#0 男
最終章です。よければ最後までお付き合いください。
それは、三歳の頃の話。
「あら、男の子なのに、お人形さんが好きなの?」
覚えている風景は、さんさんと晴れた休日の砂場。夏休みのビーチのような熱砂の上で、その幼児は、スコップではなく、人形を持って遊んでいた。
幼児は、男の子だった。それは外見も、内面も。
彼は確かに男だった。けれど彼は、ボール遊びよりも、砂遊びよりも、人形遊びが好きだった。
それは、ある種、幼児独特の第六感だったのかもしれない。
家にあった人形は、その幼児が生まれる前に、その家に誕生した姉のものだった。
だが、姉は幼くして――彼が生まれる前に、流行病で亡くなっていた。
いわばそれは、姉の形見であった。
彼はそこに、見知らぬ姉を投影していた。
それは、五歳の頃の話。
小学校を間近に控えてなお、彼の嗜好は変わらなかった。
いや、むしろ嗜好は深まっていた。遊ぶときも人形を片手に。寝る時も一緒に。同じように枕を頭にのせ、小さな人形を、自分と同じ掛け布団の中に入れた。
人形が好きな、変わった男の子――それが、周囲の評価だった。
ただ――常識に傾倒していた母親は、そうはいかなかった。幼い娘を死なせてしまった負い目もあっただろう。息子が持つ人形を通して、自分の罪を見続ける日々は、苦痛でしかなかったのだ。
もし、この子供が女の子であれば、形見であろうと、人形を持って遊ぶ姿は、女の子なのだから当然として受け入れた筈だ。しかし男の子が、わざわざ形見の人形で遊ぶことに、母親の精神は、少しずつ蝕まれていた。
その日――母親は、子供の目を盗んで人形を捨ててしまった。
代わりに別の玩具を与えたが、子供は大泣きするばかりで、新しい玩具には、興味すら抱かなかった。
彼にとって、それは初めての人の死の体験だった。
それが生物としての人間でなくても、彼の中では一つの人格を持つ存在だった。
彼の世界から、唐突に一つの存在が消え失せた。自分の中の、一つの場所を占めていた存在が、突如として消え去った。
喪失は埋められる。悲哀と憎悪の感情によって。
彼は、憎んでいた。この世の理不尽を。
彼は、嘆いていた。守りたいものを守れない、自分の弱さを。
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