第15話 「星降りの祭典」
査定が終わると、張りつめていた学院の空気も、わずかに緩んだ。講義のスケジュールも落ち着き、結果リネは、上級を維持しカイルも同様だった。
冬の冷たい空気の中。
俺は、リネとカイルの三人で中庭の一角にあるガラス張りのサンルームで過ごしていた。
外の冷たさを遮り、やわらかな光だけが満ちている。
植物が静かに息づくその空間は、どこか現実から切り離されていた。
束の間の休息。――のはずだったが実際は違う。
「巡回ルートは、ここから外周へ回す」
リネが地図を広げて、トントンと指を指す。星降りの祭典に向けた、配置の確認。つまり、任務だ。
「星降りの祭典は、表向きは願いごとをする祭りだ。
だが、人が集まることで『流れ』が偏る。人が多くなればなるほど『思い』も増える。歪みが生まれる可能性がある」
リネの言葉に、カイルは腕を組み直して言う。
「で、それを散らすのが傘ってわけか」
納得したような、していないような顔だった。
「上から降ってくるもんを受け止める」
カイルが傘を開く仕草をすると、リネが頷いた。
「正確には、分散させるんだ。直接受ければ、影響が強すぎるからな」
静かな説明だが、十分だった。俺は何も言わず、ただ、聞いている。星、願い、歪み。それらが、同じ場所にある。(……流れている)目には見えないが、確かに。
カイルが空を見上げ、軽く言う。
「まあ、綺麗なのは間違いねえよな。」
リネも視線を上げる。
「広場の観測地点ならな。傘の下では、直接は見えない。その代わり星降りの灯りで傘が光る。だが、その方が安全だ」
合理的だ。俺も、空を見る。昼の空には、何もない。
だが、(……星が降る)そんな感覚だけが残る。
リネが地図を指でなぞる。
「外周と広場の境界。警戒するなら、まずそこだ。人が滞留する地点は、流れが偏る」
「それとさ、迷子とか、スリも出るよな」
軽く言うが、カイルの言うことは事実だ。リネも肯定する。
「間違いなく発生するだろう。人が集まれば、必ず起きる」
『迷子の保護、盗難の対応、軽微なトラブルの収拾』
「それも任務だ。俺達騎士学院生に任されるのはどっちかというと後者の対応になるだろう」
カイルが肩をすくめる。
「戦うだけじゃねえんだよな、こういうの。ガキが泣いてたらそっち優先とかさ」
リネは小さく頷いた。
「状況次第では、戦闘より優先される。人を守るのが本来の役割だからな」
俺は、黙って聞いている。剣、魔術、実際は、それだけではない。(……人)
視線を落とせば、足元の影が揺れていた。見えない流れの中で、人は何かを守っている。……二人を見ていると、そう思わされる。カイルが笑う。
「ま、俺は迷子担当でもいいけどな!戦うより楽そうだし」
(カイルらしい。……だが、たぶん迷子は増えるかもな)
「甘いな。一番消耗するのは、そういう場面だ」
リネの言葉にカイルが顔をしかめる。
「え、マジで?」
「泣き止まない、離れない、親は見つからない、走る。対応を誤れば、二次被害が出る」
淡々とした説明だが、説得力がすごい。
「……それは、それで面倒だな」
ついさっきまではやる気だったというのに、カイルはすでに嫌そうな顔をしている。リネは小さく息を吐いた。
「任務は選べない。だから、備える」
それだけだ。俺は、空を見上げる。星は、まだ見えない。だが、(……降る)その感覚だけは、消えなかった。
◇◇◇◇◇
街の上には、無数の傘。昼は澄んだ淡い空に映え、陽の光を受けながら鮮やかな色を放ち、風に揺れていた。
夕焼けから藍色の空に変わる頃。傘は表情を変える。星の光を受けて、淡く発光し始めるのだ。
赤、青、橙、黄、緑、紫……色はほんわかと揺れ、混ざり流れる。まるで、空が、降りてきたようだった。
なるほど、確かに綺麗だと思う。綺麗と感じる感覚が自分にあることに少し戸惑いつつも、その光景を目に焼き付けていた。任務でなければ来ることもなかっただろう。
星降りの夜、王宮から城下へ続く道に、屋台の灯りがやわらかく揺れている。甘い匂いと、香ばしい煙。人々の笑い声が、どこまでも続いていた。この楽しい夜が終わらないかのように。
だが、その奥で小さな風がわずかに揺れていた。
広場は、星がよく見える。傘はなく、星の観測ができる見晴らしの良い場所。その分、人が多く集まっていた。光と、声が集まっている。(……偏っている)人々の楽しげな笑い声の中に交じる。違和感が、強い。
その時、キャハハ! と鈴を転がしたような笑い声がどこからともなくはっきりと届く。次の瞬間、風が弾けた。屋台の布がめくれ上がり、飾りが煽られリボンが飛ぶ。食べ物が宙を舞う。
「な、なんだ!?」
人の悲鳴が響き、場の空気が変わった。混乱はあっという間だ。誰かが叫び、誰かが走る。俺は小さく息を呑む。(――何かが起きている?)だが、その姿は見えない。
いや、ただの風にしか見えない。
(だが……違う)風の中に、意思がある。――キャハハ! いたずらをする子どものように、楽しんでいるような笑い声だ。だが、その存在は強い。
次の瞬間、風が、渦を巻いた。どんどん加速していく。夜風が細く、長く、象られていく。どんどん加速していくそれは、まるで空を裂くようで、釘付けになった。そして、月灯りで一瞬だけ、竜の輪郭が見えた。だが、それも束の間だ。叢雲が空を覆い、光が鈍る。
「……歪み!」
リネが大声で叫ぶ。
「全員、外周へ!観測地点から離れろ!」
即座に動き、人の流れを整理しながら、周囲を見る。
「押すな! 順に動け!」
次々と指示が飛ぶ。悲鳴とざわめきで、祭典の空気は完全に変わっていた。
カイルも動いた。泣き出した子どもを抱き上げ、そのまま出口へ向かう。
「大丈夫だ! 離れるぞ!」
だが、状況は悪くなる一方だった。あまりにも強い風に足を取られる。
「くそ……!」
リネは、歯を食いしばる。このままでは押し戻され、被害が出る。
その時、俺は風の前へ出た。輪郭こそ見えないが――確かに感じる。暗闇の中でも分かった。流れが、集まり、歪んでいるのだと。
「……還す」
小さく呟き、手を上げる。直接触れはしない。風へ干渉するように意識を向けた。風の渦が、僅かに揺らいだけれど、竜の形は消えなかった。
「……還す」
「……っ!?」
リネが目を見開く。
俺は止まらない。いや、絶対に止まることはできない。流れを読み、絡み合った歪みを一つずつ分解していく。一度、崩し、そして――還す。風が散り、竜の形が揺らいだ。輪郭を失い、夜空へ溶けていく。竜らしきものは、完全には消えなかった。――キャハハ! 甲高い笑い声が、暗闇に響いた。
笑い声は、一層強くなり、反発している。
(……一度では足りない)自分の消耗が分かるものの絶対に止める必要があった。すぐ後ろにたくさんの人がいるのだ。リネやカイルの言葉を思い出す。(……優先)
俺が干渉する度風が弾け、竜の形が夜へ散っていく。
だが――『キャハハ!』笑い声と共に、歪みは再び膨れ上がった。何度砕いても、終わらない。
(……まだ足りない)
額に汗が滲んだ時、突然、空がわずかに明るくなる。
光だった。雲間から細い線のように、一直線に降りてくる。静かに、日の光が降り注ぐようだった。確実に風の流れを縫う光にリネは顔を上げた。
「……光?」
カイルも目を見開く。
「なんだ、あれ……!」
その光を見る。
「……あれは、魔術か……?」
「いや、見たことねえぞ……」
(……誰かが干渉している)今こそ流れが、弱まった。十分だ。
光が落ちた風の中へ、細い線が走る。ようやく光に紛れていたものが、ゆっくりと姿を現した。それは、巨大な竜の輪郭。夜空を裂くようなその姿の中心だけが、僅かに歪んでいる。
リネが息を呑む。
「……見える」
カイルも叫ぶ。
「なんだよあれ……!」
俺は動かず、ただじっと竜を見ていた。竜を象った風が、光を浴びる。その瞬間だけ、わずかに、動きが鈍くなった。
(……そこだ!)
「光は巡り、命は還る。
あるべき場所を違えるな。
その理に従い、今ここに正す!」
「……還れ」
今度は、迷いがなかった。光を浴びて緩んだ流れへ、一気に干渉する。崩して――還した次の瞬間、風が大きく弾け、ようやく竜の形が崩壊した。響いていた音がふっと消え、しんと広場に静寂が戻る。リネが、小さく息を呑んだ。
(……今のは)
人ではない、何か。だが確かに、そこには“意思”があった。俺は何も言わない。ただ、静かに空を見上げた。
風は完全に止み、残るのは、揺れる布と落ちた飾りだけ。リネは、すぐに動く。
「負傷者を確認! 残留者、いないか見ろ!」
カイルが応じる。
「了解!」
人の流れは、ようやく落ち着き始めていた。だが、俺の足は動かない。鉛を流し込まれたみたいに重く。無理やり立っているだけだった。(……消耗している)明らかだ。それでも倒れない。ただ、静寂な空を見上げる。そこにはもう、何もないのに。
視線のその先――王宮の方向を。
◇◇◇◇◇
エリアスは、静かに手を下ろす。光は消えている。
「……届いたか」
小さい呟きに返事はない。結果は、出ている。
星降りの灯りが、街を覆っている。傘の下で、光が揺れる。広場の観測地点だけが、わずかに暗い。エリアスは、その一点を見ていた。すでに、終わっている。風は消えたが、余韻は残っている。
(……処理されたか)静かに、息を吐いたその時、慌ただしくバルコニーの扉が叩かれた。
「エリアス殿下、失礼いたします!」
「入れ」
騎士が、入室する。わずかに息が上がっている。現場から、走ってきたのだろう。
「報告いたします! 観測地点の広場にて、突発的な歪みが発生! 風の妖精型と推定されます!」
エリアスは、街を見下ろしたまま何も言わない。ただ、聞いている。
「現場は一時混乱! しかし、騎士団および学院生徒により鎮圧!」
言葉が続く。急いで来た騎士には申し訳ないが、内容はすでに知っている。
「被害は軽微! 負傷者も最小限に抑えられ――ディオン・リュミエールと他二名の行動が大きく寄与したと――」
そこで、騎士の言葉が一瞬止まる。エリアスが、わずかに視線を向ける。
「……続けろ」
低い声に騎士が、姿勢を正す。
「はっ! 当該生徒は、歪みの中心に直接干渉し――短時間で現象を収束させました」
正確ではない。だが、間違ってもいない。エリアスは、窓の外を見る。広場の観測地点はすでに、何もない。
「……確認した」
それだけ言う。騎士は、一瞬だけ戸惑う。
「は……?」
「ご苦労だった」
それで、終わりだ。騎士は、すぐに頭を下げる。
「失礼いたします!」
扉が閉まると再び静寂が訪れた。エリアスはバルコニーから、執務室へと足を踏み入れた。少し振り向き、夜空へと視線を戻す。星は、変わらず輝いている。
「……還したか」
小さく呟く。他の誰よりも確信している。誰が、どうやって、自分の光が、どこまで届いたのかすべて。
「……面白い。ディオン、近く会えるかな」
わずかに、口元が動く。
バルコニーのカーテンが、風にあおられ、静かに揺れていた。




