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還命の魔術師 -失われた王子の記憶  作者: 白澄 灯
第二章 「学院生活」
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第16話 「いつかの涙」

 広場では、先程の喧騒が嘘のようにすっかり賑わいを取り戻していた。もっとも事態が納まるまでは、時間を要した。広場を騎士たちが行き来をするし、荒れた店や品を修復する人たちもいた。城下の人たちにとっては、おそらく強い風が吹いたくらいの感覚だっただろう。--それでいい。


 カイルが残った子どもの最後の一人を親へ引渡すと、他の騎士に引き継ぎをして事態は幕を閉じた。


 任務は終わり、広場はもう何事もなかったように賑わっている。灯りと声と、食べ物の焼ける香ばしい匂い。任務中には気にならなかったのに、今、かなりお腹がすいている。屋台を回るうちに、気づけば手には食べ物が増えていた。

「腹減ってたんだよな」

 カイルは、串をもう一本手に取って口へ運ぶ。つくねの塩焼きというらしい。何本でもいけそうだ。一心不乱に俺とカイルはお互い何も言わず、食べ続けていた。

「……それ、何本目だ」

 リネが、静かに言う。

「数えてねえ」

「数えてない」

 即答だった。リネは俺たちの回答に、一瞬だけ黙る。量がおかしい。

「……さすがに食べ過ぎだ」

 ため息混じりに言う。その横で、リネも静かにを食べ進めている。崩さず、こぼさず、対照的だ。

「お前、よくそんな綺麗に食えるな」

 カイルが言う。

「普通だ」

「……あれは、なんだ」


 俺は足を止めた。輪が入らなかったのだろう。子どもが悔しげにしている傍らで、父親と母親らしい人物が微笑ましげに見ている。その様子がなぜか目に止まった。自分にはない記憶。父親との剣の訓練が頭をよぎる。羨ましいかは分からない。幼少の頃を思い出そうとすると幾分か気が重くなる。思い出そうとしてもあまり思い出せないのは、と考え始めてしばらく黙っていた俺を、カイルは俺が輪投げをするか、しないかで悩んでいると受け取ったようだ。

「輪投げな!」


 店を見ていると、声がかかった。

「らっしゃい! 輪投げだ、兄ちゃんたち!」

威勢のいい声が飛んできた。屋台の奥で、腕まくりした男が笑っている。輪っかを掲げて、店主は言う。

「 三投入れば景品!高得点は好きな景品持ってけ!」

 屋台の男が声を張り上げた。店の奥には景品が綺麗に並べてあり、並んだ瓶や箱の中にひとつだけ水の入った袋があった。


 小さな金魚が、ゆらりと揺れている。そして、金魚は向きをかえ前を向いた。


「あれ、景品に金魚もあんのか。珍しいな」

 カイルが笑う。目の前に並んでいるのは、輪投げの台。


「やってみるか?」

「……やる」

「え!? お前ノリいいな」

「そっちの静かな兄ちゃんも、やってみな!」

 おじさんが笑う。

「顔は真面目そうだけど、こういうのほど熱くなるんだよな!」

「ならない」

 リネは、きっぱりと興味ない様子で言ったが、興味があると思う。付き合いは浅いが、多分、リネは負けず嫌いそうだから。カイルが即座に返す。

「いや、なるね!」

 男は楽しそうに笑った。

「さあ、勝負だ!」

「……楽しいのか?」

「やってみりゃ分かる」

 カイルは、にやりと笑う。即答したカイルは、隣に立つリネの肩を軽く叩く。

「お前もな」

「……なぜ俺が」

「三人の方が面白いだろ」

「関係ない」

「ある」

 カイルはすでにリネの分の輪を三つ受け取っている。

「はい、参加~♪」

 強制だった。俺は店主の男から輪を受け取ると、まず距離、位置、輪の重さを観察した。遠くに入れば入るほど、特典が高くなるようだ。一投目、奥狙いだ。綺麗な弧を描くように迷いなく放る。二投目、同じ軌道。三投目、端奥を攻めた。

「おい、マジかよ」

 カイルの声を聞きながら。

「……全部か」

 屋台の男が、言葉をなくしていた。視線は3つ入った輪と俺を交互に行き来する。

「兄ちゃん、参ったよ!好きなの選べ」

 俺は迷わず、水の入った袋を指した。

「じゃあ、それを」

 男が、短く言った。

「……それ、選ぶのか」

「ああ」

 金魚が、静かに揺れる。

「これでいい」

 カイルとリネは、金魚を欲しがったことを意外だという目をしていた。森の旧寮に一人だから寂しくなったかとまで言い始める。


 そのとき、リネとカイルの知り合いなのだろう。二人は、王宮の関係者と思われる男性に話しかけられていた。話している間に、俺はふらりと斜め向かい側の店に立ち寄っていた。興味があるわけではなく、暇潰しだ。しかし、よく見ると、どうやら子ども向けのアクセサリー店らしい。間違えた。背を向けて立ち去ろうとすると話しかけられた。

「ちょっとお兄さん! あんた、それ……」

 振り向くと、装飾品を並べた屋台の女が俺を見ていた。

「これ、持っときな」

 渡されたのは、透明な腕輪だ。どう見ても、子ども向けの安い品にしか見えなかったが、せっかくの申し出を、無下にもできない。

「……いいのか」

「いいから」

 それ以上は、何も言わなかった。俺は受け取った腕輪ん腕に通す。おもちゃのように軽い。


 手に提げていた袋の金魚が、静かに向きを変えた。

「……帰る場所があるのか」

 金魚に話しかけるなんて……と思ったが、尾がゆるく揺れる。偶然かもしれない。だが、俺はそれ以上聞かなかった。


 気づけば、広場を離れていた。夜の城下は静かで、風だけが通り抜ける。袋の中でわずかに水が揺れた。

「……こっちか」

 なぜか足が止まらない。これは、期待なのかあるいは緊張なのか。


 城の近くの湖。水面は暗く、星だけを映している。

俺はしゃがみ込み、手に提げていた袋を開けた。金魚は、水へ落ち、波紋が広がった。

その瞬間、腕輪がわずかに光ると、水面が、応えるように揺れた。水の中に、何かいる? 顔を覗かせると、静かに水が割れた。


 そこに現れたのは、人だった。いや——正確には、頭にティアラをのせた人魚。長い髪が、水に溶けるように揺れている。ティアラのその中心には、淡く光る石。

人魚は、俺を見る。何も言わないまま、わずかに目を細めた。何を言えばいいか分からない。こういう時に、カイルやリネがいてくれたらと思う。


 人魚の顔を見ていると、涙が、一粒こぼれ落ち、水の中でそれは形を変えた。——宝石? 人魚は、それを手のひらにのせて差し出してきたが、俺は、それに手を伸ばさなかった。泣かせたかと初めて焦りを感じていた。

代わりに、人魚の頬を伝う水を拭うように、そっと触れる。

「……泣くな」


 気の効いた言葉は言えず、出てきた言葉はそれだけだった。


 次の瞬間、水面が揺れ、人魚の姿は消えていた。静けさだけが残る。手の中には、冷たい感触。いつの間にか、宝石があった。俺はそれを見て、くしゃくしゃのハンカチを取り出すと、そっと包んで騎士服の胸元にあるポケットに入れる。それが何かは、考えない。ただ、還すものだと、分かっていた。


 ◇◇◇◇◇


 むかしむかし、まだセレノア王国の夜が、今より少しだけ静かだったころ。湖のほとりに、ひとりの王妃さまがおりました。王妃さまは、生まれつき長くは生きられぬ身であったといいます。それでも、その人はだれよりも穏やかに日々を過ごしておりました。


 ある夜のことです。王妃さまは湖で、傷ついた人魚を見つけます。水から離れ、弱っていたその命を、王妃さまは黙って抱き上げ、湖へ還しました。

人魚とことばは交わさなかったそうです。けれど、人魚はそれを覚えておりました。数日後、王妃さまが湖へいくと人魚が水面から顔を出しました。


 湖に現れた人魚は、ひと粒の涙をこぼします。

その涙は、水の中で形を変え、やがて小さな宝石となりました。それは、命をつなぐ力を持つもの。人魚は、それを王妃さまに差し出したといいます。

けれど王妃さまは、すぐにはそれを使いませんでした。

ただ、大切に胸元へと納め、長いあいだ考えていたそうです。


 やがてその宝石は、ティアラに埋め込まれました。王妃さまはそれを身に着けたまま、再び湖を訪れます。

夜は静かで、水は鏡のように透き通っていました。

その場で王妃さまは、ティアラを外します。そして、ゆっくりと湖へ沈めました。


 それは、もともとこの場所にあったものだから。人魚は、何も言わなかったといいます。ただ、水の奥で静かに見守っていたそうです。それからというもの、その湖には、ときおり淡い光が揺れるようになりました。それが何であるのか、知る者は多くありません。ただひとつ言えるのは、王妃さまは奪うのではなく、『還した』ということ。

そのことだけが、今も静かに残っているのです。

               


            王妃さまと人魚の物語 より


 ◇◇◇◇◇

 

 誰もいない湖を背に、気づく。しまった! 二人に何も言わずに来た。そう思い、今度は来た道を足早に駆け上がる。息が苦しいのに、それでも心は穏やかだった。もう祭典も終盤に差し掛かり、ちらほらと家路を辿る人たちとすれ違う。どの人にも笑顔がある。頭上で星が、一つ流れた。心の中で願う。(今日の日を、忘れないように)いや、忘れないだろう。


「おい!」

 駆け上がった先に、二人の姿があった。

「——おい! ディオン」

 カイルが、顔を上げる。

「どこ行ってたんだよ!」

 明らかに苛立っている。

「探したんだぞ!」

「……すまない」

 短く返した。

「え!? 謝った?」

「お、お前が迷子になってどうする!」

 リネが、ゆっくりと口を開く。

「単独行動は控えろ! 状況を考えろ。目を離した隙にいなくなるなんて、子どもか」


いつもの淡々とした口調で、言葉だけが重なる。説教だ。リネのそれにはぐうの音も出ない。カイルが横から頷く。

「そうそれ! 言いたいのそれ!」

 何も言えなかった。ただ、息を整える。

「……戻るぞ」

 リネが言う。俺は頷いた。


 カイルが、俺の腕をちらっと見た。

「子どもみたいだな」

 透明な腕輪は、灯りを受けてわずかに光っていた。リネは何も言わない。ただ、その腕輪に一瞬だけ視線を落とす。——光の質が、違う。

「……それ」

 リネは小さく呟く。

「ただの装飾じゃない。いったいどこで……」

 と言いかけて止めた。

「その腕輪、外すな」

 それだけ言うと、歩き始めた。騎士学院の寮へとつながる道を。


 ポケットの中の感触は、まだ残っていた。


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