#13 朱莉
いつもの県営ヒルズマンション、805号室。朱莉は、久しぶりに薫の姿を見た。
今日は日曜日だった。朱莉も薫も、特に理由も無く入り浸り、だらだらと時間を食いつぶしていた。いつもは、三人仲良く刑事ドラマを見て犯人当てをしたり、再放送のクイズ番組で答えを競い合い、そしてたまに解創についての話が上がるが、今日は違った。
「病気を治す解創ってあるの?」
薫が、部屋に来るなり、そう告げたからだ。
「病気? 上気道感染症や、インフルエンザの類かい?」
祐輔は、いつも通り、内容を掘り下げようとする反応を示す。
「うん……そう」
「少なくとも、僕は見たことも、聞いたことも無いね。身体的損傷なら別として」
「え、怪我を治す解創とかあるんですか?」
そんな便利なものもあるのか、と朱莉が問うと、祐輔は薫に視線を向けた。
「まさに『蓮灘の記録』がそうだよ。一定の負傷なら、自分の意思で流血も抑えられるし、骨折もある程度は仮止めできる」
朱莉は、瀬戸川布由希と薫との一線を見ているし、足の裏を刃で貫かれたこと、そしてそれは、すでに完治していることまで知っているが、具体的なことまでは知らなかった。
「なんでそんなこと、知ってんのよ」
薫が、プライバシーを侵害されたような、不機嫌な口調で言う。
「普通の人はね、そんな傷を負ったら、まずは病院に行くんだよ、薫くん。君みたいに出鱈目な止血をして放置して寝たら、次の日には大方は治ってる、なんていうのは、有り得ないんだよ」
「だから、なんでそこまで知ってんのよ、アンタは」
薫が、祐輔にストーカーに向ける嫌疑の視線を注ぐ。が、当の本人は意に介した様子を見せず、先を促す。
「それで? なんでよりによって病気なんだい? 薫くんが病に侵されたとは思えないし、突然献身することの喜びを覚えたとも、思えないんだが」
失礼ですよ、そういうの。朱莉は心中でのみ抗議する。声には出せなかった。薫が纏う空気が、そういう、おちゃらけた空気ではなかったからだ。
「別に。ただ単に興味だよ」
またもや、らしくもなく誤魔化す薫。折り鶴の件といい、何か隠しているのは分かっているが、全く見当がつかない。
「ただ単の興味という割には、かなり真面目だね、薫くん。いいだろう。僕も真面目に答えよう」
遠慮なく、ずけずけと物を言う祐輔。朱莉はこの時、薫の悩みが、この場で解決すれば良いなと、素直に思った――だが、それは無かった。
「まず、軽い風邪くらいのものであれば、そもそも解創を為す必要性すらない。そんなに本気に願う前に治るからね。けど、重い病気なら別だ。治る人もいるし、治らない人もいる。そこは本人の力に依存する。意志の力であり、身体的なものだったりね。そもそも、解創だけで全ての病気に対抗できるなら、医者は要らないし、この世に、そういう職さえなかっただろう」
「普通の人の解創なら、そうかもね。けど、追求者の解創なら、どうなの?」
「前例が無いから、なんとも具体的なことは言えないね。しかし、新しい試みだから、手探りになるだろう。難易度は高くなるさ……それこそ『人払い』よりもね」
薫の表情が、僅かに暗く、険しくなるのを、朱莉は察知した。
「それで? なにがあったんだい?」
僅かに薫は躊躇ったが、本当のことを吐露した。
「知り合いの子が……病気みたいなんだ。それも、かなり重いみたいで……」
そんなことを、ずっと抱えていたのか――朱莉には、それが衝撃的だった。そして全てが符合した。この頃の重い雰囲気も、折り鶴も。朱莉の脳内で、病魔に蝕まれる子供がイメージされた。
「死期が近いのかい?」
祐輔の口調は真面目だったが、それでも朱莉は顔を顰めた。死という言葉には、それだけ人に拒絶感を与えるのだ。
「たぶん、そうだと思う。具体的なことは、分かんないけど」
「知らない? 親戚の子とかじゃないのかい?」
「ちょっと前に知り合ったんだよ。友達……かな? それで、毎週通ってる」
「なるほどね……それで、病気っていうのは、いつから?」
「昔からって言ってた。アイツ、小学生なんだけど、……入院続きで、まともに学校にも通ってないみたい」
「そうか…………」
長く、祐輔は沈黙した。それだけで回答は予想できた。
「虚構を言っても仕方が無いから、現実を言おう。今更無理だ。医者ですら治せないものを、追求者が治せるわけが無い。その道には、その道のスペシャリストが通じているんだからね。前にも言っただろう? 解創は便利ツールじゃないんだ。ずっと願い、叶えたいと思ったことを為すのが解創だ……彼は、自分の病気のことを知ってる?」
「知ってる……けど、長生きしようとか、治そうとは……思ってないみたい」
「無理だ」
祐輔は、キッパリと断言した。
「まず本人が望んでいないのならば、追求者は手出しできない。人払いと一緒だ。誘導することはできても、本人の意思を曲げることは出来ないんだ」
ぎり、という音がした。薫の歯軋りだと気付いた。犬歯を剥き出しにして、薫が、悔しそうな顔をしていたからだ。
「なら……本人に、そう思わせればいいの?」
薫は無茶苦茶を言っていた。理性的ではない。それだけ薫は真剣なのだろう。朱莉が、ここまで感情的な薫を見たのは、鈴切桐高のとき以来だった。――ただし、今回はマイナスの方向だ。
祐輔は、小さくため息をついた。その間で、少しでも薫の頭を冷やそうとするように。
「本人の意志を、君の意図で曲げる気かい? 君はそこまで器用じゃないし、何より、君は分かってるだろう? その子の思いを曲げる事が、その子の為にはならないって」
祐輔の言葉は、的確だった。何か言いたそうな顔こそすれ、薫は、頭では理解していているようだった。だからこそ、何も言わずに黙っている。
朱莉は、掛ける言葉が見当たらなかった。




