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還命の魔術師 -失われた王子の記憶  作者: 白澄 灯
第三章 「守りたかったもの」
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第31話 「温室は雨を覚えている」

 ソラーナ王国からの帰路の馬車は、行きよりずっと静かだった。

窓の外では、夕暮れの景色がゆっくり流れていく。

ソラーナでの任務は無事終了した。

色々あったはずなのに、今は妙な疲労感だけが残っている。


 ディオンは椅子へ背を預け、小さく息を吐いた。

「……楽しかったな」


 向かいに座っていたカイルの肩が、僅かに止まる。

俺は、カイルの様子に気付かないまま窓の外を見た。

(……きれいだった。少し前の自分には想像できなかったよな。きれいだ、楽しかったなんて思うようになった。)


「飯、美味かったし、街も綺麗だったし……あと、フローレンス姫、思ったより普通に話す人だった」

そこまで言ったところで、何故かカイルが妙に静かなことへ気付く。


「……カイル?」

カイルは一瞬遅れて顔を上げる。

「ん?」

「さっきから固まってないか?」

リネが本から顔を上げ、静かにカイルを見る。

「……確かに」

「別に」

「いや別にじゃないだろ」

(……たぶん、フローレンス姫のことだろう。分かりやすいなカイルは)

 カイルはまだ少し気まずそうに視線を逸らしていた。


「……見送りの時さ」

「あんま、怪我すんのむいてないですよ”って言っただろ」

「ああ」

リネは、慣れた様子で本を開きながら相槌をうつ。

「あれ、完全に覚えられた気がする」

「何だそれ」


 照れているカイルを見るのは、正直少し面白かった。

普段は割と涼しい顔をしているくせに、こういう時だけ妙に分かりやすい。本人は多分、自覚してないんだろうけど、カイルは昔から、肩書きで人を見ないから。相手が貴族でも、騎士でも、王族でも変に媚びたり、逆に気負ったりもしない。ちゃんと、その人自身を見る。

だからフローレンス姫も、多分居心地が良かったんだと思う。“姫”じゃなく、“フローレンス”として接してもらえることが。


 それって案外、珍しいんじゃないだろうか。


 窓の外では、雪景色がゆっくり遠ざかっていく。カイルはまだ少し気まずそうに視線を逸らしていた。


 ……まあ、あの姫なら、忘れないだろう。


 カイルは額を押さえた。リネが静かに本を閉じる。

「まあ、気付いていただろうな」

「だよな……」


「……まあ、良かったんじゃないか」

 カイルが眉を寄せる。

「何が」

「気に入られているなら」

「お前な……」

呆れた声だけれど、リネは気にした様子もない。


「本来、フローレンス姫はエリアス殿下の婚約候補だ」

馬車の空気が少しだけ変わる。リネは淡々と続けた。

「けど、少なくとも姫本人は、お前といる時の方が自然だったよ」


カイルが言葉に詰まる。

「……見てたのかよ」

「まあな」


 窓の外では、夕暮れがゆっくり夜へ変わり始めていた。任務は無事終わった。

だが--

多分、何かはまだ終わっていない。


 ◇◇◇◇◇

 

 あれから、季節は巡り騎士学院での自分の立場も変わった。

 

 俺達は揃って上位階級へ昇格し、任務や実地訓練で王宮へ呼ばれることも増えた。その度に、七不思議とも深く関わっていった。

 

 時計塔、深紅の薔薇、嗤う本。思い返せば、どれも妙な事件ばかりだった。

 

 (星降りの祭典の夜、空を流れていった光だけは、今でも時々思い出す)


 二年生の夏、騎士学院では、秋になれば次の学年へ進む。任務も実地訓練も、少しずつ重くなっていき、進む道を考え始める者もいた。

 

 騎士団へ進むのか、王宮付きになるのか、あるいは、別の役目を選ぶのか。夏が終われば、また色々なものが変わっていく。それが少し寂しくもある。



 *****

「ディオン」

書庫で資料を開いていると、リネが顔を上げた。

「休暇中くらい、本を閉じろ」

「調べたいことがあるだけだ」

「お前はいつもそう言う」

 

 その横で、カイルが椅子へだらしなく座っていた。

「夏休みだぞ。少し休めよ、ディオン」

「カイルは、休みすぎだ」

カイルが即座に返す。

「平均だ」

「どこの平均だ」

 いつものやり取りに少しホッとする。変わったことは沢山あるけれど、こういう時間は、不思議と変わらなかった。

 

 夏休みに入った頃、俺は再び、あの紅茶店を訪れていた。手には金色の封蝋に白い鳥の紋章、質の良い手紙。

(殿下とこうして会うのは久しぶりだ……)

 

 外の二階の欄干にはいつかの白い鳩。静かな店内にはいると、紅茶の香りがした。俺は以前と同じ席に向かう。


 中庭の温室。白いガゼボには、すでにエリアス殿下が座していた。


 (殿下を待たせてしまったか……)

顔に出ていたのか、殿下は何でもない顔で俺に声を掛ける。


「久しぶりだな」

穏やかな声。殿下が、小さく笑った。

「……殿下」

「今日は休暇中だ。名前でいい」

 そう言われても困る。結局、曖昧に頷きながら席へ座った。店主が静かに紅茶を置いて立ち去った。

 

 夏の果実茶らしい。淡い琥珀色の液面へ、光が揺れる。

 殿下は、以前より少し痩せた気がしたが、顔色は悪くない……。むしろ綺麗なくらいだ。

 けれど、殿下は夏だというのに長袖で、襟は喉元まできっちり閉じていた。


「……暑くないんですか」

 

 何気なく聞くと、エリアスは少しだけ目を瞬かせた。それから小さく笑う。

「今年はそこまででもない」

 (嘘だ……。外では立っているだけで汗ばむ)

 俺は黙ったまま、紅茶へ口をつけた。殿下がカップを持ち上げた時、袖がほんの僅かにずれた。

 手首には黒い痕が見えた。恐らく右手から、上腕へかけてだろう。

 

 以前より、殿下の右手には違和感があった。(つた)のような痣。明らかに蝕んでいる……。心臓が、嫌な音を立てる。

 殿下は気付いていないみたいに、静かに紅茶を飲んでいた。

「……ディオン?」

 視線に気づいたのか、殿下が小さく首を傾げる。

 俺は慌てて目を逸らした。

「いえ」

 けれど、薬草学を学んできた感覚が告げている。あれは、良くない。(進行している……?)

 

 静かな沈黙が落ちた。答えてくれるか分からなかったが、殿下きら聞きたいと思った。

「殿下、何の病気なんですか」


 温室へ沈黙が落ちた。長い長い時間に感じる。遠くで、蝉の声だけが聞こえている。殿下はすぐには答えなかった。ただ静かにコトリ……。紅茶を置き、小さく目を伏せた。


「病気、か」

掠れた声だった。

「違うんですか」

殿下は苦笑する。

「……似たようなものだ」


 夏の風が、白いカーテンを揺らした。その横顔は穏やかだった。穏やかすぎて逆に、胸がざわつく。

自分から聞いたのに、聞きたくない。殿下は静かに窓の外を見る。

「昔から、長くは生きられないと言われている」

その言葉に、呼吸が止まった。

「大丈夫だ。今すぐどうにかなるわけじゃない。治療も受けている」

どうにか一言返事をするのがやっとだった。


「……はい」


殿下は、空気を変えるように、切り出す。


「最初に会った時、雨が降っていた」

(最初……?)

 殿下は穏やかに笑ったのに、その笑顔が何故か少しだけ、寂しそうに見えた。

 帰り際、殿下はふと立ち止まる。

「時間があるなら、少し寄っていかないか」

「……どこへ?」

 エリアスは、店の奥のカウンターのさらに奥に視線を向けた。普段は閉じられている、小さな硝子扉。

「こっちだ」

俺は小さく眉を寄せながら、その後を追う。硝子扉が開き、カラン……と小さな鈴音が鳴る。

 

 その瞬間、空気が変わった。

「――え」

 俺は思わず足を止める。目の前に広がっていたのは、王宮の旧庭園だった。白い石畳に硝子天井、咲き乱れる白薔薇、蔦の絡まる回廊。王宮でしか見ることのない紋章柱。紛れもなく王宮だった。


「ここ……」

 言葉を失う。

 エリアスは小さく笑った。

「驚いたか」

「……王宮、ですよね」

「ああ」

「正確には、旧庭園の温室だ」

 白薔薇の香りが、静かに漂う。

「この店と温室は繋がっている。王宮側から使う者は少ないがな」

 辺りを見回すと、確かに店の中庭と空気が似ていた。

けれど、広さも、静けさも、まるで違う。紅茶店の奥に、そのまま王宮が隠されていたみたいだった。


「……前からあったんですか」

「昔からな」

 殿下は、慣れた様子で温室の奥へ歩いていく。

「元々は王家の避難路だったらしい。温室側から出れば王宮へ、店側から出れば街へ繋がる」

 

 歩く度、硝子越しの陽光が床へ淡く落ちる。けれど、

どこか妙だった。景色が、時々揺らぎ白薔薇の色が、一瞬だけ薄れる。硝子の向こうの空も、僅かに滲んで見えた。

 俺が立ち止まると、殿下が振り返る。

「どうした」

「……いえ」

 言葉を探す。

「少し、景色が揺れたような」

 殿下の視線が、ほんの僅かに逸れた。けれど次には、いつもの笑みへ戻る。

「古い温室だからな」

「魔力循環が不安定になることがある」

 さらりとした説明。

 (殿下は平気で嘘をつく……。俺に心配されたくないよな)

ただ、何かを隠した時の空気だと、何となくは分かった。水路へ落ちた光が、細く揺れる。その向こうで、硝子越しの景色が一瞬だけ灰色へ滲んだ。

 

 雨の日みたいだった。

けれど次の瞬間には、また夏空へ戻っている。エリアスは気付かないふりをするみたいに歩き続けた。


「昔」

 ぽつりと呟く。

「ここで、小さな子どもと会ったことがある」

 俺は黙って耳を傾けた。

「酷い雨の日だった。俺もまだ子どもだった」

「その日は、少し気分が悪くてな」

 そこで一度、言葉が止まる。エリアスは白薔薇へ視線を落とした。

 *****


 夕暮れの王宮。窓の外では、雨が降っていた。

「また医師が来ていたらしいな」

回廊を二人の騎士が歩きながら、やって来る。一人の騎士が小さく声を落とすと、隣の騎士が小さく息を吐く。

「……長くはない、か」

靴音だけが静かに響く。やがて、もう一人が苦く笑った。

「最近、随分荒れてるらしいな」

「ああ。教師にも噛みついたとか」

「教師の制止振り切ってへ中庭に行ったとも聞いた」

呆れ半分の声。

「無理もないだろ」

「子どもが、自分は長く生きられないなんて聞かされて」

 

 雨音が静かに響く。その言葉は、少し離れた回廊にも届いていた。白いシャツ姿の少年が、足を止める。

エリアスだった。騎士達は気付かないまま回廊の奥へ歩いて行く。エリアスはしばらく黙ったまま、降り続く雨を見た。

「……別に」

掠れた声だった。

「長生きしたいなんて、思ってない」

誰に向けたわけでもない呟きは、雨音へ静かに溶けていった。


 

 *****


「かなり、むしゃくしゃしていた。だから、その頃の俺は随分愛想が悪かったと思う」

 白い花弁が、水面へ落ちる。

「そんな時に、子どもが一人ここへ来た」

「ずぶ濡れだった」

 少しだけ笑う。

「なのに妙に人懐っこくてな。初対面の相手にも普通に話しかける。随分眩しかった」

 思わず目を瞬く。エリアスは気付かないふりをして続けた。

「でも、その日は余裕が無かった。年下の相手をする気分でもなかったしな」

「だから適当に紅茶を渡した」

『おいしい!』

 幼い声が、聞こえた気がした。

 エリアスは細く目を細める。

「……あの時、初めてだった」

「紅茶を飲んで、あんな顔をする人間を見たのは」

 温室の奥で、水音が静かに響く。

「それで終わると思っていた」

 エリアスは小さく笑う。

「もう二度と来ないだろうと」

「……来たんですか」

「ああ」

 即答だった。

「次の日も、その次の日も」

 どこか呆れたみたいに目を細める。

「毎日ここへ来た」

 思わず吹き出しそうになる。何となく、想像できた。

「雨が止んでも来て、晴れていても来た」

「話しかけてきて、勝手に紅茶を飲んで、勝手に笑っていた」

「随分自由な子だった」

 その表情は、どこか懐かしそうだった。

「でも、不思議だったよ」

「気付けば、ここで会うのが当たり前になっていた」

「むしゃくしゃしていた日も、嫌なことがあった日も。その子が来ると、少しだけ忘れられた」

 

 殿下の白い手袋越しの指先は白薔薇へ触れようとして止まる。


「でも」

 

「ある日を境に、ぱたりと来なくなった」

 温室には、水音だけが残った。

「最初は、雨だからかと思った。次は、体調でも崩したのかと。でも、一週間経っても来なかった」

 思わず口を開く。


「……探したんですか」

 

殿下は少しだけ笑う。

「探せる立場でもなかった。名前だけは、最初に聞かされたんだ」

どこか懐かしそうに目を細める。

「随分誇らしそうに名乗っていた」

 何となく、想像できた。

「今思えば」

 硝子越しの夏空を見上げる。

「言いたいことが、たくさんあったんだろうな」

「……言いたいこと?」

「ああ」

「もっと話せばよかったとか、もう少し優しくすればよかったとか」

「次は、違う紅茶を淹れてやればよかったとか」

 白薔薇へ落ちた光が、静かに揺れる。

「子どもだったからな、別れというものを、あまり分かっていなかった」

 

 その瞬間硝子の向こうが、一瞬だけ雨空へ滲む。

けれどエリアスは、それを見ないふりをするみたいに小さく笑った。

「だから、突然いなくなるとは思っていなかったんだ」

 

 俺はしばらく黙ったまま、水路へ揺れる光を見る。それから、小さく息を吐いた。


「……子どもなんて、そんなものでしょう」

 殿下が目を瞬かせる。

「急にどこか行ったり、急に戻ってきたりする」

 肩を竦める。

「俺も、多分その頃はかなり気分で動いてたと思います」

「否定はしない」

「ひどいな」

思わず笑う。殿下も、つられるみたいに少し笑った。それから、ふと、どこか懐かしそうに目を細める。

「そういえば、俺のことを“エリ”と呼んでいた」

 思わず吹き出しかけた。

「……随分勝手ですね」

「ああ」

 エリアスは苦笑する。

「後にも先にも、そんな呼び方をした人間はいなかった」

 白薔薇が、静かに揺れる。

「最初は訂正したんだ。でも、全く直らなかった」

「だから途中で諦めたよ」

 

 その響きが、妙に優しくて、胸の奥がまた少しだけ痛んだ。知らない話のはずなのに……その呼び方だけが、ひどく懐かしい気がした。


 温室を出た後、俺は先に紅茶店へ戻ることにした。

「送ろうか」

殿下はそう言ったが、丁重に断る。

「ふつう、俺が貴方を送るほうです」

「そうか」

殿下は無理に引き止めなかった。ただ、小さく目を細める。

「……夏も、もう終わるな」


 夏空に、蝉の声と殿下の声が溶けて言った。

 

 ◇◇◇◇◇


 騎士学院は、秋始まり。三年生に進級する秋になれば進路や配属の話が本格的に始まる。騎士団へ進む者、王宮付きになる者、領地へ戻る者。今後が、少しずつ決まっていく。

 

 殿下は白薔薇へ視線を向けたまま、小さく笑った。

「お前達も忙しくなる」

その言葉に、何故か胸の奥が少し重くなる。俺は曖昧に頷き、温室を後にした。

 硝子扉を抜け、カラン……と小さな鈴音が鳴れば、途端に紅茶店の空気へ戻った。

 穏やかな紅茶の香りと店内のざわめき、窓辺へ差し込む夏の陽光。ほんの数歩前まで王宮の温室にいたはずなのに、不思議と現実感が薄い。

 

 俺は静かに息を吐き、そのまま店を出た。城下町は、夏の熱気に満ち、石畳へ陽射しが照り返す。


 いつも通りの平和な城下町。けれど、頭から離れない。袖の奥に隠れていた絡まる蔦のような黒い痕。一瞬だけ雨空へ滲んだ温室の景色を思いだし、俺は無意識に、右手へ力が入る。

 

 真夏の陽射しは眩しいほど強いのに、胸の奥だけが妙に冷えていた。



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