知らなかった過去
「・・・アイシャ」
名前を呼ばれた気がしてアイシャは目を覚ました。馬車の揺れが心地よくてまだ眠っていたいような気もしたが、もう一度名前を呼ばれてしまったら起きないわけにはいかない。
「もうすぐ到着だ」
どこにと思ったが、窓の外に視線を向けて見覚えのある光景に、城に帰ってきたことを自覚した。
「いろいろあって疲れただろう。今日はこのまま休むといい」
馬車が止まるとアレスが先に降りていきアイシャに手を差し伸べた。その手を借りて降りると、不思議と帰ってきたのだという実感が湧いた。いつの間にか城が自分の居場所になっていたことに気づくことになった。1度目の時に楽しい記憶など何もない。2度目は短い期間だが誰もがアイシャを大切に扱ってくれる場所ではある。でも、二つの記憶を合わせてもこの場所が住み心地の良い場所であり自分の快適な居場所という考えはなかった。
それなのにここがアイシャの居場所なのだと自覚してしまったのだ。
なんだか複雑な気持ちになってしまう。
「アイシャ?」
苦笑しながら城を見上げているとアレスが首を傾げていた。
「何でもないわ。それより、このまま休む前に少し話をしたいの」
公爵家でのことが終わり、アイシャたちは王都へと戻ってきた。その間にも寄った街での様子なども視察して数日かけて戻ってきたが、アイシャはずっと気になっていることがあった。その答えをアレスが持っているが、その話題は一切持ち上がることなく帰ってきてしまった。
王都に戻ってきたのだからもう話をしてもいいのではないかと思いアイシャは休む前に聞きたいことを聞いて、気持ちよく休みたいと思ったのだ。
「・・・わかった。俺の執務室に行こう」
アレスも何の話なのか察したようで腕を差し出してきた。このまま2人で執務室へ向かうという意味だ。
「ロイナーも来てくれ」
公爵家に残ったロイナーだが、その日の夜にレイストたちと一緒に合流した。アイシャは彼が公爵家で何をしていたのか聞いていない。襲撃者たちは騎士が対応していたはずだが、ロイナーの行動は不明だ。
彼自身何も話そうとしなかったのでアイシャも聞かないでいる。
侍女たちはすぐにでもアイシャを休ませるための準備をしてくれていたようだが、少しだけ待ってもらうことになった。
執務室に到着すると中で仕事をしていたエリオと挨拶を交わす。
アイシャがソファに座り、隣にロイナーが座った。アレスはアイシャと向かい合って座るとエリオがお茶を淹れてくれる。
そのお茶を飲んで一息つくと、アレスが口を開いた。
「話とは、公爵家でのアイシャの血筋についてだろう?」
ずっと気になっていたが話ができなかった内容をアレスはしっかりと覚えていた。
「私が公爵家の血筋だとロイ兄さまが言っていました」
あの時シーラが平民のアイシャを見下すような発言をするとロイナーがアイシャは公爵家の血筋だとはっきり言っていた。そのことをアレスも理解している様子に、戸惑っていたのはアイシャだけだった。
「殿下」
お茶を淹れて自分の席に戻ろうとしていたエリオが戸惑ったように声をかけてくる。だが、彼は何も知らないという雰囲気ではなく、今話ていいのかという疑問を投げかけているように見えた。
「心配ない。アイシャはもう知っておかなければいけないことだ。感謝祭の前に打ち明けられることはよかったんだと思う」
アレスがそう言うと、エリオはそれ以上何も言わずに椅子に座った。彼もすべてを知っているのだろう。
「ロイナーが言っていたとおり、アイシャは平民ということになっていたが、君の母親は公爵家の人間だった」
「お母さんが」
貴族としての立ち居振る舞いを心得ていた母は、アイシャにもすべてを教え込んだ。そのおかげでエリストン侯爵家でも問題なく過ごすことができていた。そんな母が公爵家の人間だった。
「この国には公爵家が3つある。1つがアストラル公爵家。アイシャを蔑んだシーラ=アストラルの家だ。もう1つがヘルキュウス公爵家。年の近い令息や令嬢がいなかったため、関りがほとんどない家になる。そしてもう1つがロキサリー公爵家。アイシャが生まれるよりも前に不慮の事故で当主が亡くなり、娘の公爵令嬢が行方不明になったことで誰も継いでいない空白の公爵家だ」
「そのロキサリー公爵家が、アイシャの血筋になる。そして、行方不明だった公爵令嬢が君の母親になる」
アレスの説明にロイナーが引き継いで話をしてくれた。ロイナーもすべてを知っているようで、いつから知っていたのか、3年前から知っていたのならどうして教えてくれなかったのか疑問に思った。だが、もし知っていたなら教えてくれていたように思う。そう考えるとロイナーはアイシャが眠っている間に真実を知ったのだろう。
「お母さんが公爵令嬢」
ロイナーのことよりもまずは自分の母親のことを知ることが重要だった。
「貴族だった話は一度も聞いたことがなかったわ」
「おそらく、貴族であることを隠していたから、アイシャにも伝えてこなかったんだと思う」
アレスの説明に首を傾げるしかない。なぜ隠していたのかその答えを彼は知っているようだった。
「ロキサリー公爵家は、その当時の国王の命で、とある伯爵の調査をしていた」
今の国王の父親にあたる前国王が、ロキサリー公爵に極秘の命を与えていた。
それは当時国中で噂になっていた禁止薬物を伯爵家が密かに栽培し販売しているというものだった。
その調査をロキサリー公爵家の当主、レイド=ロキサリーが行っていたのだ。
「レイド=ロキサリーはアイシャの母方の祖父になる」
「お母さんの・・・」
両親の親についても話を聞いたことがなかった。何も言わないことから、もうすでに他界しているのだろうと子供心に思った記憶がある。
「ロキサリー公爵は当時の国王の命で調査をしていた。伯爵に気付かれることなく動向を調査し、禁止薬物の製造販売などの流れも掴むことになっていた」
調査は最初順調だったらしい。だが、途中で伯爵がレイドの動きを察知してしまった。それが悲劇の始まりになった。
公爵は移動中の馬車を賊に襲われ命を落としたのだ。そして、当時の公爵令嬢であったアイシャの母親も馬車の移動中に何者かに襲われたのだ。
「だけど、公爵令嬢はそこで殺されることはなく、護衛騎士と一緒に逃げ延びたようだった。だが、その後の消息は不明だった」
公爵は亡くなり、公爵令嬢は行方不明。公爵家を継ぐ者がいなくなり爵位は宙に浮いた状態になった。
公爵令嬢の捜索は行われたが手掛かりはなく、いつしか捜索は打ち切られてしまった。その後、王家が密かに伯爵の調査を続行していた。それほどまでに資料を公爵が残してくれていたことも調査を順調に進めることができた。
おかげで伯爵を追い詰めるだけの資料と証拠は時間をかけずに集め、伯爵を断罪することができた。それ以外にも伯爵と繋がっていた取引をしていた貴族も芋づる式に捕らえることに成功した。
だが、公爵家を失うという大きな損害も王家は受けることになってしまった。
「その公爵令嬢だが、7年ほど経ってから見つかった」
「エリストン侯爵領で一緒に消えた護衛騎士と一緒にひっそりと暮らしていたんだ」
アレスの言葉をロイナーが引き継いだ。
見つけたのは侯爵夫人のエレナだった。街の視察をしていた時に、小さな子供を連れた見知った女性と遭遇したのだ。すぐに消息不明だったセレーナ=ロキサリーだとわかったという。エレナはセレーナと学友であり仲が良かったのだ。
すぐにセレーナを捕まえたという。セレーナは襲われた時このまま戻ることに身の危険を感じたため、ずっと護衛騎士と身を潜めて暮らしていた。
父親の葬儀に立ち会えなかったことが後悔であると話していたそうだ。
「その時のことをより詳しく知りたいなら、母に直接聞いてみるといい。僕も母から聞いただけだから、詳細まではわからない」
ロイナーもエレナから話を聞くまで何も知らなかった。アイシャは普通に平民の子供で、エレナとセレーナの気が合って身分に関係なく仲良くしているのだと思っていた。
貴族出身でしかも公爵家の血筋だと知らされた時は驚いたそうだ。それと同時に素直に納得もしたらしい。
「事情を知った僕の両親は国に報告することなく、領地で暮らせるように手配した」
アイシャたち家族は、街から離れていない小さな森で暮らしていた。そこの管理者として暮らせるようにしてくれたのだ。
当時のアイシャはまだ幼かったため、両親と一緒に森で暮らせていることに疑問を持つことがなかった。
「禁止薬物の件で伯爵を捕らえることに成功した後、公爵家の暗殺に関与したことも証明され、伯爵は処刑され、伯爵家も取り潰しになっている。俺も当時のことは幼かったこともあって、よく覚えていないが、かなりの影響が国にもあったみたいだ」
当時の王家でも、いろいろと後始末も多かったそうだ。伯爵家のことは国中にうわさが広がり、アイシャの母親の耳にも解決した知らせは届いていたはずだった。
それでもセリーナは王都に戻り公爵家を引き継がなかった。
貴族であることを捨て、護衛騎士であった夫とアイシャと静かに暮らすことを選択したのだ。
その後、夫は事故で亡くなるという不幸があり、森でアイシャと2人で暮らしていくのは困難と判断して街に移り住んだ。そこから、セレーナは街で働くようになり、その間アイシャをエリストン家に預けることにした。
平民ではあっても貴族としてのマナーをしっかり身に着けていたアイシャは、エリストン家で問題を起こすこともなく、すんなりと受け入れられていた。
このまま平民として生きていくことになると思われていたが、セレーナが病気で他界すると、アイシャは女神の代理人として選ばれ王都へ行くことになってしまった。
「両親はすべてを知りながらもアイシャの素性を隠して送り出していた」
今更公爵家の人間だと知られれば余計な混乱を招くと考えての判断だった。まさか平民であることでアイシャが苦しむことになるとは思いもしなかったのだ。
「私は何も知らないままずっと生きてきたのね」
「そのままのアイシャでいてほしいという我が儘だったのかもしれない。女神に選ばれたことは驚きではあっても、きっとアイシャは幸せになれるだろうと考えていたんだ」
必要ならアイシャの素性を知らせるつもりでもいたらしい。だが、それは女神の代理人として感謝祭を終えた後にするつもりだった。まさか、女神の祝福を拒否して眠りにつくとは誰も考えていなかった。
「より詳しいことを知りたかったら、母に尋ねるといい。感謝祭に合わせて領地から来ることになっている」
高位貴族は感謝祭で女神の代理人が祝福を受け取る瞬間を見届ける役目がある。エリストン侯爵家もその中に入っていて、もとよりアイシャを養女として受け入れた侯爵家として参加することが決まっている。
3年前にも儀式のときに参加していて、アイシャが祝福を拒絶しその場に倒れたのを目撃していた。
両親のことをもっと詳しく知りたければエレナに直接聞くしかない。
ただ、アイシャが公爵家の血筋であるということははっきりしている。
「この話はここまでになる。より詳しいことは侯爵夫人に聞くことにして、今日はもう休みなさい」
アイシャはただ静かに頷いて、公爵家の人間であったという話はここで終わりとなった。




