公爵令嬢
「シーラ」
驚いた声を上げた公爵に、執事が慌てたように扉が開かれて中に入ってきた女性に駆け寄った。
ふらつきながら女性が部屋に入ってくる。
青白い顔に白い髪が所々に入り混じった金髪。緑の瞳だけがしっかりと前を見据えている。
呼吸が荒いのはバタバタと慌ただしく動いていたからだろう。
アイシャはその女性の顔を見ても一瞬誰なのかわからなかった。公爵が娘の名前を呼んだことで、目の前にいるのがシーラ=アストラル公爵令嬢なのだとやっと認識できた。
だが、シーラはアイシャと変わらない年齢のはずなのに、目の前にいるのは20歳年上に見えた。白髪が混ざっているのもあるのだろうが、肌に張りがなくしわが刻まれている。
「お嬢様、ここに来てはいけません」
執事が肩を掴むと、シーラは部屋を見渡してからアイシャに視線を固定させた。
そう思ったのは一瞬のことで、シーラはアイシャを素通りして隣にいるアレスに視線を移した。
「アレス殿下」
笑みを浮かべたようだが、頬が引きつっていて見据えた目が怖かった。
屋敷に入った時にお化けでも出るのではないかと思ったが、それが目の前に現れたような気がした。背筋に冷たいものを感じてアイシャは息を飲んで固まってしまった。
「わたくしのことを迎えに来てくださったのですね。3年経ってもわたくしの気持ちは変わっておりませんわ」
「は?」
シーラの言葉に何を言っているのかわからなかったアレスが疑問の声を上げる。
「あんな女よりわたくしの方が妃として相応しいことがわかったのでしょう」
何を言っているのかアイシャにもわからなかった。ただ、目の前のシーラ=アストラルは何かがおかしいことだけは理解できた。
アレスだけを見て、周囲にいる人間のことを気にしていないというより、存在していないように扱っている。
アレスが立ち上がる。シーラに危険なものを感じたのだろう。アイシャもゆっくり座っていられず立ち上がる。
「何を言っているんだ、あの女は」
アレスが公爵に向けて言った言葉だったが、公爵も状況を上手く把握できていないのか、娘の言動に混乱しているような様子だ。
「シーラ。一体どうしたんだ。今まで部屋から出てこようとしなかったのに、突然出てきて何を言っている」
可愛い娘の変わり果てた姿と言動に、部屋にいる誰もが理解できずにいた。
公爵がわざと娘を部屋から出してこの場に導いたわけではないことが明らかだ。
「わたくし、ずっとお待ちしていたのですよ。やはりふさわしいのが誰なのかわかってくださったのですよね」
シーラは誰の声も聞こえていないのか、アレスだけを見て1人で話を進めている。精神面でおかしいことは明らかだ。
「シーラ!」
公爵が娘に駆け寄って両肩を掴んで揺さぶった。
すると、シーラがやっと父親に気が付いたようで視線を向けた。そして、再び歪んだ笑みを浮かべた。
「お父様。殿下がやっとわたくしの価値に気が付いてくださいました」
喜んでいるようだが、この場にふさわしくない内容だ。何をどう考えたらアレスがシーラを迎えに来たと思うのか謎でしかない。
「こんな娘を3年ずっと面倒見ていたのか」
状況を把握したロイナーが公爵を憐れむように見ていた。娘のせいで領地が危機的状況になっているが、おかしなことを言っている娘に何を言っても無駄なのだろう。
だからと言って娘を追い出すこともできなかった。
「お前は何を言っているんだ。殿下は迎えになど来ていないぞ。シーラが妃になれるはずがないだろう」
アレスの婚約者はアイシャだ。結婚すればアイシャが王太子妃となる。女神の代理人を傷つけてきたシーラがなれるはずがない。
シーラがきょとんとした顔をする。父親の言葉が理解できない様子だ。
「王太子殿下の婚約者は女神の代理人であるアイシャ様だぞ」
「・・・アイ、シャ」
「お前が3年前に見下していた女神の代理人様だ。今も昔も殿下の婚約者だ。変わることはない」
公爵の言葉にシーラは目を大きく見開いた。
「アイシャ・・・わたくしを陥れた女」
「は?」
シーラの声が低くなる。アイシャは背中に冷たいものを感じた。そして、今でもシーラ=アストラルがアイシャに悪意を持っていることを理解することになった。
それと同時に、周囲が素早く動いた。
アレスがアイシャを引き押せて、騎士たちが剣の柄に手を添える。
「わたくしが妃になるはずだったのに、女神に選ばれるのだって、わたくしだとお父様も言っていたじゃありませんか」
「それは、お前が幼かったころの話だろう」
幼いころに将来女神に選ばれて代理人として城へ行くという憧れは貴族の子供なら抱くことなのかもしれない。平民として生まれ育ったアイシャはそんなことを考えたことがない。
シーラは父親から女神の代理人に選ばれるかもしれないことを聞かされて夢見ていたようだが、それは子供のころの話のはずだった。それを今でも夢見て、女神の代理人が選ばれた後でもふさわしいのは自分だと思い込んでしまっているようだ。
「なんて幼稚な」
アレスもシーラの発言に呆れてしまったようだった。アイシャも同意見ではあったが口には出さなかった。
「シーラ、よく聞きなさい。女神の代理人はもう決まっている。どんなに騒いでも女神の代理人はアイシャ=エリストンから覆ることはない」
父親の説明にシーラがきょとんとした顔になった。理解が追い付かないようで、じっと父親の顔を覗き込んでから首を傾げた。
「・・・あの女がわたくしの上にいるなんておかしいでしょう」
それが当たり前であるかのような言い方だった。シーラにとってアイシャは常に下の存在なのだ。
彼女は女神の代理人としてアイシャを見ていないのだと思った。平民であり見下すのが当たり前の存在であることがシーラの考え方なのだろう。根本的なところが違ったのだ。
「平民のくせに女神に選ばれて、平民なのに殿下の隣に立っているなんて」
アイシャはそっと目を閉じた。彼女とは最初から何もかもが合わなかったのだ。
女神の代理人になって城で生活することになり、女神の代理人を貴族たちは丁重に扱ってくれると思っていたのに、それを裏切る行為をされてきた。最初から認めてくれていなかったのだ。そして、最後まで認めるつもりがないのだ。
瞼を持ち上げたアイシャはまっすぐにシーラを見た。歪んだ考えに振り回されてきたことへの怒りはそこになかった。
ただ、ここでけじめをつけなければいけないと思うだけだ。
アイシャが口を開こうとすると、その前にロイナーが前に出た。ゆっくりとした動きでシーラの前に立つ。
「平民、平民とうるさいが、アイシャはエリストン侯爵家の人間だ。同じ貴族になる。それでも不十分だというのなら」
そう言ってロイナーがシーラの胸ぐらをつかんだ。何を考えているのかわからないシーラだが、突然の行動に驚いてロイナーに視線を合わせた。
意識がロイナーに向くと、彼は不敵に笑った。
「アイシャはわけあって平民という身分になっているが、彼女は立派な公爵家の血筋だ。お前と同じ公爵だ」
「え?」
それに反応したのはアイシャだった。そんな話は聞いたことがない。驚いているとアイシャを抱きしめているアレスがアイシャを見て小さく頷いた。
「詳細は後で話す。だけど、アイシャが公爵家の血筋であることは間違いない。王家も認めている」
「私が貴族?」
養女としてエリストン侯爵家の一員になったが、それよりも前にアイシャ自身が貴族の血筋だという。両親からそんな話は聞いたことがなかった。ただ、2人とも若いころの話をアイシャにしてくれたことがなかった。それに、母親は貴族としてのマナーを身に着けていて、それをアイシャにも教えていた。
「アイシャは貴族の血筋だ。これでお前の言っている平民として見下す条件はできなくなる」
ロイナーがシーラから手を離した。力が抜けたのか膝から崩れ落ちるようにシーラが床に座り込んだ。
「血筋にこだわるなら、殿下の婚約者としてもふさわしい。それに、アイシャは貴族としてのマナーも十分に身についている。指摘して陥れようとしても無駄だ」
アイシャのできないことを突いて陥れようとしても何も通じないのだとロイナーは座り込んだシーラに突きつけるように言った。
貴族の話は気になるところだが、アイシャはアレスから離れるとロイナーの隣まで歩いた。
シーラがゆっくりと顔を上げる。アイシャを認識しているのかわからなかったが、3年前とは違う年老いたシーラをアイシャは静かに見下ろした。
「あなたは何もかも私を認めようとしなかった。自分がすべてで自分以外は何も認めないつもりだったのでしょう。3年という月日で反省しているかと思いましたが、どうやら考えが甘かったようですね」
自分のしたことを悔いて部屋に閉じこもっているのならまだしも、自分は何も悪くなく、アレスが認めてくれるのを待っていた。アイシャのことを見下す気持ちは変わることがない。
「あなたには女神からの祝福は永遠に訪れないでしょう」
これはアイシャの気持ちでもあるが、きっと女神も同じ気持ちだと思った。女神が選んだ代理人を認めず蔑むような存在を受け入れるとは到底思えない。
「アイシャ=エリストン。お前のせいで・・・」
座り込んで見上げてくるシーラがアイシャの存在を認識したようだった。瞳の奥に怒りがあるような気がした。それを見てアイシャはシーラを憐れむ気持ちが湧いた。どうしてこんな考え方しかできないのか。女神の代理人が誰になろうと女神が選んだ大事な存在だと、周りがもっとしっかり教えていれば違ったのかもしれない。
「わたくしの方がすべてに対して断然勝っているというのに。地位も名誉も美貌だってわたくしが上なのに」
地位や名誉は父親が公爵だからこそ得られていることをシーラは気が付いているのか疑問だった。そして美貌を口にしてアイシャはさらに憐れむ気持ちが湧いた。
「誰か鏡を」
その言葉に公爵と執事が反応した。明らかに戸惑った様子を見せる。
「鏡をここに」
アイシャの言葉に諦めたように執事が動いた。部屋を出ると近くに飾ってあったのか、抱えられる大きさの鏡を持ってきた。ロイナーがそれを受け取った。彼はアイシャが何をしたいのか理解していたのだ。
シーラの目の前に鏡を置く。
「自分の姿をよく見てみろ。この姿がアイシャと比較できるのか考えてみろ」
シーラが目の前に置かれた鏡に映る自分の存在を認識するときょとんとした顔をした。
目の前の40代に見える女性が誰なのかわからないようだ。髪に艶はなく肌に張りもない。アイシャと変わらないはずの年齢なのに、20歳は年上に見える姿がそこにあった。
「何これ。誰?」
口を動かすと鏡の中のシーラも動く。それだけで移る姿が自分なのだとわかったようだった。
「ひぃぃ」
驚愕する姿が移るとシーラは床に顔を押し付けるように鏡から視線をそらした。
自分の変わり果てた姿を認められないのだろう。
「これが女神からの罰でしょうね」
アイシャの言葉はおそらく耳に入っていなかっただろう。
しばらく伏せる公爵令嬢を見下ろすことになり、アイシャは公爵家とのけじめがつけられたような気がした。




