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還命の魔術師 -失われた王子の記憶  作者: 白澄 灯
第二章 「学院生活」
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第30話 「妖精達の夜想曲-調律」

 雪解けを迎えたとはいえ、ソラーナの夜は冷える。

 白い吐息が、夜風へ溶けていった。

 氷色のフクシア達が、静かに揺れる。


 リン……。

 ティン……。


 鈴みたいな音の中に、時折低く濁った音が混ざった。

 ……ドォン。


「姫様、夜庭は冷えます!」

「どうかお戻りくださいませ!」

 侍女達の慌てた声が響く。

 その中心で、フローレンス姫は、白い外套を抱えながら困ったみたいに笑っていた。

「でも、気になるわ」

「気になるで来る場所じゃねぇだろ」

 カイルの呆れた声が続き、姫はぱち、と目を瞬かせる。

「……来ては駄目?」

「いや、駄目とは言ってねぇけど」

 その横を、ディオンは静かに通り過ぎた。


 庭園中央の白い石卓。

 そこへ並ぶ、小さな輪菓子達。

 星型、花型、半月型、それぞれ違う形をしている。

 しかし、真ん中に置かれた“ド”の輪だけは、綺麗な円だった。

 ――本来なら。

 今は、その一部が欠けている。


「……あ」

 小さな声に視線を落とすと、石卓の陰で何かが動いた。

 透き通る羽、雪みたいな銀髪の小指ほどの妖精だったが、妖精はこちらと目が合った瞬間、小さく身を竦める。

「おい」

 カイルが目を丸くした。

「今、喋ったか?」

 フローレンス姫も息を呑む。

「……そんな」

 かすかな驚き。

「妖精は、人と滅多に言葉を交わさないのに」

 妖精は怯えるみたいに花弁の陰へ隠れかける。

 けれど、ディオンを見上げたまま、小さく震えていた。

「……おこらないの?」

 けれど、その表情はどこか怯えている。

 俺は首を横へ振る。

「違う」

 妖精は、少しだけ目を丸くした。

「お前は、どうしたい」


 氷色のフクシアが、寂しそうに揺れる。

 ……ドォン。

 濁った音に、妖精は欠けた輪を抱き締めた。

「……歌いたい」

 小さな声。

「みんなと、ちゃんと歌いたい」


 その時だった。

 リネが、石卓の下へ視線を落とす。

「……ディオン」


 リネが雪を払ったその下には、白い石畳へ絡みつくように、紫色の蔓が広がっていた。

 歪んだ時計草。

 放射状に開く花糸が、脈打つみたいに揺れている。

 カチ……カチ。 

 花弁が開くたび、フクシアの鈴音が、微かに濁った。

 フローレンス姫が、小さく息を呑む。

「……やっぱり」

 そして、欠けた“ド”の輪へ視線を向けた。


「なら、作り直しましょう」

 カイルが顔を上げる。

「は?」

「“ド”の輪を」

 姫は、どこか真剣な目をしていた。

「始まりの輪なのでしょう?」


 夜風が吹き、妖精の氷色の髪が揺れる。

「だったら、もう一度作ればいいわ」

 リネが、小さく息を吐いた。

「……なるほどな」

 白炎が、静かに灯る。

「火は使える」

「水ならその辺にいくらでもあるぞ」

 カイルが雪解け水を指差した。

「力仕事もやってやる」

「雑にするなよ」

「しねぇよ!」

 フローレンス姫が、欠けた輪へそっと触れる。

「妖精の輪菓子は、ソラーナで春を迎える時に必ず作るものなのです」

 姫は、銀色に淡く光る粉蜜をスプーンですくった。

「これは、“鈴粉蜜”」

「夜鈴蝶という蝶が、月夜の花から集める蜜ですわ」

 月明かりを受け、蜜粉がきらきらと輝く。

「妖精達は、自分の音を宿した輪しか食べられないのです」

「“レ”の子には“レ”の輪」

「“ミ”の子には“ミ”の輪」

 姫は、欠けた“ド”の輪へ視線を落とした。

「そして、“ド”の子には“ド”の輪だけ」


 妖精達は小さく呟く。

「だから、誰も代わってあげられないの」

「“ド”の輪は、“ド”の子しか食べられないから」

「……なら、作るしかねぇな」

 カイルが袖を捲る。

 その横で、侍女達が少し離れた場所から息を呑んでいた。

「ひ、姫様が……」

「ご自身で生地を……!」

「しかも、殿方と一緒に……!」

 フローレンス姫は気にした様子もなく、生地へ雪解け水を注ぐ。

「カイル、それでは少し強すぎます」

「え?」

「生地が怒ってしまいますわ」

「生地って怒るのか?」

「怒ります」

 真顔だった。

 カイルが困惑した顔で生地を見る、その様子が少し可笑しくて、フローレンス姫は小さく笑った。

 リネが火加減を調整する。

 白炎が、静かに生地を温めていった。

 鈴粉蜜、雪解け水、春待ち花の花弁。

 俺は、生地を整えながら小さく目を細める。

 薬草学の調合と似ている。

 やがて、小さな円形の生地が焼き上がった。

 けれど、完全な輪にはしなかった。

 ディオンは静かにナイフを取り、“ド”の輪と同じ欠け方になるよう切り取る。

 欠けた輪、そして、新しく作った欠片。

 まるで、失われた音を埋めるみたいだった。

「……ぴったり」

 フローレンス姫が、小さく息を呑む。


 俺は何も言わず、欠けた部分へ静かに嵌め込んだ。

 その瞬間、カチ、石卓の下の歪んだ時計草が、小さく脈打つ。


 花弁の陰から、“ド”の妖精が恐る恐る顔を覗かせた。

「……たべても、いいの」

 ディオンは静かに頷く。

「お前の輪だ」

 小さな妖精は、震える手で輪を抱える。

 それから、ドの妖精はそっと、一口齧った。

 風が吹く。

 ……ド。

 小さな音。

 けれど今度は濁らなかった。

 氷色のフクシア達が、一斉に鈴を鳴らす。

 リン……。

 ティン……。

 リン……。

 重なった音は、夜空へ還っていくように溶けていく。

 “ド”の妖精は、目を丸くすると、泣きそうに笑った。


「……うたえた!」


 その瞬間、白い石卓の下で脈打っていた時計草が、ゆっくり萎れていく。

 紫色の花弁が閉じ、絡みついていた蔓も、静かに色を失っていった。

 カチ……。

 やがて、秒針が止まると、透明なネズミ達も小さく鳴きながら雪みたいな光へ変わっていく。

 キィ……。

 どこか安心したみたいな声。

 時喰いのネズミは、夜風へ溶けるように消えていった。


 しかし、時計草だけは、完全には消えなかった。

 石畳の隙には、萎れた紫の花が、ひっそり残っている。

 ディオンは静かにしゃがみ込む。

 そっと指先で、その花弁へ触れた。

 冷たい、けれどもう、あの嫌な脈動は感じない。


 春に向かう風が吹くと、氷色のフクシア達が、鈴みたいに揺れた。


 ディオンが、フクシアの音を聞きながら、静かに口を開いた。


「――あるべき音へ」


 萎れた時計草が、淡く光を帯び、紫色の花弁が、きらきらと雪みたいな粒へ変わっていく。

 さら……さら……。夜風へ舞い上がった光は、そのまま静かに消えていった。


 あとには、白い石畳と、雪解け水だけが残る。

 そして、今度の“ド”は、ちゃんと、皆と重なっていた。

 ()、レ、ミ、ファ、ソ、ラ、シ、()


 氷色のフクシア達は、夜風へ優しく揺れている。

 その音は、まるで雪解けを祝う小さな夜想曲だった。

 始まりであり、終わりを還す音。

 巡りの最初の一音。


 雪庭で響く鈴音へ、三人とフローレンス姫は静かに耳を傾ける。


 やがて夜風が吹き抜けると、フクシア達は、どこか嬉しそうに揺れていた。

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