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ハニーポット  作者: 指猿キササゲ
$6$ 超越者たち
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96/113

#1 薫 Continue from Chapter 5 the last episode.

0章との同時投稿になります。

ご覧になってない方は、先に0章をご覧ください。

 少女のか細い脚が身体を捉える瞬間、蓮灘(はすなだ)(かおる)は後ろに跳んでいた。

 めり込む爪先は、遮った右腕に容赦ない衝撃を与える。

 ――重っ……!

 アドレナリンが駆け巡り、視界に映るもの全てが遅延し、停滞する世界の中で、少女のか細い脚だけが、見合わない重圧によって加速し続けている。

 たとえ象に蹴飛ばされても、この重圧には及ばないと思った。それほどまでに、少女の脚力は常軌を逸していた。

 ついに踏ん張りがきかなくなって、次の瞬間、薫の身体は飛んでいた。

 まるで弾け飛んだ水風船のような勢いだった。風を感じたときには、山林の中の木の一つに、背中を強く打ちつけていた。轟音が、山林の端まで響き渡る。――鈍い痛みに、鳩尾から吐き気が込み上げてくる。

 まずい――薫は、白く痺れる思考回路を必死に巡らせ、状況を整理する。

 蹴りを防いだ右腕は、折れてはいないようだが、痺れている。しばらく使い物にはならない。筋肉に対するダメージが大きすぎる。

 それに、つい先ほどまで薫は、降棚(ふるたな)練磨(れんま)との戦闘を終えたばかりだ。何度かの打撃による腹筋へのダメージが、今でも響いている。左肩の脱臼は、既に回復しているとはいえ、本調子ではない。……身体には、様々なダメージと疲労が残っている。

 こんな状態では、加減が出来るか分からない。下手に放てば、自分の身体はおろか、彼女の身体を粉々に砕いてしまいかねない。

 ――いや……そんな……。

 暢気な事を言っている場合ではない。

 ふと気づいた時、立っていた筈の少女が、こちらに向かって飛び出していた――薫の瞬きの一瞬をついた動き――無表情なのに、その少女からは凶暴性が滲み出ている。

 薫は、迫り来る眼鏡の少女を見て、肉食の猛獣を想起した。彼らが獲物に襲いかかる時と同じように、少女は、その身から獰猛な精気を迸らせている。

 殺害に集中し、研ぎ澄まされた意識――真に恐ろしいものを、この少女は――否、少女の形をした者は備えている。

 豪風を引き連れながら、少女の二度目の蹴り――飛び出しながらの回し蹴り――が放たれる。命中すれば、今度こそ右腕が折れると確信する。

 『蓮灘の記録』たる薫の動体視力が、既に放たれた蹴撃の軌道を予測し――それを回避できる距離まで、身体を後ろに退けた。

 ちり、と、パンプスと薫の服が擦れる――摩擦で煙を立ててしまいそうな勢いだ。

 この一撃を避けたなら、反撃のチャンスが待っている――そう思っていた薫は、呆気に取られた。

 なぜなら、蹴りが空を切る途中で、蹴り放った脚を引きつけ、眼鏡の少女の上半身は、既に二撃目の体勢に入っていたのだから。

 回し蹴りからの裏拳――腕の防御は間に合わない。薫は歯を食いしばった。直後、少女の面積の狭い手の甲が、薫の頬に食い込んだ。ばき、と首の骨が、嫌な音を立てる。

「ぐぅ……!」

 薫は、空恐ろしいものを感じていた。

 『蓮灘の記録』は、その身体の頑丈さも意図され、設計されている。防御の体勢に入ったこの身体を、普通の人間が、打撃で破壊できるものではないのだ。

 薫は腰を落とし、膝を曲げて、全力で踏ん張る。ここが広場であれば、相手の打撃と同じ方向に跳ぶことで、衝撃を殺すという策も講じられたが、降棚に対抗するため、薫は今、自分の姿を隠せる木々の多い場所にいる。ここで思い切り跳ぶと、他の木に激突してしまう。

 裏拳が首を持っていこうと強引に突き進む。薫は全力で踏ん張るが……。

 ――止まらない!?

 まるで、勢いに乗る巨大な鉄球だ。どれだけ人が頑張ろうと、まるで無視して、障害を玉砕する――!

 薫は戦慄した。野崎(のざき)洋子(ようこ)鈴切(すずきり)桐高(きりたか)瀬戸川(せとがわ)布由希(ふゆき)、降棚練磨――多くの追求者、ないし解創者、もしくはそれに類似する者達と交戦したが――今まで薫に、単純なフィジカル・ポテンシャルで上回った者など、一人もいなかった。

 怪力。これこそ、そう呼ぶのだろう。尋常ならざる力。常識を覆し、条理から乖離された人の肉体を超えた力。

 そんな理不尽が、こうして自分の前に立ちはだかっている――馬鹿正直に突っ込んでも勝てないと悟る――瞬間、裏拳に首を持っていかれないよう、注意しながら首を左に半回転させた。

 空を切る裏拳――薫は容赦なく、柔軟な身体ではなく、硬質な物体を破壊する力でもって、右腕から掌底の一撃を、少女に向けて繰り出した。

 本来なら、人体を弾けさせんばかりの一撃だった。下手をすれば、巨大な象ですら容易く殺害しただろう。

 だが――着地した少女の懐に吸い込まれた薫の掌底は、停止するに留まった。

「ちょっと――なにそれ……」

 有り得ない――蹴りにもなれば、鉄柱ですら倒壊せしめる薫の一撃を受けて、この少女は顔色一つ変えず、身体を吹き飛ばされることもなく、ただ立っている。

 薫の本気を受けてなお、それを耐え切る耐久力――薫には、もはや判断がつかない。

 相手が唐突に後ろに跳ぶ。背筋を凍らせて、薫も飛び退る――瞬間、視界が、白く灼けた。

 落雷が地を抉ったような、凄まじい発破音。そして舞い上がる土砂――漂う煙が光の正体を、光の正体が、それを放った者の正体を知らせた。

 一度、薫は見た事がある。降棚練磨に放った、あの一撃を……。

角川(かどかわ)……」

 姓が、口から紡がれる。視線の先――公園の丘陵地帯にある、散歩道から姿を現したのは、一人の男だった。

 百八十を超える薫よりも、さらに高い身長。ひょろりとして、さらに頬がこけているので、細身の印象を与える。垂れ目で、人当たりの良さそうな男――彼こそが、今の一撃を放った介入者の正体だ。

「やぁ、薫くん」

 いつもどおりの笑顔で、いつもどおりの口調で。追求者――角川祐輔(ゆうすけ)は、少女の背後に現れた。

「どういうつもり……そいつ、まさか暴走してるわけでも、ないんでしょう?」

 祐輔が動揺してないところを見るに、あの人形の少女は、角川の手を離れ、暴れてるワケではなさそうだ。

「そうだよ。僕が以前、君に言った事を覚えているかい? 『蓮灘の記録』はその特異性から、追求者に目を付けられやすいという話だ。全ての物事には例外が存在するが、僕は例外ではなかったということさ」

 解創者でもなく、追求者でもないのに、解創の力を(ふる)える『蓮灘の記録』。追求者にとっては、新たな解創を為すための貴重な材料となりえる。まるで蜜の壷に集る羽虫のように、追求者は群がるのだ――角川祐輔も、その一人だったのだと、本人が告げていた。

「はじめから……そのつもりで?」

 私と接触を図ったの? 薫の問いに、祐輔は頷いた。

「そうだ。野崎洋子に人払いを教え、降棚練磨と引き合わせた。鈴切桐高と瀬戸川布由希に君の存在を知らせた。そして降棚練磨にも……彼らは、よく動いてくれた。彼らとの交戦を、彼女に観察させ、学習させた。フィジカルについての問題は、既に僕が、自力で解決していたからね。問題はポテンシャルより、むしろ戦い方にあったんだ。数をこなさせるにも、一度壊れた時を考えると……自己修復は出来るとはいえ、作り直すのは大変だからね。だから、君をシミュレータとして使わせてもらったのさ。他人の戦いの観察でも、彼女は学習できる」

 全ては、祐輔の手の上の出来事だった――薫は、今までの出来事の全てが、彼によって仕組まれたことなのだと、ようやく察した。

「……それで? 学習できたからって、何で私を襲うのよ?」

「単純なテストさ。作り上げた物の性能試験。その指標は、作成時の指標である君以外に誰がいる? この人形が君に勝てば、この人形は『蓮灘の記録』を超えたという証明になる」

「迷惑な話ね」

 薫は吐き捨てるが、祐輔は否定せずに笑った。

「そうだろう。けど、君だって鈴切桐高を、似たような理由で打倒してるだろう?」

「その鈴切を、ふっかけたのもアンタでしょうが」

「それもそうだ」

 祐輔の肯定に、薫は反射的に飛びかかった。

 この男を倒さない限り、あの人形は止まらない――狙うのは祐輔だ。そうすれば人形は、薫の攻撃よりも、主の防衛を優先しなくてはいけないだろう、という計算があっての事だった。

 が――人形の動きは、薫の予想を裏切った。

 薫が飛び出したのと同時に、人形も薫に跳びかかる。

 薫の掌が角川に命中する前に、少女の両手が遮り、がっちりとブロックする――すかさず、祐輔は(ワンド)に力を集中する。

 薄い目が、鋭利な殺意を持って開かれる――!

「轟け」

 一つの言葉に込められているのは、自己を暗示し、思考と願望を統一する韻。

 雷光が閃く。網膜を白く灼く。ほぼ同時に、雷鳴が轟く。鼓膜が破れんばかりに悲鳴を上げる。

 感じたのは光まで。生成された雷電は、今度こそ薫に命中した。

 ばりばりと衝撃が脳髄を貫く。裂けるような激痛が皮膚を走る。筋肉は突然の電撃に緊張し、神経は混乱し、意識は誤情報の海に浸る。

 かき乱された思考は役に立たない――無意識に、薫はうつ伏せに倒れかかった状態から、次の攻撃の回避に移っていた。電気によるダメージで、本来の性能を全く引き出せていない筋肉だが、それでも薫は諦めない。

 こんなところで死ぬわけにはいかない。――ここで死んだら、たぶん、あの人は悲しむだろう。

 右脚を踏み込んで、倒れ掛かった上半身を持ち上げ――さらに上半身を錐揉みに一回転させて、左脚で踏み込んだ。

 巻き上がる土砂の目晦まし。斜め前方に放ったそれが、祐輔の視界を遮断する――以前、薫は祐輔の雷挺を、降棚練磨に使ったところを見ていたので、正確な狙いの付けられないものだと予想がついていた。

 人形の少女と薫の接近戦になれば、援護しようにも、正確な距離と位置が見えなければ、手が出せないだろう――これで、一時的に祐輔は戦線離脱した。

 そして――土砂のベールを、何食わぬ顔ですり抜けてくる少女の額を、薫は左の掌で叩打(こうだ)する。

 勢いに乗って飛び出して、身体の重心が前に偏っている人形の動きを止めるには、それだけで十分だった。少女の脚が地についたのを確認してから、薫は、左手で人形の顔面と髪を、強引に掴む。

 腕分のリーチが離れた今、腕の短い少女が薫に攻撃するには、まず左手を外さなければならない。だが薫は、長い腕や足を使って、存分に畳み込む事が出来る。蹴りなら当たるかも知れないが、それを封じる術はある――薫は、すぐに動いた。

 左手で掴んだ髪を滑らせて、顔面から後頭部に移動させ、顔面を地面に叩き付ける――が、少女の背筋と腹筋が、それを止まらせる。それでいい。これで打撃を放つのに、腕以外の筋肉は使えない。この状態なら、バランスを崩してしまうので蹴りも出来ないはずだ。

 膠着状態を打開するため、薫は少女の顔面に、右膝蹴りを見舞う――すかさず少女の両腕が防ぎに入る。流石に、この不利な体勢では、片手だけで防ぐのは危険と判断したらしい――これで少女の四肢は、全て封じた。

 薫は右肘を、少女の背中に二度、三度、寸分たがわぬ位置に叩きこむ。――鈍い、金属のぶつかるような、ガィン、という音が響く。肘の骨と背骨同士の歪な接触音が、深夜の密林に響き続ける。

 肘鉄と膝蹴りを交互に――時にフェイントをかけて連続で膝蹴りを叩きこむ。容赦も手加減もしていないが、先ほどの電撃で受けた筋肉のダメージと、少女自身の耐久力もあり、なかなか倒れない。

 肘鉄に、七まで耐えた怪力の少女だったが、八度目で、ついに綻びを見せ始めた。

 がく、と背中の力が抜ける。薫は逃さない。さらに力を込めて、右肘を叩き込む。

 十度目に腕を振り上げた瞬間――少女が、足元を蹴り飛ばしていた。

 まるで鉄棒なしで、空中で前回りするような動き。少女はその場で、くるりと一回転する。勢い余って薫は左手を放してしまい――そして、頬骨に、硬い何かが突き刺さる。

 ――踵……!

 半回転した少女の蹴りが、薫の頬に炸裂した。凄まじい威力――薫は、皮膚に蹴りが接触した瞬間、脊髄反射で後ろに跳んでしまう――背中に衝撃。生い茂る木の一つに激突した。

「くっ……そ……!」

 べきべきと生木が軋む音。じらじらと白く灼ける視界。込みあがってくる吐き気を、どうにか抑える。

 迫り来る人形――薫は、相手の突進が命中する直前、木の裏側に回り込む。

 響いたのは、生木を叩き折る、信じられない音だった。

 揺れる木――倒れるのを危険視し、薫は木から引き下がろうとするが――その前に木の幹が破裂し、伸びてきた白い手が、薫の胸倉を掴み取った。

「なっ……」

 木を挟んで、人形が薫を固定した。まずい。薫は瞬時に最悪の事態だと理解した。

 砂煙の向こうから現れる、背の高いシルエット。言わずもがな、それは雷挺の杖を携えた祐輔だった。

「甘いよ。薫くん」

 まずい――早く逃げないと、雷撃に命中する。

 祐輔が、ゆっくりと杖を振るう――もしかして、少女の方には雷撃に対する耐性があるのだろうか――薫は、どうにか蹴り飛ばそうとするが、木が邪魔で、思うように少女に蹴りが当たらない。

 ずぐ、と鈍い音が木霊した――それは、刃物が肉に突き刺さる音だった。

 突如、人形の少女が腕を横に伸ばしたかと思うと、その腕に、二、三本のは物が突き刺さっていた。薫は、ぎょっとした。

「なにが……」

 視線を後ろに巡らせると――そこには、息を切らして駆けつけた、茶髪のポニーテールの人影があった。

木村(きむら)……!」

 裁定委員会情報員にして、薫のクラスメイトの少女が、そこにいた。

 続けざまに木村美羽(みう)は、投擲用のナイフを、祐輔に向かって投げつける――人形の少女は刃物の軌道を遮るため、薫から手を放し、主人を守るために後退し、そのナイフを受け止める。

「そこの怪我人、助けられる?」

 美羽が、倒れた降棚に視線を向ける。降棚は血の溢れる腹を手で押さえたまま、じっと目を閉じて、痛みに耐えていた。

 薫に、こいつを助ける義理は無い。だが――ここでくたばるのを放っておくのも、気が引けた。

 祐輔が、視線を美羽に向けた。まるで無機物でも見るような目――無関心な瞳だった。

「裁定委員会のお出ましか。とはいえ、君一人なら、僕達でも何とかなりそうだ」

 どうやら祐輔は、ハナから美羽のことなど眼中に無いらしい。邪魔が入った、そのくらいにしか考えていないのだろう。

「アンタ、一人で大丈夫なの?」

「あっちは、もともと私に興味は無いわ。貴女が逃げ切れば、一度引いて、出直すでしょう」

 薫は、練磨を立ち上がらせる。一度、振り返って美羽を見たが、別の刃物を抜いて、既に臨戦体勢に入っている。彼女への負担を減らすためには、自分が逃げ切るしかない。薫は、練磨に肩を貸して山の斜面を駆け下りる。

 斜面を滑り、山の木々の間を抜けると、そこにはアスファルトの広い道路だった。夜中とだけあって、車は通っていない。大きな道なので、追って来られたらすぐに見つかってしまう。薫は、街頭の明るい光のある方向を目指して、足を進める。

「恩に着る、『蓮灘の記録』……だが、俺は諦めんぞ」

 練磨は、腹の傷が痛むのか、顔中から脂汗をかいていた。青ざめてはいるが、目の焦点は定まっている。少しくらいなら大丈夫そうだが、ちゃんとした手当てが必要だ。

「凝りないな。あんたも……とにかく、病院に行こう」

 街の方に行けば、病院の場所も、おのずと分かるだろう。事故に遭ったとか、適当に嘘をついて、他の人に助けを求めてもいい。

「ああ……そうだな。なら、ここで分かれよう」

 練磨の提案に、薫は耳を疑う。

「なんで?」

「角川の狙いはお前だ。なら、お前が逃げ切れないでどうする。怪我人一人連れて逃げ切れる相手とは、思っていないだろう?」

 それはそうだ……薫は目を伏せた。

「その身体で、大丈夫……?」

「心配するな」

 表情はないが、口調は幾分、柔らかだった。――薫は、練磨の言うことを信じることにした。

「ごめん」

 自分は、無力だ――薫は悔しさを噛み締めながら、全速力で駆け出した。


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