謝罪と贖罪
何かが起こることはなく、男爵邸で静かな一夜を過ごしたアイシャは気持ちの変化があることもなく馬車に乗り込もうとしていた。
見送りのために屋敷から出てきたのはデルタイ男爵のみ。エリー=デルタイは姿を見せることがなかった。記憶がないのでどんな令嬢だったのかわからないままだ。
少し興味があったのだが、わざわざアイシャを虐げていた令嬢に会いたいとまでは思わない。
「行こうか」
ロイナーに促されてアイシャは馬車に乗ろうとした。すると、急に男爵邸の玄関扉で人のざわつく気配がした。
使用人たちの戸惑いに男爵も気が付いたようで振り返ると、彼も明らかに動揺していた。
アイシャは振り返って玄関を見ると、そこに顔色の悪い令嬢が立っていることに気が付いた。
「お嬢様。ここに来てはいけません」
「どうしてエリー様はここにいるんだ。部屋に閉じこもっていたはずだろう」
そこにいたのは男爵の娘エリー=デルタイだった。
その姿にアイシャは何も思うことはなかった。思い出すことが何もなかったからだ。ただ、あまりにも顔色が悪く、いつ倒れてもおかしくないなと思うだけだった。
「エリー。なぜここに」
驚いていた男爵も状況を把握してすぐにエリーを邸の中に入れさせようとした。アイシャと会わせてはいけないと判断したのだろう。
近くにいた使用人に指示を出したが、エリーはその場を離れる気がないようで、扉にしがみつくようにして首を横に振っていた。乱れた髪を気にすることない必死さに、何かを伝えようとしている気がしたアイシャは、不思議と彼女と話をしてみたいと思ったのだ。
「待って」
近くにいたロイナーとアレスが、アイシャを馬車に乗せようと動こうとしたが、それを制する声を出していた。
アイシャはまるで導かれるようにエリーに向かって歩き出す。
「代理人様」
男爵も戸惑っているようだったが、それを気にすることなくアイシャは玄関扉にしがみつくエリーの前まで歩いた。
使用人がエリーを扉から引きはがそうとしていたが、それを視線で制すると、使用人が静かに離れていく。
顔色が悪くやっと立っているような状態に見えるエリーは、目の前にアイシャが立ったのを見上げてから膝から崩れるようにその場に座り込んだ。
「・・・わけ、・・・せん」
何かを言っているが聞き取れない掠れた声。アイシャはエリーを見下ろしながら静かに口を開いた。
「何を言っているの?」
「申し訳、・・・せん」
少しだけ聞き取れたが、はっきりとした言葉はまだだった。だが、何を言いたいのかは理解できた。
「それは何に対する謝罪ですか?」
そこに感情はない。事実を確認するように質問する。何かを謝っていることはわかったが、エリーが何を謝っているのか本人の口から聞きたかった。
するとエリーが今度は顔を上げた。怯えるような、罪悪感をはらんだ顔で、目には涙が浮かんでいる。
「申し訳ありませんでした。私が間違っていました。愚かな行為を代理人様に行いました」
はっきりとした声に、エリーが深く反省しているのが伝わってきた。
だが、アイシャの心には何も響いていなかった。記憶がないため虐げられていた時の気持ちがない。謝罪されても許せるかどうか今のアイシャにはわからなかった。ただ、女神の代理人を見下して虐げていたという事実は存在している。そのことを謝罪していることは理解できた。
「それで?」
「え?」
謝罪していることはわかった。だが、それだけだ。
感情が動くことなくアイシャは今にも倒れそうなエリーを静かに促した。
「まさか、謝罪して終わりだと思っていませんよね」
女神の代理人を虐げたのだ。そのことによって女神の祝福を受けられず、怒りが降り注いだ国をエリーの謝罪だけで終わらせることはできなかった。記憶はなくても事実は残っているのだ。
「あなたは、女神の怒りを受けてから何をしていたのですか?」
エリーは屋敷に引きこもり、何もすることなく3年を過ごしてきた。外に出なかったことが償いになるのならすべての人が今許されているだろう。
「領地には魔物が現れ、何の罪もない領民が苦しみ、作物もろくに取れなくなって生活が困窮していた者もいたでしょう。その中であなたは何をしていたの?」
エリーが何か償いをしていたのか、アイシャはそれを聞きたかった。
「私は・・・、私はなにも・・・」
彼女は何もしてこなかった。ただ怯えて引きこもっていただけ。それでアイシャに謝罪をして許されると思っているのなら、どれだけ考えが甘いことだろう。
「あなたのせいで苦しんでいる人たちがいたのに、何もしてこなかったということですね」
彼女だけが原因ではない。だが、エリーにも責任はあるのだ。厳しい言い方になるが受け入れなければいけない。
アイシャに言われてそのことに気が付いたのか、涙を浮かべていた目が大きく見開かれてアイシャを見つめた後、エリーの瞳の奥に光が宿ったような気がした。
彼女は何をすべきだったのか気が付いたのだろう。
「私は・・・」
「今からでも、やれることはあるのではありませんか?」
アイシャの促しにエリーの目に力がこもる。
顔色が悪く、今にも倒れそうだった令嬢のはずが、今はしっかりと足をつけてまっすぐに立とうとしているような気がした。それは深い反省をしてアイシャに謝罪したことによる、女神の温情なのかもしれないと思えた。
自分の罪を認め贖罪の意思を示そうとしたことで、立っていられる力を与えられているような気がしたのだ。
すべては気のせいかもしれないが、アイシャはそう思うことにした。何も言わずにエリーに背を向けると馬車まで歩いていく。その間呼び止められることはなく、馬車の前で待ってくれていたアレスが手を伸ばしたので、その手を借りて馬車に乗り込んだ。
アレスとロイナーも一緒の馬車に乗りこむと、ゆっくりと馬車が動き始めた。
「かっこよかったよ」
目の前に座っているアレスが静かにそういった。
「女神の代理人としての威厳ある姿だった」
「そうですか?」
アイシャ自身はよくわからなかったが、自然と言葉が出ていたのだ。
「記憶が戻ったのかと思った」
アレスの隣に座っているロイナーは失われた記憶を取り戻したことで、エリーに贖罪を促したのだと思ったようだった。だが、アイシャの中に彼女に虐げられた時の記憶はない。
「なんとなく、そう言うべきだと思ったのよ」
アイシャはそう答えるしかなかった。不思議と言葉が出ていた。考えて言ったのではなく、自然と零れ落ちるように言葉が出てきていたのだ。
「・・・女神が言わせていたのかもしれないな」
「女神さまが?」
アイシャの言葉を受けて、アレスが少し考えてから言った。
「女神の代理人は常に女神と繋がっていると考えられている。だから、代理人が見聞きしたことや感じたことはすべて女神にも伝わっていて、そこからこの国に祝福を与えるべきかを判断するそうだ」
女神が代理人と繋がっているから、逆に女神の意思が代理人を通して伝えられることもある。
「今回のことはすべて女神の采配かもしれない」
エリーに贖罪の意味を伝えたことは女神の意思かもしれないと考えたようだった。だが、アイシャは言わされたという感覚ではなかった。
「そうなのかしら。そうならいいかもしれないわ」
疑問は残ったが、女神がエリーに何をすべきかを考えるように促したことはよかったような気がした。まだ許されたわけではないが、許すための過程を示したのかもしれない。それは前に進むための変化だと思えたのだ。
虐げていた令嬢に会うことになったが、アイシャの気持ちは少しだけ晴れているような気がした。
馬車はそのまま王都へと向かい、再び女神の代理人が王都に来たことはすぐに周知されることになるのだった。




