途中で、言葉を変える。
「 炎よ、統べよ」
リネの詠唱により、炎の流れが変わった。火の勢いを押し戻し、一見、制御したかのように思えたが、火は完全には止まらなかった。
「くそ……足りない」
炎が再び膨らみ、強さを増していったその時、ディオンが動いた。詠唱はなくただ、一歩踏み込む。火花が散る炎の中へ。カイルは叫んだ。
「おい!!」
かなりの熱気にも関わらず、ディオンは気にせずゆっくりと手を伸ばして触れた。ジジッと焦げる音とピリピリと刺すような感覚。すると、炎は何事もなかったかのように静まった。不思議なことに、一瞬で膨れ上がった炎は崩れ、音もなく消えた。黒い煙だけが残り、全員が止まる。リネが、理解できないというふうにディオンを見た。周囲の騎士生達も驚きを隠せない様子でいる。
「……は? 今の何だよ」
「……崩れかけていた。だから、戻しただけだ」
ディオンはたんたんとカイルに話す。ブリュムが、ゆっくりと歩きだし、ディオンの前で止めた。
「……詠唱は?」
「使っていない」
ブリュムの視線が、わずかに鋭くなる。
「なぜ、それができる」
「……分からない」
嘘ではない。ただ、本当に、分かっていないのだ。
ブリュムは、ディオンをしばらく見つめる。そんな中、
一人の生徒がブリュムに質問をした。
「教官なぜ、魔力暴走が?」
「……炎よ、立ち上がれ! とは下級から中級の魔術詠唱。未熟ゆえに不安定だが発動しやすい。炎よ、応えよ! であれば安定するが、それは上級者の領域だ……。本日の授業は以上」
説明を切るようなその言葉にざわめきが起き、生徒たちの視線が一斉にディオンへ向いた。畏れ、困惑、距離それぞれの思惑が入り交じる。生徒達は徐々にその場から去っていった。リネとカイルだけがその場を動かず、じっとディオンを見ていた。その目には、わずかな興味が宿っていた。
その場には、カイルとリネ、ディオンが立っていた。
煙がまだ残っていて、焦げた匂いが漂う。カイルは、息を整えながら、ディオンを見た。無傷――に見えた。だが、あれだけの炎を受けて傷一つないのはおかしい。
「……おい」
カイルは一歩、ディオンに近づく。
「手」
ディオンは、少しだけ視線を落とす。右手の指先が赤く、皮膚がわずかに焼けている。
「……ああ。問題ない」
他人事のような声。
「“ああ”じゃねえよ! 普通に火傷してんだろこれ!」
カイルアはディオンの右手を掴んだ。
「だから……問題ない」
「あるわ!!」
「……何をしている」
低い声が隣から聞こえた。リネが、横に立っていた。
視線は、ディオンの手へ向けられ一瞬で、状況を把握する。
「……焼けているな」
「……問題ない」
リネの眉が、わずかに動く。
「問題の有無は、お前が決めることではない」
「そうそれ!! それ言いたかった!!」
リネは、迷いなくサッとディオンの手を取る。
「痛みは?」
「……少し」
「絶対ウソだろそれ!!」
「感覚が遅れているだけだ」
静かに言い切る。
「炎に触れていた時間を考えろ。次は、同じでは済まない」
ディオンは、何も言わない。ただ、少しだけ目を伏せる。カイルは、水で濡らした布をディオンの右手に押し当てる。
「ほら、じっとしてろ」
ディオンは、抵抗しなかった。リネは、その様子を見ている。
「……お前は、自分のことに、無頓着すぎる」
「それな!!」
「騎士である以上、自分の状態を把握することも義務だ」
「いやほんとそれな!!」
「……そうか」
「お前はいつも軽いんだよ!!」
リネは、小さく息を吐く。
「……理解していないな」
ほんのわずかに、声が、柔らぐ。
「だから言っている。無理をするな」
ディオンは二人を見て、少しだけ不思議そうに言った。
「……なぜだ? お前達には、関係ないことだろ」
「は?」
カイルは怒り、リネも、わずかに目を細める。
『問題はない』を繰り返すディオンにカチンときたのだろう。
「なら、放っておけばいい」
その言葉に、カイルはリネを見た。
「はぁ!?」
「……違う。問題があるかどうかではなく、お前が倒れた場合の損失を考えろ」
「そこ!? 理論で来た!?」
だがリネは、視線を逸らさない。
「――仲間としての判断だ」
少しの沈黙の後、ディオンは、少しだけ目を伏せる。
そして、ボソリと呟いた。
「……分かった」
「ほんとかよそれ」
小さく笑う。手の痛みは、二人のおかげで薄らいだような気がした。




