不穏な気配
静かな通路を歩き、地下へと続く階段を下りていくロイナーは、前を歩くレイストの後ろ姿を見つめながら口を開いた。
「まさか僕がここへ来ることになるとは」
「今は大人しくしていますが、最初は罵詈雑言など当たり前のように騒いでいた相手です。殿下が直接会って話を聞こうとしていましたが、あれに会わせるのは気が引けました。ロイナー様が変わってくれたことはありがたかったですよ」
「殿下の補佐ですからね。殿下を行かせられないのなら僕が行くべきでしょう。それに、アイシャに危害を加えようとした相手です。この目で確認しておきたかったのでちょうどよかった」
ロイナーが今向かっているのは地下牢だ。数日前にアイシャの前に立ちはだかった侯爵令息ディフル=ソルテイクが放り込まれている場所になる。
地下牢に閉じ込められた時は、それはもう聞いていられないほどわめき散らして侯爵家の人間を牢に入れたことを後悔させてやると、なぜか上から目線で言っていたらしい。
どうしてそんな態度を取っていられるのかわからなかったが、もしかすると父親の侯爵が助けてくれると思ったのかもしれない。だが、その予想はあっさりと否定されることになる。
アイシャにしたことはすぐに侯爵家にも知らされることになり、侯爵は謝罪の手紙と息子を侯爵家から切り離すことを約束した。それはつまり、今牢に放り込まれているのは侯爵令息ではなく、平民の男ということになったのだ。父親は二度と息子を助けることはない。息子として思ってもいないかもしれない。
本人はそのことをまだ知らないのだ。ついでに教えてみるつもりでいた。どんな反応をするのか楽しみだ。
そんなことを考えていると地下牢へ続く扉の前に到着した。扉を潜るとまっすぐな通路の両側に等間隔で鉄格子のついた扉が並んでいる。
通路を進んでいくが、各扉の奥に閉じ込められている人間はいない。ここに連れてこられる者はほとんどいないことがわかる。そんな場所に一人で放り込まれ喚いても誰も助けてくれない状況に置かれた公爵令息。いや、もう貴族ではない。
「こちらです」
廊下の突き当り、一番奥にある牢の前で立ち止まったレイストが体をよけると、格子部分から中が覗けた。そこは薄暗い部屋の中で、うなだれている男がいた。
簡易的なベッドと毛布が1枚あるのを見ると、罪人であるがほんの少しの情けがあるような気がした。
アイシャに危害を加えようとしたのだから、情けなど必要ないとロイナーは思ってしまうが、決めるのはロイナーではない。こんなところで文句を言っても意味がないこともわかっていた。
「入っても問題ないのか?」
「最初のころは騒いでいましたが、今はその気力も無くなったのか、おとなしいというより無気力になっています」
とはいえ、注意はしておくべきだろう。
叫んでも喚いても誰も対応してくれないことで、何をしても無駄だとわかると気力が失われたようだ。
レイストが扉を開けて牢の中に入ると、そのすぐ後ろからロイナーも入った。
だが、床に座り込んでうなだれているディフルは、顔を上げたが目がうつろで反応が薄かった。
「自分のしたことを反省する前に気力が切れたようだな」
これでは侯爵家から見放されたことを話しても、何も感じないかもしれない。
ただ、アイシャに危害を加えようとしたことまで何も思うことがないのは悔しい気がした。
このまま追放したとしても彼が生きていけるかどうかわからないくらい、目の前の男に感情がなかった。
「少し話を聞きたかったのだが、これだと何も聞けそうにないな」
ロイナーがここまでわざわざ足を運んだのには理由がある。
ディフルはアイシャに対して敵意を向けた。3年前にアイシャの侍女をしていた女の婚約者だったが、婚約は白紙になってしまった。2人は政略ではなく恋愛で婚約していた。
調べたところによると、今はお互いに連絡を取っていないようだが、ディフルは婚約が白紙に戻ったことで、その原因を作ったアイシャに対して恨みを持っているようだった。婚約が白紙になってすぐの時に、侍女をしていた女とは接触をしていたようで、その時にどうやらアイシャがすべて悪いように伝えられているようだった。侍女たちの対応が原因だったのに、それをすべてアイシャのせいにしていたのだ。
その報告を聞いて、憎しみよりも呆れるのが先になったロイナーだった。その責任が親たちの領地に影響を及ぼしていることを理解しているのか疑問だ。
すぐに接触を禁止されたようだが、ディフルはこの3年間ずっとアイシャに対して憎しみを抱えて生きてきたのだ。
向ける感情と相手を間違えていることを誰も気づくことなく、指摘しなかったのだろう。
「こんなのが城にいたと思うと残念でしかないな」
彼は城で仕事をしていたわけではない。貴族令息として城の中を出入りすることを許可されただけだ。誰もアイシャに危害を加える存在だと思ってもいなかった。
「今後は城への出入りはありませんし、アイシャ様に近づくことはありません」
「当然だ。今度こそ女神の代理人は丁重に扱われ受け入れられなければいけない」
城で何かあればロイナーは誰が何を言おうとエリストン侯爵家へ連れて帰るつもりでいる。もう王族を信じることもできないだろう。
「・・・・・代理人」
その時、無反応だったディフルのつぶやきが牢屋に響いた。
ロイナーが視線を向けると、うなだれていた顔がロイナーに向いている。まだうつろな瞳だが、その奥にかすかな意思があるように見えた。
レイストがわずかに身構える。敵意までは感じないが、いつ何をしだすかわからない。
注意を払いながらロイナーは一歩前に出た。
「少し聞きたいことがある」
声が届いているのか、わずかに瞳が動いたのがわかった。
「いろいろと調べさせてもらったが、君がアイシャを憎んでいたこともわかっている。だが、3年という年月をずっと恨み続けていたとは思えない。今になってアイシャの前に現れて侮辱した本当の理由があるのではないか?」
婚約者との結婚ができなくなったことに恨みを持ったとしても、それは3年前のことだ。それだけ相手のことを想っていたのかもしれないが、城まで来てアイシャに危害を加えようとする労力を考えると、他に何かきっかけがあったのではないかと思えた。
「・・・俺から、彼女を奪った」
ディフルがゆっくりと言い出した。声がしっかりしている。彼の意思がはっきりしてきたのかもしれない。それと同時に警戒心がロイナーの中に高まっていく。
「あの女が、平民のくせに女神の代理人を名乗って、王族の中に入り込んできて」
どうしてそんなことを言えるのかロイナーには理解できない。アイシャは自分で女神の代理人になったわけではない。女神がアイシャを選んだのだ。
それに文句をつけるということは、アイシャを代理人に選んだ女神への冒涜だ。
「平民は平民として生きていけばいいのに」
この男は貴族と平民に大きな差があり、自分は平民を見下してもいい存在だと思っているのかもしれない。彼らが一生懸命働き税金を納めてくれているからこそ、貴族は裕福な生活ができる。その代わり貴族としての役割をしっかり果たさなければいけない。それなのに、目の前の男はその関係性さえ理解できていないような気がした。
「女神への冒涜に、アイシャを女神の代理人として受け入れている王族への不敬もあるな」
「アイシャ様に対する不敬もありますね」
「アイシャに対しては傷害罪が適用されるだろう」
「それは未遂です」
ロイナーの言葉にレイストが的確に反論した。もしもあの場でアイシャが傷つけられていたら、周りにいた騎士たちは何をしていたのだと叱責されるだけでは済まなかっただろう。
未遂であったことはいいことなのだが、目の前の男により重い罪を押し付けられないことが少し悔しい気がした。
もう一度ディフルに目を向けると、最初に見た時より瞳に意思が宿っていることがわかった。話せる相手ができたことでここにあらずの心が戻ってきたようだ。だが、ロイナーは楽しい会話をするつもりはないし、アイシャのことを卑下する言葉を聞きたいとも思わない。
わずかな会話だけで、彼が考えを改めることはないと悟った。ただ、まだ聞きたいことがある。
「お前の考えはわかった。だが、それを3年経った今、関わりを持っていなかったお前が行動したのは、お前だけの意思か?」
婚約が白紙になったことを恨んでいたとしても、3年という月日で行動できるほど憎んでいたのかと疑問に思う。関わりがあった侍女も領地に戻って静かにしている。ここで行動しても意味がないと思わなかったのか。
あるいは誰かに唆された可能性をロイナーは考えていた。これはロイナーだけでなくアレスも考えていることだ。
アイシャが王都に戻ってきたことはすでに知れ渡っている。貴族たちは今度こそ女神の代理人を丁重に扱わなければと必死だろうし、平民たちは今度こそ、女神の代理人が祝福を受け入れてくれることを心から願っていることだろう。
そんな中でいまだにアイシャを受け入れず、それ以上に恨みを募らせている存在がいるのなら、対処しなければいけない。
「・・・・・」
ディフルはしばらく黙ったままだった。その瞳に迷いがあるように思えて、ロイナーは少し待ってみることにした。彼の後ろには誰かがいるのかもしれない。
「ここですべてを話しておけば、お前の罪が軽くなる可能性があるぞ」
レイストが迷っている彼への一押しをした。自分が罪に問われることは理解できているはずだ。その罪が軽くなるかもしれないという誘いに彼が乗れば口を開くと思ったらしい。
その思惑は当たったらしく、ディフルがそわそわとしながら口を開いた。
「俺の婚約が白紙になったのは相手の責任だが、当時俺たちは愛し合っていたし、婚約は継続されると思っていた」
はきはきと話すディフルは、完全に自分の意思を取り戻しているように思えた。
「それなのに、父は一方的に婚約をなかったことにして、相手の親も彼女を領地に閉じ込めてしまった」
アイシャが女神の祝福を拒否して、婚約が白紙に戻るまでの間にお互いに会うことはできていた。その間にアイシャのことをいろいろと悪い方向に話を聞いていた。
自分たちがこんな目にあったのは侍女が悪いのだということもわかっていながらも、アイシャが悪いのだと思い込むことにしたようだ。
だが、3年という月日はその恨みも薄れさせていた。
アイシャが再び目を覚まし王都で女神の代理人として迎え入れられたことを知っても、怒りが湧くことはなかった。だが、そんな彼のところに一人の男がやってきたそうだ。
「男は、今の女神の代理人はふさわしくないと言っていた。平民のくせに王族に保護されて、何不自由なく王城で過ごしているだけじゃなく、王太子と結婚することも決まっている」
自分の状況と重ねると、あまりにも不公平ではないだろうか。男はそんなことを言って、さらにアイシャに対して否定的なことを吹き込んでいった。
その話を聞いているうちに失われていた憎しみが再燃してしまい、城に入れたディフルはそのままの勢いで乗り込んでいったのだ。
「その男は誰だ?」
「知らない。突然訪ねてきたが、相手は誰かに頼まれているようだった。その相手はわからない」
誰であろうと関係なかった。自分の中にある怒りをアイシャにぶつけられたらそれでよかった。
ロイナーはレイストと視線を合わせた。
なんだがきな臭いことが起こっているようだ。間接的にアイシャを陥れようとしている存在がいる。
「その男と連絡は取れるのか?」
「連絡方法がない。相手は一方的にやってきて、それ以降姿を見せていない」
牢に放り込まれたことで連絡ができないだけではなく、連絡方法もないようだ。
そこまで話を聞いてロイナーは牢を出ることにした。
だがその前に目の前の男に伝えておくことがある。
「お前の罪はたくさんあるから軽くなったとしても一生強制労働になるだろうな」
「え?」
もっと軽い罪になると考えていたのか、呆けた顔で見上げてくる。その顔を見下ろしながら、ロイナーはため息をついた。
「命があるだけましだと思うんだな。それと、お前は侯爵家から見捨てられた。もう貴族ではないから平民として扱われる。いや、罪人として扱われるだろうな」
強制労働と言っても命がけのところには行かないだろう。だが、貴族として振舞うことは一生できない。
頭が理解に追いつかないのか、彼は呆けたままだった。その姿を放っておいてロイナーは牢を出た。レイストも一緒に牢を出て通路を歩いていく。
「どう思う?」
まっすぐ前を向いたままロイナーが後ろからついてくるレイストに問いかけた。
「アイシャ様を陥れようとしている何者かがいるということですね。ちょうど恨んでいる相手を選んで唆している」
レイストはロイナーの質問に的確に答えていた。同じことを思っていたロイナーは大きく頷いた。
「あの男は連絡方法を知らないから、最初から切り捨てられる予定だったようだ。おそらく詳しく調べてみても何も見つけられないだろう」
捨て駒の侯爵令息を助けることはない。尋ねてきた男というのも誰かに頼まれて動いているようだったし、黒幕を突き止めるのは難しいだろう。
「アイシャ様の護衛を強化します」
「そうなると周りが不審に思うし、アイシャを不安にさせる。できるだけいつも通りの方がいいと思う」
これはロイナーの考えだ。アレスがどう判断するのかわからない。だが、明らかに警護を強化すると黒幕も姿を見せずに何もなかったことになってしまいそうだった。
「おそらく殿下が自分の影をアイシャに付けるだろう。表面的には何事もないように振舞う可能性が高いな」
王族にはそれぞれ専属の影がいる。アイシャを守るために影を動かすことになるだろう。
アイシャの身の安全が最優先になる。彼女に何かあった場合今度こそ女神の祝福を永遠に受けられなくなるような気がしている。女神の代理人を守れない王族を見放してしまうだろう。
「問題が山積みだな」
感謝祭までそれほど猶予はない。できるだけ早く解決して安心して感謝祭を迎えたいと切に思うロイナーだ。
今後のことを考えながらロイナーはそのままアレスのいる執務室へと向かうことになった。




