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還命の魔術師 -失った王子の記憶  作者: 白澄 灯
第二章 「学院生活」
21/30

第21話 「嗤う本」

 白い天井が視界に入る。

ぼんやりとした意識の中、最初に感じたのは紅茶の香りだった。微かに残る、落ち着いた匂い。

……どこか懐かしい。

 

 再び目を覚ました時には、白い陽射しが(だいだい)へと変わりかけていた。

ゆっくりと身体を起こそうとしたが、鈍い痛みが走り

顔をしかめた。どのくらい眠っていたのか。

長いこと身体を動かしていなかったせいか、思うように力が入らない……そう思っていると、ふいに聞きなれた声が飛んでくる。


「おい、無理すんな!」


 視線を向けると、カイルが椅子から立ち上がっていた。隣にはリネもいる。

二人とも、ひどい顔をしていた。

「……来てたのか」

掠れた声で言うと、カイルは眉を寄せた。たぶん怒らせた。

「“来てたのか”じゃねえよ」

怒っていることは、すぐ分かった。

「どれだけ騒ぎになったと思ってんだ」

押さえているのが、逆によく分かる。俺は少しだけ目を伏せる。

「……悪かった」

言い訳はしなかった。誤ったというのに、カイルはさらに顔をしかめた。

「そういうこと言ってんじゃねえ」

吐き捨てるみたいに言う。

「冬の湖に落ちて、数日意識不明とか笑えねぇんだよ」

リネが小さく息を吐いた。

「生きていたから良かったものを」

静かな声だ。だが、カイルとは別の怖さがあった。

「俺たちなりに調べた」

カイルが続ける。

「講義記録、警備、湖周辺、あの日動いてた学生」

「……学生?」

俺が聞き返すと、リネが頷いた。

「複数人いたらしい」

淡々としている。

「お前を襲った連中だ」

「だが――」

そこで不自然に言葉が止まり、リネがわずかに目を細めた。

「途中から、記録が不自然に消えていた」

「誰かが隠してる」

カイルが苛立ったように言う。

「湖の件も、ほとんど事故扱いだ」

「……」

俺は黙ったまま聞いていた。正直、驚きはない。あの時、縄で拘束され湖へ落とされた瞬間から、

ただの“事故”ではないと分かっていた。

「……それで?」

静かに聞く。

「結局、分かったのはそこまでだ」

カイルが舌打ちを飲み込む。……そこまで調べていたのか。不思議と、胸の奥が少しだけ温かくなった。

「それ以上は、全部止められた」

「王家か、学院かは知らねぇけどな」

リネは否定しない。


 窓の外で、風が鳴った。

「……そうか」

それだけ答える。カイルが眉を寄せた。

「お前、もっと何かねぇのかよ」

「怒るとかさ」

「怖かったとか」

「……別に」

自然と口から出た。

「……は?」

カイルは固まり、リネの視線が、静かにこちらへ向いた。俺は小さく息を吐いた。


「怒る隙がなかった」

口角をあげて、カイルへ視線を送る。

「ずっとカイルは怒ってたみたいだからな」

リネが、ふっと目を細める。

カイルは何とも言えない顔をしたあと、

「……茶化すな」

低く呟いた。


 さっきより、ほんの少しだけ力が抜けたと思う。

俺は、ぼんやりと窓を見る。揺れるカーテン。

胸の奥だけが、妙にざわついていた。

理由は、分からないままだった。


◇◇◇◇◇

 

 ここは図書塔。誰も近づかない一角だ。俺やリネの倍はあるだろう紙の束を前に、ディオンは固まっている。休んでいた分の課題は、当然のように山積みだった。

机に積まれた紙束を見て、ディオンは小さく息を吐く。

「……多いな」

「当たり前だ」

カイルが即答した。

「お前、一体どれだけ寝てたと思ってんだ」

「数日は意識不明だったからな」


 こいつ、さらっと言いやがる!普通そこはもっと気にするだろ。

リネは隣で淡々と本を開いていた。

相変わらず涼しい顔をしているが、机には同じように課題が積まれている。

「お前たちもか」

「通常課題だ」

リネが答える。

「お前とは量が違う」

「嫌味か?」

「事実だ」

「お前らなぁ……」

思わず顔をしかめる。

こんな状況でいつも通り言い合ってるのが、妙に腹立つ。……いや、少しだけ、安心した。


「お前らその辺にしろ。終わんねぇだろ」

俺はもう一度、紙束を見る。この分では進まない。周囲に迷惑をかけるし、ディオンは終わらないだろう。

……普通の図書室では無理そうだった。

「古い方、行くか」

その一言で二人の動きが少しだけ止まった。


*****


 古い図書室は、妙に静かだった。

新しい図書室と違い、人の気配がほとんどない。

床を歩く度、木が軋む。紙の匂い。差し込む陽射しも弱い。この感じ……ディオンのいる森の旧寮と少し似てる。

俺は今、たぶん露骨に顔をしかめている。

「暗ぇな……」

「古いからな」

リネは気にした様子はなく、平然と本棚を見上げていた。俺は課題用の本を探しながら、ゆっくり奥へ進む。


 その時だった。

――ククッ。

小さな笑い声が聞こえて、俺は足を止める。

「……?」

ディオンも眉を寄せた。

「お前ら、今聞こえたか?」

リネが顔を上げる。

「何がだ」

「……笑い声」


 リネは怪訝そうに周囲を見る。

「誰もいない」

だが、

――ク、ククッ……

また聞こえた。


 今度は、もっと奥の本棚の向こう側だ。

「……絶対誰かいるだろ」

ずかずかと歩き出す。

リネが止めるより早かった。

「おい、カイル」

「んなもん無視できるか」

笑い声は、逃げるように奥へ響く。

まるで、誘っているみたいに。

目の前の本棚へ、手をかけたその瞬間。真後ろで声がした。


『ようやく来たか』


(しゃが)れた声に、三人が同時に振り返る。

辺りには誰もいない。だが、

机の上には、一冊だけ本が置かれていた。

パラ……と、ページが勝手に開いた。


乾いた声に、俺は思わず眉を寄せる。

「……喋った?」

『耳まで悪いのか?』

「は?」

『その程度の知能で、ここへ来たのかと聞いている』

リネが静かに本を見る。

「タイトル (わら)う本」


 机の上に置かれた黒い本が、ひとりでにページをめくる。パラ……パラ……嫌な音だった。


「……なんだこれ」

『質問だ』

突然、本が喋った。

「うわ、ほんとに喋った」

『“うわ”とは失礼だな、この脳筋』

「誰が脳筋だ!」

『その反応速度。図星か』

「燃やすぞ」

『短気だな。だから馬鹿なのだ』

「お前さっきから——」


「カイル」


リネが静かに止める。

「乗せられるな」

『ほう』

ページが止まる。

『少しは頭の回るのもいるらしい』

たぶん、額には青筋が浮いているだろう。よく破らなかったと自分で思う。

「……で? 質問ってなんだよ」

本が、ゆっくりと開く。

『第一問』

空気が、変わった。

『根は何故、地上へ姿を見せぬ』

「は?」

『簡単だろう。まさか分からないのか?』

俺はとっさにリネを見る。

「おい、リネ」

「自分で答えろ」

「冷たくねぇ?」

『他力本願。実に愚かだ』

「うるせぇなこの本!」

リネが小さく息を吐いた。

「根は、命を巡らせるため地中へ広がる」

本が静かになる。数秒経っても何も起きない。


『知識だけで答えたな』

リネの眉がぴくりと動く。

『クククッ!』

乾いた嗤い声。

『だから秀才はつまらん』

「……合ってんのか?」

『第二問』

「反応しろよ!」

『褒美など必要か?』

「性格悪っ!」

(くそっ!落ち着け!相手はただの本!ただの紙!)


 パラ……ページがめくれる。

『継命において、最も重要なものは何だ』

空気が、僅かに止まる。リネの視線が細くなった。


「継命……?」

聞き慣れない単語だった。

リネが口を開きかけたその時、

「命、じゃないのか」

不意に、ディオンが言った。

二人の視線が本へと向けられた。本は静かになる。

ディオンは続けた。

「繋ぐこと……とか」


そして、

『……』

沈黙の後、本が閉じた。

(お?正解したのか!?)

「おい、これ合って——」

『ブブー!』

突然、本が叫んだ。

「うおっ!?」

『浅い! 浅はか! 実に薄い!』

『へっ』

見下すような嗤い声。

『だから素人は嫌いなのだ』

「てめぇぇぇ!!」

もう限界だ!この本め!俺は本を掴もうとする。

だが、本はひらりと浮いた。

『短絡的! 暴力的! 脳まで筋肉か!実に嘆かわしい』

「今すぐ閉じてやる!」

『できるものならやってみろ愚か者!』

『だから脳筋は嫌いなんだ』

『筋肉で本を読むつもりか?』

『お前は、なぜそこまであの男を追う?』

――妙に、的を射たことを言いやがる。

本のくせに。

俺は眉を寄せた。


「……は?」

『合理性がない』

『死にかけた人間を調べる意味は?』


何もわかってねぇ。そう思い、舌打ちをした。

「放っとけねぇからだよ」

本が静かになり、ページが止まる。


「根が姿を見せねぇのは、支えるためだろ」

「さっきから何なんだよお前」


「『継命において、最も重要なものは何だ』つったな。そんなの知らねぇよ」

真面目に相手にしているのが馬鹿らしくなってきて、俺は眉間を押さえた。

『ほう』

「お前、言ってること回りくどすぎんだよ」

『理解できぬか、脳筋』

「だからその脳筋やめろ!」

本が、へっと嗤う。

『では答えろ、愚か者』


「……お前が何言ってんのか、正直全然わかんねぇ」

リネが小さく息を吐く。

だが、俺ははそのまま続けた。

「けど」

視線を上げる。

「大事な奴に、生きてて欲しいって思うことだろ」


 本は少し考えたように黙り、やがて、小さく嗤った。

『――本人が、そう望むとは限らんがな』

空気が、僅かに変わる。


「……は?」

『命を繋ぐとは、そういうことだ』

『救われる側にも、意思はある』

低い声。

今までの嘲笑とは違った。

どこか、古い響き。

『善意だけでは届かぬ』

『時に、それは呪いにもなる』


 ディオンの指先が、わずかに動く。

だが、誰も気づかない。

「……だから何だよ」

本が静かになる。

俺は眉を寄せたまま続ける。

「それでも、助かって欲しいって思うだろ」

「そいつは、この世に一人しかいないんだから」

図書室が静まり返り、ページをめくる音すら止まった。


『……感情論だな』

本が低く嗤う。

『非合理的だ』

『だから人間は愚か——』

「うるせぇな」

とっさに遮った。自分でも驚くほど低い声。

本が止まる。

本から視線をそらさず睨みつける。

「本なんかに、分かってたまるか」

静かな声だった。

だが――強い。

「こっちから質問してやる」

ページが、ぴたりと止まる。

リネが目を細めた。

ディオンも、静かに顔を上げる。

俺は気にせず、そのまま続けた。

「お前」

「何でそんな必死に守ってんだよ」

空気が変わる。

今まで嗤っていた本が、初めて沈黙した。

図書室が、静まり返った。

『……』

本は、何も言わなかった。


ページが、ゆっくりめくれる。

『私は、ずっと待っていた』

静かな声だった。

今までの嘲笑とは違う。

古い、深みのある、ひどく古い響き。

『答えを知る者ではない』

『“踏み込む愚か者”を』

「……は?」

『知識だけの者は、いずれ立ち止まる。だが、お前のような人間は違う』

『知らずとも、手を伸ばす』

ページが止まる。

『だからこそ』

『辿り着ける景色がある』

図書室が、静まり返る。

『知識は、答えを導く』

『だが――』

ページが、静かにめくれる。

『それだけでは、人は救えぬ』


『理解することと、手を伸ばすことは違う』

図書室が、静まり返る。


『学ぶとは何だ』

本が問う。

「知らねぇよ」

『では教えてやろう』

ページが、静かにめくれる。

『学ぶは、真似る』

『誰かの歩みを見て』

『誰かの想いを知り』

『その手をなぞることだ』

静かな声。

『知識だけでは、継げぬ』

「愚かであれ。手を伸ばせ」

『愚か者』

本が静かに言う。

だが、もう(あざけ)る響きはなかった。

『……だからこそ、お前は手を伸ばせる』

ページが、ひとりでに閉じていく。

古い表紙が、微かに軋む。

『久しいな……こんなにも騒がしい人間は』


「うるせぇ本だな、お前」

『へっ』

乾いた笑い。

けれど――

今度のそれは、どこか穏やかだった。

パタン。

本が閉じる。

黒かった表紙に、うっすらと文字が浮かんだ。

「タイトル――()()本」

リネが、目を見開く。

「……名称が変わった?」

『当然だ』

本が鼻で笑う。

『私はもう、“嗤う”必要がない』

沈黙、そして、

『ようやく、託せる』


◇◇◇◇◇


 むかしむかし、まだ王国が今ほど大きくなかった頃。

とある賢者が、一冊の本を残しました。

その本には、あらゆる知識が記されていたそうです。

空のめぐり、命のことわり、人の心。

そして――決して人へ渡してはならないことまでも。

賢者は考えました。

「愚かな者へ渡れば、いずれ災いになる」と。

だから賢者は、本へ“心”を与えたのです。

本は喋り、本は問い、本は人を試しました。

けれど、その本はとても性格が悪く、間違えれば、すぐに嗤いました。

『ブブー!』

『なんと愚かな!』

『へっ』

本は、そうやって人を見下して嗤ったのです。

そのため、人々は次第に本を恐れるようになりました。

誰も本を開かなくなり、

やがて本は古い図書室の奥深くへ消えたといいます。

ですが――今でも時折、

人のいない図書室で、笑い声が聞こえるそうです。

ククッ。

へっ。

もし、あなたがその声を聞いてしまっても、

決して逃げてはいけません。

その本は、“答え”ではなく。

“あなた自身”を見ているのですから”


               「嗤う本の物語より」


◇◇◇◇◇


 気づけば、窓の外は白み始めていた。図書室には、本の山。机の上には、開きっぱなしの課題。


そして、ゆっくり顔を上げた。

「……終わってねぇ」

リネも静かに固まる。

俺は手元を見る。白紙……ほぼ白紙だった。

長い沈黙の末、

「何してんだ俺らぁ!!」

『へっ』

乾いた笑い声。

三人が同時に振り返る。

机の上。黒い本が、勝手にページを揺らしていた。

『愚か者め。結局、一問も課題は進んでおらんではないか』

「誰のせいだと思ってんだ!」

『集中力の欠如を他責にするな、脳筋』

「燃やすぞこの本!!」

『やれるものならやってみろ』

『もっとも、その前に課題に焼かれるだろうがな』

「っっっ〜〜〜!!」

机に突っ伏すその横で、リネが、ふっと息を漏らした。

……笑ったように見えた。

俺も、小さく息を吐く。


 図書室へ、朝の陽射しが差し込んでいた。



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