女神の祝福
会場内はこの日のために集まった貴族たちのささやき声でざわついていた。
アレスは祭壇が置かれている少し高くなった場所で、王族の一員として椅子に座って待機していた。
右側には国王と王妃。左側には妹と弟が座っていた。3年前は国王と王妃とアレスだけだったが、今回は全員の参加になった。妹も弟も会場の雰囲気に吞まれているのか、どこかそわそわとしているのがわかるが、国王夫妻は全く動じることなく静かにアイシャが登場するのを待っていた。何も心配していないのか、それともすべてを受け入れる覚悟を持っているのかもしれない。
アレスも動じることなく静かに待つようにしているが、心の中ではアイシャが早く姿を見せてほしいと思っている。女神に会っているだろうが、何を話してどう判断するのか、すべては受け入れるしかないことなのだが、気がかりでもあった。
3年前は何も知らず、ただアイシャに再び会えることを嬉しく思い、女神の祝福を受け入れることが当然だと思っていた。だが、アイシャの判断は予想と違い、アレスの目の前で女神の祝福を拒否し、そのあとすぐに倒れて眠りについてしまった。
今でも鮮明に思い出せる。壇上で拒否を宣言したアイシャが振り返り、とても寂しそうにアレスに微笑んで倒れた時のことを。
あの時の記憶が残っているせいで、アレスの中には不安が渦巻いているのだ。
そんなことを考えていると、会場内から視線を感じた。顔を上げたアレスにまっすぐに視線を向けていたのはロイナーだった。それ以外にも隣に座っているエリストン侯爵夫妻もじっとアレスを見ていた。
前回失敗したせいで、侯爵家からの信用を失い、下手をすれば敵対心を持たれていてもおかしくなかった。アイシャが倒れた後、ロイナーは自分の怒りをアレスに思うままにぶつけてきた。侯爵夫妻は冷静に対応してくれていたが、アイシャを領地に連れて帰るということだけは断固として主張してきた。
軽く目を伏せるように目礼してきた侯爵が隣の夫人に話しかけると、さらに隣に座るロイナーに夫人が何かを言う。するとロイナーが諦めたように肩を竦めて視線を外してきた。
何を伝言されたのかわからなかったが、とりあえずは侯爵家から睨まれずに感謝祭をすることができそうだった。
「すべては女神の代理人であるアイシャが決めること。私たちはそれを受け入れるしかありません」
急に隣で王妃がそんなことを言ってきた。驚いて視線を向けると、優しい微笑みをアレスに向けてきていた。
「あまり思いつめてはいけませんよ」
そんな顔をした覚えはないが、確かに不安はアレスの中にあった。誰にもばれていないと思っていたが、隣に座る母親は息子の心情を感じ取っていたようだった。そして、侯爵家からの鋭い視線にも気が付いていたかもしれない。
「わかっています。アイシャがすべてを決めること。俺達には発言する資格はない」
それはアレス自身に言い聞かせる言葉だった。不安になったところでアイシャがすべてを決めるのだ。今度こそ女神の祝福を受け取ってもらうため、ずっと彼女を支えてきたつもりだ。それに、この感謝祭が無事に終わらなければ、アレスはいつまでたってもアイシャと一緒にはなれない。それはもう我慢できないだろう。
そんなことを考えていると、壇上の奥から突然アイシャが現れた。とても静かな登場に、貴族たちの反応が遅れる。ざわざわとしていた会場がアイシャに気が付いた貴族から口を閉じて静かになっていく。
アイシャは王族の前を通って壇上の真ん中に立った。国王への挨拶もないが、これは普通のことだった。相手は女神の代理人だ。国の王よりも重要で尊い存在なのだ。今は女神の意思を伝える大事な存在なので、誰も王族に反応しないアイシャに不満を漏らすはずがなかった。
それに、王家の誰も反応しないのだから、貴族が声を上げるはずもない。
国王や王妃はそれが当たり前だと受け止めているので、当然のように静かにしているが、アレスの左側にいる妹たちは初めての参加になる。アレスが視線を向けると、妹たちは緊張した面持ちで固まっていた。何か発言をするよりも、場の空気に圧倒されて動けないでいるというのが正しいかもしれない。
少しかわいそうな気もしたが、アレスも発言するわけにもいかないので、そのまま視線をアイシャへと戻した。
アイシャは壇上の中央に立つと、静かに会場にいる貴族たちを見渡した。誰もがアイシャの視線を受けて強張った顔を向けている。緊張しているというよりもこれからアイシャが何を話すのか不安でどうしようもないという雰囲気だ。
再びアイシャが女神の祝福を拒否すれば国は完全に見捨てられたと彼らは判断するのだろう。まだ結果が出ていないのに、その後のことを今から考えているのかもしれない。
そんな中でエリストン侯爵家だけは、静かで優しいまなざしをアイシャに向けていた。
アイシャは会場を見渡した後、アレスの方へと視線を向ける。
「・・・・・」
言葉はなかったが、その瞳はとても澄んでいて優しさが伝わってきた。
アレスは口元に笑みを浮かべ静かに頷いた。
大丈夫。誰も君を陥れようとしない。アイシャの思うままに伝えればいい。
心の中でそう言ってみると、まるですべてが通じたかのようにアイシャが微笑んだ。
そして、再び会場へと視線を向けるとアイシャはゆっくりと口を開いた。
「女神の代理人アイシャは、女神より祝福を受け取り、この国の平和と繁栄を願うことを宣言する」
会場が一瞬静まり返った。その様子を見たアイシャがさらに口を開く。
「私の言葉に意見ある者がいるのなら、今ここで聞きましょう」
誰もが息を飲む気配があった。アイシャへの意見は女神への反論になる。それに、アイシャは今女神の祝福を受け入れると宣言した。それを否定したい人間がこの中にいるとは思えなかった。
アイシャがゆっくりと会場を見渡して、誰も何も言わないことを確認すると静かに一歩後ろに下がり、アレスの方を振り返った。
優しい微笑みをアレスに向けてくる。3年前にも今のように宣言した後に振り返って微笑んでいたアイシャだったが、あの時は悲しそうで寂しそうな、どこか諦めを含んでいたような微笑みだったと思っている。だが、今アレスに向けてくれる笑みは穏やかで優しいものだと感じられた。
仕方なく女神の祝福を受け取ったわけではない。アイシャが自らの意思で祝福を受け取ると決めたことがわかった。
アレスは無意識に立ち上がっていた。何か発言するわけではない。そのままアイシャへと歩みを進めると隣に立つ。
アイシャが静かに見つめてくる。アレスは小さく微笑むとアイシャの手を取り、そっと手の甲にキスを落とした。
それを合図にしたのか、会場内で誰かが拍手をする。すると、つられたように他の場所からも拍手が起こり、波のように広がっていくと、大きな拍手となって会場を包んだ。
誰もがアイシャの宣言を受け入れ喜びを伝えている。
笑顔を向けている者。涙を流して歓迎している者。ほっとしたように肩の力を抜いている者もいた。その全員がアイシャが祝福を受け入れてくれたことに感謝していたのだ。
これで女神の感謝祭の重要な式は終わりとなった。




