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ハニーポット  作者: 指猿キササゲ
$3$ 感覚共有
54/113

#16 布由希


 瀬戸川布由希は、その感覚で全てを見通していた。

 呼吸で上下する胸も、運動で循環する血液の流れも、緊張し、弛緩する筋肉の動きも、その全てを『第六感覚』で捉えていた。

 空気を伝播する動きであれば、正確に捉える事が出来る『第六感覚』。耳や体毛と通ずるが、より正確に『どのような動きか』を捉える事が出来る感覚。

 人は音を聞くと『高い』とか『低い』という、風景を見れば『色』とか『形』という質感を抱く。

 だが、『第六感覚』のそれは、そのどれにも当てはまらない。

 触られている、ぞくぞくとしたものでもない。

 聞こえている、甲高い音でも、揺れるような重低音でもない。

 しいて言うなら、空間全てが自分の手の平の上にある感覚に近い。自分の手の平で動く蟻が、手の平の上の何処にいるのか分かるように、空気を流れる四方数十メートルで起こる事象を、布由希は自分の世界で起こる事として認識できていた。

 彼女の周囲にいる限り、彼女の目は誤魔化せない。

 ゆえに、身体を駆使して戦うしかない『蓮灘の記録』との相性は最高だ。彼女の動きは、その全てを感じ取れるし、感覚範囲外からの攻撃は、まずありえない。何かを投擲したり、蹴り飛ばしたりする事は出来ても、投げる腕の動きや、蹴る脚の動きで、投擲物の軌道はある程度予測できる。

 蓮灘薫は、こちらの様子を伺っている。伺っても仕方の無い事だというのに……布由希は、少々薫のことが可哀想になって来た。

 まったく不本意ではあるが、『蓮灘の記録』を捕らえるためには、腕一本、脚一本の切断は仕方の無い事かもしれない。相手の動きを束縛する手段は、それしかない。

 今の得物は、情報員に使った『武器殺し』ではなく、『切断』という、実にシンプルな解創を宿した短刀だ。追求者が相手なら軽くあしらわれるだろうが、『蓮灘の記録』が相手ならば、単純で堅実な解創の方が良い。単純ということは、それだけ解創を扱うための願いを、自分の中で膨らませやすいということだからだ。状況に応じて『第六感覚』へ、また『第六感覚』から短刀へと切替(スイッチ)する必要もあるし、切り替えるなら、その過程(願い)が単純な方が、対応速度は向上する。

 こちらから先に動いても『蓮灘の記録』の条件反射の高さから、攻撃が届かないのは、さきほどの一撃で確かめた。やはり薫が動いてから、カウンターという形で一撃を加えるしかない。

 互いに反撃狙いならば、互いにフェイントで攻撃を誘うしかないだろう。だからこそ、あえて先だしで決める……裏の裏と考えていくとキリが無い。

 じりじりと、互いに歩まずして距離を縮めあう。

 頭、首、肩、腕、胸、腰、大腿、膝、脹脛、足首、爪先――その全ての動きを、第六の感覚で把握しながら、視覚で捉えて補助する。

 ――来る。

 布由希は『第六感覚』に集中し、相手の身体の動きを観測する。体幹、重心、脚や膝の向き、眼球の動き――それら全ての動きによって生じる空気の流れを、手の平の上の事のように感じ取る。

 ――跳躍。距離と方向は――!

 跳躍する方向を理解した瞬間には、布由希は頭で理解する前に、条件反射で飛び出していた。

 方向は後ろ――元の位置から到達地点を算出――その位置には、ちょうど人質に取っていた、少女の姿があった。

 薫は迅速に人質の少女を片腕で抱える。少女は突然のことに、息を呑む暇すら無い。

 薫の重心が、またも変わる。――またも跳躍。だがその方向は布由希にではなく、それより少し斜めに向いている。

 ――逃げる気!?

 罠の可能性も考慮に入れながら、可能な限りの運動と、体の周りを流れる風そのものに対して『追い風』の解創を抱く。準備など全く無い、即席の解創でしかないため、身体を押す小さな風を起こし、僅かながらに速度を上げることしかできないが、それだけでも、身体能力に圧倒的な開きのある『蓮灘の記録』を追撃するには、貴重な速さだった。

 矢のように飛び出す薫、その到達地点に先回りする布由希。

 薫は、真っ直ぐに出口へ――逃げるものだと確信する。しかし『蓮灘の記録』とは恐ろしい。彼女は跳躍しているだけだというのに、速度と距離、そして最初に飛び出してから、一度も地に足を付けないから、まるで低空飛行しているかのような錯覚に囚われる。

 互いに高速で移動する中――燕が地を撫でるように滑る薫が、右腕の筋肉を動かすのを、布由希は感じ取った。

 九十度上げて、薫が手を伸ばす――それは、出口を塞ぐ、立ち入り禁止を示す紐。

 布由希の中で、稲妻が走り抜けた。

 ――マズいッ!

 あの紐を取られるのはマズい――思考するまでもなく、本能が告げた。否、告げてしまった。

 とっさに布由希は、紐に手を伸ばす手を狙って、短刀を振り下ろす。――感じたときには、遅かった。

 振り下ろした短刀を持つ手首を掴まれ、ぐっと引き寄せられる――まるで猛牛かと疑うほどに猛烈な力で引き寄せられ、真上に背を向けてしまう。

 逆光の中、仁王のように見下ろす巨人から放たれたのは、射程(リーチ)の短い、肘鉄の一撃――。

 硬質な骨の鈍い音が、追求者の背中から、内臓へと突き刺さった。


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