5 灰色の風呂敷
「そうか、思い出したのか……って、園山のところに真っ先に行くなんて、お兄さん寂しい」
不動さんは、よよよ……と泣き崩れる真似をして、それから右手を差し出した。
左手にチラッと見えるのは引き攣れた火傷のあと。それは、私を助けるためのものだったなんて。
気づいていないうちに、たくさんの恩があったのだなと思う。
「不動さん、私、生まれた村に行きたいな」
そっと右手を握ると、「俺は鈴に甘いんだった」と悔しそうに握り返してきた。
それから、不動さんが借りてきたのは栗毛の馬。
「白馬じゃないが、玉子様が操縦してやるから白馬だと思うがいいさ」
「だからなんで、王子じゃなくて玉子様なんですか」
いつものやりとりにホッとする。「急ぐんですから!」と急かせば、「よーし、風を感じてみようぜ!」とテキパキと馬に鞍をつけて彼は飛び乗った。私も手を引かれて後ろに乗せてもらう。
不動さんの背中が温かかった。
「不動さん」
「ん?」
「……ただいま」
「……おかえり」
風を切ってとまではいかないながらも、不動さんはかなりの速度で山道を突っ走っていった。
切れ切れの風に乗って、小さく言葉が運ばれてくるので私は一生懸命聞かないといけない。
……なあ、見つかったか?
なにがですか?
……「幸せ」ってやつかなぁ。
どうしてですか?
……だって、そりゃ鈴、何だかさっきも謝ってたじゃん。
そうですね。
……謝るために人生やり直してるんじゃねーだろ?
……幸せになるために人生やり直してるんだろ?
……うなだれた姿なんてにあわねーぞ。
とにもかくにも自分に注意を向けさせようとする不動さんの言葉はだんだん早口になっていくので、同じ加速度で心臓の音が早まっていった。
背中に頬を当ててみる。
口調はいつものぶっきらぼうなものなのに、不動さんの鼓動も早くなっていく。
あたたかくて、もう少し頬を押し付けると彼は「眠いのか? でも眠ったら落ちるぞ」と釘を刺した。
――時間が残っていなかった。なんとなくそれは感じていた。
……鈴、お前幸せ見つけてないんだったら、まだ消える必要なんてねーんだぞ。
私、満足してますよ。
……勝手に満足するな。
えー。
疾走する馬に揺られながらしっかりと不動さんにしがみつく。
……そうだ! もう一度あのときの決意を思い出せ。「ぶっ殺す、園山!!」と!
そんなこと思っていないですってば。
思わず笑ってしまう。いつも不動さんはこうやって私を笑わそうとしてくれる。
世の中大変なことなんてないんだって、なんとかなるんだって、いつもそう励ましてくれるようだった。
誰もやったことのないこと、誰も知らなかったこと、そんな世界に飛び込むのは勇気がいったけれど、不動さんがいてくれたから、なんとかこうやってやって来れたんだね。
最初はなんてふざけた人だと思ったけれど、そうじゃなくて、本当は繊細な人だから、そうやって自分に言い聞かせて、踏ん張ってきたのかな。
その姿が……私にはきらめいて見えた。
その姿が……私にはまぶしい。
その姿が……私には愛しい。
不動さん、あのね。
……つーか、もうすぐ着くし。
あのね。
……入り口見えてきたぜ。あ、ほら、見てみろってんだー。荒れてやがる。
不動さん、私。
……よーし、これはもう再建するしかねーとか思うだろ?
何度か口を開きかけるのだが、そのたびに邪魔されてしまう。いつのまにか始まりの場所に戻ってきた私たちは、まだ燃え殻が残った村の土を馬上から眺めた。
風が吹くと、砂が舞い上がって、はらはらと、灰がゆっくりと落ちてくる。けれど、その下には灰を肥料に小さな芽がいくつも出ていた。きっと、この芽は大きくなっていつしか豊かな緑になり、ここで大きな火事が起こったなんて誰も思わない日が来るだろう。
村は再生する。けれど、人の命が再生することはない。私の生もその大きな流れに戻っていくだけのことだろう。
それは誰もが体験することなのだけど……。
「でも、鈴。まだだめだ。却下。却下」
不動さんはくるくると癖のある髪を揺らして、同じように手もわたわたと揺らしている。
「却下って……」
「鈴が幸せになるまで駄目」
「駄目って……」
困ったような顔をすると、不動さんはなんとか陽気につなぎとめようと口を開いて、言葉が出てこなくなったようにパクパクと口を動かした。
「不動さん。ありがとう」
その想いだけで十分だったから自然に頭が下がった。
「お礼なんか言うな。俺、なーんにもやってねぇどころか無料飯食らいの居候だぜ」
「でも、いてくれた」
「鈴はもっと幸せじゃなきゃ駄目なんだ。俺は人を不幸にする天才なんだってばよ。だから、だから、鈴はもうちょい頑張れ」
「十分幸せ。今も」
「人間、欲の皮が突っ張ってねーと長生きできねーぞ」
あのね。
不動さん、私思うんだけど、不動さんと一緒に生きることが出来たから幸せだったんだよ。
人を不幸にする天才なんてことないよ。
だって、私、不動さんのことが好きなんだもの。
だから、一緒に生きることが出来て幸せだった。
私は、ちょっとは……………………不動さんを幸せにしてあげることが出来たでしょうか?
キラキラと「最後の」光が風呂敷から零れ落ちた。
綺麗な夕焼けは、もうどっぷりと闇に押し包まれて、代わりに星がきらめいている。どれほどの間、一人で立ち尽くしていたのかわからない。
無骨な手を見る。左手には火傷のあと。右手には、まだ、鈴と手をつないだときの感触が残っているようだった。
視線を落とすと、そこは鈴の家の焼け跡だ。
なにか月明かりに照らされて光ったので、ぼんやり……なんだろうと考えながら手で掘り返してみると、すすけた刀が粉々になって、点々と埋まっている。
「……」
手にとっても、その破片はもう鋭さを消していて指ひとつ切れやしない。
道具としてはもはや使えない代物だったけれど、ざくざくと爪に土が入るのもかまわず掘り返した。
ポタリと水滴が落ちた。
空は雲ひとつないきれいな星空だった。
けれど、またポタリと水滴が落ちた。
「俺を好きになってどーすんだ」
大切にしてやるなんて出来ねーぞ。
気の向くまま、おもむくまま、フラフラくらげみたいに漂うくらいしか能がねえってんだ。
だから、
だから、
ずっと言わなかったというのに。
あのな、鈴がいてくれないと困る。
大事で大事で大事で大事で大事で大事で仕方なかった。
無骨な手で壊さないように、傷つけないように、わざと距離をとっていたというのに。
あのな、俺も、一緒に生きることが出来て幸せだった。
そして、一方的に『幸せとやら』をもらってばかりだと思ってた。
拾い集めた刀の欠片を土に埋めて、その辺に生えてた綺麗な花をとりあえず引っこ抜いて供える。
その横にどっかり座り込んで、用意した二人分の握り飯を貪り食った。
もう、あの柔らかい微笑を浮かべて糖分を気にしながら晩御飯を御馳走してくれる人はいないんだなぁと
噛み締めて、
無理やり飲み込んで、
寝っころがって、
宇宙を見て、
彼女が今まで旅した世界に思いをはせ、
……これから旅するであろう世界に思いをはせてみたのだった。




