表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
還命の魔術師 -失った王子の記憶  作者: 白澄 灯
第二章 「学院生活」
20/20

第20話 「夢」

 ディオンは、夢を見ていた。

光、温かい匂い、ガラス越しに落ちる、白い陽射し

……温室。

花々に囲まれた白い中庭で、少年が一人、椅子に座っている。

銀色の髪に、光を透かすような淡い色。

年は、自分とそう変わらない印象だ。顔はぼやけてはっきりと見えない。しかし、妙に偉そうだ。

◇◇◇◇◇


 数年前--

「遅い」

開口一番、それだった。

もう一人の少年は呆れたように息を吐く。

「勝手に来ておいて何だよ」

少年は眉を寄せる。

「口が悪いな」

「そっちが先だろ」

紅茶を置く。カップからは湯気が、静かに立ち上った。

銀髪の少年は、それをじっと見ている。

「今日は薄くないな?」

「前のは苦いって言ったじゃん」

「言った」

当然のように頷く。本当に偉そうなヤツだ。

だが、どこか憎めない。

温室の中は暖かく、外とは別世界のように静かだった。

少年が、カップへ手を伸ばす。

左手で。右手には、白い布地の手袋。

その日も外していない。

「……いつもしてるよな」

何気なく言う。

銀髪の少年の動きが、一瞬だけ止まった。

「別に」

素っ気ない返事。それ以上は言わない。男の子も深くは聞かなかった。

ただ――ずっと気になっていた。季節が変わっても、

何度会っても、少年は、右手を見せない。白い布で覆ったまま。

……

また別の日の温室、白いガゼボ、紅茶の香り。

「───、またそれか」


少年は、不機嫌そうに眉を寄せた。

「悪いか」

「別に」

言いながら、茶葉をポットへ入れ湯を注ぐ。

花が開くみたいに、ゆっくり茶葉が広がった。

静かな時間。

不意に、少年の指先が止まる。

カップが、揺れた。

「……っ」

わずかに顔をしかめた次の瞬間、右手の手袋がずれ、白い肌が見えた。

そこに刻まれていたものを見て――目を見開いた。

淡い光、紋章、まるで、光そのもののようだ。

「……おまえ」

言葉が止まり、銀髪の少年は、ゆっくり顔を上げた。

空気が変わり、今までと何かが違う。その瞳だけが、静かだった。

「見たか」

低い声だが怒ってはいない。どこか、諦めたような響きだった。

「それ、どうしたんだ?」

男の子は尋ねる。

少年は何も答えなかった。


 今日は、布越しにも分かるほど、何かを庇うように押さえていた。

「痛いのか?」

男の子が尋ねると、銀髪の少年は、すぐに目を逸らす。

「……別に、お前には関係ないだろ」

冷たい言い方だった。だが、ディオンは気にしない。

「ふーん」

それだけ返して、紅茶を注ぐ。

湯気が、静かに揺れた。

……


 季節は巡る。春、夏、秋、温室だけは、いつも暖かかった。だが――

銀髪の少年の様子は、少しずつ変わっていった。

顔色が悪い。時折、呼吸が浅いのか座っている時間も長くなった。

以前なら返していた皮肉も、減っている。

「……また痩せた?」

ある日、銀髪の少年は眉を寄せる。

「失礼だな」

「ちがうのか」

笑いながら返す。だが、その声は少しだけ弱かった。

カップを持つ右手が、微かに震えている。

「……っ」

わずかに顔をしかめる。

右手でカップを持ち上げかけた、その瞬間だった。

指先が、小さく震える。カップが揺れ、咄嗟に左手で支えた。


 そのとき風が吹き、温室の窓が小さく鳴る。右手の手袋が、落ちた。

白い指……その手の甲に刻まれた紋章は、以前より濃くなっていた。淡い光、脈打つような紋様、

まるで、生きているみたいに。

「……っ」

もう一人の少年の表情が変わる。

銀髪の少年は、すぐに手を引こうとした。

だが、その前にもう一人の手が、触れる。あたたかい。

銀髪の少年が、目を見開いた。

「……───!だいじょうぶだ」


 そこだけは、はっきり聞こえる。なのに、その後だけが霞む。

『きっと、──から』

どうしても、思い出せない。男の子は、紋章を見つめたまま言う。

不思議なくらい、迷いのない声だった。

銀髪の少年が、息を止める。

「……」

返事が、出ない。男の子はなんでもないような顔で手を握ったまま笑う。いつものように、太陽みたいに。

「だから、そんな顔すんなよ」

温室の光が、静かに二人へ落ちていた。


 その瞬間だった。

紋章が、光りを放つ。脈打つように。

「――っ」

銀髪の少年の目が見開かれる。

眩い光が、溢れた。温室を埋め尽くすほどの白。

視界が、焼き切れる。

温室の中だというのに、風が揺れ、ガラスが震える。

男の子は、とっさに目を閉じた。


 何が起きたのか、分からない。

ただ、あたたかかった。誰かの体温みたいに。

遠くで、声が聞こえる。

「……────!」

かすれている?泣きそうな声だった。

そして、

全て、途切れた。


 ……気づけば、男の子は、城下町の石畳に倒れていた。冷たい風、夕暮れの赤、行き交う人々の声。


◇◇◇◇◇


「……?」

ゆっくりと目を開ける。

頭が、重い。何か、大事な夢を見ていた気がした。

だが――思い出せない。

「……なんで、俺……」

言葉が途切れる。胸の奥だけが、妙にざわついていた。

ふと、空を見上げる。遠く。


 銀色の髪、白い光、

顔だけが、どうしても思い出せなかった。

*****

 ディオンが目覚める前--


 病室の床には、小さな鉢が置かれていた。

王都では珍しくもない薬草だ。

それを持ち込んだのは、ロランだった。

根諧術は、媒介となる植物を必要とする。護衛騎士たちは誰も触れない。

ただ静かに、その鉢を避けて通る。ふと、水差しの水面が揺れ、波紋が広がった。

薬草鉢にいたっては、ギシ……と音を立てる。葉が震え、根が、僅かに土を押し上げていた。

ロランは静かに目を細める。

「……無意識か」

眠るディオンへ視線を落とす。

 

 ロランは、静かに息を吐いた。昔は、よく笑う子だった。花を見れば足を止め、人を見れば声をかける。

太陽みたいな子どもだった。

あの日を境に、息子は変わってしまった。

いつものように家へ帰る。だが、その日は違った。

家の中が静かだ。

「父上! お帰りなさい!」

いつもなら、そう言って駆け寄ってくる。

今日あったことを、途切れることなく話して、笑って。

困るほど懐いてきた。どんなに剣の稽古で厳しくしても。

それなのに――

その日は、何の気配もしなかった。

違和感を覚え、リビングへ向かう。ディオンは、そこにいた。そのことにホッとしたのも束の間。

確かにいたが、ただ静かに座っている。視線だけが、ゆっくりと上がり、

「……おかえりなさい」

それだけだった。

ロランは、今でも忘れられない。息子が笑わなくなったあの瞬間を。

感情を、どこかへ置いてきたように。

「……代償、か」

還命は、等価だ。命を還すなら、何かを失う。

ロランは、それを知っている。

だからこそ――何も聞けなかった。ディオン自身が覚えていないなら、それを掘り返すことが正しいのか。

今でも、分からない。


「……お前は」

昔の面影は、まだ残っている。

「……生きていてくれれば、それでいい」

静かな声だった。

笑わなくても、思い出せなくても、昔に戻れなくても。

ただ、生きていてくれるなら、それ以上は望まない。

ロランは、ゆっくりと目を伏せた。

「……親とは、欲深いものですね」

苦く笑う。

そう言いながら、本当は、少しだけ願ってしまう。

いつかまた、

「父上!」

あの日みたいに笑ってくれたら、と。

*****

 

 静かな部屋に、声だけが落ちた。

意識が、浮かび上がる。

最初に感じたのは――紅茶の香りだった。

柔らかく、落ち着く匂いは、どこか懐かしい。


 ゆっくりと目を開けると目に写るのは、白い天井。窓から入る日差しが眩しくて、目をそらす。

静かな部屋。

ぼやける視界の中、テーブルが見えた。ガラスのティーポットだ。湯気は、まだ微かに残っている。

隣には、カップが二つ。

「……?」

掠れた声が漏れる。

誰か、来ていたのかと思いを馳せてみたが、分からない。気配は、もう残っていなかった。


 ふと、窓辺へ視線を向けると、白い鳩が一羽、こちらを見ていた。目が合った瞬間、羽を揺らし飛び立つ。

羽音を残して。

白い羽が、陽の光へ溶けていく。その姿を、ディオンはただ黙って見ていた。

胸の奥だけが、妙にざわつく。

理由は、分からない。


 ただ――

紅茶の香りだけが、なぜかひどく懐かしかった。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ