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還命の魔術師 -失った王子の記憶  作者: 白澄 灯
第二章 「学院生活」
23/25

第23話 「静かなる宣言」

 他国の皇太子殿下、そして王女来訪が近づき、王都はまるで祭り前のような騒ぎに包まれていた。


 城下ではすでに露店の準備が始まり、通りには色鮮やかな布や花が飾られている。

王族を一目見ようと、人々は浮き足立っていた。

当然、その熱気は王宮にも及ぶ。

侍女達は慌ただしく行き交い、外交官達は夜遅くまで書類を抱えていた。


 さらに今回は、隣国の皇太子と王女という重要な客人だ。警護体制も通常以上に強化されることとなり、騎士学院からも上位成績者が数名、補助任務として派遣されることになった。

その打ち合わせのため、ディオンは王宮へ来ていた。

慣れない場所ではない。

以前、近衛騎士団の訓練へ参加したこともある。

何度か手伝いをしているうちに、騎士達とも自然に顔見知りになっていた。

「よぉ、ディオン」

低い声が飛び、振り返ると、近衛騎士団長のクレイ·グランドが腕を組んで立っていた。

「団長」

「相変わらず無愛想だな」

「普通です」

「普通のやつはもっと愛想がある」

呆れたように笑いながら、クレイは椅子へ腰掛ける。

ディオンも向かいへ座った。


 窓の外では、柔らかな夕陽が庭園を金色に染め始めている。

クレイ・グランド近衛騎士団長は椅子へ深く腰掛けたまま、腕を組んでディオンを見ていた。

「ずっと気になっていたんだが……」

低い声が落ちる。

「星降りの祭典で、お前は何をした」

ディオンは少し黙る。思い浮かんだのは、風の竜、歪む光、崩れそうだった流れだった。

止めなければと思った瞬間、自然に言葉が出た。


「……分かりません」

「分からんでやったのか?」

「気づいたら、口にしてました」

クレイが深く息を吐く。

「お前、詠唱しなくてもいいんじゃないのか?」

ディオンは静かに目を伏せた。

(確かに、普段は必要ない、意識しなくても、魔術は発動する)

だからこそ、自分でも不思議だった。

「……父が」

ぽつり、と言葉が落ちる。

「小さい頃、言ってた気がします」

「ロランが?」

「全部は覚えてません」

(断片だけだ……夜の書庫、低い声、意味も分からず聞いていた言葉)

ディオンは少し考えてから、静かに続ける。

「多分……言いたいことを、そのまま言ったんだと思います」


 沈黙がおちた、その瞬間だった。

――バン!!

勢いよく扉が開き、空気が震えた。振り返ると、そこに立っていたのは、ロランだった。

息を切らして珍しく、余裕がない父の姿。

そして、

ディオンを見る目だけが、凍りついたみたいに揺れていた。

「……今、なんと言った」

静かな声だった。

けれど、部屋の空気が一瞬で張り詰める。

ディオンは思わず息を止めた。

父が怒鳴った訳ではない。だが、ロランが本気で感情を動かした時の空気を、ディオンは知っている。

幼い頃からずっと。だから自然と身体が強張った。


 その時だった。

「ロラン、落ち着け」

クレイの低い声が割って入り、ディオンが目を瞬かせる。クレイは呆れたように腕を組んだままロランを見ていた。

まるで、昔からこういうやり取りを何度もしてきたみたいに。

「ディオンはもう子どもじゃない。成長してる」

ロランが僅かに眉を寄せると、クレイは小さく肩を竦めた。

「顔が怖い。お前、昔から息子絡むと余裕なくなるぞ」

空気が止まる。

ディオンは無意識にクレイを見た。

(今、この人は、なんと言った?)

ロランは小さく息を吐き、額へ手を当てる。

「……お前は黙っていろ」

「そいつは無理だな」

クレイは即答した。その声音に遠慮がない。近衛騎士団長が、父へ……しかもロランも、本気で怒っていない。

ディオンは僅かに目を見開いた。

(知らなかった。父に、こんな風に話す相手がいることを)

クレイはそんなディオンの視線に気づいたのか、小さく笑う。

「なんだその顔?」

「……父と知り合いだったんですか」

数秒あいて、部屋が静かになる。


 次の瞬間、クレイが吹き出した。

「お前、今さらか」

ロランは深くため息を吐く。

「昔、少しな」

「少しどころじゃないだろ」

クレイは呆れたように言う。

「俺がどれだけお前の無茶に付き合わされたと――」

「その話はしなくていい」

珍しくロランが即座に遮った。クレイがにやりと笑う。


 その時、廊下の向こうから慌てた声が響いた。

「ロラン様!」

若い騎士が扉の前で一礼する。

「王妃様がお呼びです」

ロランは小さく目を伏せた。

「……分かった」

そう答えてから、ディオンへ視線を向ける。ほんの僅か、言葉を選ぶような間があった。

「来い」

短い言葉だった。

クレイが「お、珍しいな」と小さく笑う。

ロランはそれを無視し、先に歩き出した。

ディオンは少しだけ迷ったあと、その背を追う。


*****


 王宮の回廊は静かだった。

窓の外では、夕暮れの風が庭木を揺らしている。

しばらく無言が続いたあと、不意にロランが口を開く。

「あの言葉は、本来……魔術を動かすためのものじゃない」

低い声が落ちる。

「還命は、命を巡らせる魔術だ」

ディオンの足が僅かに止まる。

「……還命?」

ロランも足を止めた。ディオンは静かに父を見る。

「それが、俺の魔術の名前か」


 ロランは答えなかった。

まるで、いつか来ると分かっていた瞬間へ辿り着いてしまったみたいに。

やがて、小さく息を吐く。

「……教えていなかったか」

「聞いてない」

淡々とした返事だった。ロランは少しだけ目を伏せる。

「還命は、理に触れる魔術だ。命を巡らせ、還す。……本来、人が軽々しく扱っていい力じゃない」

静かな声だった。

「詠唱は、“何を還し、誰がその理を引き受けるか”を世界へ定める言葉だ」

ディオンは黙って聞いていた。

(星降りの祭典……あの時、自分はただ止めなければと思った)

だが、

「……言わないと駄目な気がした」

ぽつり、と零す。ロランの瞳がわずかに揺れる。

その感覚を、ロランは知っていた。

理へ触れた者だけが感じる感覚……逃れられない巡り。


 ロランは小さく目を伏せる。

「お前が小さい頃だ」

静かな声だった。

「私は、お前が寝ていると思っていた」

夜の書庫、古い文献、まだ幼かったディオン。

ロランは、フェルマの残した記録を読んでいた。

『還命の理』

王家だけに伝わる言葉。

「まさか、聞いていたとは思わなかった」

ロランは静かに続ける。

「あの言葉を口にするのは、本来――覚悟を決めた者だけだ」

部屋が静まる。ディオンは何も言わない。言えなかった。

ロランはそんな息子を見ながら、小さく笑う。

どこか困ったような笑みだった。

「……お前は、本当に私の想定を超えていくな」


 やがて二人は、王妃の私室へ続く回廊へ辿り着く。

そこには既に近衛騎士達が立っていた。

王妃の居室近くだ。

騎士学院の生徒が踏み込める場所ではない。ロランは足を止め、ディオンへ視線を向けた。

ほんの僅か、言葉を選ぶような間がある。

「顔色が悪い」

ディオンが目を瞬かせる。

ロランは静かなまま続けた。

「無理はするな。……眠れているか?」

それは低い声だったが、厳しい訳でもない。

けれど、不器用なくらい真面目な声音だ。

ディオンは少し黙ってから、小さく頷く。

「……大丈夫」

するとロランは僅かに眉を寄せた。

多分、“大丈夫”ではないと分かっている顔だった。

けれど、それ以上は聞かない。

「……そうか」

静かな返事だけ残して、ロランは踵を返す。

近衛騎士が扉を開く。

ロランの姿は、その奥へ静かに消えていった。



*****

 

「王妃様、お呼びでしょうか」

ロランは胸へ右手を当て、頭を垂れる。

王妃は柔らかく微笑みながら、軽く手を振った。

「そんなに畏まらなくていいわ、ロラン」

陽だまりみたいな声だった。

けれど王妃付き騎士として長く仕えてきたロランは、静かに頭を垂れたまま動かない。

王妃は少し困ったように笑う。

「……相変わらず真面目ね」

窓辺には、色鮮やかな布地や花の見本が並べられていた。

来訪を控えた隣国王女を迎えるための準備だろう。

王妃はその中の深紅のリボンへ視線を落とし、どこか嬉しそうに口を開く。

「フローレンス姫のことよ」

ロランが静かに顔を上げる。

「以前お会いした時は、まだ小さな子だったけれど……もう立派な王女になっているのでしょうね」

懐かしむような声音だった。

「エリアスとも年が近かったでしょう? 覚えているかしら。庭園で姫が薔薇を抱えて転びそうになっていたの」

ロランは少し考え、

「……エリアス殿下が先に駆け寄られました」

と静かに答える。

王妃は楽しそうに笑った。

「ええ、そうだったわ。でも、姫は自分より薔薇の心配をしていたわね」

それから、ふと思い出したようにロランを見る。

「ねえ、ロラン。あの子、甘い物は好きだったかしら? お茶は? 寒い地方の子だから、こちらの花は珍しいわよね」

質問は次々飛ぶ。完全に外交の話ではない。

ロランは小さく瞬きをしたあと、静かに答えた。

「恐れ入りますが、侍女の方が詳しいかと」

王妃は「あら、そうね」と笑う。

けれどその表情はどこか楽しそうだった。

息子しかいない王妃にとって、フローレンス姫は少し特別なのかもしれない。

やがて王妃はふっと微笑みを薄くした。

けれど、

何故かその声音には、妙な確信があった。

「王宮へ迎えた時点で、あの方々は“客人”ではありません」

風が静かにカーテンを揺らす。

「……我が国が預かる命よ」

静かな言葉だった。

ロランは胸へ手を当てたまま、深く頭を垂れる。

「御意」

その瞬間、ロランの脳裏へ幾つかの顔が浮かぶ。

ディオン、カイル、リネ。

今回、騎士学院から警護補助へ入る生徒達。

まだ若いが、実力は十分ある。

――だからこそ。

ロランは静かに目を伏せた。あの子達は、きっと無茶をする。特にディオンは……

星降りの祭典の時みたいに、何も言わず危険へ踏み込む。カイルは考えるより先に動く。

リネは、それを止めながら結局一緒に飛び込む。

容易に想像できた。

王妃はそんなロランを見て、ふっと小さく笑う。

「心配?」

ロランは少しだけ沈黙したあと、静かに答えた。

「……まだ未熟ですので」

王妃は優しく目を細めた。

「貴方も昔、同じことを言われていたわね」

ロランが僅かに言葉を詰まらせる。

その反応が少し可笑しかったのか、王妃は小さく笑った。

「大丈夫よ、ロラン」


穏やかな声だった。




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