女神の声
そこは城の地下になる。
女神の代理人が女神の声を聞くためだけに作られた空間。
それほど広い部屋ではなかったのだが、天井が高く部屋の中心に地下水が湧き出ているようで、円形の噴水のようなものがあった。中央に台座があるがそこから緩やかに水が流れ続けている。
アイシャはその部屋に1人で入っていた。
部屋の前で護衛騎士と侍女は待機しなければいけない。
地下ということで寒いのかと思ったが、部屋に入った瞬間温かさを感じた。水も冷たくないようだ。
部屋に入ったら何をすればいいのか誰も教えてくれなかった。ただ、入れば何をすればいいのかわかるらしい。そのため侍女も騎士も部屋の中で何が行われているのか知らないようだった。
「記憶がないから、3年前にもしていたんだろうけど・・・」
3年前にしていたことは何も覚えていない。もう一度部屋ですべきことを考えなければいけなかった。この部屋では女神の声を聞くことになるらしい。
「女神の声・・・」
女神と話ができるのなら、どうしてアイシャを選んだのか聞いてみたかった。会話ができるとは聞かないので、女神の声を一方的に聞くだけかもしれない。
どんな声で何を言われるのか、アイシャには何も想像できなかった。
「とりあえず、何かしてみましょう」
目の前には水が少しずつ流れている噴水だけ。ほかに女神に関するものは何も置かれていなかった。
アイシャは噴水の淵に立つと、水が出てくる台座を見つめた。
女神オリビアは水を象徴する女神というわけではない。水に触れてみるが、温かいと思うだけで他に感じるものがなかった。
「女神オリビアからの声が聞こえてくるのかしら?」
水に変化はなく、アイシャ自身も何かを感じ取ることができなかった。女神の代理人は女神オリビアの声を聞くことができ、それを人々に伝える役目がある。だが、必ずここに来たら聞くことができるというわけではない。必要な時に女神が代理人を通して人々へ伝えるのだ。
3年前にもこの場所でアイシャは女神の声を聞いていたのだろうか。
貴族に虐げられていたことで、女神は何を思いアイシャに何を伝えていたのだろう。女神の代理人を通してすべてを見ていた女神が何を思っていたのか、アイシャにはわからなかった。ただ、祝福を拒否することを女神も納得していたように思う。貴族たちへの怒りが女神の中にもあったと思っていいだろう。
「もう一度ここへ来たけれど、私はどうしたらいいですか?」
女神の代理人は国の人々を見て、国の状況を理解し、今の国に女神の祝福を与えてもいいかを判断する。3年前にその祝福を拒否したアイシャは、目覚めたことでもう一度女神の代理人としての役目を果たすことを女神が望んでいるのだと思っている。
同じように今回も国を見ろと言うことなのだろうが、アイシャの中には不安もあるのだ。
記憶がないためすべてが初めてのことになる。支えてくれる人はいるが、女神から何も声を聞いていないことで、自分のしていることが正しいのか自信がないのだ。
「どうして私だったのか、もしも女神に会えるのなら聞いてみたかったな」
そんな独り言を聞いてくれる相手はここにはいなかった。
自分で言って落ち込みそうになっていると、不意に頬を優しく風が撫でるような感覚があった。
はっとして顔を上げたアイシャは、そこが真っ白な空間に変わっていた。天井も壁もなく、どこまでも真っ白な空間。床も白なのだが、座り込んでいることで床だと認識できていた。
急に場所が変わったことにアイシャは驚くことがなかった。
温かい気配がずっとアイシャを包み込んでいることがわかったからだ。何も恐れることがないと本能が理解していたのだ。
『アイシャ』
その声にアイシャは振り返ろうとして、両頬を後ろから触れてくる手に動きを止めた。
白い手が頬に触れてから、そっと肩に置かれた。ゆっくりとした動きに優しい触れ合い。相手が誰なのか、振り返って確かめなくてもわかった。
『よく戻ってきましたね』
労いの声に胸の奥が熱くなるのを感じだ。たった一言でアイシャのことを認めてくれているのだと思えたのだ。
口を開くと嗚咽が漏れそうな気がして、アイシャはそのまま前を向いて目を閉じた。
数回深呼吸をしてから目を開ける。
「女神オリビア」
返事はなくても肩に触れている手がわずかに動いた。
『アイシャはアイシャのままでいいのですよ』
それが何を意味しているのかすぐには理解できなかった。
『あなたが見たもの、感じたものが私に届きます。この国が再び祝福するに値するか、その目で確かめなさい。今の国を』
3年前のことは関係ないと言われているようだった。女神は今の国がどうあるべきかを確かめようとしている。もう一度女神の代理人を通して国を判断しようとしているのだ。
アイシャは迷う必要がない。目の前のことを見て聞いて、感じ取っていることが女神に必要なことだった。
「はい」
そう返事をすると、いつの間にか白い空間から噴水のある部屋へと戻っていた。
アイシャは部屋を出ることにした。女神の意思は伝えられた。やるべきことが決まったのだから、ここにいる必要はない。ただ、どうしてアイシャが代理人に選ばれたのかは聞けなかった。
少しだけ心残りを胸に、アイシャは静かに噴水の部屋を後にするのだった。




