第16話 初めての会話
リナという少女は、三日後にまた森へ来た。
一人ではない。
前回剣を向けていた男もいる。
ただし今回は武器を抜いていない。
俺は木の上から二人を見ていた。
第一進化後、脚の形を変えれば木登りも簡単になった。
「いる?」
リナが呼ぶ。
俺の名前はない。
だから対象を指定しづらそうだ。
《不便だな》
俺は降りた。
男の手が剣へ動く。
リナが止める。
俺は五メートル離れて座るように脚を畳んだ。
リナがゆっくり話す。
「私は、リナ」
知っている。
「あなた、名前?」
「ナイ」
「名前が、ない?」
「ナイ」
会話になった。
たったそれだけなのに、妙に嬉しい。
リナは質問を続ける。
「人?」
難しい。
元は人間。
今はどう見ても違う。
俺は少し考えて答えた。
「マエ……ヒト。イマ……チガウ」
男が息を呑む。
リナは目を見開いた。
「前は、人?」
俺は一度だけ身体を上下させる。
頷きの代わり。
言語解析率が一気に上がった。
【言語構造解析:31%】
実際に意味を交換すると、観察だけより情報量が多いらしい。
今度は俺から聞きたい。
街で何度も聞いた単語を使う。
「ココ。ナニ?」
リナが周囲を見る。
「森?」
俺は遠くの街を指すように前脚を伸ばす。
「アレ」
「ああ。セルディア」
街の名前。
初めて世界に固有名詞ができた。
「セルディア」
繰り返す。
次にリナは自分の胸元から小さな金属札を出した。
刻印と文字。
「冒険者」
新しい単語。
どうやら彼女たちは森で魔物を狩る人間らしい。
だから俺が最初に遭遇した三人組も同じ種類だった可能性が高い。
話している途中、男が突然言った。
「どうして助けた?」
かなり理解できた。
答えを考える。
人間だから。
知っている顔だったから。
棘狼の器官が気になったから。
全部本当だ。
俺は一番説明しやすいものを選んだ。
「シッテタ。リナ」
リナが少し笑った。
俺は続ける。
「ソレト……トゲ。キニナッタ」
笑顔が止まった。
男が俺を見る目が、さらに警戒へ戻る。
《やっぱりそこは言わない方がよかったか》
会話は難しい。
◇
会話するには、名前が必要だった。
リナが俺を呼ぶたび、「あなた」か「そこの……」で止まる。ガドはもっと露骨に「黒いの」と呼ぶ。
俺は気にしていなかったが、名前がないと会話の効率が悪い。
「名前、決めたら?」
《決めるものなのか》
前世の名前は相変わらず思い出せない。
無理に探ろうとすると、擬似生体核の奥――今では意識の同期が集まりやすくなった場所――がざらつくような違和感を返す。
《記憶が消えたというより、そこだけ繋がらない》
今は触れない方がいい。
なら新しく作る。
俺は地面へ枝で自分の形を描いた。
中央の核。そこから伸びる器官。接続。組み替え。
リナが覗き込む。
「核……コア?」
《コアはさすがにそのまますぎる》
ガドが言った。
「ネクサ。繋ぐ、って意味ならどうだ」
リナが繰り返す。
「ネクサ」
繋ぐ。
器官を繋ぐ。能力を繋ぐ。人間と魔物の間にも、これから何かを繋ぐかもしれない。
悪くない。
俺は発声器官を調整する。
「ネクサ」
【自己識別名を確認】
【個体名:ネクサ】
《そこまで反応するのか》
システムの正体はまだ分からない。
ただ、名前が定着した感覚はあった。
「じゃあ、ネクサ」
初めて誰かに名前で呼ばれた。
俺は返事をする。
「リナ」
ガドが咳払いした。
「俺はガドだ」
《今さら名乗るのか》
「ガド」
その日、さらに大量の単語を教わった。
剣。木。空。火。水。手。足。
そして「友」という言葉。
リナが俺と自分を交互に指して、それを言った。
俺はすぐには繰り返さない。
まだ、そこまでの関係か分からない。
代わりに言った。
「シリアイ」
知り合い。
リナは少し不満そうだった。
ガドは笑った。
俺には、そのくらいの距離がちょうどよかった。
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