第16話 「いつかの涙」
広場では、先程の喧騒が嘘のようにすっかり賑わいを取り戻していた。もっとも事態が納まるまでは、時間を要した。広場を騎士たちが行き来をするし、荒れた店や品を修復する人たちもいた。城下の人たちにとっては、おそらく強い風が吹いたくらいの感覚だっただろう。--それでいい。
カイルが残った子どもの最後の一人を親へ引渡すと、他の騎士に引き継ぎをして事態は幕を閉じた。
任務は終わり、広場はもう何事もなかったように賑わっている。灯りと声と、食べ物の焼ける香ばしい匂い。任務中には気にならなかったのに、今、かなりお腹がすいている。屋台を回るうちに、気づけば手には食べ物が増えていた。
「腹減ってたんだよな」
カイルは、串をもう一本手に取って口へ運ぶ。つくねの塩焼きというらしい。何本でもいけそうだ。一心不乱に俺とカイルはお互い何も言わず、食べ続けていた。
「……それ、何本目だ」
リネが、静かに言う。
「数えてねえ」
「数えてない」
即答だった。リネは俺たちの回答に、一瞬だけ黙る。量がおかしい。
「……さすがに食べ過ぎだ」
ため息混じりに言う。その横で、リネも静かにを食べ進めている。崩さず、こぼさず、対照的だ。
「お前、よくそんな綺麗に食えるな」
カイルが言う。
「普通だ」
「……あれは、なんだ」
俺は足を止めた。輪が入らなかったのだろう。子どもが悔しげにしている傍らで、父親と母親らしい人物が微笑ましげに見ている。その様子がなぜか目に止まった。自分にはない記憶。父親との剣の訓練が頭をよぎる。羨ましいかは分からない。幼少の頃を思い出そうとすると幾分か気が重くなる。思い出そうとしてもあまり思い出せないのは、と考え始めてしばらく黙っていた俺を、カイルは俺が輪投げをするか、しないかで悩んでいると受け取ったようだ。
「輪投げな!」
店を見ていると、声がかかった。
「らっしゃい! 輪投げだ、兄ちゃんたち!」
威勢のいい声が飛んできた。屋台の奥で、腕まくりした男が笑っている。輪っかを掲げて、店主は言う。
「 三投入れば景品!高得点は好きな景品持ってけ!」
屋台の男が声を張り上げた。店の奥には景品が綺麗に並べてあり、並んだ瓶や箱の中にひとつだけ水の入った袋があった。
小さな金魚が、ゆらりと揺れている。そして、金魚は向きをかえ前を向いた。
「あれ、景品に金魚もあんのか。珍しいな」
カイルが笑う。目の前に並んでいるのは、輪投げの台。
「やってみるか?」
「……やる」
「え!? お前ノリいいな」
「そっちの静かな兄ちゃんも、やってみな!」
おじさんが笑う。
「顔は真面目そうだけど、こういうのほど熱くなるんだよな!」
「ならない」
リネは、きっぱりと興味ない様子で言ったが、興味があると思う。付き合いは浅いが、多分、リネは負けず嫌いそうだから。カイルが即座に返す。
「いや、なるね!」
男は楽しそうに笑った。
「さあ、勝負だ!」
「……楽しいのか?」
「やってみりゃ分かる」
カイルは、にやりと笑う。即答したカイルは、隣に立つリネの肩を軽く叩く。
「お前もな」
「……なぜ俺が」
「三人の方が面白いだろ」
「関係ない」
「ある」
カイルはすでにリネの分の輪を三つ受け取っている。
「はい、参加~♪」
強制だった。俺は店主の男から輪を受け取ると、まず距離、位置、輪の重さを観察した。遠くに入れば入るほど、特典が高くなるようだ。一投目、奥狙いだ。綺麗な弧を描くように迷いなく放る。二投目、同じ軌道。三投目、端奥を攻めた。
「おい、マジかよ」
カイルの声を聞きながら。
「……全部か」
屋台の男が、言葉をなくしていた。視線は3つ入った輪と俺を交互に行き来する。
「兄ちゃん、参ったよ!好きなの選べ」
俺は迷わず、水の入った袋を指した。
「じゃあ、それを」
男が、短く言った。
「……それ、選ぶのか」
「ああ」
金魚が、静かに揺れる。
「これでいい」
カイルとリネは、金魚を欲しがったことを意外だという目をしていた。森の旧寮に一人だから寂しくなったかとまで言い始める。
そのとき、リネとカイルの知り合いなのだろう。二人は、王宮の関係者と思われる男性に話しかけられていた。話している間に、俺はふらりと斜め向かい側の店に立ち寄っていた。興味があるわけではなく、暇潰しだ。しかし、よく見ると、どうやら子ども向けのアクセサリー店らしい。間違えた。背を向けて立ち去ろうとすると話しかけられた。
「ちょっとお兄さん! あんた、それ……」
振り向くと、装飾品を並べた屋台の女が俺を見ていた。
「これ、持っときな」
渡されたのは、透明な腕輪だ。どう見ても、子ども向けの安い品にしか見えなかったが、せっかくの申し出を、無下にもできない。
「……いいのか」
「いいから」
それ以上は、何も言わなかった。俺は受け取った腕輪ん腕に通す。おもちゃのように軽い。
手に提げていた袋の金魚が、静かに向きを変えた。
「……帰る場所があるのか」
金魚に話しかけるなんて……と思ったが、尾がゆるく揺れる。偶然かもしれない。だが、俺はそれ以上聞かなかった。
気づけば、広場を離れていた。夜の城下は静かで、風だけが通り抜ける。袋の中でわずかに水が揺れた。
「……こっちか」
なぜか足が止まらない。これは、期待なのかあるいは緊張なのか。
城の近くの湖。水面は暗く、星だけを映している。
俺はしゃがみ込み、手に提げていた袋を開けた。金魚は、水へ落ち、波紋が広がった。
その瞬間、腕輪がわずかに光ると、水面が、応えるように揺れた。水の中に、何かいる? 顔を覗かせると、静かに水が割れた。
そこに現れたのは、人だった。いや——正確には、頭にティアラをのせた人魚。長い髪が、水に溶けるように揺れている。ティアラのその中心には、淡く光る石。
人魚は、俺を見る。何も言わないまま、わずかに目を細めた。何を言えばいいか分からない。こういう時に、カイルやリネがいてくれたらと思う。
人魚の顔を見ていると、涙が、一粒こぼれ落ち、水の中でそれは形を変えた。——宝石? 人魚は、それを手のひらにのせて差し出してきたが、俺は、それに手を伸ばさなかった。泣かせたかと初めて焦りを感じていた。
代わりに、人魚の頬を伝う水を拭うように、そっと触れる。
「……泣くな」
気の効いた言葉は言えず、出てきた言葉はそれだけだった。
次の瞬間、水面が揺れ、人魚の姿は消えていた。静けさだけが残る。手の中には、冷たい感触。いつの間にか、宝石があった。俺はそれを見て、くしゃくしゃのハンカチを取り出すと、そっと包んで騎士服の胸元にあるポケットに入れる。それが何かは、考えない。ただ、還すものだと、分かっていた。
◇◇◇◇◇
むかしむかし、まだセレノア王国の夜が、今より少しだけ静かだったころ。湖のほとりに、ひとりの王妃さまがおりました。王妃さまは、生まれつき長くは生きられぬ身であったといいます。それでも、その人はだれよりも穏やかに日々を過ごしておりました。
ある夜のことです。王妃さまは湖で、傷ついた人魚を見つけます。水から離れ、弱っていたその命を、王妃さまは黙って抱き上げ、湖へ還しました。
人魚とことばは交わさなかったそうです。けれど、人魚はそれを覚えておりました。数日後、王妃さまが湖へいくと人魚が水面から顔を出しました。
湖に現れた人魚は、ひと粒の涙をこぼします。
その涙は、水の中で形を変え、やがて小さな宝石となりました。それは、命をつなぐ力を持つもの。人魚は、それを王妃さまに差し出したといいます。
けれど王妃さまは、すぐにはそれを使いませんでした。
ただ、大切に胸元へと納め、長いあいだ考えていたそうです。
やがてその宝石は、ティアラに埋め込まれました。王妃さまはそれを身に着けたまま、再び湖を訪れます。
夜は静かで、水は鏡のように透き通っていました。
その場で王妃さまは、ティアラを外します。そして、ゆっくりと湖へ沈めました。
それは、もともとこの場所にあったものだから。人魚は、何も言わなかったといいます。ただ、水の奥で静かに見守っていたそうです。それからというもの、その湖には、ときおり淡い光が揺れるようになりました。それが何であるのか、知る者は多くありません。ただひとつ言えるのは、王妃さまは奪うのではなく、『還した』ということ。
そのことだけが、今も静かに残っているのです。
王妃さまと人魚の物語 より
◇◇◇◇◇
誰もいない湖を背に、気づく。しまった! 二人に何も言わずに来た。そう思い、今度は来た道を足早に駆け上がる。息が苦しいのに、それでも心は穏やかだった。もう祭典も終盤に差し掛かり、ちらほらと家路を辿る人たちとすれ違う。どの人にも笑顔がある。頭上で星が、一つ流れた。心の中で願う。(今日の日を、忘れないように)いや、忘れないだろう。
「おい!」
駆け上がった先に、二人の姿があった。
「——おい! ディオン」
カイルが、顔を上げる。
「どこ行ってたんだよ!」
明らかに苛立っている。
「探したんだぞ!」
「……すまない」
短く返した。
「え!? 謝った?」
「お、お前が迷子になってどうする!」
リネが、ゆっくりと口を開く。
「単独行動は控えろ! 状況を考えろ。目を離した隙にいなくなるなんて、子どもか」
いつもの淡々とした口調で、言葉だけが重なる。説教だ。リネのそれにはぐうの音も出ない。カイルが横から頷く。
「そうそれ! 言いたいのそれ!」
何も言えなかった。ただ、息を整える。
「……戻るぞ」
リネが言う。俺は頷いた。
カイルが、俺の腕をちらっと見た。
「子どもみたいだな」
透明な腕輪は、灯りを受けてわずかに光っていた。リネは何も言わない。ただ、その腕輪に一瞬だけ視線を落とす。——光の質が、違う。
「……それ」
リネは小さく呟く。
「ただの装飾じゃない。いったいどこで……」
と言いかけて止めた。
「その腕輪、外すな」
それだけ言うと、歩き始めた。騎士学院の寮へとつながる道を。
ポケットの中の感触は、まだ残っていた。




