第26話 服を着る理由
人型になって最初に覚えたのは、歩くことでも、指を使うことでもなかった。
服を着ろ、だった。
灰角族の避難先で、リナが俺を上から下まで眺めている。俺は滑らかな黒い皮膚のまま、二本脚で立っていた。胸には核殻の輪郭が薄く浮き、魔力を流すたび青白い線が全身を走る。
「ネクサ。そのまま街に来るのは絶対だめ」
「ナンデ?」
「なんでって……まず目立つから」
ガドが横から口を挟んだ。
「目立つ以前に、裸だ」
俺は自分の身体を見下ろした。
人間の生殖器に相当するものは作っていない。排泄もしない。体温調整も皮膚呼吸も必要ない。俺の感覚では、服を着る生理的な理由が存在しなかった。
「ミエテ、ナイ」
「そういう問題でもないんだよ」
社会は難しい。
リナが持ってきた古いシャツを受け取る。布を両手で引っ張ると、力加減を間違えて縫い目が少し鳴った。
「破かないでね」
「ワカッテル」
五本指に近い形へ補助指を展開し、袖へ腕を通す。肩の位置が人間と少し違うせいで引っかかった。
《服に身体を合わせればいい》
肩甲帯を数センチ内側へ移す。腕の付け根を下げ、胸郭の幅を縮める。
シャツが収まった。
【外部装具に対する骨格微調整を確認】
「今、身体の方を服に合わせた?」
「ウン」
リナが妙な顔をした。
「普通は服を直すの」
《そっちの方が面倒じゃないか?》
ズボンも同じだった。腰骨を人間に寄せ、脚の外形を細くする。靴はもっと難しい。俺には本来、地面の振動を拾う感覚器官が足裏にある。厚い革で覆うと情報量が大きく落ちた。
歩いてみる。
視覚と魔力感知があるので困りはしない。けれど、地面の微細な振動が消えるだけで身体の一部を塞がれたような違和感が残る。
俺は靴底の内側へ細い感覚毛を伸ばし、革越しの振動を増幅する構造を試した。
一度目は歩くたびに音が大きすぎた。二度目は逆に感度が落ちる。三度目で、通常の歩行に必要な程度だけ拾えるようになった。
【振動感知の外部装具適応を確認】
《服を着るだけでも改造になるのか》
少し楽しくなってきた。
最後にリナが灰色の外套を渡した。フードを被れば頭部の大半が隠れる。手袋を使えば三本指も見えない。
鏡の代わりに水面へ自分を映す。
背丈は人間として不自然ではない。外套の下で胸部の核殻も隠れている。顔だけは黒いままだ。
「カオ、カエル?」
「できるの?」
「タブン」
人間の顔は、リナ、ガド、セラを何度も観察している。皮膚色、唇、瞼、眉。形だけなら模倣できそうだった。
だが、完全な擬態を試す気にはなれなかった。
第二進化で俺が選ばなかった候補に『人型擬態体』があった。今の身体でも外形を寄せることはできるが、それを本来の能力として選んだわけではない。複雑な皮膚色変化を常時維持すれば、器官再配置の容量を使う。
それに、人間そっくりの顔を作って人間だと偽るのは、街へ入る方法としては簡単すぎる。
《入った後にバレた方が面倒だな》
俺は顔の形だけ少し整えた。口角、頬、瞼。黒い皮膚は残す。
リナが俺の前へ立った。
「笑ってみて」
前回失敗したやつだ。
口角を上げる。
「違う。歯を見せすぎ」
歯は必要ないので今まで作っていなかった。人間の笑顔を真似るためだけに白い板状構造を並べてみる。
リナが一歩引いた。
「もっと怖くなった」
「ムズカシイ」
ガドが肩を震わせていた。
俺は表情を一度消し、リナの顔を観察する。口角だけではない。頬が上がり、目が細くなり、眉の力が抜ける。
同じように動かす。
「……今のは、まあまあ」
【社会的表情制御:学習進行】
《能力扱いなのか、これ》
戦闘より難しいかもしれない。
その日の夕方、三人でセルディアへ向かった。
街が近づくにつれて、人の声、車輪、家畜、金属、煙の匂いが増える。第二進化前なら別々に拾っていた情報が、感覚統合中枢を通すことで一つの景色になっていた。
遠くからでも城壁が見える。
門の前には列ができていた。荷馬車、旅人、武装した冒険者。入口の横には青い結晶を埋め込んだ柱がある。
魔力感知を向けた瞬間、俺は足を止めた。
柱から細い魔力波が通行人へ流れ、身体の内部を浅く撫でている。
「アレ、ナニ?」
ガドが視線を追った。
「入門の鑑定柱だ。呪い持ちや変異魔物が紛れ込んでないか見る」
《なるほど》
外套で隠す意味がほぼなくなった。
俺の内部には心臓も肺もない。胸の中心には擬似生体核。全身には人間とまったく違う魔力回路が走っている。
しかも今、黒結晶片まで持っている。
リナが小声で言った。
「……どうする?」
俺は門を見る。
人間のふりをして通過する方法を考えることはできる。鑑定波を分流し、外側だけ人型の反応へ偽装する構造も、試せば作れるかもしれない。
けれど、それをやれば最初から嘘になる。
「フツウニ、イク」
「普通に?」
「バレル。ナラ、サキ」
ガドが少し笑った。
「それで門兵が剣を抜いたら?」
俺は外套の下で指を開いた。
「ニゲル」
勝つ必要はない。
街へ入るために人間を倒したら、本末転倒だ。
列へ並ぶ。
少しずつ門が近づく。
鑑定柱の魔力波が、前の旅人を通り抜けた。
次は俺だった。
青い光が足元から頭まで走る。
感覚統合中枢の奥で、警告が弾けた。
【外部走査を確認】
【擬態判定――該当せず】
【生体分類――照合不能】
門の青い結晶が、赤く変わった。
門兵たちが一斉にこちらを見る。
俺は両手を見える位置へ上げた。
「ハナシ、シタイ」
街へ入る最初の一歩は、やはり歩くだけでは済まなかった。
最後までお読みいただき、ありがとうございます。
続きが気になった方は、ブックマークや評価で応援していただけると嬉しいです。




