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還命の魔術師 -失われた王子の記憶  作者: 白澄 灯
最終章 「還る場所」
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34/36

第34話 「 代償」

 その頃、王宮では、エリアスの体調悪化が静かに進んでいた。表向きは変わらず、公務にも出る。書類も片付ける。

 穏やかに笑い、人前では弱さを見せない。けれど、

継命の侵食は、確実に広がっていた。右手から始まった老化、再び表れた蔦のような黒い痕は、既に上半身へ及び、さらに脚――膝の辺りまで静かに侵食している。


夏でも長袖を崩さないのは、そのためだった。

長く立っているだけで、脚へ鈍い痛みが走るり、時折呼吸も浅くなる。

それでもエリアスは、「問題ない」の一言で済ませてしまう。


 袖の奥には、蔦のような細い線が皮膚の下を這い、絡みつくように首筋まで伸びている。

その周囲だけ、僅かに肌が痩せ細っていた。指先も、少しだけ不自然に骨張っている。

まるで、その部分だけ時間が早く流れてしまったみたいだった。

 命を繋ぎ止めるほど、身体が先に朽ちていく。けれど、不思議なほど顔だけは綺麗なままだった。白い肌、静かな眼差し、穏やかな横顔。

だからこそ、余計に(いびつ)だった。

まるで、命だけを無理やり、この場所へ縫い留めているみたいに。

 王宮の者達も、深くは聞けない。誰もが気付いていた。気付いていながら、触れられなかった。

 

 白い執務室。いつものように、机へ向かったまま、エリアスは小さく息を吐く。右手が鈍く痛み、膝の奥も、重い。袖と衣服の奥で、黒が静かに脈打っていた。

窓の外では、秋風が白薔薇を揺らしている。

その景色を見つめながら、エリアスはゆっくり目を閉じた。

 脳裏へ浮かぶのは、温室で笑っていた黒髪の少年。

『おいしい!』

雨の日の無邪気な笑い声。気付けば、小さく笑っていた。

「……本当に、変わらないな」

掠れた呟きが、静かな執務室へ落ちる。


 その瞬間、視界が大きく揺れた。ぐらり、と世界が傾く。エリアスは咄嗟に机へ手をつく。カップは倒れ、紅茶が書類へ広がった。呼吸が乱れる。

胸の奥が焼けるみたいに熱い。

袖の下で、黒い痕が微かに光を帯びていた。

けれど、エリアスは誰も呼ばない。

ただ静かに、乱れた呼吸を押し殺していた。


その時だった。

「……殿下?」

控えめな声と共に、執務室の扉が開く。入ってきたのは、若い侍女だった。追加の書類と紅茶を運んできたのだろう。

けれど、部屋の中を見た瞬間、その顔色が変わった。

倒れたカップ、床へ広がる紅茶、机へ手をついたまま、荒く呼吸を繰り返すエリアス。


 「で、殿下……!」


 侍女は思わず駆け寄る。エリアスは咄嗟に顔を上げた。

「……来るな」

掠れた声だったけれど、その声に力は無い。侍女は足を止める。震える指先。どうすればいいのか分からない。


 袖の隙間から見えてしまった。黒い痕、腕を這うみたいに広がる異様な侵食。侍女の喉が、小さく鳴る。

王宮では殿下の体調が良くないことは、すでに噂になっていた。しかし、実際に見た者は少ない。

エリアスは呼吸を整えようとしながら、小さく目を伏せた。

「……誰も呼ばなくていい」

「ですが……!」

侍女の声が震える。エリアスはゆっくり息を吐いた。

「大丈夫だ」

全く大丈夫には見えなかった。それでも、その人は穏やかに笑おうとする。

だから侍女は、余計に泣きそうになる。


「……フェルマ様を、お呼びします」

小さくそう告げると、侍女は駆け出した。

その背を見送りながら、エリアスは静かに目を閉じる。


ほどなくして--慌ただしい足音が廊下へ響いた。

執務室の扉が開く。

「……失礼します」

入ってきたのはフェルマだった。

その表情はいつも通り冷静だったが、歩く速度だけが僅かに速い。


 倒れたカップ、乱れた書類。そして机へ手をついたままのエリアスを見た瞬間、フェルマの眉が寄った。


「侍女は?」

「下がらせた」

掠れた返答だった。フェルマは小さく息を吐く。

「……本当に無茶しかしませんね」

近づきながら器具を取り出す。エリアスは苦笑した。

「それ……毎回言ってないか」

「毎回無茶しておられるので」

即答だった。フェルマはそのままエリアスの右手へ触れる。

(熱い……)

以前より明らかに熱を持っていた。

「袖を」エリアスは僅かに沈黙し、それから静かに頷く。白い布が滑り落ちる。


 フェルマは何も言わない。ただ静かに、その痕を見つめていた。やがて、

「……進行が早すぎる」

低い呟きが落ちる。エリアスは椅子へ深く身体を預けた。エリアスの呼吸はまだ浅い。フェルマは手袋越しに脈を測る。

不安定だった。まるで継命そのものが暴れているみたいに。

「痛みは」

「最近は脚にも来る」

「歩行は」

「まだ問題ない」

“まだ”。

その言葉に、フェルマの視線が僅かに沈む。

しばらく沈黙したあと、フェルマは静かに口を開く。

「……殿下」


「このままでは、いずれ身体が耐えられません。」


静かな声だった。だか、その言葉だけは妙に重かった。


「……エリアス殿下」

フェルマは静かに口を開いた。

執務室には、薬草の香りが薄く漂っている。窓の外では、さっきまで晴れていた空が嘘のように、雲が広がり雨が降っていた。


 エリアスは椅子へ腰掛けたまま、小さく視線を上げる。フェルマはしばらく黙っていたが、やがて小さく息を吐いた。

「貴方は、とても執務ができる状態ではありません」

 その声音には医師としての強さがある。

「しばらく療養なさって下さい」

エリアスは苦笑する。

「……随分率直だな」

「今さらです」

即答だった。

フェルマは淡々と薬瓶を整理しながら続ける。

「歩行も不安定、侵食も進行しています。睡眠時間も足りていない」

 そこで小さく眉を寄せる。

「むしろ、何故執務できると思われたのですか」

エリアスが少し吹き出す。久しぶりの、小さな笑いだった。

フェルマはその様子を見て、静かに目を伏せる。

「……殿下、貴方は、少し無理をしすぎです」

 春の雨音だけが、静かに響いていた。


「分かっている」


小さな返答だった。



 *****

 雨上がりの温室だった。

ガラスを叩いていた雨音は止み、雫だけが静かに葉を濡らしている。エリアスは長椅子へ座ったまま、本を読んでいた。

白い手袋、細い指、静かな横顔。

ディオンは向かいへ座りながら、じっとその右手を見る。小さい頃のディオンは、妙に遠慮がなかった。

気になったことは、そのまま聞く。


「……エリ、右手、痛いのか?」

 その瞬間、エリアスの指先が僅かに止まる。温室へ沈黙が落ちた。


「お前には関係ない」


 冷たい声だった。エリアスは視線を逸らす。

「気にするな」

けれどディオンは引かなかった。むしろ、小さく眉を寄せる。

「でも、ずっと隠してる」

温室へ声が響く。雨上がりの静けさが、一瞬だけ壊れた。けれど、ディオンは驚かなかった。少し黙ったあと、ゆっくり口を開く。

「……関係なくないよ」


 エリアスが息を止める。ディオンはそのまま、そっと右手へ触れた。白い手袋越しの手はひどく冷たかった。

エリアスの肩が僅かに震える。振り払われると思った。

だが、エリアスは動かなかった。


「やっぱり冷えてる」

まるで当たり前みたいに言う。



 *****


 フェルマは目を伏せる。その横顔へ、リリィの姿が一瞬だけ重なった。失いたくないものほど、手の中から零れていく。だから人は、禁忌へ縋るのだ。

フェルマは静かに拳を握る。

「……抑制薬を調整します」

それしか、今は出来なかった。


 ◇◇◇◇◇

 

  秋の夕暮れだった。

任務を終えて騎士学院へ戻ろうとした時、ディオンは王宮の使いから小さな封筒を受け取った。

差出人の名前は無かったが、白い封蝋を見た瞬間、誰からなのか分かった。

『時間があれば、来ないか』


短い文のみで、場所は書かれていなくても、もう大丈夫だった。向かう先は決まっている。


 王都の片隅、城下町の外れにある、あの紅茶店だ。

王都の空は、薄い茜色へ染まり始めていた。

石畳を踏みながら、ディオンは小さく封筒を見下ろす。


 秋風が制服の裾を揺らした。やがて見慣れた店先が見えてくる。硝子窓から、柔らかな灯りが漏れていた。

 ディオンは扉を開ける。カラン……鈴音が静かに響いた。


「……来たか」

エリアスが、小さく笑った。ディオンは向かいへ座る。

その顔色は以前より白い。しばらく穏やかな時間が流れる。

けれど、ディオンは小さく息を吐いた。回りくどいのは性に合わない。

「……殿下」

「ん?」

「身体、かなり悪いでしょう」エリアスの手が、ほんの僅かに止まった。すぐに小さく笑う。

「急だな」

「誤魔化さないで下さい」

ディオンの声は真っ直ぐだった。

「前より酷い」


 エリアスは静かにカップを置いた。窓の外では、秋風が街路樹を揺らしている。しばらく沈黙が落ちたあと。

「……お前は昔から、妙に鋭いな」

否定はしなかった。ディオンは眉を寄せる。

「笑い事じゃない」

「まあな」

エリアスは窓の外へ視線を向けた。夕暮れの王都。静かな景色だった。


「……これから、会う機会も減りそうだからな」

ぽつりと呟く。

「進路の話か」

「それもある」

エリアスは曖昧に笑った。

「お前達も、もう学院を出て、それぞれ忙しくなるだろう」

その言葉が、妙に引っ掛かった。まるで、最初から遠ざかるつもりでいるみたいだったから。

ディオンは無意識に拳を握る。

「……減るなら、会えばいい」

エリアスが少しだけ目を見開く。

「王宮だって行ける。近衛になるかもしれないし、紅茶店にも来る」

真っ直ぐな声だった。エリアスはしばらく黙っていた。

それから、ふっと、小さく笑う。

「そうだな」

その笑みだけが、少し寂しそうだった。やがてエリアスは静かに立ち上がる。


「……もう一杯、淹れよう」

白い指先がティーポットへ触れる。慣れた動きだった。

立ち上がった瞬間、ほんの僅かに身体が揺れる。

「……殿下」

「見過ぎだ」

エリアスは苦笑した。それでも、一瞬だけ右脚へ力が入り損ねていた。ディオンは黙ったまま、その背を見る。

湯気がゆっくり立ち上る。

夕暮れの光が、白い横顔を淡く照らしていた。

ふと、ディオンは思う。


 この人は、昔からこうだった。苦しい時ほど、穏やかに笑い、誰にも弱音を吐かない。だから余計に放っておけなかった。


 それからだった。ディオンが、ぼんやり物思いにふけることが増えたのは。

授業中、訓練の合間、中庭。ふとした時に、視線が止まり、考え込む。そして無意識に黙る。


最初に気付いたのはカイルだった。

「……お前、最近変だぞ」

訓練帰りの騎士学院の廊下で、カイルが呆れたように言う。

「何が」

「何がじゃない」

「さっきから三回同じとこ見てる」

そこへ、本を抱えたリネが通り掛かる。二人を見て、少しだけ足を止めた。

「どうした」

「ディオンの様子が変」

カイルが即答する。リネは静かにディオンを見る。


「……考え事か」

「まあ」

曖昧な返事だった。リネは小さく目を細める。

「珍しいな」

「お前がそこまで引きずるの」

「俺、そんな分かりやすいか?」

「かなり」

カイルとリネの声が重なる。ディオンは思わず吹き出す。けれど、笑ったあとも、胸のざわつきだけは消えなかった。


 その日の夜だった。

騎士学院の消灯後、ディオンは一人、王宮の回廊を歩いていた。

 窓の外には秋の月。白い月光が石床へ静かに落ちている。向かう先は決まっていた。王宮の奥へ、滅多に人の来ない書庫の一室。扉の前で足を止めるた。

小さく息を吐き、それから叩いた。

「……入れ」


 ディオンは扉を開いた。部屋の中では、ロランが古い資料へ目を通していた。机の上には術式書や見慣れない古文書が並んでいる。淡い魔法灯がゆらゆら揺れていた。


 ディオンを見ると、ロランは少しだけ眉を上げた。

「珍しいな」

「お前から来るとは」

ディオンは扉を閉める。しばらく沈黙したあと、真っ直ぐ口を開いた。

「……還命について聞きたい」


ロランの視線が静かに向けられた。その目だけで、軽い話ではないと分かる。

「何故だ」

「知りたいからだ」


 脳裏へ浮かぶのは、エリアスの横顔。あの、どこか諦めたみたいな笑い方。

ロランは静かに本を閉じた。

「……還命は、本来人へ使う術ではない」

「命は巡る……還るべき場所へ還る」

「それを無理やり引き留める以上、必ず歪みが出る」

ディオンは黙ったまま聞いている。ロランは続けた。

「代償は様々だ」

「肉体を削る者もいれば、魔力を失う者もいる、寿命を燃やす者もいる」


「お前は、何を聞きたい」

ディオンは小さく息を飲んだ。本当に聞きたいことを、見透かされた気がした。


「……記憶を失うことはあるのか」


「ある。強い還命ほど、“自分”を削り『記憶』『感情』『執着』『人との繋がり』そういうものから、先に零れていく」

ディオンの指先へ力が入る。ロランは静かに視線を落とした。

「だから還命は禁忌なんだ。救う術でありながら、使うほど、術者が壊れていく」


 窓の外で、秋風が木々を揺らす。ディオンはゆっくり目を伏せた。脳裏へ浮かぶのは、カイルとリネの顔。

騎士学院、中庭、笑い声、当たり前みたいに続いていた日々。もし、それを失うとしても--ディオンは静かに拳を握る。

ロランは何も言わない。ただ、その横顔を見ていた。

まるで、昔の誰かを見るみたいに。


 魔法灯の淡い光だけが、静かな書庫を照らしていた。

ディオンは視線を落としたまま、小さく息を吐く。

それから、不意に口を開く。

「……父上」

ロランが顔を上げた。

「小さい時の俺って、どんなだった」

予想していなかった問いだったのか、ロランは少しだけ目を瞬く。ディオンは苦笑した。

「いや、なんとなく気になっただけ……覚えてないことも多いし」

最後の言葉だけ、少し曖昧だった。ロランはしばらく黙っていた。

「そうだな……」

視線が遠くなる。昔を思い出しているみたいだった。

「よく笑う子だった」

ディオンが少しだけ目を瞬く。

「今も笑うだろ」

「今とは違うぞ」


 ロランは珍しく、小さく笑う。

「お前は昔、妙に人懐っこかった。初対面でも平気で話しかけるし、知らない騎士へ付いていこうとして、何度叱られたか分からん」

「……そんなだったか?」

「そんなだった」

ロランは静かに続ける。

「花も好きだったな」

「庭園へ行けば、すぐ座り込む。よく汚れて帰ってきた」

ディオンは少し吹き出した。

「全然覚えてない」

「だろうな」

穏やかな返答だった。しばらく沈黙が落ち、やがてロランは、ふと視線を細める。

「……お前は昔から、“誰かが泣いている”のを放っておけなかった」

ディオンの動きが止まる。ロランは静かに本を閉じた。

「だから、今のお前を見ていると時々怖くなる」


「救おうとする人間ほど、自分を削る」


 部屋へ静けさが落ちる。ディオンは何も言えなかった。ロランはしばらく息子を見つめていたが、やがて静かに視線を落とす。

「……だが、昔より、少し不器用になったな」

ディオンは思わず眉を寄せる。

「どういう意味?」

「昔のお前は、もっと素直に笑っていた」

その言葉だけが、妙に静かに胸へ残った。



 ◇◇◇◇◇

 冬の風は、冷たかった。王都外れの墓地には、静かな雪が降っている。積もった雪を踏む音だけが、小さく響いていた。

 ディオンはその中をゆっくり歩いていく。腕に抱えているのは、小さな花束。白い鈴蘭だった。本来なら、まだ咲く時期ではないが、保存魔術によって特別に注文したものだ。


「季節外れですよ」

花屋の老婆は苦笑した。

「けれど、王都の保存術式なら数日は保てます。高額ですよ」

白い鈴蘭は、小さく揺れている。春の花は本来、冬には咲かない。

それでもディオンは、静かにその花を受け取った。


 墓前へ辿り着くと、静かにしゃがみ込む。石へ触れた指先が、ひどく冷たい。

「……久しぶり」

吐く息が白い。返事は無い。けれど、不思議とここへ来ると少しだけ呼吸が楽になる。

鈴蘭を供えながら、ディオンは雪空を見上げた。

冬の空は静かだった。

風が吹く度、木々に積もった雪がさらりと落ちる。

しばらく黙っていたあと、ディオンはぽつりと口を開いた。

「俺、昔はよく笑ってたらしい」

苦笑混じりだった。

「父上に言われた」

白い鈴蘭が、冬風に小さく揺れる。ディオンはゆっくり息を吐いた。

「……正直、あんまり覚えてない」

「どんな顔して笑ってたのかも」

墓石へ視線を落とす。

最近、時々思う。

(失くした記憶は、本当に“忘れただけ”なのだろうか)


誰かと笑っていた気がするのに、輪郭だけが曖昧だった。ディオンは無意識に右手を握る。

ロランの言葉が脳裏へ過る。

『強い還命ほど、“自分”を削る』

記憶、感情、人との繋がり……静かな恐怖だった。


もし、本当に大切なものを忘れてしまったら。それでも、自分は同じ自分でいられるのだろうか。ディオンは目を伏せる。

「……俺、どうしたらいいと思う」

掠れた声だった。


 雪が静かに降り続いていた。白い鈴蘭へ、淡く雪が積もっていく。ディオンは墓石を見つめたまま、小さく息を吐いた。

「……もし、本当に還命を使ったら」

声は、雪へ沈むみたいに静かだった。

「友人のことも、父上のことも忘れるのかな」

返事は無い。ディオンは苦笑した。

「変だよな」

「助けたいのに……忘れたら、多分」

そこで言葉が止まる。喉の奥が少し痛かった。

カイルの笑い方、リネの呆れた顔、騎士学院の中庭、

父と交わした会話、温室、紅茶、雪の日。


 そんな景色が、脳裏へ静かに浮かぶ。どれも当たり前みたいに傍にあった。失うことなんて考えたこともなかった。

ディオンは雪空へ吐息を吐いた。白く、白く滲んでいく。

「……でも」

「それでも、放っておけないんだよな」

雪は静かに降り続いている。墓石も、鈴蘭も少しずつ白く染まっていく。

その景色を見つめながら、ディオンは静かに目を伏せた。


答えの出ない問いを、胸の奥へ抱え込むみたいだった。


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