第27話 名前だけじゃ足りない
門の青い結晶が赤くなった瞬間、周囲の空気まで変わった気がした。
槍が三本こちらへ向く。剣を抜いた兵士が二人。俺の後ろにいた旅人たちは、面倒に巻き込まれたくないらしく距離を取った。
俺は両手を上げたまま動かなかった。
「ハナシ、シタイ」
門兵の一人が眉を寄せる。
「……喋ったぞ」
「知性種か?」
「鑑定柱は未登録反応だ」
言葉はほぼ理解できるようになっている。専門用語だけが穴になる。
リナが前へ出ようとしたので、俺は小さく首を振った。今の状況で彼女が俺を庇いすぎると、仲間だという理由だけで警戒される。
代わりにガドが冒険者証らしき金属板を見せた。
「こいつは俺たちが森で接触した知性個体だ。人を襲ったことはない。灰角族の斥候とも意思疎通してる」
「種は?」
「知らん」
門兵たちが俺を見る。
俺も答える。
「オレモ、シラナイ」
少し沈黙があった。
《名前だけあって種族不明。確かに怪しいな》
隊長らしい男が槍を下げた。
「ここで揉めるな。検査所へ回す。抵抗したら討伐対象として扱う」
「ワカッタ」
意外だった。
もっと即座に攻撃されると思っていた。知性のある魔物自体が完全な想定外というわけではないらしい。
門の脇にある石造りの小屋へ通される。窓には鉄格子。床には細い魔法陣が刻まれていた。
俺が中央へ立つと、白衣に似た長衣を着た女が入ってきた。年齢はリナより上、ガドより下くらいに見える。片手には薄い銀板、もう片方には杖。
「魔導鑑定官のミレアです。言葉は分かりますか?」
「ダイタイ」
「名前は?」
「ネクサ」
「所属」
「ナイ」
「出生地」
俺は少し考えた。
「マモノノ、ナカ」
銀板を動かしていた手が止まった。
「……もう一度お願いします」
説明に時間がかかった。
転生の部分は話していない。信じてもらえるか分からないし、必要もない。巨大生物の体内で意識を持った魔導脈として発生し、宿主の死後に独立した。その後、自分で器官を作り、今の形になった。
ミレアは途中から質問するのをやめ、ただ銀板へ記録していた。
「既知種との類似例がありませんね」
「ソウ?」
「少なくとも私は知りません。自律型の魔導生体、寄生型魔物、変形種……近い例はありますが、どれも違う」
《やっぱり珍しいのか》
少し嬉しい。
ミレアが魔法陣を起動した。
淡い光が足元から上がる。
「これは攻撃ではありません。呪詛、強制契約、精神汚染、寄生反応を確認します」
「セイシン、オセン?」
「意思決定が外部から操作されていないか、です」
それは興味深い。
人間は精神そのものを魔法で調べられるらしい。
《俺にも効くのか?》
試してみたい。
俺は抵抗せず、光を通した。
最初は何も起きなかった。
次に、感覚統合中枢の奥を細い指で撫でられたような違和感が走る。
反射的に霊子認識相が全身へ逃げた。
思考の同期位置が胸部から腕、脚、背中へ分散する。
魔法陣の光が揺れた。
ミレアが目を見開く。
「……今、精神反応が移動しました?」
「タブン」
「普通は移動しません」
「オレ、ノウ、ナイ」
「はい?」
また説明が増えた。
ミレアは頭を抱えながらも検査を続けた。最終的に、外部支配反応なし。呪詛なし。既知の寄生反応なし。ただし精神構造は測定不能。
銀板に書かれた文字を俺は横から読む。
『未登録知性魔導生体』。
「コレ、オレ?」
「暫定分類です。何も書けないよりはましなので」
悪くない。
ただ、問題はここからだった。
「セルディアでは、未登録の知性魔物が単独で市内へ入ることはできません」
リナが身を乗り出す。
「じゃあ、どうすれば?」
「身元を保証する市民か、登録冒険者二名の同行。それと一時識別印が必要です」
「それなら私とガドで――」
「待って」
ミレアは俺を見る。
「もう一つ。拘束具への同意」
俺は首を傾げた。
出されたのは首輪だった。
銀色の輪。内側に魔法文字。魔力を流すと締まる仕組みではない。解析すると、位置情報と魔力暴走を検知して信号を飛ばすだけだ。
しかし首輪という形が気に入らない。
「イヤ」
即答した。
ミレアも怒らなかった。
「理由を聞いても?」
「クビ、イラナイ。カタチ、カエル」
試しに首を引っ込め、頭部を胸の中へ沈める。
リナがため息をついた。
門兵が一歩後退した。
首輪だけが宙に残る。
「ナルホド」
ミレアは真顔だった。
「確かに無意味ですね」
話し合いの結果、首輪ではなく識別用の魔晶片を外套の留め具に埋め込むことになった。俺が勝手に捨てれば門へ信号が飛ぶ。暴走するほど大きな魔力を使っても同じ。
「コレナラ、イイ」
拘束というより、監視付きの入場許可だ。
合理的だと思う。
ただし一つだけ気になる。
ミレアが黒結晶片を保管している胸部へ視線を向けた。
「あなたの中に、別の反応があります」
俺は動きを止めた。
「クロイ、ケッショウ」
「出せますか?」
「ダセル」
胸部を開き、隔離嚢から欠片を取り出す。
黒い結晶が掌に乗った瞬間、部屋の魔法陣が低く鳴った。
ミレアの顔色が変わる。
「それ、どこで手に入れました?」
「モリカンジュウ」
「森冠獣……」
彼女は杖を床へ置き、素手で触れないよう布を広げた。
「市内へ持ち込むなら封印容器に入れてください。これはただの魔晶じゃありません」
「シッテル?」
「名前だけなら」
俺は身を乗り出した。
「ナマエ?」
ミレアは少し迷ってから答えた。
「黒脈晶。古い記録では、そう呼ばれています」
初めて、黒い結晶に名前がついた。
◇
検査を終えた頃には日が傾いていた。
外套の胸元には一時識別印。黒脈晶は鉛色の小箱へ封印された。リナとガドが左右につく。
門兵がこちらを見る。
もう槍は向けてこなかった。
「滞在三日。問題を起こしたら保証人も処分対象だ」
「ワカッタ」
「……本当に分かってるんだろうな?」
「タブン」
ガドに後頭部を叩かれた。
痛くない。
門をくぐる。
石畳の向こうに、何百もの人間がいた。
家。店。屋台。荷車。看板。煙。香辛料。鉄。革。焼けた肉。
声が重なり、魔力反応が重なり、視界の端から端まで動くものだらけだった。
感覚統合中枢が一瞬だけ処理を遅らせる。
【入力情報量増大】
《これが街か》
未知が多すぎる。
俺は黒脈晶の箱を胸に抱えたまま、初めて人間の街へ足を踏み入れた。
三日で足りる気がしなかった。
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