#11 桐高
子供の頃から、自分と他人の間に、隔絶があるのは自覚していた。人と接するたびに、彼は自分と他人の違いを意識させられた。
見解の相違、価値観の違い、言葉の食い違い、心の調子。
話していても、接してみても、ありとあらゆるものが噛み合わず、誰の心も理解できない。いつしか彼は怖くなった。まるで影絵の劇を見ている気分だ。見えているのは影だけで、向こうが一体どうなっているのか分かりっこない。
恐ろしかった。理解できないものが自分と同じ空間にいる――まるで、数多の亡霊が棲みつく街に踏み込んだかのようだった。
向こう側に踏み込んだら、自分はどうなってしまうのか――考えるだけで頭が割れそうだった。
ある時、気がついた。ならば最初から、触れなければいいのだと。
人と自分の間に、距離を置いた。
それからというもの、自分の周りで何が起ころうと、関係なかった。
親が離婚しようとも、母が失踪しようとも。
誰が、何をしようと対岸の火事。こっちの河岸には、自分一人しかいない。何も起こるはずはなかった。
だけど、距離を置くのは難しいものだ。
生きていくには働くしかなく、しかし働く場においてさえ、人は人との繋がりを求める。それがたとえ、どれだけ人から忌避されるような職であったとしてもだ。
頼んでもないのに話しかけてくる人間には、テリトリーに踏み込まれる不快感を抱いた。
優位に立ちたいらしく、なんでもかんでも語り腐る人間に、自分を意識されていると思うだけで、気分が悪くなった。
隣にいる人間がこちらを見れば、睨みつけて拒絶したい衝動に駆られた。
街を歩いているだけでさえ、人は社会の中で生きていた。もう人は、一人にはなれないのだ。
ならばせめて、孤独を願おう。
互いに互いに触れないように、当たらないように生きていこう。
けれど、そんなのは自分の勝手な我侭である。世の中は桐高の願望など噛み砕くまでもなく、理不尽に無視していった。
それでも、桐高は拒んだ。人が自分を知ろうとするという事は、いつか自分も相手を知ろうとするは筈で――そしてまた自分は、理解できない正体不明の影を意識して、怯えなければならないのだから。
人に触れて欲しくない――方法は一つ。相手にも、桐高が抱いたのと同じ感覚を知ってもらえればいいのだ。
この感覚を体験して欲しい。鈴切桐高という男を前にして、鈴切桐高がお前達に抱くこの感覚を味わってくれ。
この黒くて不気味で、掴みどころのない、理解不能なモノを前にした感覚を。
皮肉にも、桐高の孤独の渇望は、理解して欲しいという願望からくるものだった。




