第23話 「静かなる宣言」
他国の皇太子殿下、そして王女来訪が近づき、王都はまるで祭り前のような騒ぎに包まれていた。
城下ではすでに露店の準備が始まり、通りには色鮮やかな布や花が飾られている。
王族を一目見ようと、人々は浮き足立っていた。
当然、その熱気は王宮にも及ぶ。
侍女達は慌ただしく行き交い、外交官達は夜遅くまで書類を抱えていた。
さらに今回は、隣国の皇太子と王女という重要な客人だ。警護体制も通常以上に強化されることとなり、騎士学院からも上位成績者が数名、補助任務として派遣されることになった。
その打ち合わせのため、ディオンは王宮へ来ていた。
慣れない場所ではない。
以前、近衛騎士団の訓練へ参加したこともある。
何度か手伝いをしているうちに、騎士達とも自然に顔見知りになっていた。
「よぉ、ディオン」
低い声が飛び、振り返ると、近衛騎士団長のクレイ·グランドが腕を組んで立っていた。
「団長」
「相変わらず無愛想だな」
「普通です」
「普通のやつはもっと愛想がある」
呆れたように笑いながら、クレイは椅子へ腰掛ける。
ディオンも向かいへ座った。
窓の外では、柔らかな夕陽が庭園を金色に染め始めている。
クレイ・グランド近衛騎士団長は椅子へ深く腰掛けたまま、腕を組んでディオンを見ていた。
「ずっと気になっていたんだが……」
低い声が落ちる。
「星降りの祭典で、お前は何をした」
ディオンは少し黙る。思い浮かんだのは、風の竜、歪む光、崩れそうだった流れだった。
止めなければと思った瞬間、自然に言葉が出た。
「……分かりません」
「分からんでやったのか?」
「気づいたら、口にしてました」
クレイが深く息を吐く。
「お前、詠唱しなくてもいいんじゃないのか?」
ディオンは静かに目を伏せた。
(確かに、普段は必要ない、意識しなくても、魔術は発動する)
だからこそ、自分でも不思議だった。
「……父が」
ぽつり、と言葉が落ちる。
「小さい頃、言ってた気がします」
「ロランが?」
「全部は覚えてません」
(断片だけだ……夜の書庫、低い声、意味も分からず聞いていた言葉)
ディオンは少し考えてから、静かに続ける。
「多分……言いたいことを、そのまま言ったんだと思います」
沈黙がおちた、その瞬間だった。
――バン!!
勢いよく扉が開き、空気が震えた。振り返ると、そこに立っていたのは、ロランだった。
息を切らして珍しく、余裕がない父の姿。
そして、
ディオンを見る目だけが、凍りついたみたいに揺れていた。
「……今、なんと言った」
静かな声だった。
けれど、部屋の空気が一瞬で張り詰める。
ディオンは思わず息を止めた。
父が怒鳴った訳ではない。だが、ロランが本気で感情を動かした時の空気を、ディオンは知っている。
幼い頃からずっと。だから自然と身体が強張った。
その時だった。
「ロラン、落ち着け」
クレイの低い声が割って入り、ディオンが目を瞬かせる。クレイは呆れたように腕を組んだままロランを見ていた。
まるで、昔からこういうやり取りを何度もしてきたみたいに。
「ディオンはもう子どもじゃない。成長してる」
ロランが僅かに眉を寄せると、クレイは小さく肩を竦めた。
「顔が怖い。お前、昔から息子絡むと余裕なくなるぞ」
空気が止まる。
ディオンは無意識にクレイを見た。
(今、この人は、なんと言った?)
ロランは小さく息を吐き、額へ手を当てる。
「……お前は黙っていろ」
「そいつは無理だな」
クレイは即答した。その声音に遠慮がない。近衛騎士団長が、父へ……しかもロランも、本気で怒っていない。
ディオンは僅かに目を見開いた。
(知らなかった。父に、こんな風に話す相手がいることを)
クレイはそんなディオンの視線に気づいたのか、小さく笑う。
「なんだその顔?」
「……父と知り合いだったんですか」
数秒あいて、部屋が静かになる。
次の瞬間、クレイが吹き出した。
「お前、今さらか」
ロランは深くため息を吐く。
「昔、少しな」
「少しどころじゃないだろ」
クレイは呆れたように言う。
「俺がどれだけお前の無茶に付き合わされたと――」
「その話はしなくていい」
珍しくロランが即座に遮った。クレイがにやりと笑う。
その時、廊下の向こうから慌てた声が響いた。
「ロラン様!」
若い騎士が扉の前で一礼する。
「王妃様がお呼びです」
ロランは小さく目を伏せた。
「……分かった」
そう答えてから、ディオンへ視線を向ける。ほんの僅か、言葉を選ぶような間があった。
「来い」
短い言葉だった。
クレイが「お、珍しいな」と小さく笑う。
ロランはそれを無視し、先に歩き出した。
ディオンは少しだけ迷ったあと、その背を追う。
*****
王宮の回廊は静かだった。
窓の外では、夕暮れの風が庭木を揺らしている。
しばらく無言が続いたあと、不意にロランが口を開く。
「あの言葉は、本来……魔術を動かすためのものじゃない」
低い声が落ちる。
「還命は、命を巡らせる魔術だ」
ディオンの足が僅かに止まる。
「……還命?」
ロランも足を止めた。ディオンは静かに父を見る。
「それが、俺の魔術の名前か」
ロランは答えなかった。
まるで、いつか来ると分かっていた瞬間へ辿り着いてしまったみたいに。
やがて、小さく息を吐く。
「……教えていなかったか」
「聞いてない」
淡々とした返事だった。ロランは少しだけ目を伏せる。
「還命は、理に触れる魔術だ。命を巡らせ、還す。……本来、人が軽々しく扱っていい力じゃない」
静かな声だった。
「詠唱は、“何を還し、誰がその理を引き受けるか”を世界へ定める言葉だ」
ディオンは黙って聞いていた。
(星降りの祭典……あの時、自分はただ止めなければと思った)
だが、
「……言わないと駄目な気がした」
ぽつり、と零す。ロランの瞳がわずかに揺れる。
その感覚を、ロランは知っていた。
理へ触れた者だけが感じる感覚……逃れられない巡り。
ロランは小さく目を伏せる。
「お前が小さい頃だ」
静かな声だった。
「私は、お前が寝ていると思っていた」
夜の書庫、古い文献、まだ幼かったディオン。
ロランは、フェルマの残した記録を読んでいた。
『還命の理』
王家だけに伝わる言葉。
「まさか、聞いていたとは思わなかった」
ロランは静かに続ける。
「あの言葉を口にするのは、本来――覚悟を決めた者だけだ」
部屋が静まる。ディオンは何も言わない。言えなかった。
ロランはそんな息子を見ながら、小さく笑う。
どこか困ったような笑みだった。
「……お前は、本当に私の想定を超えていくな」
やがて二人は、王妃の私室へ続く回廊へ辿り着く。
そこには既に近衛騎士達が立っていた。
王妃の居室近くだ。
騎士学院の生徒が踏み込める場所ではない。ロランは足を止め、ディオンへ視線を向けた。
ほんの僅か、言葉を選ぶような間がある。
「顔色が悪い」
ディオンが目を瞬かせる。
ロランは静かなまま続けた。
「無理はするな。……眠れているか?」
それは低い声だったが、厳しい訳でもない。
けれど、不器用なくらい真面目な声音だ。
ディオンは少し黙ってから、小さく頷く。
「……大丈夫」
するとロランは僅かに眉を寄せた。
多分、“大丈夫”ではないと分かっている顔だった。
けれど、それ以上は聞かない。
「……そうか」
静かな返事だけ残して、ロランは踵を返す。
近衛騎士が扉を開く。
ロランの姿は、その奥へ静かに消えていった。
*****
「王妃様、お呼びでしょうか」
ロランは胸へ右手を当て、頭を垂れる。
王妃は柔らかく微笑みながら、軽く手を振った。
「そんなに畏まらなくていいわ、ロラン」
陽だまりみたいな声だった。
けれど王妃付き騎士として長く仕えてきたロランは、静かに頭を垂れたまま動かない。
王妃は少し困ったように笑う。
「……相変わらず真面目ね」
窓辺には、色鮮やかな布地や花の見本が並べられていた。
来訪を控えた隣国王女を迎えるための準備だろう。
王妃はその中の深紅のリボンへ視線を落とし、どこか嬉しそうに口を開く。
「フローレンス姫のことよ」
ロランが静かに顔を上げる。
「以前お会いした時は、まだ小さな子だったけれど……もう立派な王女になっているのでしょうね」
懐かしむような声音だった。
「エリアスとも年が近かったでしょう? 覚えているかしら。庭園で姫が薔薇を抱えて転びそうになっていたの」
ロランは少し考え、
「……エリアス殿下が先に駆け寄られました」
と静かに答える。
王妃は楽しそうに笑った。
「ええ、そうだったわ。でも、姫は自分より薔薇の心配をしていたわね」
それから、ふと思い出したようにロランを見る。
「ねえ、ロラン。あの子、甘い物は好きだったかしら? お茶は? 寒い地方の子だから、こちらの花は珍しいわよね」
質問は次々飛ぶ。完全に外交の話ではない。
ロランは小さく瞬きをしたあと、静かに答えた。
「恐れ入りますが、侍女の方が詳しいかと」
王妃は「あら、そうね」と笑う。
けれどその表情はどこか楽しそうだった。
息子しかいない王妃にとって、フローレンス姫は少し特別なのかもしれない。
やがて王妃はふっと微笑みを薄くした。
けれど、
何故かその声音には、妙な確信があった。
「王宮へ迎えた時点で、あの方々は“客人”ではありません」
風が静かにカーテンを揺らす。
「……我が国が預かる命よ」
静かな言葉だった。
ロランは胸へ手を当てたまま、深く頭を垂れる。
「御意」
その瞬間、ロランの脳裏へ幾つかの顔が浮かぶ。
ディオン、カイル、リネ。
今回、騎士学院から警護補助へ入る生徒達。
まだ若いが、実力は十分ある。
――だからこそ。
ロランは静かに目を伏せた。あの子達は、きっと無茶をする。特にディオンは……
星降りの祭典の時みたいに、何も言わず危険へ踏み込む。カイルは考えるより先に動く。
リネは、それを止めながら結局一緒に飛び込む。
容易に想像できた。
王妃はそんなロランを見て、ふっと小さく笑う。
「心配?」
ロランは少しだけ沈黙したあと、静かに答えた。
「……まだ未熟ですので」
王妃は優しく目を細めた。
「貴方も昔、同じことを言われていたわね」
ロランが僅かに言葉を詰まらせる。
その反応が少し可笑しかったのか、王妃は小さく笑った。
「大丈夫よ、ロラン」
穏やかな声だった。




