第17話 「守護の炎」
騎士学院一年生初めての冬期休暇。
その夜、騎士学院の敷地の一角で、二人の生徒が向かい合っていた。
「準備できたか?」
「ああ。たぶんな」
手元には、小さな筒。どうやら、即席の魔法花火を試そうとしているようだ。
「色、ちゃんと変わるかな」
「昨日よりはマシだろ」
軽い調子で答える。深く考えている様子はない。
「じゃあ、いくぞ」
火をつけた一瞬の静寂の後、火が歪んだ。二人の火は、揃わない。一つの炎に、二つの意思があるからだ。歪まないはずがない。
「……は?」
赤のはずの炎が、なぜか青く揺れ、音が遅れて弾けた。パパン! 花火は上がらない。代わりに炎だけが、その場に残った。
「なんだこれ……」
風もないのに炎が揺れる。まるで、炎がこちらを見ているかのようだった。
「……おい」
学生が一歩下がると、翼を広げるように炎がわずかに形を変えた。
「普通の火じゃない……違うだろ、これ!逃げろ」
誰も答える者はいない。ただ、火だけがそこにあった。
◇◇◇◇◇
▽
これは、学院が冬季休暇に入ってからの出来事だ。俺、リネ·ヒルベルトは、冬季休暇に入り自宅に帰省していた。静かな環境で、記録と整理を進めるためだ。
これまで、不思議な現象を目の当たりにしてきたが、正直、理にそぐわないことは苦手だ。しかし、ここに記録として残しておく。人は、同じことを繰り返す生き物だ。そして、当たり前にあるものの価値を見失う。
異変が確認されたのは、休暇が始まって数日後のことだった。火が扱えないという、それが最初の報告だった。
長い休み中、静かな環境で記録と整理を進められる。だが、静かな環境が少し物足りない気がするのは気のせいだろう。そう思うことにして、羽根ペンを手に取る。
そのはずだったのに――。
火の異変は、自宅で確認された。点火しないし、維持できない。あるいは、反応しない。言い換えれば、火が“応えない”。これは単なる不具合で終わらず、同様の現象は、寮の厨房、城下町でも確認された。
『使用不能』夏であれば不便だが、真冬の生活において火は命と直結する。すでに支障が広がっていた。
一時的な現象と判断するには、規模が大きい。原因の特定が必要だ。俺はカイルにも連絡を取った。
ディオンにも伝えるべきだが、あいつは今、近衛騎士団の訓練に参加している。合流は後になるだろう。
そう、ディオンは、王家直属の騎士団の訓練に自由参加で加わっていた。
「暇だから」
と本人は軽く言っていた。まるで、散歩してくるかのようなテンションだったことを思い出す。ひとまず、カイルと二人、怪しいと推測した現地を確認することにした。まさか帰省して、すぐに学院に戻ることになろうとは。
気になるのは問題の発生地点。……学院の敷地内だ。
つまり、誰かが、触れたということ。
一方王宮でも、同様の報告が上がっていた。厨房の火が安定しない、燭台の灯が揺らぎ、消える。それだけではなく、魔術の火も、応答が遅れている。
「……おかしいな」
王宮魔術師が、低く呟く。
「火が、遅れている」
使用できないわけではない。だが、応えが鈍いらしい。
◇◇◇◇◇
◇ 王宮――
バルコニーのカーテンが、風に揺れていた。燭台の火が、わずかに揺らぐ。火に視線を向けると、本来の反応ではない。
「……火か」
小さく、呟く。
エリアスが手をかざすと、炎が一瞬だけ強く揺れた。
だが、すぐに静まる。
「……拒んでいるな」
誰にともなく言った。
「失礼します。殿下、学院でも同様の報告が」
「ああ」
エリアスは頷く。
「原因は」
「不明です」
「……違うな」
エリアスは、ゆっくりと揺らぐ火を見つめた。
「原因はある。ただ、誰か触れてはならないものに触れたのだろう。原因を探れ、民に影響が及ぶ前に」
「は」
「父上に報告する。各所に伝達、毛布と、火を使わぬ食料を支給しろ」
「承知しました」
◇◇◇◇◇
▽
俺は、カイルと二人、現地を訪れていた。ここは、学院敷地の外れ。使用頻度の低い空き地だ。表面上、なんの異常もないように見えるが、地面が焼けている箇所を見つけた。焦げ跡は小さいし、範囲も限定的だ。にもかかわらず、焼け方には、ばらつきがあった。一部は、過剰に熱を受けており、別の部分は、ほとんど焼けていない。
「……なんか変だな」
「ああ」
カイルの言葉に俺は同意する。通常の火では、こうはならない。さらに、残っている灰は色が違う。“青い灰”なのだ。
「花火、だよな?」
カイルが足元の筒を蹴ると、カラカラと乾いた音がした。焦げた残骸に、即席の魔法花火。形状から見て、間違いないだろう。ただ、
「これは、ただの花火ではない」
本来、干渉してはならない領域に、触れた。原因は、ここにある可能性が高い。しかし、現象はここだけに留まっていない。
厨房だ。寮と同様、火が機能していないという報告がある。確認が必要だ。
「行くぞ」
カイルに告げ、俺たちは移動する。
◇◇◇◇◇
学院厨房に着くと――扉の前で、足を止めた。中に熱を感じるが、火の気配とは違う。
「……いるな」
返答はなく、扉を開けた瞬間火が揺れた。竈には火だけが誰も触れていないのに、ゆらゆらと動いている。鍋がわずかに震え、火がこちらを向いた。
「……」
理解する。これは、現象ではなく、意思だ。
「試されている」
厨房の壁には、見覚えのある小型のフライパンが引っ掛けてある。星降りの祭典で、輪投げの景品として手に入れたものと同じだ。『火を受け止める器』火の属性に適性を持つ者にしか扱えない。そして、ポケットからある物を取り出した。一つの小袋。
「……持ってきて正解だったな」
炎精の青灰――炎を鎮めるための特別な灰だ。
王宮でも異変が確認されたらしい。調査も進んでいるだろう。だが、現場はここだ。火は、ここにある。
「やるのか?」
カイルが低く言う。
「ああ」
答えは決まっている。俺は、腕まくりをして手を洗い、フライパンを手に取る。重さは問題ない。火を見据えると、踊るように揺れている。だが、逃げてはいない。
「……料理する」
それが、最適解だ。火は、使うものではない――扱うものだ。
小袋を開けると、炎精の青灰を指先で、わずかに取る。パッパと振り、灰が火に触れると反応が変わった。荒れていた炎が、みるみるうちに大人しくなっていく。
「……やはりな」
火は消えないが、確実に従っている。そして、フライパンに火にかけると、ボッと音がした。火は正常だ。
「リネ……それ、ほんとに大丈夫か?」
「問題ない」
手際よく油を落とすと油が弾け、火が応じた。
「……なるほど」
理解した。これは、拒絶ではなく、選別だと。そのとき、火が大きく揺れたかと思ったら一瞬だけ形を持つ。翼を広げた鳥のように――。
「……見たか、リネ」
「ああ」
火の中に、確かに何かがいる! ただの精霊ではない。
「……格が違う」
火は静かに収まるのに、そこに“意思”があることは明らかだった。『火の何か』は、青灰のおかげで持ち直す。どうやら、炎精の青灰は有効のようだ。だが、これで終わりではなかった。炎が先ほどよりも高く、形を保ったまま、火が徐々に収束しただ一点、中央へと集まっていく。
「……来るぞ」
カイルが言葉を発した次の瞬間、翼が開き、炎の中から『鳥』の姿が現れた。だが、通常の生物ではなく、光を帯びた炎で構成されている。
「……」
さすがのカイルも俺も言葉が出ない様子だ。それもそのはず。火の鳥がじっとこちらを見ているのだ。視線を外すことなく、逃げもしない。
「……試しているのか。俺たちを」
火の鳥が、わずかに首を傾けた。言葉に反応した! 炎が再び広がり、鍋がカランと不自然に浮き、食材もまた宙にプカプカと持ち上がる。
「おい、勝手に……!」
カイルが制止しようと一歩踏み出す。
「カイル触るな、これは、調理しろと言っている」
——試練。火の鳥は火だけではない。『命を扱う』それができるかを見ているのだ。
俺はフライパンを構え、火を読んだ。これまで料理なんて自分には縁がないと思っていたのに、今は、額から汗が滴るほど必死になっている。違う、縁がないのではなく、触れないようにしていたんだ。心のどこかで蓋をしていた。なんてことはないオムライス。妹の……リリィ·ヒルベルトが好きだった料理を。青灰を、もう一度振るうと炎が整うのがわかった。
「……温度は安定した」
火は、相変わらずこちらをただ見つめている。
「……やるしかない」
火はもう、暴れてはいない。フライパンの中で、割って混ぜた卵の音がジューと音を立てる。卵が焼け、香りが立つ。
「そろそろ……いいな」
温度は適正、火が問題なく応じていることを確認し、火に合わせるように大事に食材を足していく。ここまでくれば問題ない。昔、家のコックに教わってリリィに作ったことがある。思い出した。形は悪いのに、リリィは笑って残さず食べてくれたことを。今は、一瞬のズレも許さない。
「……完成だ」
火を落とすと、炎が静かに揺れた。汗を拭い、見上げると火の鳥からはもう、敵意を感じなかった。翼を、ゆっくりと閉じる。すると炎は縮み、やがて元の火に戻っていった。
「……合格か」
「リネ、終わった……のか?」
「ああ」
ただ頷いたその時、厨房の扉が開く音に二人揃って振り向くとディオンが立っていた。
「……やっと来たか」
開いた扉から熱気が外へ流れる代わりに、冷気が入ってくる。
「……何してんだ、お前ら」
カイルが、その場にへたり込む。
「遅えよ……!」
呼吸を整え、静かにフライパンを置く。
「今、終わったところだ」
それだけ言うと、ディオンは周囲を一瞥する。
「……いたんだな」
いなかったのにも関わらず、理解がはやい。いつもと変わらない、冷静に小さく呟くディオンの様子に、少し安堵した。
「ああ、試されていた」
◇◇◇◇◇
むかしむかし、ある所に一人の少年がおりました。少年の家は貧しく、レストランの厨房で皿を洗う仕事をしておりました。
ある夜のことです。小さな影が、こっそりと厨房へ忍び込んでくるではありませんか。
小さな影は、少年でした。彼の夢は『この国いちばんのコックになること』もっとおいしい料理を作ろうとして厨房に入ってきたのです。
「火を強くすれば、きっと上手くいく」
少年は、そう考えました。そこで、火を強くしましたが料理はすぐにダメになってしまいました。
それから夜になると、誰もいないはずの厨房で、
火がひとりでにゆらゆらと動き出すのです。鍋がことりと鳴り、まるで誰かが料理をしているかのよう。けれど、そこには誰の姿もありません。あるのは、ただ火だけ。人々はそれを、「厨房のコック」と呼びました。
ある冬の日のこと。厨房の火が、急に言うことをきかなくなりました。火はついても、すぐに消えてしまい、強くすれば、逃げるように揺れる。誰が試しても、同じでした。
「どうしたんだろうねえ」
皆が首をかしげました。
時は流れ、少年は立派な青年になっていました。
ある夜のことです。コック服に身をつつんだ青年が厨房へ入ってきました。扉を開けたとたん、ふわりと熱が流れてきます。自分を見ているかのように、火がゆらりと揺れました。
青年は、ポケットから小さな灰を取り出しました。ほんの少しだけ、パッパと火の上にふりかけます。するとどうでしょう。荒れていた炎が、すうっと静かになったのです。
「なるほど」
青年は、小さくうなずきましたが、火は消えてはいません。火は、彼を待っていたのです。そして、料理を始めました。青年は、火を強くすることも、弱くすることもしません。卵を落とし、火を見つめ、焦げないように、ゆっくりと焼き上げていきます。
火をあやつるのではなく、火に合わせるようにして、気持ちを込めて、火はただぴたりと合うように揺れていました。そのときです。炎がふわりと大きくなり、一瞬だけ、翼のようなかたちになりました。
しかし、それはほんのひとときのこと。やがて料理ができあがると、火はすうっと静かにおさまっていきました。
翌朝になると、厨房の火は何事もなかったかのように使えるようになっていました。その日を境に、厨房の火は元どおりになったのです。人々は言いました。
「厨房のコックは、消えたのだろうか」
いいえ、本当は消えたのではありません。火はずっとそこにあり続けていたのです。ただ、正しく扱える者の所にだけ、姿を見せるようになったのでした。そして、こんな言葉が残りました。
「火はね、ちゃんと扱える人のところにしか、来てくれないんだよ」
だってその火は、国を守る、守護の火なんですから。
「厨房のコックの物語」より
◇◇◇◇◇
「リネ、料理も出来たんだな」
「たまたまだ」
リリィのことは、黙っていることにした。しんみりさせるかもしれない。と物思いにふけっていると、モグモグ……。食具と皿がカチャカチャと鳴る音、食べる音が聞こえてきた。みるとディオンは、出来立てのオムライスを頬張っていた。
「……おい、普通今の流れでそれ食うか?」
カイルが、ディオンをじっと見る。ディオンは答えず、もう一口、食べる。
「火の鳥だぞ!?」
それでもディオンは、ただ食べる。
「……うまい」
ぽつりと、それだけ言った。
「えっ! そこ!?」
カイルが頭を抱える。さっきまでの張りつめた様子は何処へやら、いつも通りの二人のやり取りに——ふ、と小さく笑い声を漏らしてしまう。
「……はは」
ついに抑えきれず、肩を震わせる。
「リネ!お前、笑ってる場合か!?」
「……いや」
俺は、目元を押さえながら言った。
「少しだけな」
火は、もう静かだった。
件の学生二人はというと、謹慎処分とされ、厨房での下働きを命じられた。
「謹慎処分とし、加えて厨房での下働きを命じる」
火を軽んじた者には、火を学ばせる。それが、学院の判断だった。
事件が起きたあの日、痕跡が残っていた。
土の上には、二組の足跡。行きと帰りで、重なり方が違う。――二人だ。さらに、焼き跡の向きが違っており、右手と左手、両方の癖が混ざっている。同じ手ではないことは分かっていた。だが――黙っておくことにした。
「……俺たちの仕事ではない」
その後、王家と学院による調査が始まり、足跡と痕跡をもとに、二人の学生が特定されたのだった。




