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還命の魔術師 -失った王子の記憶  作者: 白澄 灯
第二章 「学院生活」
22/26

第22話 「春を待つ白」

 石畳を踏む音だけが、静かな墓地に響いていた。

朝靄はまだ薄く残り、白い墓標の輪郭をぼやけさせている。

風が吹くたび、木々がかすかに揺れた。頬に触れる風は、冬の冷たさをわずかに残しながらも、どこか柔らかい。


 俺は墓前へ鈴蘭の花束を置き、小さく息を吐く。

石碑には『オリヴィア·リュミエール』と刻まれている。

白い花は(うつむ)くように咲いていた。

まるで、音を隠しているみたいだと思う。

鈴の形をしているのに、鳴らない花。

それでも風に揺れるたび、どこか遠くで小さな音がした気がした。

(母さん……騎士学院に入った。友人もできたよ……。)


「……鈴蘭か」


ふと、背後から声が落ちる。

振り返ると、スノードロップの花束を抱えたリネが立っていた。

スノードロップが朝の光を受け、淡く揺れている。

「リネ」

「……ディオンか」

リネは俺の持つ鈴蘭へ視線を落としたあと、墓標へ目を向ける。

「誰のだ?」

「母親」

短く答えると、リネはそれ以上聞かなかった。

代わりに、自分の抱えたスノードロップの花束を少し持ち直す。

「リネも……か」

「妹と似てる花なんだ」

「……妹?」

「ああ。リリィ」

初めて聞く名前だった。

だが、不思議と妙に納得する。真っ白なスノードロップを抱える姿が、どこかその名に似合っていた。


 リネはスノードロップに視線を落とし、静かに話す。

「双子の妹だよ。病で亡くなった」

静かな声だった。

双子と聞き、自然とリネとよく似た姿を想像する。

理知的で、隙のない――そんな印象しか浮かばない。

顔に出ていたのだろうか、リネは小さく息を吐いた。

「俺とは似てないよ。のんびりした子だ」

その言い方が、少しだけ優しかった。

しばらくスノードロップを見つめていたリネが、小さく息を吐く。


「……実感、沸かなかったんだ」

ぽつりと落ちた声は、いつもより低い。

「俺より、父の方がひどい状態だった」

風が吹く。

雪のようなスノードロップが揺れ、リネは目を伏せた。

「父は、ずっと妹の傍から離れなかった」

その名を聞いた瞬間、脳裏に浮かぶ。

今よりずっと若い、フェルマの姿が。


◇◇◇◇◇

 数年前……

 

 白いカーテンが、春の風にわずかに揺れていた。

窓辺に置かれた花瓶には、小さなスノードロップが数本。

その向こうで、リリィがベッドの上から不満そうに頬を膨らませる。

「お父さま、また薬増やしたでしょう」

「減らしたら怒るくせに」

「だって苦いもの」

フェルマは呆れたように息を吐きながら、小瓶を机へ置いた。今よりずっと若い。

けれど目元には、既に深い疲労が滲んでいる。

「苦くても飲みなさい。お前はすぐ誤魔化そうとする」

「お兄さまは、飲まなくても平気なのに」

「リネは健康だからな」

「ずるい」

拗ねた声に、フェルマは小さく笑った。

その笑みは、今の彼よりずっと柔らかい。

リリィは少しだけ身体を起こし、窓の外へ目を向ける。

「……春ですね」

「ああ」

「外、行きたいなぁ」

その言葉に、フェルマの手が止まる。

ほんの一瞬だった。

けれど、確かに、リリィはそれに気づいていたのか、小さく笑う。

「そんな顔しないでください」

「していない」

「してます。お父さま、すぐ分かりやすい顔するから」

「……誰に似たんだか」

「お父さまですよ」

くすくすと笑う声が、静かな部屋へ落ちる。

窓の外では、風に揺れた木々が、柔らかな音を立てていた。

*****

 

 刻一刻と時は過ぎていく。翌年の春……。

薄い陽が差し込む病室で、リリィはいつものように笑っていた。

「お父さま、そんな顔してると患者に嫌われますよ」

「誰のせいだと思ってる」

「私ですねぇ」

くすくすと笑いながら、リリィは薬を受け取る。

細い指先だった。

少し前より、明らかに痩せている。

それでもフェルマの前では、なるべく明るく振る舞っていた。

「今日はちゃんと飲みます」

「……本当か?」

「本当です。だからそんな怖い顔しないでください」

薄い陽が差し込む病室で、リリィはいつものように笑っていた。


 そこへ、静かに扉が開く。

「まあ。またリリィに負けているの?」

柔らかな声と共に入ってきたのは、淡い色のショールを羽織った女性だった。

リリィの母だ。

手には、小さな花束を抱えている。

「母さま」

「今日は鈴蘭を見つけたの。お部屋に飾りましょうね」

白い小花が、陽を受けて揺れる。

リリィは嬉しそうに目を細めた。

「かわいい……」

「でしょう?」

母親は花瓶へ鈴蘭を挿しながら、何気ない調子で言う。

「でも毒があるから、口には入れちゃ駄目よ」

「分かってます」

「お前は分かっていて妙なことをするからな」

フェルマが低く返すと、リリィは不満そうに頬を膨らませた。

「ひどいです」

「事実だ」

そのやり取りを見て、母親は小さく笑う。

病室には、一瞬だけ穏やかな空気が流れた。

まるで、本当に春が来たみたいに。


 けれどフェルマだけは、鈴蘭へ向けた視線をすぐ逸らした。

その横顔を見て、リリィはほんの少しだけ笑みを弱める。フェルマは答えない。

代わりに、乱れた毛布を静かに直す。その手つきは丁寧だった。

まるで、少し力を入れるだけで壊れてしまうものに触れるみたいに。リリィはその横顔を見上げ、ふっと目を細める。

「お父さま」

「なんだ」

「春になったら、お庭に出たいです」

返事はすぐには返ってこなかった。

フェルマはただ、薬瓶を握る指先に僅かに力を込める。

「……ああ」

やがて落ちた声は、掠れていた。

リリィは、それ以上何も言わずに笑った。

父の前では、笑っていたかった。

けれど、

部屋を出るフェルマと入れ替わるように、リネが入ってくると、その笑顔が少しだけ崩れる。

「……また無理してる」

「してないよ」

「してる」

リネは眉を寄せたまま、ベッド脇へ腰掛ける。

リリィは少し困ったように笑ってから、ぽつりと呟いた。

「ねぇ、リネ」

「なんだ」

「私、来年の春までいけるかな」

その声は小さい。

フェルマの前では決して零さない、弱い声だった。


*****

 

 薄い呼吸音だけが、静かな病室に残っていた。

窓の外では、雪混じりだった景色が少しずつ色を失い始めている。

春は、もう近かった。

ベッド脇に座るフェルマは、ずっとリリィの手を握っていた。

細い。

あまりにも、軽い。

その隣では、母親が震える指先を必死に組み合わせている。泣き声を堪えるみたいに、何度も唇を噛んでいた。


「……お父さま」

掠れた声が落ち、フェルマはすぐに顔を上げた。

「ここにいる」

「知ってます」

リリィは小さく笑う。

昔みたいに、柔らかく。

けれどその笑顔は、息をするだけでも崩れてしまいそうだった。

「お庭、行けませんでしたね」

「行ける」

フェルマは即座に返す。

「春になれば、お前は――」

言葉が止まった。

薬草も、術式も、祈りも、試せるものは全て試した。

それでも、命は少しずつ零れ落ちていく。

止められない。

リリィはそんな父を見つめ、そっと目を細めた。

「お父さま」

「……喋るな」

「最後くらい、言わせてください」

フェルマの指先が震える。だが、決して離さない。

離せなかった。

リリィは小さく息を吸った。

「私、お父さまの子で、幸せでした」

その瞬間、フェルマの呼吸が止まる。

「だから、そんな顔しないで」

弱い声だった。

けれど、精一杯笑っていた。いつものように、

父を安心させるために。

それから、ゆっくり視線を隣へ向ける。

「……母さま」

名前を呼ばれた途端、母親の肩が震えた。

「っ、なあに……?」

声が、もう泣いている。

リリィは少し困ったみたいに笑った。

「泣かないでください」

「無理よ……そんなの……」

堪えきれず零れた涙が、リリィの手へ落ちる。

リリィは弱々しく指を動かし、母親の手にそっと触れた。

「鈴蘭、綺麗でした」

春になったら、お庭に出たい。

そう言っていた日のことを思い出しているのだろう。

「また、一緒に見たかったなぁ」

母親は何も言えなかった。

ただ、何度も頷く。

その姿を見て、リリィは安心したように目を細めた。


 それから、ゆっくりとリネを見る。

「リネ」

「……なんだ」

「ちゃんと食べてね」

「お兄さまのオムライス、美味しいよ」

小さく笑う。

掠れた声なのに、不思議といつもの調子だった。

リネは俯いたまま、何も答えない。

「……ああ」

窓辺のスノードロップが、風に揺れる。

白い、小さな花。

春を待つ花。

リリィの指先が、僅かにフェルマの手を握り返した。

「お父さま」

呼ばれる。

幼い頃から、何度も呼ばれた声だった。

「――だいすきです」

小さく。

本当に小さく。


 それきり、呼吸音が途切れた。

室内に静寂が落ちる。

フェルマは動かなかった。

握った手を離さないまま、ただそこにいる。

理解を拒むみたいに。


 春の風が、窓を揺らした。

スノードロップが、静かに咲いていた。

それでも。

もう、届かなかった。


◇◇◇◇◇


「スノードロップは、希望の花らしい」    


「……希望、か」

俺はその言葉を、心の中で反芻(はんすう)する。還ることと、再び芽吹くことは似ている。

根は土へ還り、季節が環れば、また芽吹く。


 リネが鈴蘭へ視線を落とす。

「鈴蘭は、“再び幸せが訪れる”だったな」

「詳しいんだな」

「薬学で少し、な」

実際は、それだけじゃない。鈴蘭には毒がある。

可憐な花ほど、気をつけなければならない。

父のフェルマなら、きっとそう言う。

春風が吹くと鈴蘭が揺れ、スノードロップが揺れ、木々が揺れた。

音はしない。


「……誰かが笑った気がした」


ぽつりと零した言葉に、リネがわずかに目を細める。

いつもより少しだけ柔らかな気がする。


◇◇◇◇◇


 還したくない。まだ、やれる。繋ぎ止めたい。

その執着だけが、今も胸の奥に残り続けている。

フェルマは静かに窓辺へ歩み寄った。

王宮の高い窓から見える空は、どこまでも青い。

春が近い。

風に揺れる庭木の枝先には、小さな芽が覗いていた。

季節は環る。

命は還る。

そんな理など、嫌というほど知っている。

知っていて――なお。フェルマは目を閉じた。


 脳裏に浮かぶのは、白い病室と掠れた声。

『お父さま』

最後まで笑っていた、小さな娘。

窓辺に咲くスノードロップ。

握ったまま冷えていった、細い手。


「……私は」

掠れた声が零れた。王宮の静寂へ、溶けるように。


「私は、まだお前を還せない」

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