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還命の魔術師 -失われた王子の記憶  作者: 白澄 灯
第三章 「守りたかったもの」
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第33話 「鏡の剣」

 とある部屋の一室。昼だというのに、そこは妙に静かだった。

薄い白布の揺れる窓辺には、磨かれた白磁のティーカップ。夏の日差しが、床へ淡く落ちている。

 

 ある人物は、窓の外へ視線を向けていた。真夏の庭園に、白い噴水、遠くで揺れる木々。平和な景色だった。


 ――コンコン。控えめなノックが響く。

「入りなさい」

 扉が開くと入ってきたのは、壮年の貴族だった。深く頭を下げる。


「……殿下のお身体について、お聞きしました」

 

 ある人物は表情を変えないまま、男は続ける。

「このままでは、いずれ王家は――」

「やめなさい」

 静かな一言だった。男が息を呑む。ある人物はカップを置き、小さな陶器音だけが響く。

「その先を口にする必要はありません」

 

 やがて男は、低く口を開いた。

「……ディオン・リュミエールを排除すべきです」

 空気が止まる。けれど、ある人物の表情は変わらなかった。

 男は奥歯を噛み締めながら、続ける。

「既に、あの少年は王家へ近づきすぎている! 還命を扱う異質。殿下は、あの少年と出会ってから変わられた」

「このままでは、必ず理を踏み外します」


「やめなさい」

 先程よりも静かな声だった。

「その子に手を出してはなりません」

 男は目を見開く。

「ですが!」

 思わず声が荒くなる。

「王家のためなのです!」

「ならば尚更です」

 向けられた視線に、男の肩が僅かに揺れた。

「怯えて下した決断は、必ず誰かを傷つけるのです」

 部屋へ沈黙が落ちる。男は拳を握り締めていた。


 ――変わられた。


 男の脳裏へ、そんな考えが過る。昔なら、もっと早く決断していたはずだ。王家のためなら、どれほど冷酷でも迷わなかった。けれど今は違う。躊躇して守ろうとしている。

 --弱くなられた。

 男はそう確信し、やがて深く頭を下げる。けれど、その瞳だけは、妙に昏かった。

「失礼いたします」

 扉が閉まり、静けさだけが残った。ある人物はゆっくり目を伏せる。あの目を知っている。忠誠と焦燥が、境界を失った人間の目だ。

 

 窓の外では、白薔薇が夏風に揺れていた。

 



 --その夜。

 男は、王宮の地下深くへ足を踏み入れていた。誰も近づかない石廊には、冷たい燭台の灯だけが揺れている。本来、この先へ進める者は限られていた。


 王家、王妃付き、そして、ごく一部の騎士のみ。

男は迷いなく奥へ進み、やがて男は王家の紋章が刻まれた、石扉の前で足を止めた。

 

 その奥には、王家の七不思議が眠っている。重い扉を開いた瞬間、ひやりとした空気が流れ出た。石室の最奥に、二振りの剣が、静かに並んでいる。


白銀の長剣――鏡の(つるぎ)

 

 鏡の剣は、どちらかが本物で、どちらかが偽物。けれど、それを見分けられた者はいない。男は乾いた息を吐きながら、ゆっくり剣へ近づいた。


「……王を試す剣、か。面白い」

 

 呟きながら刀身へ手を伸ばす。鏡みたいに磨かれた刃へ、自分の顔が映った。歪んだ瞳と焦燥……疲れ切った顔。それでも男は視線を逸らさない。


「ならば試せばいい」

 

 低く落ちた声が、静かな石室へ響く。

「今の王家に、本当に守る価値があるのか」

 指先が柄へ触れる。冷たい感触だった。

「王家が迷うなら、私が振るう! それが忠義だ」

 

 その瞬間、鏡の剣が、淡く光を帯びた。男は息を呑む。白銀の刃は静かだったけれど、握った剣だけが脈打つみたいに微かに震えている。

まるで、持ち主の心を映すみたいに……。男はゆっくり目を細めた。


「……はは! ……俺を選んだか! 」



 その光はどこか歪だった。

男は剣を握ったまま、静かに踵を返した。その後ろには、既に数人の信奉者達が控えている。

 皆、同じ目をしていた。その瞳には、焦燥と狂気が静かに滲んでいた。



「ディオン・リュミエールを探せ」


 男の声へ、部下達が一斉に頭を下げる。けれど、数歩進んだところで、男の足が止まった。


『その子に手を出してはなりません』

 

 昼間の言葉が脳裏を過る。男はゆっくり目を細めた。

いや、問題はあの少年ではない。迷っている者こそ、正さなければならない。男は方向を変える。向かった先は、王宮中央の広間だった。重い扉が開く。白い大理石と高い天井。夜の燭台が静かに揺れている。

 

 その中央に、ある人物が立っていた。

 

 広間では、王妃が侍従達と最後の確認を行っていた。机の上には外交文書と封蝋。静かな夜だった。

その少し後ろには、護衛として騎士が控えている。

いつも通りの、王宮の夜。

――のはずだった。

 

 男が広間へ入る。侍従達は一瞬視線を向けたが、すぐ警戒を解いた。見慣れた顔だったからだ。王家へ長く仕えてきた貴族。忠義深い男。誰も、剣を持っていることへすら違和感を抱かなかった。

だから、男が、そのまま鏡の剣を振り上げるまで。

誰一人、動けなかった。


男は止まらない。鏡の剣を握ったまま、真っ直ぐ広間を進む。


「王家のためです」

 掠れた声だった。

 次の瞬間、鏡の剣が振り上げられる。


 ――ギィン!!

 

 鋭い衝突音が広間へ響いた。白銀の刃を受け止めていたのは、一振りの剣。ロランだった。詠唱は無い、魔力も使わない。純粋な剣技だけで、鏡の剣を止めている。


「何故です!」

 男が叫ぶ。

「貴方も分かっているはずだ!」

「このままでは王家は――!」

 

「だから止めるのです」

 

 その瞬間、鏡の剣が、淡く光を帯びる。男の瞳が揺れた。ロランの剣を受けた白銀の刃が、ゆっくり形を変えていく。細長い刀身が幅を持ち、円を描くように広がる。

 まるで、誰かを庇うみたいに。


「……な」

 

 男の声が震える。鏡の剣は、もう“剣”ではなかった。ロランの前に現れたのは、白銀の盾。ある人物を守るように、静かに輝いている。広間へ沈黙が落ちる。

「鏡の剣は、王を試す」

 ロランの声だけが静かに響いた。


「奪いたい者の手では剣となり、守りたい者の手では、盾となる」

 白銀の盾が、淡く光を返す。その時だった。

 

 「動くな」

 低い声が広間へ落ちると同時に男達が振り返る。いつの間に現れたのか。広間の出入口には、黒い外套の騎士達が立っていた。王家の根――古い根階こんかいの樹術を扱うロラン。そして、そのロラン直属の部下達を指す名でもあった。


 足音一つ立てず、既に退路を塞いでいる。男達が剣へ手をかける。けれど、その瞬間にはもう遅かった。数人の騎士が一気に間合いへ踏み込み、床へ押さえ込まれる男達。短い制圧だった。ロランは静かに剣を下ろす。


「連れて行け」


 ――コツ。

 

 硬い靴音が響く。広間の空気が変わった。王家の根が、一斉に姿勢を正す。

 ロランも静かに剣を引く。長い外套を揺らし、一人の男が広間へ姿を現した。淡雪みたいな銀髪、冷えた冬空を思わせる瞳。

 

 セレノア国王――ネージュ·セレノア·アルヴェイン。その姿を見た瞬間、男の顔色が変わる。

「へ、陛下……」

 ネージュは答えない。ただ静かに、広間を見渡した。

形を変えた鏡の盾、拘束された信奉者達、ロラン。

 

 そして……広間の中央に立つ、ある人物。やがてネージュはゆっくり歩き出す。石床へ靴音だけが響いた。

 男の前で止まると、盾に変わった「鏡の剣」へ視線を落とす。

「……それを抜いたか」

 男は震えながら跪く。

「私は……王家のために……」

「違う……。お前は恐れたのだ」

 広間が、静まり返る。ネージュはある人物へ視線を向けた。その目だけが、ほんの少し柔らかくなる。

「……怪我は」

 短い問いに、ある人物は小さく首を振った。ネージュは小さく息を吐く。それから静かに外套を脱ぎ、そっと肩へ掛けた。その仕草だけが、妙に優しかった。

 

 男は、がくんと膝をつく。乾いた音が広間へ響いた。

高位貴族として、長く王家へ忠誠を尽くしてきた男だった。誇り高く、冷静で、決して膝など折らない人物だったはずなのに、今はただ、項垂れている。


「……何故です」

 震える声だった。

「私は、王家のために……」

 ロランは静かに剣を下ろした。その横顔を、ある人物が見つめる。やがて、小さく口を開いた。


「……ロラン」

 

 広間へ静かな声が落ちる。

「何故、止めたのですか」

 王家の根、国王直属。その忠誠は、王家そのものへ向けられている。ならば、命令次第では、見過ごすことも出来たはずだった。ロランは少しだけ目を伏せる。

 それから、白銀の盾へ視線を向けた。

「貴方は、ただ母であっただっただけです。……私は、王家へ剣を向ける者を止めただけ」

 淡々とした答えだった。けれど、その視線だけは静かだった。

「それが、王家の根の役目ですので」

 

 ある人物は何も返さない。ただ静かに、ロランを見つめていた。掛けられた外套の重みを受け止めたまま俯いていた。広間には、誰も声を出せない空気が落ち、白銀の盾へ変わった鏡の剣だけが、淡く光を返していた。


「……もう、隠しきれませんね」

 掠れた声だった。

 ロランの視線が静かに向けられる

「わたくしは」

 そこで言葉が止まる。細い指先が、僅かに震えていた。

「エリアスを生かしたかった」

 広間の空気が止まる。

「王妃様……」

 誰かが小さく息を呑む。ある人物――王妃は、静かに目を閉じた。

「失うのが、怖かったのです」

 その声は、もう王妃のものではなかった。ただの母親だった。

「だから継命へ縋った」

「だからフェルマの研究を止められなかった。……ロラン、貴方は知らないと思うけれど」


 王妃は静かに目を伏せた。白い指先が、僅かに震えている。

「ディオン、あの子が使っている旧寮は……元々、研究施設でもあったのです」

ロランが僅かに眉を動かす。王妃は小さく苦笑した。

「継命と、歪みの制御研究」

「フェルマの研究過程で、虫型の歪みも生まれました」

燭台の火が静かに揺れる。

「本来は封印されるはずだった」

「フェルマ自身も、危険性を理解していたのです」

掠れた声だった。

「けれど、完全には消えなかった」

王妃はゆっくり目を閉じる。

「命を救うための研究が、別の歪みを生んでしまったのです」

「……たぶん、あの子は還したのでしょう」

掠れた声だった。

「あの歪みを」

その言葉に、ロランの目が静かに細められる。王妃は続ける。

「だから、消えた」

「ディオンは、そういう子ですから」

 白い頬を、一筋の涙が伝う。

「……私は、ディオンを害するつもりなどありませんでした」

 王妃は静かに言った。白い指先が、僅かに震えている。

「けれど……あの子の力は、あまりにも異質だった」

「還命」

掠れた声だった。

「命を還し、歪みすら消してしまう力」

王妃はゆっくり目を伏せる。

「継命とは、相容れない」

静かな言葉だった。

「だからこそ、あの人達は恐れたのでしょう」

ロランは何も言わない。ただ静かに、その言葉を聞いていた。

「……本当は、分かっていたのです。こんなことを続ければ、誰かが傷つくと」

 ロランは静かに王妃を見る。しばらく沈黙したあと、低く口を開いた。

「……しかし、それは貴女がしたことではない」

王妃の肩が僅かに揺れる。

ロランは続けた。

「湖の一件も」

「あれは、貴女の指示ではないのでしょう」

燭台の火が静かに揺れる。王妃は目を伏せたまま、小さく息を吐いた。

「……ええ」

掠れた声だった。

「私は、止められなかっただけです」

その言葉は、肯定よりずっと重かった。王妃はゆっくり視線を上げる。

「……ロラン」

 その名を呼ぶ声が、少し震える。

「貴方は、いつから知っていたの?」

 ロランは少しだけ目を伏せた。それから静かに答える。

「最初からです」

 短い返答だった。

王妃の瞳が揺れる。ロランは続けた。

「貴女は、王家を壊したかったわけではない」

「ただ、子を失いたくなかった」

 その声は責めるものではなかった。だからこそ、王妃の肩が、小さく震える。

「……止めてくれれば、よかったのに」

 零れた声は、酷く弱かった。ロランは静かに目を伏せる。

「止まりましたか」

 その一言に、王妃は答えられなかった。ただ涙だけが、静かに落ちていく。ネージュが、ゆっくり王妃の隣へ立つ。何も言わず、そっとその肩へ手を置いた。


 

 ◇◇◇◇◇

 

 むかしむかし、セレノアの王家には、ふたふりの剣が あありました。

 ふたつのうち、ひとつは 本物、もうひとつは 偽物。けれど、だれも 見分けることは できませんでした。

 

 その剣は、“鏡の剣” と 呼ばれていました。鏡のように 光る刃には、使う者の 心が 映り、持つ者の心によって入れ替わる。

 

 欲望のために本物を掴めば、剣は偽物へ堕ちる。

守るために偽物を取れば、剣は本物へ変わる。


「鏡の剣は、主の本心を映しだし、 人を殺すために抜けば刃となり、 守るために掲げれば盾となる。だが、持ち主は、その本心を知らない」


 ある時、ひとりの男が その剣を 抜きました。男は続けます。

「これは 王家のためだ」と。

 けれど、その心の奥に あったのは、忠義だけではありませんでした。失うことへの恐れ、誰かを憎む気持ち、

自分こそ 正しいのだという 焦り。

 

 鏡の剣は、それを 全て映していたのです。奪いたい者の手では、剣となり、守りたい者の手では、盾となる。

 

 だから剣を抜く前に こう問うたそうです。

「この手は、誰かを傷つけるためのものか、それとも、誰かを守るためのものか」

 

 もし心を誤れば、剣は静かに、抜いた者を試すでしょう。

 

 “本当に恐ろしいのは、剣ではない。

 人の心なのだ” と。


                鏡の剣の物語 より


 ◇◇◇◇◇


 男は、王家の根によって拘束された。

 最後まで「王家のためだった」と繰り返していたが、誰も答えなかった。鏡の剣は、その後再び王家の地下へ封印されたという。

 ただ、奇妙な噂だけが残った。あの夜から、男は鏡を見ることを酷く恐れるようになったのだ。

 水面、窓硝子、銀食器。

 何かに映る自分の顔を見る度、怯えたように震えていたという。

「違う」

「私は間違っていない」

 そう繰り返しながら。やがて男は、静かに王都から姿を消した。処刑されたとも、修道院へ送られたとも、地下牢へ閉じ込められたとも言われている。

 

 けれど、本当のことを知る者は少ない。ただ一つだけ確かなのは、あの夜以降、王宮で鏡の剣を語る者は、ほとんどいなくなったということだった。


 ロランは、“王家の根”だった。表向きは、王妃付きの騎士。常にその傍へ控え、剣を捧げてきた。けれど実際には、ロランが忠誠を誓っていたのは、ただ一人。

 セレノア国王、ネージュだった。だからこそ、あの夜、ロランは迷わなかった。王妃を守ったのは、命令だったからではない。王家へ剣を向ける者を止める。それが、“根”の役目だった。

 

 ネージュもまた、それを知っている。ロランが、王妃の秘密へ最初から気付いていたことも、それでも黙っていたことも、止めなかったことも……全て。広間の静けさの中、ネージュはロランへ視線を向ける。


「……ご苦労だった」

 

 短い一言だった。けれどロランは静かに跪く。


「勿体なきお言葉です」

 

 その声音に、迷いは無かった。王妃付きでありながら、最後まで、王の剣だった。



 あの夜以降。

 王妃は、しばらく公の場から姿を消した。病による静養。王宮から発表された理由は、それだけだった。

 

 けれど実際には、“謹慎”に近いものだった。王妃自身が望んだのだ。責任を取るように、誰にも会わず白い部屋で静かに過ごしていた。

 窓辺には、白薔薇。机には、手を付けられていない紅茶。侍女達も必要以上に声を掛けない。

 王妃はただ、長い時間を窓の外を見つめて過ごしていた。

 時折、遠くで聞こえる騎士達の足音へ、静かに目を伏せる。エリアスのことを考えているのだと、誰もが分かっていた。ネージュは、その処分へ何も言わなかった。

止めもしない、責めもしない。


 ただ一度だけ、夜遅くその部屋を訪れたという。

何を話したのかを知る者はいない。たが、その夜以降、王妃の部屋へ飾られる白薔薇が、一輪だけ増えていた。



「……継命研究は、全て封印します」

フェルマは静かに言った。

「もう、二度と開きません」

その横顔は、酷く疲れて見えた。まるで、長い執着を、ようやく手放したみたいに。


 玉座の奥から、低い声が響いた。

「……だが、エリアスを診られるのは、今もお前だけだ」

ネージュだった。

静かな眼差し。その姿には、王としての重みが滲んでいる。


 フェルマは僅かに目を伏せた。継命研究は封じられる。けれど、侵食そのものが消えたわけではない。王宮には、まだフェルマが必要だった。ネージュは静かに続ける。

「研究者としてではない」

「医師として、王宮へ残れ」

低い声だった。命令……。けれどそこには、僅かな情も混じっていた。フェルマは長く沈黙したあと、小さく頭を垂れる。


「……承知しました」

その声だけは、妙に静かだった。



 ◇◇◇◇◇


 夕暮れの旧寮は、西日に赤く照らされていた。机の上には、一通の封書が置かれていた。紋章はない。ロランからだった。ディオンが封を切る。

中に入っていたのは、簡潔な報告書だけだった。


「……理解はできる」

リネは静かに言った。

窓の外へ視線を向けたまま、小さく息を吐く。

「失いたくなかったんだろ。父上も」

ディオンは何も言わない。リネは続ける。

「だから、引き返せなくなった」

その横顔は、妙に大人びて見えた。やがて、小さく目を伏せる。

「……多分」

掠れた声だった。

「俺も、リリィが生き返ると言われたら、冷静ではいられない」

 誰も、すぐには言葉を返せなかった。すると、文書の端が、ふっと赤く染まる。

 三人が顔を上げた時、紙は静かに燃え広がっていた。

機密保持のための焼却術。炎は一瞬で文書を飲み込み、灰だけを残した。


 窓から風が入る。灰はさらりと舞い、夕暮れの光へ消えていった。

 

 ◇◇◇◇◇


 騎士学院の中庭では、秋の風が静かに吹いていた。夏の熱気も少しずつ薄れ、木々の色も変わり始めている。

三年生、最上級生になった。


 進路希望の提出も始まり、学院の空気は以前より少し慌ただしかった。

「で、お前ら決まったのか」

 ベンチへ腰掛けながら、カイルが紙袋の果実パンを放る。ディオンは片手で果実パンを受け取り、小さく礼を言った。

「俺はまだ最終決定じゃない」

「でも王宮側なんだろ?」

「……まあ、多分」

曖昧に答える。エリアスの顔が脳裏を過った。温室と黒い痕。

 あの日から、どうしても放っておけなかった。

カイルは何となく察したみたいに、それ以上聞かなかった。代わりに視線を横へ向ける。

「リネは?」

ベンチの端で書類を読んでいたリネが、ゆっくり顔を上げる。


「……王立魔術研究棟付き」


先に反応したのはディオンだった。

「……研究棟?」

「騎士団じゃないのか」

「所属は騎士だ」

リネは淡々と紙を畳む。

「ただ、七不思議関連の調査協力が増えてるらしい」

カイルが吹き出す。

「めちゃくちゃお前っぽいな」

「そうか?」

「そうだろ。剣振ってる時より、本読んでる時の方が目怖いぞ」

「失礼だな」

「否定しないんだな」

 ディオンが小さく笑う。秋風が、木の葉を揺らした。

しばらく穏やかな沈黙が落ちる。やがてカイルは、空を見上げたまま呟く。


「俺は外交護衛」

ディオンが目を瞬く。

「決まったのか」

「ああ。兄貴のとこ経由で話来てたらしい」

「……似合うな」

リネがぽつりと言う。カイルは少しだけ眉を上げた。

「褒めてる?」

「一応」

「一応かよ」

 苦笑が零れる。外交護衛--国境、他国。

きっとカイルは、学院を出た後も色んな場所へ行くのだろう。そう思うと、少しだけ不思議だった。ずっと三人で騒いでいた気がするのに、秋が来れば、それぞれ違う場所へ進んでいく。

 

 ディオンは果実パンを一口齧る。

「……なんか変な感じだな」

「何が」

「いや」

騎士学院の校舎を見上げる。

「ずっとここにいる気がしてたから」

カイルが笑う。

「それ、一年の頃も言ってただろ」

「言ってたか?」

「言ってた」

リネまで頷いた。

ディオンは少しだけ眉を寄せる。

「……覚えてない」

「お前そういうとこあるよな」


 三人の笑い声が、中庭へ静かに溶けていった。


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