#12 薫
西日が、病室を黄金に照らし出す。
夏の日差しは、冬のそれよりも明るい。当たり前のことだったが、日差しの力強さは、感じ取ることでしか実感できない。けれどやはり、どこか儚いところがあり、感傷に浸る。
白いテーブルが、折り紙が、指先が――視界のあらゆる物、その全てが、黄色よりの橙色に染まる。それは、瞬の病弱そうな青白い肌も同様だった。
一週間ごとに、薫は遊びに来ていたが、瞬の容態が良くなっているのか、それとも悪化しているのかは、判断できなかった。彼が元気な演技しているようにも見えなかったが、そう思わせるほどの演技だとしたら恐ろしい、と内心で思っていた。
けれど、もし本当に容態が悪いのならば、こうして私が遊びに来れる事だって、有り得ない筈だ――という、推論に似せた期待を抱く。
かさ、という紙を折る音だけが、病室に響いていた。それが、二人が作り出す、二人だけの空気だった。他の患者の、雑多な生活音が混じることもあったが、そんなものは些事だった。問題は、二人の共通した認識だった。
「手、疲れた」
ふぅ、と瞬がため息をついた。薫が折り終わるのを計ったタイミングだった。
「休憩しようか」
一人だけが休憩する、ということはしなかった。なぜなら、一人だけが続けると、休む方は手持ち無沙汰になるからだった。だから自然、休むときは二人とも休んだ。そういう時には決まって、下らない雑談をして過ごした。好きな食べ物とか、動物とか、そういう話をした。
薫は、今日は何を話そうかと逡巡したが、すぐに思いついた。最初、薫が瞬に折り鶴の折り方を教えた日、瞬がペンで何かを書いていた、あの事を。
「そういや、あの折り鶴のアレ、叶ったの?」
「あれって?」
「ペンで何か書いてたヤツ」
「よく覚えてるね、薫さん」
少年は、薫の記憶力に苦笑した。
「なに? どうなの?」
「あれは……叶ってる最中」
「なにそれ?」
叶ってる最中とは、どういう意味だろうか? 病気が快復に向かっている、ということだとしたら、薫としても喜ばしい。
「へぇ、病気、良くなってるの?」
我慢できなくなって、薫は尋ねた。それも誘導尋問染みたやり方で――だが、少年はその手口すら見透かした上で、どこかを見つめていた。
「いや。良くはなってない。けど、いいんだ」
「いいわけ、ないでしょ?」
そんなことない、と少年はかぶりを振った。その、少年の自然な動きに、ずきん、と胸が痛んだ。――彼は、知っているのだ。自分の先が、どの辺りまで続いているかを。
「長生きしたいって思うことも、いっぱいあった。でも、長生きできないって知ってるのに、長生きすることだけ考えてると、おかしくなりそうだった。もう、なんでも良いやって思ってた。考えることも、何かしようって思うことも無くなってた」
それは告解だった。一時の過ち――生の放棄への懺悔だった。少年の柔和な顔が、西日に照らされていた。それは何処までも穏やかで、健やかだった。陽に射された塔のようだと思った。照らされた、明るい部分と、藍色の陰――陰陽が――一体となって、朝生瞬という人間を作り出していた。
薫は、信じられなかった。彼は、迫り来る闇に向き合ってなお、背を向けていない。自分よりも幼く、弱弱しいのに――彼は、向かい合っていた。
「けどさ、長生きすることだけが、生きることじゃないって知ったんだ。それ以上に欲しい物が見つかった時に、そう思った。人が生きることって、長く生きることだけじゃないと思うんだ」
薫には、分からない。長生きすること、より長く生きること。誰だって、それを望むだろう。けれど彼は否定している。惰性的な生の延長は、望むものではないと拒絶している。
薫は、そこに感じた。信念を、悟りを――解脱……否、解創を。
「凄いよ」
素直な気持ちを、薫は告白した。瞬と同じように打ち明けた。
「私なんかより、ずっと凄いよ。瞬は。私なんて、図体がデカいばっかりで、そんなこと考えた事もない」
ふと、瞬を見る。彼は、一心に薫を見つめ返していた。自分の弱さを見せ付けているようで、薫は目線を逸らす。だが少年の反応は、予想に反していた。
「なに言ってるの? 薫さん」
なにがそんなにおかしいのか、少年は笑った。清涼な風に吹かれる草原のような、穏やかな静けさで。
そんな彼を見ていると、薫はますます気になった。彼が以前、折り鶴に記した、あの願いを。
「ねぇ、瞬の願いって、何?」
「僕の願い?」
少年は、気恥ずかしそうに、頬を掻いた。対称的に、薫は真面目な表情のまま、同じ口調で重ねて尋ねた。
「それって、生きるって事?」
うん、そうだよ。――少年は小さく頷いた。
「望む事があって、それを手に入れようとする事。……僕は、それが生きることだと思う」
人間らしく生きること――その考えは、社会に既存している。だが彼は、それを聞いて手にしたのではない。彼は、自らが考えて、手にしていた。
彼に、憂いは無かった。
瞬に、未練は無かった。
この時――薫は、なんとなくだが、彼の最期を、悟った気がした。




