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ハニーポット  作者: 指猿キササゲ
$3$ 感覚共有
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53/113

#15 薫

 右脚を犠牲にした一撃は、女性とはいえ成人の身体を、軽く数メートル吹き飛ばし、トタンの壁ごと打ち抜いた。

 壁を大砲で打ち抜いたような、とんでもない騒音が響き渡る。住宅地とはいえ静かなこの地帯では、雷鳴と大差の無い衝撃だった。

 立ち上る薄い砂と埃のベール……だが、薫は認める。揺らめきの中、立ち上がる追求者の影を。

「意外。感覚の共有にだけ頼ってたわけじゃないのね」

 女――瀬戸川布由希は、服をはたいて、砂埃を落とす。

「切り替えが少し遅れたわ。……まったく、出鱈目ね。刺されても止まらないんだもの。傷つけたくはなかったけど、傷つけても効かないんじゃ、どうしようもないわ」

 薫は、足の裏を睨め付ける。血の流れが僅かに緩まり、麻酔が効いてきたかのように痛みが麻痺する。

「へぇ、痛みのコントロールもできるの。流石は『蓮灘の記録』ね。ま、不可欠な機能よね」

 不可欠、という言葉に、薫は反応した。

「どういう意味?」

「あら、当事者なのに知らないの?」

 くすり、と女は笑った。何が面白いのか分からない。

「戦争時、国に尽力した追求者は、架空の姓を与えられた。蓮灘もその一つ。では蓮灘を名乗る追求者が提供した解創の技術は何か? 『蓮灘の記録』がその全てを物語ってるじゃない」

「なに、それ?」

「兵士よ、兵士。とびきり上等な、ね」

 最初、音だけでは理解できなかった。最初に思いついた『平氏』が『兵士』の誤解だと気付くのに、半秒ほど時間を要した。

「長時間の戦闘に耐えうる体力。兵装が無くなっても戦える膂力。敵兵をいち早く察知する五感、傷害を負っても活動できる耐久力と、それをある程度自己再生できる回復力……それらを備える歩兵なら、普通の兵よりも強いでしょ?」

 なるほど――薫は、自らのルーツについて、また新しい知識を蓄えた。

 屋根と壁――トタンとトタンの隙間から、あちこちで明かりが灯るのが見えた。やばっ、と焦る。どうやら先ほどの轟音が、辺りの住民たちに注意を喚起させてしまったようだ。

 だが、これで良いのでないかとも思う。追求者とて、無駄に事を荒立てたくないはずだ。ここで一般人に解創が広まるような事が起こると、追求者にとっても都合が悪い。裁定委員会の裁定を免れなくなるからだ。

 しかし――薫の期待を裏切って、まるで興味が失せたように、明かりは徐々に消え失せていく。これだけの音がしたのに、なぜ? ――薫は怪訝な表情を浮かべる。

 それを見て取ったのか、布由希が口を開く。

「驚く事はないでしょう? あの裁定委員の娘がやってたものの、上位版よ」

 それがなんなのか、薫は、すぐに察する。

「――人払い」

 それは解創という『自らの主観を実現する』力において、難度が高い技術だ。木村美羽の眼鏡のような『視線避け』とは一線を画す。

 一人の人間を目立たなくするのと違い、人払いは空間を対象とする点で、物理的体積が違ってくるし、『自分自身』のことではなく、『空間』という自分以外のものを対象とする点で、願望を抱くこと自体の難度も上がる。

 ふと、薫は思い出す。――暗がりの、人が払われた、学校の校舎を。

「……ねぇ、弟子とか取った事ある?」

「何? 突然。もしかして人払いをする追求者と、他に会った事があるの?」

「ええ……野崎洋子って名前。私と同い年」

 追求者は、頭を振った。

「……いや、知らないわね。人払いは確かに難度の高い解創だけれど、珍妙というわけでもないわ。その気になれば、追求者なら誰でも手を出せる技術と思うわよ」

 どうやら追求者の間では、人払いの技術は、どちらかで言えばポピュラーな技術らしい……薫は、アテが外れてがっかりする。

「どうかしたの?」

「いや、なんでも……」

 鈴切桐高の言葉を思い出す。――桐高と、自分をぶつけた人間の存在……もしかしたら、コイツがその存在で、野崎洋子を尖兵としたのかとも思ったが、違うらしい。

 とにかく、そういうことなら、ここに留まる理由は無い。情報員はどこに行ったから知らないが、あいつはどうでも良い。朱莉が戻った今、ここに留まる理由は無い。逃げれば勝ちだ。あとは委員会が何とかしてくれる。

「その娘が戻ってきたら、終わりだと思った?」

 図星を点かれ、どきりとした時には、既に布由希は間合いを詰めていた。

 弾かれるように放たれる、白銀の一閃。薫は、得物を持つ布由希の手を受け止める事で、斬撃を防いだ。

「これで、あの裁定委員の女も殺したの?」

 月光を反射する短刀を見ながら、薫は言った。

「いや、あの娘は殺してないわ。それに、彼女に使った武器殺しは壊されちゃったし……どうせ、得物を持たない貴女には意味無いし」

果実を潰すように、薫は追求者の手を握り潰そうと握力を掛ける。

 追求者が短刀から手を離す――宙を落ちる銀色を、逆の手で掴んで、下から切り上げてくる。

 薫は僅かに退いて、刃の一閃を回避する。相手の斬撃の挙動が終わる前に、自らの左腕を鈍器に見立て、追求者の顔を狙って薙ぎ払う。

 左腕で視界の下側を遮断するのが目的だ――すかさず、上体の体勢を崩さずに、膝蹴りを懐に叩きこもうとする。

 だが追求者は、薫が脚を上げた瞬間から動き出した。その身を後退させ、薫の膝蹴りは空を切る。

 三メートルほどの間を開けて、互いに出方を伺う。

 猛禽の眼は既に無いはずなのに――薫は、不審に思いながら追求者を観察する。――ふと、月明かりが追求者を照らした。月光を反射する白いワンピース。空気中を漂う塵が、光を受けて羽虫のように見える。

 ふと、女の服から、なにか糸状のものが伸びているのが見えた。

  ――糸屑……?

 どこかが(ほつ)れているのか? いや、違う……凝視して否定した。観察すればするほど、大量の糸が見つかったからだ。

 ゆらゆらと風に靡くそれは、海月(クラゲ)の脚のようにも見える。

「見えていなくても見えてるし、聞こえていなくても聞こえてる。触れていなくても触れているのと変わらない――これこそ、完璧な感覚と思わない?」

 そういうことか――薫は、それがなんなのか、ようやく察しがついた。

 視覚、聴覚、嗅覚、味覚、触覚……その、どれにも該当しない新たな感覚。形式としては触覚や聴覚に近いが、より繊細に、より正確に、明確な差異を付けて認識出来る、新たな感覚の受容器……それが、あの糸の正体だ。

 だとすれば――彼女の認識しているのは、(しき)でも(しょう)(そく)でもない。全く別の(きょう)である。

 あの道具の仕組みは察しがつく……基本的な仕組みは体毛と同じだ。空気の揺れを感知する感覚器。だがアレの精度はそれ以上……いや、聴覚と触覚――その複合のような感覚器からの信号を、視覚のように脳内で再現しているのだ。――そんなものまで作り上げて、なんで今更『蓮灘の記録』なんてものに手を伸ばしたがるのか、薫には理解できなかった。

「そんな第六感……感覚器があるなら、別に私の感覚なんて、必要ないんじゃないの?」

「受容器の違いは、確かに新たなクオリアの獲得なワケだけど、違う個体の同種の受容感覚で捉える、対象の質感の差異というのが、重要なのよ。『蓮灘の記録』を作り出した追求者と同じ願いを抱くには、『蓮灘の記録』と感覚を共有すればいいのだから」

 感覚の共有による、願いの要因の共有――そういうことか、と薫は納得した。

 願いの要因が感覚にあるという瀬戸川布由希の考えに基づけば、ある願いを抱いている人物の感覚を共有すれば、同じ解創を抱けるようになる、ということになる。

 つまり――既存の解創であれば、解創を作成した追求者と感覚を共有することで、その解創を自分の物に出来るということになる。

 つまり作成者が生きている既存の解創、その全てを彼女自身の物に出来る可能性があるということだ。

 ここでこの女を逃がして、もし新たな解創を得て帰ってきたらどうなるか……薫が太刀打ち出来るレベルの追求者のままである保証は無い。ならば、ここで決着を付けるしかないだろう。

 裁定委員会に引き渡してしまえば、裁定基準は委員会に委ねるしかないにせよ、自由になっても監視くらいはつくだろう。それなら、追求者と感覚を共有して力を付け、再び薫の元に訪れる事はない筈だ。

 その為には、予測の域に達する感覚を手にするこの女に、一撃を見舞って戦闘力を失わせるしかない。だが、そんな一撃を食らわせるには、追求者の感覚が邪魔だ。――それでもやらなければならないのなら、予測しても運動が間に合わないよう、一度大きな隙を作るしかない。

 では、どうやって? ――薫は逡巡し、ある一つの疑問に辿り着く。

 野崎洋子が、どうやって人払いの解創を為したのかは分からないが――では、この女は、どうやって為している?

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