第13話 「薬草学補習」
午後14時をまわり、冷たい空気はそのままに陽の光だけが温かく、それがいっそう眠気を誘う。最初に言っておく。これは--昼寝の話ではない。
ここは陽が傾きかけた棟の一角……ではなく、薬草区画の温室。三人はその中にいた。査定が間近に迫っているのにも関わらず、薬草を前にディオンは固まっていた。
カイルは向かい側の机に肘をつき、様子をうかがっている。リネはディオンの横に立ち、わずかに視線を落としていた。薬草からは、何やら禍々しい独特の匂いが漂っている。
机の上には、乾燥した葉、粉末、すり鉢、謎の液体。
そして、ディオン。
「……」
無言で、葉を見ている。待つこと三分……全く動かない。その向かい側で--ついに業を煮やしたようにガタンとカイルは立ち上がった。
「いやなんで止まってんの!?」
リネは、何度目かの溜め息をこぼした。
「……見分けがついていないな」
「……似ている」
「似てるけど違うんだよ!! それで死人出るつ!!」
《鎮静草》と《微毒草》見た目は、ほぼ同じだ。ディオンは、一本手に取り、じっと見る。裏返し、匂いを嗅ぐ。
「……同じだ」
「同じじゃない!!」
リネが、静かに横から取る。
「葉脈の入り方だ。こっちは中央に寄っている、こっちは散っている」
ディオンは、じっと見る。
「……なるほど」
数秒後遅れて、ディオンは、別の束を手に取った。
「……これは?」
「それ最初に見たやつな!!」
リネは、深いため息をついた。
「……ディオン。お前は“構造”で理解するタイプだ」
「だが薬草は違う。“個体差”を見ろ」
「葉は……曖昧だ」
「薬草とはそういうものだ。似ているからこそ、見誤る。それが、一番危険だ」
「剣なら一瞬で分かるくせに!!」
ディオンは、少しだけ考える。
「……剣は、嘘をつかない」
「薬草はつくんだよ!!」
一瞬、リネが、わずかに口元を緩める。
「リネ、最近ちょっと笑うようになったな」
そのまま、リネは手を伸ばし、もう一つの葉を示す。
「これは?」
ディオンは、薬草をじっと見る。先程より少し長く。
「……違う」
「理由は」
「……なんとなく」
「成長してねぇ!!」
そのとき、教官の低い静かな声がかかった。
「……そこ」
三人が振り向くと、温室の入り口に無表情のブリュムが立っていた。
「まだ終わっていないのか」
「終わりません!! こいつが!!」
「……努力はしている」
ブリュムは、ディオンの側へ歩み寄る。
「……そうか」
一呼吸おいて、ブリュムは続けた。
「では、最後に一つ」
薬草を一枚、机に置く。
「これはどちらだ」
空気が少し変わり、ディオンは、葉を見る。さっきより、静かに。
「……」
少しだけ、指先が触れる。
「……鎮静」
ブリュムの目が、わずかに動く。
「……理由は」
「……触れたときの、流れが違う」
「え、なにそれ怖」
リネも、わずかに目を細める。ブリュムは、何も言わない。ただ、ディオンの性質に慣れてきたのか背を向けていた。
「……合っている」
それだけ言うと、立ち去って行った。
残された三人。
「いや最後なんか変なの出したよね!?」
「……」
風が通る。
薬草学の補習は、終わった。
◇◇◇◇◇
強い陽が差し込む、薬草区画の温室。昨日とは違い、
ざわめきがある。
今日の実習課題は【鎮静薬】だ。講師として現れたのは、王宮魔術師フェルマ。
ざわめきが走る。本来、この場に来るはずのない人物だ。フェルマのその視線の先には、リネがいる。リネは、何も言わない。彼は、リネの父だ。
わずかに視線を落とし、距離を保っている。その立ち方は、他の誰よりも静かだった。フェルマもまた、息子に声をかけることはない。
「今日の課題は【鎮静薬】です。野外では特にそうだ が、医者がいつでも側にいるとは限らない。量、素材を見極めよ。始め」
それだけで、実習が動き出す。——しばらくして。
「……ほう」
フェルマの足が、カイルの前で止まる。
「安定している。判断も早い。」
淡々とした声だが、わずかに柔らかい。カイルは一瞬だけ目を瞬かせ、すぐに視線を逸らした。
「……ありがとうございます」
どこか、落ち着かない様子で呟く。フェルマは、ディオンの前で足を止める。
鍋の中で、薬草が静かに煮立っている。
「それを、どう判断したのかな?」
「……匂いと、葉の厚み」
「ほう、面白い。」
フェルマは、わずかに目を細めた。フェルマは柄杓で 液体を一匙すくい、そのまま口に運ぶ。
「…………!?」
ディオンは、躊躇いなく飲んだフェルマをじっと見た。(無警戒すぎる)昨日は、リネやカイルですら慎重だったはず。フェルマはしばらく味を確かめるように沈黙し、やがて口を開く。
「合っている」
一呼吸おいて続けた。
「但し君は感覚で判断する子のようだ」
「……はい」
ディオンは、視線を上げないまま言う。
「試薬は段階を踏むものだ。……ハイゼンベルク卿に叱られそうだな」
一方、リネの手は、迷いがない。手順は正確で、無駄がない。火加減も、攪拌の間も、すべてが一定だった。やがて、液体は静かに色を整える。見本のように完璧だ。フェルマは、しばらくそれを見ていた。
そして、何も言わずに一匙すくい、口に運ぶ。
わずかな間をおいて、言う。
「……問題ない」
ただ、それだけだった。リネは視線を上げない。評価を待っていたわけでもないように、手元の器具を片付けていく。
◇◇◇◇◇
実習が終わり、三人は温室を出る。冬の空気が、少しだけ心地よかった。
「……あの人、普通に飲んだな」
カイルが、呆れたように息をつく。
「しかも迷いゼロ」
リネは何も言わない。少し遅れて、静かに口を開いた。
「……あれが普通だ」
「いや、普通じゃないだろ」
カイルがすぐに返す。
「毒だったらどうするんだよ」
「その程度でどうにかなる人じゃない」
淡々とした声だった。
「ただ、間違えない」
短く、それだけ言う。カイルは少しだけ黙り、肩をすくめた。
「……やっぱ親子だな」
リネは何も返さない。ディオンは、その会話を聞きながら、わずかに視線を落としていた。
「……味で分かるのか」
小さく呟く。
「匂いだ」
リネが答える。
「味は、その後だ」
「ちょっとディオンに似てるよな」
それ以上の会話は続かなかった。
◇◇◇◇◇
休日の森の旧寮。差し迫った査定に向けて、本や課題を持ち寄り三人は静かに手を動かしていた。
座学に飽きたのか、ディオンは薬草の調合を始めた。机の上には、小さな瓶に、淡い緑色の液体が揺れている。慣れた手つきで、グツグツと煮立つ鍋にためらいなく薬草を放り込んでいく。
「……できた」
「お、完成した?」
リネも覗き込む。
「……ああ」
鍋から液体を少しとり、慎重にガラスの瓶へ移した。
ディオンは、瓶を持ち上げる。見た目は問題なさそうに見える。
「……飲むか」
「え?」
「……試薬か」
「……鎮静だ」
「“たぶん”だろ!?」
「……違う」
「いや怖い怖い怖い!!」
リネは、じっと瓶を見る。
「……見分けはついているのか」
「……流れは、安定している」
「流れで飲むな!!」
ディオンは、静かに首をかしげる。
「……問題はない」
「問題あるかどうか今から分かるやつだろ!?」
誰も手を出さない。風が通る。ディオンは、少しだけ瓶を見る。
「……そうか」
納得したように頷くと、そのまま瓶を持ち上げ、口元へ運んだ。
「ちょっ、待て!!」
カイルが立ち上がり、止めようとしたが一歩遅かった。
「ごく!」
ディオン、飲む。ごくごく。
「……え……大丈夫?」
「……問題ない」
ディオンは先程と変わらずにいる。何も起きない。リネは、じっと様子を見ている。
「……感覚は」
「……少し、静かになる」
「それ鎮静っぽいけど怖いな!!」
「……使える」
なぜか誇らしげなディオンを前に、二人は呆れ顔だ。
「……なぜ、自分で試す」
ディオン、少しだけ考える。
「……確実だからだ」
「いや確実っていうか危険だからね!?」
リネは、何も言わない。
「いやほんとやめろって!!」
「普通“誰か飲んでくれないかな”ってなるとこで自分でいく!?」
「……誰も飲まなかった」
「そりゃそうだよ!!」
「《鎮静草》と《微毒草》の見分けついてなかった奴の調合だぞ。な! リネ」
リネが、口を開く。
「……次は……俺が飲む」
「え!?」
ディオンも、わずかに視線を上げる。
「……分かった」
「え、ちょっと待って!? なんでそうなるの!?」
「興味がある」
「お前までそれ言うの!?」
カイルは、少し離れている。
「……ほんとにやるのかよ」
誰にともなく言う。ディオンは答えない。葉をすり潰し水を加え、ゆっくりと混ぜる。
「……」
指先が止まると、ついに完成した。小瓶には淡い緑。
「……できた」
リネは、頷く。机の上に置かれた瓶。
「おい……やめとけって。査定前だぞ」
「……問題はない」
「その“問題ない”が一番信用できないんだよ!!」
リネは、瓶を見ると長く、目を細める。
「……匂いは」
「……安定している」
「味は」
「……苦くはない」
「それ前も聞いた!!」
リネは、重さを確かめるように瓶を片手にそのまま、ディオンを見る。
「……もう一度聞く。これは、安全か」
ディオンは、迷わない。
「……安全だ」
嘘ではない確信でもない。リネは、ほんのわずかに息を吐く。
「……そうか」
そのまま、瓶を持ち上げる。
「待てって!!」
一歩、踏み出す。だが、止めない。リネが、ごくと飲んだ。時間が、止まる。
「……え……大丈夫か?」
リネは、何も言わない。目を閉じ、呼吸をして数える。
一つ、二つ、三つ。そして、目を開ける。
「……問題ない」
「ほんとか!?」
「……ああ」
少しだけ、言葉を選ぶ。
「……思考が、静まる。だが、鈍くはならない」
ディオンは、それを聞いている。
「……そうか」
小さく、返す。
「いや待ってすごいな!? 普通そこ信じて飲む!? いやもうお前ら意味わかんねぇよ!!」
カイルは頭を抱えるが、少しだけ笑っていた。




