#17 薫
人払いの正体。薫は気になっていた事に対して答えを出した。それが結果として、この無益な争いの決着の要因となった。
薫は思い出した。野崎洋子が為した『人払い』の解創では、既に学校の校舎から人が消えていた。しかし布由希が実践した『人払い』を行ったこの場所は、既に人がいないのは同じだが、周囲にいた人間が気に掛けないという特徴があった。
そして、情報員の眼鏡の解創。これは眼鏡を使った視線避けだ。
眼鏡は、着用した人間への視線を避けさせるものだと、情報員から話を聞いていた。ならば、人払い全般も、基本的な考え方は同じではないか?
学校の校舎であれば、校舎そのものか、それか校舎を包む、また校舎に浸透する大気や空気に為されていたのかもしれない。彼女の用いた『身体の力を及ぼす』解創も、空気を媒体としていたのかもしれない。大気に虚像の投影の解創も行っている事から、空気や大気など、気体を道具とした可能性が高い。
では、この女はどうか? 短刀と、もう一本あったと思われる刃。そして猛禽の目と、服から伸びる無数の糸……統一性は無い。
だが、空気のような不定形ではなく、そのどれもが形のある物という点は共通だ。無論、人払いも形のあるものとは限らないが、逆に『形のあるものではない』という可能性は、除外する理由もない。
薫は、ここと、校舎の違いを考えた。壁はコンクリートではなくトタン。屋根も同一……そこまで考え、ふと思った。ここは、この追求者が建築した建物ではないだろう。この古さが、それを物語っている。ならば、建物そのものに手を加えたのではなく、『人払い』は後付けされたものではないか?
そう考えると、意外と早く結論に辿り着いた。この建物の中には、特別なものは無い。ならば、後付けされた道具は、外にしか無い。
そう――外には、『立ち入り禁止』と印刷した紙と、それが貼られた、建物を包囲する紐がある。
人払いをした解創を破壊すれば、もう一度音を立ててしまうと、次は人々の目を免れられない。追求者なら、即座にその答えに辿り着いてくれるはずだ。
薫は賭けに出た。朱莉を回収して逃げるフリをする事で、出口へと注意をひきつけ、そして、あの紐に手を伸ばせばどうなるか……?
それは、功を奏した。追求者は、紐に手を伸ばす薫の手首を、刃で切断しようという暴挙に出たのだ。これ以上の隙は、他になかった。
切断のために重心が前にズレれば、引き戻すことは難しい。引き戻される前に短刀を持つ手を逆の手で掴んで、あとは一撃を叩きこんで、事は終わった。
「どうやら……ここまでみたいね」
うつぶせに寝転がったまま、追求者の女、瀬戸川布由希は残念そうに言葉を洩らす。
「そうみたいね。悪いけど裁定委員会に引き取――」
聞きなれない、ヒィン、という高い音が聞こえた。なにか、細かなものが高速で動く音ようま音だ。そっと、音源は近づいてくる。
音源の位置に予想を付けて、薫は、思いっきり、自分の耳の近くの空間を握った。
「……残念。羽音は聞こえないようにしてたんだけど……あなたの聴力だと、四万ヘルツでも聞こえるのね」
見ると、手の平で、蚊の死体が潰れていた。なんだ? と一瞬、疑問に思い、よく観察すると、なにか、キラ、と光る糸を引いていることに気付く……長い、それはずっと続いていて……追求者のところまで、伸びている。
「これが、アンタの奥の手ってワケ?」
猛禽を操れるのなら、それより低度のものも、同じように傀儡に出来たらしい。両者の神経を直接繋ぐことで、感覚を共有できるようにする――傀儡は、その為の接続器だ。
自分が認識している感覚――その脳の活動を、そのまま神経を介して他人に送る。そのための伝達手段――つまり糸電話なのだとすれば、自分の神経などを、自分の手で改造したということになる。
「なに考えてるの……? ここまでする必要なんてないでしょ?」
尋ねるだけで、生理的嫌悪感が滲み出す薫の台詞を、追求者は鼻で笑ってあしらった。
「馬鹿ね。それが追求者よ。自由の追求という目的のためなら、手段は選ばないの。たとえ自分の体を弄繰り回す結果になったとしてもね」
薫には、そんなの理解できなかった。そんな狂気の沙汰を『自由』と言える感覚など、到底共有できるものではなかった。
突如、女が短刀を投げ飛ばした。追うように、短刀の後ろから風が吹く。薫は、突然の事に、そして自分に向けられたものではなかったので、反応できなかった。
追求者が飛ばした短刀は――軌道上にあった紐を寸断した。
「あなたの考え、正解よ。あれが『人払い』の道具」
その道具が破壊された――その意味は明確だった。
住宅地の方で、明かりが灯るのが見えた。工事の音ではないと考える人間も、少なからずいるだろう。もしかしたら、ここまで来る人間が出るかもしれない。
追求者は立ち上がると、堂々と歩き出した。
「待て!」
出口から外に出た追求者を呼び止める。
「あなたもお逃げなさい。委員会は来ないだろうけど、警察は来るかもしれないし――あっ」
女が視線を走らせて、驚嘆の声を上げた――住宅地の上の方。薫は思わず、何事かとそちらを見てしまう。
ボッ、と音を立てて豪風が吹き荒れる。誘導された――そう気付いて、視線を戻した時には、凪を残して、女の姿は消えていた。




