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ハニーポット  作者: 指猿キササゲ
$4$ 刹那の生
64/113

#6 薫


 土曜日。薫は、先週来た病院に足を運んでいた。時間は十九時との事だったが、念のため病院のホームページで、面会時間を確認しておいた。だが二十時までだったので、問題ないと判断してその時間ちょうどに病院に行った。

 だが、問題は受付でどう説明すればいいか、ということだった。彼の名前は、先週看護師が呼んでいたので、下の名前の読みが『シュン』ということは知っているが、それ以外の苗字などは全く知らない。

 だが実際に病院に着くと、そんな心配をする必要はなかった。受付の前の待合室のソファに、見覚えのある少年が座っていたからだ。

「お姉さん!」

 薫の長身に気付いて、少年はソファから飛び上がって、入り口の薫の下まで掛けてくる。その姿を、近くにいた老婆や老男が、笑いながら見送る。

「ああ、久しぶり」

「見せたい物があるからさ、ついてきて」

 少年が右手で薫の手を引く。……左手にコンビニ袋を下げていることに、今更ながらに気づく。

「それ、なに?」

「見せたいもの」

 少年は、慣れた足取りで非常階段の方に歩いていく。エレベーターを使わないのは何故かと思ったが……もしかしたら、看護師に見つかるのを恐れているのかもしれないと、勝手に想像した。

 非常階段は、緑色の非常灯が踊り場に灯っているだけで、薄暗く、不気味だった。ところどころ塗装が剥がれ、茶色い錆を覗かせる手すりが、非常灯の光を受けて、鈍く光っている様は、軽くホラー染みている。

「ここ……本当に通っても大丈夫なの?」

 不安に駆られて、思わず薫は口走る。

「え、大丈夫だよ?」

 きょとん、とした顔で、少年は応じた。

 か細く、色白い少年だったが、階段を上るときは、意外と力強かった。先週、薫の背で眠ってしまったのが嘘のように、元気で活発な印象を与えた。

 しばらく階段を上がると、階段は行き止まりになった。どうやら屋上らしい。少年が扉を開けると、そこはやはり屋上で、コンクリートの床が広がっていた。

 しかし、屋上につながる扉が施錠されていないというのは、管理上どうなのだろうかと思った。彼に言っても仕方が無いので黙っておく。

「綺麗だね、夜景」

 少年は、下げていたコンビニ袋をガサガサと漁っている。どうやら、見せたいのは夜景の方ではないようだ。

「これ!」

 少年が取り出したのは、五○○ミリのペットボトル。それと爪楊枝(つまようじ)数本とリップクリーム、小さなチャック付きの袋、それとペンチだった。

 ペットボトルは、微かな光を屈折させていることから、水が入っているものと分かる。

「それ、なに?」

 暗い中、薫は目を凝らして 少年の取り出したチャック付きの袋を見る。何か、灰色の粉が入っていた。

「アルミニウムの粉。空き缶をヤスリで削って作ったんだ」

 自慢げに言いながら、少年はチャックの袋を開ける。次にリップクリームを、唇ではなく、爪楊枝に塗った。リップクリームを塗った爪楊枝を、袋の中に入れた。暗いのでよく分からないが、どうやら、爪楊枝にアルミニウムの粉を付着させたらしかった

 最後に――少年がポケットから取り出したのは、小さなライターだった。

「火遊びするの?」

 正直薫は、火遊びに付き合ってもいいものかと自問した。――だが、結局様子見することにした。下手に一人にして、火傷や事故になったら、後味が悪い。

「うん。ぎじ閃光花火」

 『ぎじ』というのが『擬似』という熟語を示すのだと気付くのに、薫は数秒ほど時間を必要とした。

「知ってる? 火遊びすると、夜尿症(おねしょ)するんだよ」

「馬鹿にしないでよ」

 少年が不満そうに言うのを聞いて、薫は苦笑した。暗いので、表情までは読み取れない。

 少年はペンチで爪楊枝を摘むと、ライターを点火した。その瞬間、真っ黒だった二人の屋上は、ぼう、とオレンジ色に染まった。風は強くなかったので、火が吹き消される心配はなさそうだったが、それでもライターから上がる火は、ゆらゆらと揺れていた。

 少年が、爪楊枝の先端を火で炙る。根元が青色の、オレンジ色の火が爪楊枝に移る。爪楊枝を上に向ける。

 ぼう、と光る火の根元から、ぱち、ぱち、と音を立てて、火の元から粒のような閃光が、いくつか飛び散る。

「地味かな?」

「そうだね……けど、それはそれで、いいんじゃない?」

 正直、花火というほどのものではなかった。けれど薫は、綺麗だと思った。

 幾つもの、糸のように細いオレンジ色の線が、火の中で現れては消える。白や、オレンジの閃光が、パチパチと、音を立てて弾ける。その微かな音を聞く為に、二人の間には沈黙が下りた。心地のよい沈黙だった。その沈黙の中、ただ、パチパチという、アルミニウムが弾ける音だけが木霊していた。花火と違って、その火の弾け方は不規則だった。小さくなることもあり、時にはただ火が燃えるだけになることもあれば、ぱちぱちと音を立てることもある。

 火が弱くなって、爪楊枝を横に傾ける。すると火勢が強くなり、瞬間、バチバチと強く閃光が弾けて、白い光が視界を覆う。

「わっ」

 突然のことに、少年は思わず声を上げた。

 つん、と甘い匂いが鼻をついた。木の燃える匂いなのか、それともリップクリームの成分が燃える匂いなのかは、判別がつかない。

「なんか、思ったより面白いね」

 商業品のような安定した面白さではなく、手作り品の全く安定しない自然さを、薫は、そう賞賛した。

「良かった。喜んでもらえて」

「喜んでもらえるか不安だったら、食べ物とか買って、お礼にしたんじゃダメだったの?」

 そちらを期待したわけではなく、あくまで疑問として、薫は尋ねた。

「ん? だって、買った物より、自分で作ったものの方が、お礼って感じがするから」

 火が消えた爪楊枝を見つめながら、少年は呟いた。ペンチを持つのとは逆の手の指で、頬を掻いていた。

 火が消えれば終わりなのかと思ったが、どうやらそうではないらしい。少年は、火の消えた後の爪楊枝を、ずっと見ていた。オレンジ色に光る、ぐにっ、と曲がった爪楊枝には、黒い、繊維のような物が纏わりついていた。ふっ、と少年が息を吹き付けると、繊維が飛び、爪楊枝は、よりいっそう、光を強めて輝いた。

「お姉さんもやる?」

 爪楊枝から光が消えたタイミングで、少年が、爪楊枝を差し出しながら訊いた。

「そうしよっかな」

 言いながら、薫は爪楊枝を受け取った。さっき少年がやったのと同じように、爪楊枝にリップクリームを塗る。

「はい」

 少年が袋を差し出す。彼の小さな手の中にある袋に爪楊枝を入れて、軽く捻る。その方が、よくアルミニウム粉が付着すると思ったからだった。そして、床に置いてあったライターに手を伸ばす。

「わっ、危ないって、手で持っちゃ」

 慌てて、少年がペンチを渡してくる。ああ、そうだったなと、薫はペンチを受け取って、それで爪楊枝を摘んで、ライターで火を点けた。

 爪楊枝を下向きにしていたため、火勢が強い。バチバチと激しく火花が散った。慌てて薫は爪楊枝を上向きにして、火勢を落とすそうと試みるが、一度ついてしまった火は消えず、激しくずっと燃えた。

 オレンジ色の線や、白っぽい閃光が弾けて飛ぶ方向も、火の向きと同じように、上だった。それだけのことでも、薫にとっては発見だった。

 それから薫と少年が、それぞれ数本ずつ燃やして、そろそろ終わろうかという、最後の一本を燃やしている時に、少年が言った。

「ねぇ……また来てくれる?」

 薫にとって、それは意外な申し出だった。今日の花火は先週の恩返しなのだから、この少年との関係は、これで終わりだと思っていたからだ。

「いいよ」

 だが薫は、快く承諾した。自分でも変だなと思った。断ろうと思えば、いくらでも断ることは出来るのに、わざわざ彼との関係を続けようとする自分。……何が、そうさせるのだろう?

「また花火するの?」

 ううん、と少年は首を横に振る。

「折鶴作りたい」

「折鶴?」

 今日の花火とは、打って変わって繊細な遊びだ。けれど、彼には似合いそうだとも思った。

「うん。千羽折ったら、願いが叶うって言うじゃん。前に、社会の授業でやったんだ」

 長寿や快復の願いを込めて折り鶴を折るという話を、薫は聞いた事があった。おそらく彼も、そういう話を耳にしたのだろう。

「へぇ……でも、折鶴だったら、一人で折れるでしょ?」

 少年の動きが、一瞬、ピクリと止まる。

「だって、二人で作業した方が、倍早く終わるじゃん」

「でもそれじゃ、半分しか叶わないんじゃない?」

 思わず、薫は茶化した。

「いいの……別に……折り方、教えてよ」

「え、私知らないけど」

「え……」

 しまった、と薫は事態を理解した。彼はどうやら、こちらに教えた貰う算段だったらしい。だが、薫も折り方を知らないのでは、そもそも折鶴なんて無理な話である。

「分かった。私が友達から聞いてくるから。それでいい?」

 オレンジ色の光に照らされた少年の顔が、笑顔に染まる。

「うん。分かった。じゃあ来週の土曜日に来てよ。時間はいつでもいいから」

「分かった。じゃあ……今日は、そろそろ帰ろうかな」

 言いながらも、薫は燃え終わってなお、熱した鉄のようにオレンジ色に光る爪楊枝を、名残惜しく見つめる。

「そういえば……名前、まだ訊いてなかった。お姉さん、名前、なんていうの?」

「蓮灘薫。君は?」

 薫の問いに、少年は答える。

朝生(あそう)瞬」

 それが、薫と瞬との、一時の幸福の始まりだった。


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