幸せを願って
すべての話を聞き終えて部屋に戻ったアイシャだったが、自分の知らない過去の話を聞いてゆっくり休めるような図太い神経はなかった。ベッドに横になってみたものの、目が冴えてしまって眠れるわけがない。
「風にでも当たろうかしら」
部屋を出ようとすると、護衛に双子騎士が待機していた。侍女を今から呼んで付き添ってもらうのは忍びないと思い、双子騎士を伴って庭を散歩することにした。
明かりがあるものの薄暗くなってきた時間の庭は遠くまで見渡せるほどではなかった。それでも優しい風がアイシャの頬を掠めていき、気持ちを落ち着かせるには十分だと思えた。
「アイシャ?」
庭を少し歩いていると急に後ろから声を掛けられた。
振り返ればアレスが少し驚いた顔をして近づいてきていた。
「休んでいなくて大丈夫なのか?」
長旅に疲れていることを心配してくれているようだが、アイシャの知らない過去の話を聞いてゆっくり休めない。
「少し風にあたりたくなって」
そう言うと、彼は何も言わずにアイシャの隣に立って、そっと手を伸ばした。
「薄暗いから足元に気を付けないと」
どうやらエスコートしてくれるようだ。それがわかるとすぐ後ろにいたはずの双子の騎士が後ろに下がって距離を取った。
「1人が良かったかな?」
すぐに手を取らなかったことでアレスが首を傾げて尋ねてきて。まさかここで彼と会って一緒に庭を散歩するとは思っていなかったアイシャは反応に遅れたのだ。
「そんなことないわ」
手を取るとほっとしたようにアレスが微笑んだ。
そのまま庭を歩き始めるが、しばらく2人は無言のままだった。アイシャは風を感じて心を落ち着かせていたが、アレスは何を話せばいいのか悩んでいたのだ。
急に公爵家の血筋だと言われて戸惑っているはずのアイシャに、再び先ほどの話を振るのは控えたい。それ以外に何を話せばいいのか悩んでいた。もうすぐ感謝祭にもなる。女神に関することを聞いてもいいのか、代理人としての話をしてしまうと仕事の話になってしまう。
悶々としているアレスとは正反対に、アイシャは気持ちが落ち着いてきていた。そして、一つだけ気がかりなことを思いついてしまった。
「アイシャ?」
その考えが頭によぎると自然と足が止まり、アイシャは無意識に空を見上げていた。薄暗い空はちらほらと星明りが見え始め、太陽のわずかな光が西を照らしていた。
「母は、幸せだったのでしょうか?」
公爵家の人間であることを知ったアイシャは、公爵令嬢だった母のことを考えていた。公爵を暗殺され、自分自身も命を狙われた。護衛騎士と一緒に逃げて公爵家に戻れずひっそりと暮らす中、一緒に逃げた騎士との間にアイシャが生まれた。
本当なら公爵令嬢として優雅な生活をして、身分の高い貴族と結婚していたはずのセレーナは平民という生活に埋もれて幸せに生きられたのだろうかと思った。
アイシャが知る限り両親は仲が良く、母親がつらそうにしている場面を見た記憶がなかった。ただ、アイシャの知らないところで涙していた可能性だってある。貴族として公爵家に戻りたかったのではないだろうか。
「俺が知っている限りで言うなら、セレーナ=ロキサリーという人は、幸せだったと思うよ」
アレスはセレーナに会ったことがない。それでも、はっきりとそう言ったのだ。
「アイシャの過去は、アイシャが眠っている間に侯爵夫妻から聞いた。その後に自分なりにも調べたけれど、不幸を背負って生きていたとは思えなかった」
3年前アイシャが王城で生活していた時はアレスも何も知らなかった。アイシャが女神の祝福を拒否して眠りについた後、侯爵家が秘密にしていたアイシャのことを王家に伝えたのだ。
国王は当時のことをよく覚えていた。公爵が暗殺された後調査を引き継いだのが当時王太子だった国王だったからだ。
「アイシャの母親はそんなにつらそうな姿をアイシャに見せていたのかい?」
その質問に首を横に振った。アイシャにはいつも穏やかに接してくれていた。時には厳しい時もあったが、アイシャの側で不幸を抱え込んでいるような雰囲気や態度を見せることはなく、言葉でも聞いた記憶がなかった。
「それなら、それが答えなんじゃないかな。それよりもアイシャと一緒にいられたことが幸せだったと俺は思う」
いろいろと調べてアレスはその答えに行きついたようだった。
「アイシャも自信を持つべきだと思う。そうしないと、家族で幸せな生活をしていた過去を否定することになってしまう。それに、アイシャ自身も不幸だったと思っていないだろう」
アイシャは自分自身が不幸な生活をしていたとは思っていなかった。森の中の生活でも両親がいてくれたことで寂しくなかった。
「そうね。私も不幸だなんて思ったことがないわ」
「それなら問題ないね」
アレスが穏やかに微笑んだ。なんだかすべてを見透かしていたのではないかと思えるほどの落ち着きだ。だが、不思議と悪い気はしなかった。
「ありがとう、アレス」
そう言うと、アレスが一瞬驚いた顔をした。だがすぐに穏やかな表情に戻る。それと同時に彼の顔が近づいてきた。
それが何を意味するのかアイシャはすぐに理解すると、そっと目を閉じた。
触れる唇の優しさに、アレスの優しさがにじみ出ているような気がした。
2人はそのまましばらく庭を散策してから、部屋に戻ることになるのだった。




